第四章 過去の邂逅2/11
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「今日も街を見て回るんでしょ? カイ君」
地上世界に閉じ込められて八日目の朝。ハロウィン児童養護施設の食堂で朝食を終えたカイ・クノートに、青い髪の女性――クリステル・フィンクがそう尋ねてきた。カイの目の前にあるテーブルには、彼女が用意した食後のコーヒーが置かれている。カップから立ち上る湯気をぼんやりと眺めながら、カイはクリステルの問いに「ああ」と頷いた。
「一通り街は見て回ったからな、とりあえず今日は、今まで見てきた場所を、もう一度念入りに調べてみるつもりだ。いつものように、陽が落ちる前には孤児院に戻る」
「そう……でもそれらしいものは何も見つからなかったのよね?」
クリステルがテーブルにある食器を片付けながら、僅かに眉をひそめる。
「やっぱり私も何か手伝いましょうか? 人手は多いほうがいいと思うし」
「……いや、それは必要ない」
クリステルからの提案を、カイはそう苦笑して答えた。
カイたちの目的は、この地上世界に存在するだろう神聖樹を探し出し、過去の姿に引き戻すことだ。神聖樹が暴走するより以前の姿に戻れば、神聖樹の魔法により生み出された地上世界は消滅し、森に呑み込まれた南区の土地を、奪い返すことができる。
だが地上世界の消滅は、その世界で暮らしている人々の消滅をも意味している。クリステルもそのことは理解しており、受け入れてくれているようだが、カイとしては彼女の存在を消してしまうその行為に、彼女を利用したくはなかった。
カイはそう思いを巡らせながら、目の前にあるコーヒーカップを左手で持ち上げる。
神聖樹の腕である左手で、地上世界の物体であるカップに触れることなど、通常は不可能だ。だがしかし、神聖樹の腕と地上世界の物体との、両者に干渉する地下世界の物体を間に挟むことで――この場合は左手にはめられた手袋――、互いに干渉し合う力を拮抗させて、両者の接触を可能とすることができる。
(まあ簡単に言えば、手袋してれば地上世界でも問題なく物に触れられるってことだな)
そんなことを心内で呟きつつ、カイはコーヒーを一口飲み、クリステルに笑い掛ける。
「クリス姉さんは、これまでのように施設で俺たちの帰りを待っていてくれ。姉さんが食事を含めた家事をやってくれているからこそ、俺たちも調査に専念できるんだからよ」
「それなら良いんだけど……ならせめて、今日の夕食は腕によりをかけて作ろうかな」
そう話すと、クリステルが青い瞳をキラキラと輝かせて、明後日の方角を指差した。
「映えること間違いなし! クリスお姉ちゃんの愛情がたっぷり詰まった、虹色キノコと何かぐちゃっとした肉のバター和え! あまりの美味しさに幻覚作用あり!」
「それ……ただ毒キノコにあたってるだけじゃねえのか? 肉の正体も不安しかねえし」
半眼で指摘してすぐ、カイは渋くしたその表情を和らげる。クリステルとの他愛ないこのやりとりは、カイがまだ孤児院で暮らしていた時の、日課のようなものであった。
するとここで隣からカタリと音が鳴った。ふと隣に視線を向けてみると、そこには椅子を引いて立ち上がる、着物の女性――ルーラ・バウマンの姿があった。
怪訝に眉をひそめるカイ。その彼に振り返り、ルーラが無表情に言う。
「……私はもう出ようと思う。カイはいつも通りの時間に調査を始めてくれ」
「あら? 今日は早いのね? ルーラちゃんにもほら、コーヒーを用意したんだけど」
テーブルに置かれているコーヒーを指差すクリステルに、ルーラが小さく頭を振る。
「……すまない、クリス姉さん。だがもう一分一秒の時間も無駄にしたくないんだ。それと、私はいつもより調査範囲を広げようと思っている。夕食までに帰れるかも分からないから、私の分の食事は用意しなくて構わない」
「食事の用意はいらないって……だったら夕ご飯はどうするの?」
「これからは朝食だけで良い。それじゃあ私はもう出るつもりだから――」
「おい……少し待てよルーラ」
口早に用件だけを告げて立ち去ろうとするルーラに、カイは僅かに顔をしかめた。
「どうした? コーヒー一杯ぐらい飲む時間はあるだろ。何をそんなに慌てている?」
「……何を……だと?」
ルーラの無表情に、ありありとした焦燥の色が浮かび上がる。バンッとテーブルを手のひらで叩いて、ルーラが怪訝に眉をひそめるカイに、口調を強めて言う。
「もう七日間もこの世界に閉じ込められているんだぞ。私たちがこうして呑気にコーヒーを飲んでいる間も、地下世界にいる子供たちは私たちの帰りを待っているんだ。カイ。お前は子供たちが心配じゃないのか? もし子供たちに何かあったらどうするんだ?」
「……落ち着けよルーラ」
前のめりに話をするルーラに、カイは吊り上がりぎみ瞳を細めて、深く嘆息した。
「俺だって連中のことは心配している。だが俺たちがいなければ何もできない、そんな小さな子供だけじゃないだろ。面倒見のいいヘルミンや料理の得意なエリーゼもいる。蓄えだってまだしばらくもつはずだ。少なくとも今の段階で、それほど焦る必要はない」
「どうして……どうしてカイは、いつもそう落ち着いていられるんだ? お前の理屈は正しい。だがそれでも……子供たちのことを思えば、焦るのは当然じゃないのか?」
「焦れば視野が狭くなる。体調管理を怠れば集中力が損なわれる。ルーラ。お前の気持ちもよく分かる。だがお前のその安易な行動は、結果的に子供たちのためにはならない」
「――ッ……」
ルーラが声を詰まらせて沈黙した。焦燥を浮かべていた彼女の表情に、怒りとも哀しみともつかない、複雑な感情が滲み出る。黒い瞳を小さく揺らしながら、唇を固く閉ざすルーラ。彼女のその憂いのある姿に、カイは心内で自分自身に舌を鳴らす。
(……ちと言い過ぎたか)
だがここで無理をして、ルーラに倒れられても困る。否。倒れるだけならばまだいい。責任感の強いルーラならば、倒れることさえ拒絶して、無理を重ねる可能性さえある。
強い焦燥や緊張は心をすり減らし、疲労の蓄積を速めていく。ルーラは恐らく、誰よりも疲労困憊にある。彼女が珍しく、こちらに食って掛かったことも、それが原因だろう。
(今がちょうど、蓄積した疲労を強く感じ始める頃か。しばらくすればまた、彼女も冷静さを取り戻すんだろうが……この状態の彼女を独りきりにするのは良くねえかもな)
だが休息を勧めたところで、ルーラがそれを素直に受け入れるとも思えない。カイが彼女のそばで見守ってやれればいいが、ただでさえ人手の足りないこの状況で、一緒に行動しようなどと提案したところで、彼女の焦燥をより深めるだけかも知れない。
そうなると打てる手は――
「ティムにリリー、それとササ。お前たち三人は、ルーラと一緒に街を見て回れ」
その指示があまりに意外だったのか、ぎょっと目を丸くするルーラ。すぐにでも文句を言おうとしたのか、口を開きかけた彼女だが、その彼女の声が形になる前に――
テーブルの上に飛び乗ったドラキュラ伯爵の、高らかな哄笑が食堂に鳴り響いた。
「ふははは! ついに俺の力を必要とする時が来たようだな! 俺の力を恐れるがあまり、俺を七日間も施設に封じ込めていた己の失策、悔い改めさせてやろうぞ!」
「……ただ謹慎を受けていただけだけどね」
「外に出られるんだよ。これで食べては寝てを繰り返す怠惰な生活とサヨナラなんだよ」
「……満喫しているようにも聞こえるけど」
ドラキュラ伯爵のティム・カーティスと、獣耳のリリー・ベネディクト、そして二人の発言を律儀に指摘するカボチャ頭のササ・フライヤー。三者三様の反応を見せるその子供たちだが、その表情は一様に――カボチャ頭のササもそのはずだ――華やいでいた。




