第四章 過去の邂逅4/11
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この地上世界にある街並みは、地下世界で神聖樹の森に呑み込まれた領域と同じ、おおよそ二キロに渡り広がっている。それよりも外の領域には建物が一つも存在せず、地平線――これも初めて見たが――まで続く広い草原となっていた。
仮にこの地平線の向こう側に神聖樹が隠れているのなら、街中を幾ら探したところで意味はないだろう。しかしだからといって、この頭上に映し出される空と同様に、どこまでも広がるその草原を隈なく調査して、神聖樹を探し出すこともまた不可能だ。
詰まるところ、調査は街中に限定せざるを得ない。この地上世界を作り出したのは南区の神聖樹だ。であるならば、南区の過去より作り出されたこの街中に、神聖樹が存在する可能性は十分にある。気休めていどの推測だが、そう考えるしかない。
だが街中に調査を限定したとしても、その範囲はあまりにも広大だ。少なくとも、神聖樹がどのような姿にあるかさえも分からない手探りの状態では、直径二キロにもなるその街中から神聖樹を探すことなど、砂の中から一粒の金を探すようなものだ。
しかしやれることがそれしかないのなら、それをするしかない。そう信じて調査を進めてきたが、矢のような速さで時間だけが過ぎ、すでに地上世界を訪れてより七日が経った。何の進展もなく疲労だけが蓄積していき、どうしたところで焦りを覚えてしまう。
(くそ……いつまでこんなことを続けなければならないんだ)
街の通りを歩きながら、ルーラは苛立たしく心内でそう愚痴をこぼした。幼少の頃に見慣れた南区の街並み。それを視界に映しながら、無心に足を前に投げ出していく。
この地上世界で暮らす人々は、六年前の神聖樹の暴走による犠牲者だ。つまり直径二キロにもなる地上世界に、数百人が暮らしていることとなる。人口過密化が問題視される地下世界に比べてその人口密度は低く、通りにある人影もまばらで閑散としていた。
それだけに、すぐ近くから聞こえてくる少年少女の声は、通りによく響き渡った。
「見てみろササ! ものすごく怪しい彫刻を見つけたぞ! 俺の第六感、いや第七感、ええい、奮発して第二十八感あたりが告げている! こいつが神聖樹本体だ!」
「……確かに珍妙な彫刻だけど、この手のものは、六年前からあるような気がするな。ティムはどうしてこの彫刻が怪しいと思うの?」
「ここだ! 作者名がリグムデッド・ポポイヤという、クスリと笑える感じだからだ!」
「怪しいのは彫刻本体じゃないんだ?」
ドラキュラ伯爵のティムとカボチャ頭のササが、店先にある彫刻――確かに子供の版画のような奇妙なものだ――を前にして、そんなやり取りをしていた。ルーラは歩いていた足を止めると、子供たちの会話を適当に聞き流しつつ、小さく溜息を吐く。
すると今度は、ティムとは別の店先にいた獣耳のリリーが、跳ねるような声を上げる。
「みてみてササくん! このお人形さん変なんだよ! 首のここを押すと、トランスフォームして普通の女の子から、眼球剥き出しのゾンビチックな女の子になるんだよ!」
「え……ああ……確かに需要という面で変だとは思うけど、それ神聖樹かなあ?」
「間違いないと思うんだよ! ミィもこのゾンビ人形を見て、異様に鳴いてるもん!」
「シャアアアアアア!」
「単純に怯えているんじゃないかな?」
自身の頭の上に乗せた翼の生えた子猫――ミィに、人形をかざして見せるリリーと、訝しく首を傾げるササ。二人のその姿を横目に眺めつつ、ルーラはまた溜息を吐く。
(――ったく、呑気なものだ)
ルーラは今回、ティムとリリー、そしてササの三人と共に、神聖樹の調査をすることとなった。カイ曰く、子供の視点も馬鹿にならないということだが、今のところ彼らから有力と思える発見はない。それどころか、真面目に調査をしているのかさえ疑わしい。
(――いや……真面目にはやってるんだ)
ルーラはそう思い直すと、額に手のひらを押し当てて、顔を僅かに俯ける。
子供たちも地下世界に帰れないのは困るはずだ。だがどうしても、彼らのその態度が不真面目に見えてしまうのは、彼らに指示した調査内容が不適切だからだろう。
ただ怪しいものを探せと言われても、子供たちが当惑するのも無理はない。そもそもそれを指示しているルーラ自身が、何を基準にして探せばいいのか悩んでいるのだ。子供らしからぬ洞察力を持つササも、さすがにこの指示には参っているようで、先程からティムとリリーが闇雲にピックアップする物に、曖昧な指摘を返すだけとなっている。
だがそれを理解しているはずなのに、ルーラの苛立ちは募っていくばかりだ。
(私は……子供たちを守らないとダメなんだ)
黒い瞳を強く閉じて、ルーラは呪文を唱えるように、その言葉を繰り返した。
カイの言うことは理解している。焦りを覚えたところで、この状況が改善することはない。むしろ悪化するだけだ。子供たちを守るためには冷静になる必要がある。
だというのに、まるで追い立てられるように、焦燥が膨らんでいく。子供のそばにいることができないこの現状を、子供を守ることができない自分自身を――
心の奥底で何かが責め立てている。
(こんなことをしていては……私はもう……間違えるわけにはいかないというのに……)
閉ざした瞼の奥で、視界がぐらりと大きく揺れた。心に投影されている自身。その足元が、ドロドロとした濃厚な闇に沈んでいる。これまで、頑なに気付かないふりをしていた心の闇が、誰のためにもなれない自分を、引きずり込もうと口を開いている。
自身を呑み込もうとする闇が、ただの幻であることは理解している。だがそれでも、知らず知らずに呼吸が荒くなる。息苦しく繰り返される呼吸音。その音と重なり――
子供たちの陽気な声が聞こえてくる。
「ならばこれはどうだ!? なんか棒の先端に粘る物体を張り付けた用途不明物!」
「確かに用途不明だね。でも怪しいってそういうものじゃないんじゃないかな?」
「これはどう!? 毛むくじゃらボール! 毛むくじゃらを捕獲するんだよ!」
「毛むくじゃらの捕獲って何? あとボールの隙間からはみ出してる毛が不気味だなあ」
――駄目だ。
――それじゃあ駄目なんだ。
こんな調子では何時まで経っても、地下世界に戻ることができない。何時まで経っても、子供たちのもとに帰ることができない。何時まで経っても――
子供たちを守ることができない。
もっと真面目にやってくれ。もっと真剣にやってくれ。もっと慌ててくれ。もっと切羽詰まってくれ。もっと足掻いてくれ。もっと理解してくれ。このままでは――
六年前のように――
私は罪を犯すことになる。




