第四章 過去の邂逅5/11
「……さい」
喉から声が絞り出される。だがその声は余りに小さく掠れていた。子供たちには、その声が届かなかったのだろう。子供たちはまた別の店先に駆け寄り、声を弾ませた。
「おお! 渦巻き状に白くグネった怪しい物体を発見! これは即買い決定だな!」
「怪しいって……これソフトクリームだよ」
「確かにこれは怪しいんだよ! だって見ているだけで涎が出るんだもん!」
「……二人ともお腹が空いたんだね」
背後から聞こえてくる子供たちの声が、頭の中で反響する。それがひどく癇に障った。ルーラは額から手を離すと、背後にいる子供たちに振り返り――
「二人とも。そんなことをしていると、またルーラさんに叱られ――」
「うるさいんだよ! お前たちは!」
苛立ちにまかせて声を荒げた。
ルーラの怒声に驚いたのか、ポカンと目を丸くするティムとリリー、ササの三人。そのまるで何も理解していない彼らの反応が、ルーラの苛立ちをより膨れ上がらせていく。
通行人が向けてくる奇異の視線など構いもせず、ルーラはさらに言葉を重ねる。
「下らないことをベラベラと……真面目にやる気がないのなら、施設に戻っていろ! 邪魔だ! お前たち分かってるのか!? このままだと地下世界に帰れないんだぞ!」
「……な……ん……そんな怒ることもねえだろ。ルーラの姉ちゃんさ……」
これまでにないルーラの剣幕に、体を強張らせるリリーとササ。だがティムは普段から怒られ慣れているためか、困惑しながらもルーラの怒りに反論を返した。
怒りの矢面に立つように一歩前に出て、ティムがむすっと唇を尖らせる。
「俺たちなりに真面目にやってるぜ? そりゃあ、アイスはちょっと調子に乗ったかも知れないけどよ……そもそもただ怪しいものを見つけろなんて無茶苦茶だろ」
「無茶苦茶でも何でも、それをやらないと地下世界に帰れないんだ! こんな適当なことをして、家で待っている子供たちに何かあったら、お前たちは責任が取れるのか!?」
「……なんだよ責任って」
困惑していた表情に、じわりと怒りの色を滲ませるティム。険悪な雰囲気を感じたのか、リリーが「……ティム」と声を掛けるも、その少女を無視して、少年が声を荒げた。
「姉ちゃんが思うほど、家の連中だって子供じゃねえよ! 姉ちゃんはいつも俺たちをガキ扱いするけど、姉ちゃんが少し家を空けただけで、どうにもなりゃしねえって!」
「生意気なことを言うな! 子供はすぐにそうして無責任に物事を決めつける! その判断が間違っていた時、犠牲になるのはお前たちじゃなくて、無関係な人間なんだぞ!」
「だからガキ扱いするなよな! 最近の姉ちゃんちょっとおかしいぞ! 何か妙にイラついてるし……何が気に入らねえのか知らねえけど、八つ当たりすんじゃねえよ!」
「誰が八つ当たり――」
「止めて欲しいんだよ! ティム!」
「落ち着いてください! ルーラさん!」
怒鳴り合うルーラとティムの間に、リリーとササが割って入る。ルーラは踏み出し掛けた足を止めると、通せんぼする形で立ちはだかったササを、ギロリと睨みつけた。ルーラの鋭い睨みに、緊張感を一気に膨れ上がらせるササ。だが少年は、決してその場から動こうとはせず、カボチャ頭の奥からこちらを静かに見つめていた。
ティムの前に回り込んだリリーが、少し涙ぐんだ声で、ティムに言う。
「ルーラお姉ちゃんは、あたしたちを家に帰すために、毎日頑張ってるんだよ! すっごく疲れてるんだよ! それなのに……お姉ちゃんに酷いこというのは駄目なんだよ!」
「……」
ティムがバツの悪そうに、リリーから顔を背ける。その少女の必死の訴えは、我を忘れていたルーラにもまた、ひどく響いた。ササを睨みつけていた黒い瞳を、はっと大きく見開いて、自分が子供たちに対してしたことを、ルーラは今更ながらに自覚する。
「……あ……私は……何をして……」
呆然と声を震わせるルーラに、ササがカボチャ頭をぺこりと下げる。
「ごめんなさい、僕が二人を止めるべきでした。ルーラさんが怒るのはもっともです。でも二人とも別にふざけていたわけじゃないんです。それだけは分かってあげてください」
「……ち……違う……そうじゃ……そうじゃないんだ……」
自分などよりもよほど大人な対応を見せるササに、自分がひどく惨めに思えた。子供たちから逃げるようにフラフラと後退り、通りの建物に寄り掛かるルーラ。俯けた顔を両手のひらで覆い隠して、彼女は消え入りそうな声で子供たちに謝罪する。
「ごめん……全部……全部私が悪いんだ……お前たちは何も悪くない……私が勝手にイラついて……みんなにあたってしまった……私が……馬鹿だったんだ……」
この恥知らずな謝罪を、子供たちがどのような顔で聞いているのか。それを知るのが怖くて、ルーラは顔から両手を離すことができなかった。怒っているのか呆れているのか。或いは、優しい子供たちはこちらに同情してくれているのか。どちらにせよ――
今のルーラに、子供たちの想いを受け止める勇気はなかった。
「……みんな……やはり施設に戻っていくれ」
子供たちの沈黙の気配が揺れる。ルーラはすぐに頭を振り、言葉をつけ足した。
「邪魔だから……ではないんだ。今の私は……どうかしている……みんなと一緒にいると……またみんなを傷付けてしまうかも知れない……それが嫌なんだ……」
しばし沈黙が続く。五秒。十秒。手のひらに覆われた視界の奥から、ササの声が鳴る。
「……二人とも、戻ろう」
ササの言葉に、ティムとリリーも同意したのだろう。子供たちの足音が鳴り、それが徐々に遠ざかっていく。顔を手のひらで隠したまま、足音が十分に離れるのを待つルーラ。三人の足音が聞こえなくなり、さらに十秒ほどの時間が経過した後に――
彼女は両手を力なく脇に落とした。
「……何をやっているんだ……私は?」
そう呟いて自嘲する。
子供たちが真面目にやっていることも、ふざけていないことも分かっていたはずだ。それなのに、子供たちに当たり散らしてしまった。愚かしいを通り越して呆れてしまう。
確かに思うようにならない現状に、焦りを覚えていた。蓄積した疲労から、苛立ちも覚えていた。だがそのようなこと釈明にもならない。詰まるところ全ては――
感情のコントロールもできない、自分自身の未熟さにある。
「これでは……六年前と何も変わらない……」
六年前――
取り返しのつかない罪を犯した――
あの無責任なルーラ・バウマンと――
「私は何も……成長していないんだな」




