第三章 空のある世界8/11
「趣味が裁縫だとか言って、クリス姉さんがよく子供たちにこんなヘンテコな衣装を作っていただろ? それを最近になって引っ張り出してバカ騒ぎしてんだ。ハロウィンって名前もこの孤児院から取ったものだし、オリジナリティがねえんだよ、こいつらは」
「コラア! 抗議は正規の手続きにより申請しろ! さすればきちんともみ消してやる!」
肩をすくめるカイに、プンスカと憤慨したティムがそう声を荒げた。
カイが話したように、怪盗ハロウィンズとは、ルーラたちが暮らしていた孤児院の正式名称、ハロウィン児童養護施設から取られている。思い出深いその孤児院の名前を、怪盗の名前に使用されるなど、ルーラとしては正直気分の良いものではない。
クリステルが「へえ」とカイの説明に頷いて、ティムとリリー、ササをじっと見つめ始める。クリステルに無言で見つめられ、目をパチパチと瞬く三人。しばらくして、クリステルがニンマリと微笑んで、頬を赤らめた。
「……みんなすごく可愛いわ」
そうクリステルが呟いた途端、ティムの顔面から血の気が失せる。恍惚の表情を浮かべるクリステルを見て、過去に彼女から受けた過激な愛情表現を思い出したのだろう。
そそくさと椅子に座り直し、また黙々と菓子を食べ始めるティム。一連の出来事がないかのように振る舞う少年だが、その蒼白な顔にはびっしりと汗が浮かんでいたりする。
ここで痺れを切らしたのか、マリエッタが「すみません」と会話に割り込んだ。
「あの……再会を懐かしむ気持ちは分かりますが、我々には時間がありません。詰まるところ、ここは一体どこなのですか? なぜ神聖樹の森が見当たらないのですか?」
マリエッタの疑問に、クリステルがつっと考え込むように、視線を上げた。
「……私たちも気付いた時には、ここにいたものだから、どこと言われてもよくは分からないわ。ただ神聖樹が見当たらないだけで、南区の街並みに変化はないみたいね」
「あの頭上の……空に似たものは?」
「あれは多分、本物の空よ。私も本でしか見たことないけど、昼には太陽――あの空に浮かんでいる光源ね――が昇るし、夜にはちゃんと太陽が沈んで星空が見えるわ」
「本物だなんて……そんなことあるわけないじゃないですか。ここは地下世界ですよ」
「それを言うなら……私たちが歳を取らない時点で、常識なんてないようなものだしね」
悩ましげに首を傾げるクリステルに、マリエッタが歯がゆそうに唇を震わせる。
マリエッタの焦る気持ちはよく分かる。神聖樹を過去の姿に戻して、奪われた土地を取り戻す。その当初の目的を果たすためには、この街を脱出して、神聖樹の森に辿り着かなければならない。そして現状において、その脱出の糸口となる唯一の手掛かりは、この街で六年間も暮らしてきたクリステルであった。
ゆえにマリエッタも、彼女から実のある話を期待していたに違いない。だがそのクリステルでさえこの街について何も知らないとなれば、マリエッタが焦るのも当然だろう。
クリステルと再会できたことは素直に嬉しい。クリステル本人に調子を狂わされなければ、再会はもっと感動的なものとなったはずだ。しかしルーラたちには、この孤児院の他に帰るべき家がある。いつまでもここで再会を祝福しているわけにもいかない。
クリステルとマリエッタが沈黙する。ルーラもまた、何を話すべきか分からず、口を閉ざしていた。長い沈黙が続いて、そのまま一分が経過しようとしたところで――
カイがこれ見よがしに、大きく嘆息する。
「……とにかく、何か手掛かりがみつからねえことには、話もこれ以上は進まねえな。今後の動きについては明日決めるってことで、今日はもう話を切り上げようぜ」
「ちょ……何を申しているのですか! 私たちにそのような余裕などありませんよ!」
カイのその提案に、マリエッタが強く反発する。だがその彼女の反応を予想していたのか、特に表情を変えることもなく、カイが面倒くさそうに手をハラハラと振る。
「それじゃあ、どうしろってんだ? あてもなく動き回れってのか?」
「だ……そ……そうは言いましても、何かできることがあるはずです!」
「そこまで言うなら、マリエッタ。調査がてら街で買い物してきてくれよ」
唐突なカイの頼みごとに、マリエッタが「はあ?」と虚を突かれて目を丸くする。
「なぜこの私が、そのようなことをしなければならないのですか!?」
「お前ができることをやりたいって言ったんだろ。この孤児院には、クリス姉さんとあと……メラニー? の二人分の食料しかない。だったら買い足しておかねえとな」
「買い物など、貴方たちが行けば良いではありませんか!」
「折角だから街を見てこいってことだ。何をするにも土地勘はあるに越したことはない。そしてこの周辺の土地に疎いのは、この中ではマリエッタ、お前だけだ」
「買い物などできません! どこに何の店があるのかも分からないのですよ!」
「それじゃあ、道案内として子供たちも連れていけよ。長話で退屈してただろうからな」
カイのこの無茶ぶりに、ティムがぎょっと目を見開いた。だが少年が何か文句を口にする前に、カボチャ頭のササが椅子から立ち上がり、カイにこくりと頷く。
「分かりました。それじゃあ僕たちで、マリエッタさんに街を案内してきます」
いやに聞き分けの良いササに、カイがニヤリと唇の端を曲げる。ササが同意したためか、文句をつけようと口を開いていたティムも、諦めたようにその口を閉ざす。
「ちょっと、私はまだ納得していませんよ! ヴァルトエック家の私が買い物など――」
「ええ、いいじゃん。あたしもマリエッタお姉ちゃんと買い物してみたいんだよ」
ここで席を立ったリリーが、マリエッタの手を掴んで朗らかにそう話す。少女の見せた満面の笑みに、マリエッタが「うっ」と声を詰まらせた。そしてササとリリーに押される形で、マリエッタが食堂の外に連れ出されていく。ティムもまた、終始ぶつくさと文句を口にしながらも、彼らに続いて食堂の外に出ていった。
するとここで、食堂の出入口にササのカボチャ頭が覗いて、ポツリと言った。
「えっと……メラニー? できれば君も一緒に来て欲しいな。ほら、僕たちは六年ぶりの故郷だし、その時はまだ小さかったからね。念のため君の案内が欲しいんだ」
「え……あ……えっと……」
困ったように視線を泳がせてから、メラニーがクリステルをちらりと見やる。クリステルがこくりと頷いたところで、メラニーが席を立ち、ササのもとへ駆けて行った。
こうして食堂には、ルーラとカイ、そしてクリステルの三人だけが残された。徐々に小さくなるマリエッタたちの声。それを聞きながら、ルーラはじっと沈黙する。
マリエッタたちの声が十分に離れたところで、ルーラはカイに怪訝の視線を向けた。
「……どういうつもりだ、カイ。どうしてマリエッタと子供たちを退席させた?」
強引な理屈で彼らを遠ざけたカイに、ルーラは怪訝にそう尋ねた。カイが「まあ……さすがに気付くよな」と苦笑いを浮かべてから、頭をポリポリと掻く。
「ここから先の話は、あまり子供に聞かせたくねえと思ってな……席を外してもらった。もっとも、ササは俺の意図に気付いたうえで協力してくれてたみてえだが」
「……マリエッタは?」
「彼女は単なる人柱だ。マリエッタには後から、俺がこの話し合いの内容を伝えておく」
「子供たちに聞かせたくない話……カイ君。それはどういうもの?」
クリステルの率直な質問に、カイが鋭い瞳を音もなく細める。
「この街の存在について……俺はある仮説を立てている。それを話そうと思ってな」
カイの思いがけない言葉に、驚きを顕わにするルーラとクリステル。目を丸くする二人に、カイが「……だがそれを話す前に」と声の調子を僅かに落とした。
「クリス姉さんに……俺たちがこの六年間、どう生きてきたかを話したい。特に、俺の身に根付いた魔法についてな。それが俺の仮説にも深くかかわっている。ただ――」
一拍の間を空けて――カイが皮肉げな笑みを浮かべた。
「あまり褒められた生活はしてねえからな……説教するのは勘弁してくれよ」




