表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地中の森  作者: 管澤捻
28/64

第三章 空のある世界5/11


======================



「あれ? 連中はどこ行った?」


 神聖樹を囲う二重の塀。その通路を抜けて、神聖樹の森の入口へと来たドミニクは、追い掛けてきたヴァルトエック家の次女と、彼女のそばにいたヘンテコな連中の姿がないことに、首を傾げる。森の影に隠れているのかとも思うが、草を踏みつけた痕すら見えない。


「おい。奴らはどこだ?」


 遅れてきた同僚が、ぼんやりと立ち尽くすドミニクに、そう声を掛けてきた。ドミニクは傾げた首にひねりを加えると、「いや……」と曖昧な口調で答える。


「俺にも分からないです。えっと……どうしましょうか?」


「どうするって……とりあえず見たままを報告するしかないだろ」


「……まあ、そうですね」


 ドミニクは嘆息すると、駆けてきた通路を引き返して、警備兵詰所へと戻っていった。



======================



「これは……どうなってんだ?」


 カイは呆然と呟いた。


 神聖樹の森。六年前に神聖樹の暴走を目の当たりにしたカイは、その神聖樹より生み出された森の異形な姿を、脳裏に焼き付けている。舗装された石畳を容易に砕き、背丈を伸ばしていく幾多の幹。石造りの建物を容易に破壊していく、不気味にうごめく枝葉。


 住み慣れた街が森に呑まれ、蹂躙されていくその光景に、当時のカイは強い恐怖を覚えた。ゆえに神聖樹を過去の姿に戻すため、神聖樹の森に向かおうと決めた時、内心穏やかではなかった。この六年間、その姿を悪夢に見たことも、一度や二度のことではない。


 それでも気を張り神聖樹の森を訪れたカイ。その彼を待ち受けていたものは――


 まるで予想外の光景であった。


 神聖樹の森。それを囲う二重の塀。その内側。直径にして二キロにも及ぶ暴走の果てに、多くの建造物を呑み込み沈黙した樹々。それを想像していた彼の視界には――


 破壊の痕跡など一切見られない、平穏無事な街の景色が映されていた。


 目の前に広がる平和な街並みに、呆然と立ち尽くすカイ。彼がいるのはアレクシアでも比較的広い通りのど真ん中であった。その通りには少なからず通行人の姿もあり、唖然と目を丸くしている彼を訝しそうに一瞥しては、その横を足早に通り過ぎていく。


 カイは困惑したまま、視線を下げて足元を見つめた。通りに敷き詰められた石畳。それは多少の傷や汚れこそあるものの、保守の良くなされた、美しいものであった。そこには、石畳を砕いて背丈を伸ばす樹々はもちろん、一本の雑草すら生えていない。


「ここは……どこなんだ?」


 背後から疑問の声が上がる。カイは落としていた視線を上げると、背後を振り返った。視線の先には、ルーラと三人の子供、そしてマリエッタの姿がある。彼らもまたこの現状に驚きを隠せないようで、丸くした目を呆然と瞬かせていた。


 周囲を眺めていたルーラが、カイに視線を移して、訝しそうに尋ねてくる。


「私たちは確かに……神聖樹の森に入ったはずだ。それがなぜこんな場所に?」


「……俺にも分かんねえよ。何か妙な光が見えて、気付いたらここに突っ立ってたんだ」


 まるで要領を得ない回答だが、それが事実なのだから仕方がない。カイは溜息を吐きながら、肩がぶつかりそうになった通行人を、咄嗟に避けた。するとここで――


「ねえ……上……」


 リリーがぼんやりと呟いた。


 ルーラからリリーに視線を移す。リリーが頭上を見据えたまま、立ち尽くしていた。リリーの丸く大きな碧い瞳。それが一心に向けられた先。そこに何があるのか――


 カイはとうに気付いていた。


 リリーに倣い、ティムやササ、ルーラやマリエッタ、そしてカイが、視線を頭上へと向ける。閉ざされた地下世界。そこには当然、無機質な岩肌の天井があるはずだった。


 しかしカイたちが見上げたそこに――


 彼らを閉じ込める天井はなかった。


「誰だ? 天井に青いペンキなど塗りたくったのは? 果てしない胴長おじさんか?」


「誰なのそれ? というか、あれはペンキじゃないし、そもそも……天井自体がないよ」


 頓珍漢なことを話すティムを、いつものように訂正するササ。だがその少年の声には、僅かな躊躇いが混じっていた。彼も自身の指摘に、不可解なものを感じているのだろう。


 ちらりと光が目に入り、カイは咄嗟に瞼を閉じた。頭上のある点に、非常に強い光源が存在している。それはこの広大な空間をまんべんなく照らし、暖かなぬくもりさえも注いでいた。その直視さえできない光源は、明らかに人工の光源とは異なるものであった。


「……この光景……本で読んだことがある……だが……そんなことが……」


 声を詰まらせるルーラ。その彼女の代わりに、カイはその言葉を慎重に口にした。


「……()がある」


 閉塞された地下世界。人類を閉じ込める岩石の蓋。だが今その頭上にあるものは――


 どこまでも広がる青い景色と――


 底のない無限の空間であった。


「そのようなこと……あり得ません」


 カイの言葉を否定するマリエッタ。呆然と頭上を見上げたまま、彼女が見開いた金色の瞳と唇を震わせている。


「地下世界に空があるはずがありません。人類が空の下で暮らしていた時代は、三百年以上も前のことです。きっとこれは……空とは違う別のものなのでしょう」


「……別のものって例えば何だよ?」


「それは……私にも分かりませんが」


 顔を僅かに俯けて、金色の瞳を細めるマリエッタ。彼女のその確信を欠いた言葉に、カイは小さく息を吐く。呆れたわけではない。カイもまた彼女と同様に、困惑している。


 カイは再び、周囲の街並みをぐるりと見回した。街灯に頼りなげなく照らされた地下世界。その街並みとは異なり、周囲に広がるその光景は、狭い路地の先さえ見通せるほどに、明るく照らされていた。通りを行き通う人々の細やかな表情や、通りのはるか先にある建物の柄、周囲に満たされた空気の色さえも、鮮明に視認できるほどだ。


 カイは街並みを一通り見回すと、ルーラを横目に見ながら、口を開く。


「ルーラ……この通りだが見覚えがないか?」


「……やはりカイもそう思うか?」


 ルーラが頭上から視線を下して、カイに振り返る。互いに視線を交わして頷くと、困惑の顔をしている子供たちとマリエッタを見やり、カイは自身の推測を口にした。


「恐らく……ここは俺たちの故郷……神聖樹の森に呑み込まれたはずの場所だ」


 カイの言葉に、ティムとリリー、そしてマリエッタが驚愕に目を見開く。だがササだけはそれを予測していたのか、カボチャ頭の奥から冷静な声音で呟いた。


「……やっぱり。ティムは覚えてない? そこの店で盗み食いして怒られただろ?」


「ぬう……そのようなこと日常茶飯事だったからな。詳しくは覚えておらんぞ」


 明らかな問題発言だが、そのような小事に構っている場合でもない。マリエッタが、「少し待ってください」と、ひどく慌てた様子でこちらに一歩近づいてくる。


「ここが神聖樹の森に呑み込まれた場所? それは確かですか? であれば、神聖樹の森はどこにあるのです? なぜ封鎖したこの土地にこれだけの人がいるのですか?」


「だからそれは分からねえよ。だがこの通りは、確かに俺がガキの頃に使っていた――」


 詰め寄るように質問してくるマリエッタに、そう応えを返していた、その時――


「あの――そこの黒コートの貴方……」


 躊躇いがちな声が聞こえてきた。


 きょとんと目を瞬いて背後を振り返るカイ。彼の視線の先に、一人の女性が立っている。


 カイと同年代と思しき若い女性だった。腰まで伸びた緩やかにカーブする青い髪に、透き通るような白い肌。目尻の垂れた穏やかな青い瞳に、形の良い薄紅色の唇。服装は緑のワンピースにクリーム色のショールと至って平凡で、ところどころに繕った痕が見える。


 通りを歩いている人々は、通りに佇むカイたちを訝しそうに一瞥しては、ただ無言で横を通り過ぎるだけであった。それだけに、突然その通行人に声を掛けられて、カイは少々驚いていたのだが、その声の主である青い髪の女性を見て、カイはさらに――


 息を詰まらせるほどに驚愕した。


 青い髪の女性が、振り返ったカイの顔をまじまじと見つめて、「やっぱり」と手を打ち鳴らす。そして表情を華やがせると、女性が弾むような声で言葉を続けた。


「貴方――カイ君でしょ? うわあ、大きくなっていたから、すぐには分からなかったわ。あれ? だとすると、そっちの女の子は……もしかしてルーラちゃん? うっそお。あんなにお転婆さんだったルーラちゃんが、すっかり大人になっちゃって」


「……そんな……え? だって……」


 カイと同様に、ルーラもまた青い髪の女性に、黒い瞳を震わせて声を詰まらせた。呆然と青い髪の女性を見つめるカイとルーラに、マリエッタがじれったそうに尋ねてくる。


「ちょっと、何を二人だけで驚いているのですか。この女性が一体何だというのです?」


「……この人は……」


 声が震えている。カイは一度唾を呑み込むと、気を落ち着かせて改めて口を開いた。


「この人は……クリステル・フィンク。俺たちと同じ孤児院で暮らしていた女性で――」


 再び震えだしそうな声を必死に堪えて――


「六年前に、神聖樹の暴走で死んだはずの……俺たちの姉さんだ」


 カイはそう答えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ