第二章 神聖樹7/11
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「そんなこと――やるわけがないだろ!」
マリエッタの依頼を拒絶したのは、カイではなくルーラであった。彼女はバンッと力強くテーブルを叩くと、席から腰を浮かしてマリエッタを鋭く睨みつけた。
ルーラの鋭い視線に、マリエッタが金色の瞳を不機嫌に細める。
「……私はこのウィザードに依頼をしているのです。貴方は黙っていてください」
「お前は……自分が何をカイに頼んでいるのか理解しているのか!」
再びテーブルをバンッと叩くルーラ。店内の客が彼女に怪訝な視線を向けてくる。だがその周囲の視線など意に介さず、ルーラがマリエッタに唾を飛ばしてがなり立てる。
「神聖樹に近づいて刺激でも与えようものなら、六年前のような悲劇を引き起こすことになるかも知れないんだぞ! また大勢の人間が犠牲になるかも知れないんだ!」
「……危険性は重々承知です」
犬歯を剥いて威嚇するルーラに、あくまで冷静にマリエッタが言う。
「しかし今、神聖樹の活動は停止しております。動き出すようなことはないでしょう」
「……六年前もそのはずだった。だが神聖樹はこうして……街を呑み込んだんだ」
「確かに……少々不可解な出来事でした」
ルーラの指摘に一定の理解を示しつつ、マリエッタが僅かに眉をひそめる。
「停止中の神聖樹は、死骸でもない限り生物を食することはできません。ですが……まれに神聖樹の根の近くに虫などの死骸があり、それを栄養にして神聖樹が動き出すということは、一例として知られています。或いはそれが原因かも知れませんね」
自らそう話をしながら、だがやはり納得しかねるように、マリエッタが首を傾げる。
「しかし……虫の死骸では動いたとしてもほんの僅か。あれほど広範囲に街を呑み込むとは考えにくいものです。もちろんあれほど神聖樹が成長したのは、街を呑み込みながら大勢の人間を喰らったがためではありますが、そのきっかけが何であったのか……」
思案するように唇に指を当てるマリエッタに、ルーラの表情が沈痛に歪んだ。ルーラの瞼が徐々に細められて、その奥にある黒い瞳が怯えたように震えだす。
ルーラの表情の変化に気付いたマリエッタが、表情をハッとさせて咳払いする。
「失礼しました……六年前のことを思い出させてしまいましたか。心配はごもっともとは思いますが、あくまであれは例外です。今回はあのようなことにはならないでしょう」
「……そんなこと分かるものか」
沈んだ表情で声を絞り出すルーラに、マリエッタが辛抱強く話を続ける。
「何も難しいことをするわけではありません。先程拝見させていただいた限りでは、貴方の魔法は接触さえできれば、その対象を過去の姿へと戻すことができるのでしょう?」
「……まあそうだな」
マリエッタの疑問に素直に答える。こちらの返答にマリエッタが小さく頷く。
「停止した神聖樹に近づいて……それで終わりです。そのぐらいのことならば、定期的に行っている神聖樹の調査でも行われております。むろん十分な注意が必要ですが」
「……それでも……駄目だ! 私は絶対にそんなこと許さないからな! 絶対だ!」
「おいルーラ……少し落ち着け――」
「イヤだ!」
興奮を鎮めようとしたカイの言葉を、声を荒げて遮るルーラ。怒りを滲ませる彼女だが、こちらに振り返った時、彼女のその表情はひどく弱々しいものに変わっていた。
ルーラが懇願するように顔を俯ける。
「私はイヤだぞ……カイ。また神聖樹が暴走するようなことがあれば……今度はお前が犠牲になるかも知れない……そんなことになったら……私は……もう耐えきれない……」
ルーラのその震えた声にカイは沈黙した。
神聖樹の暴走を話に聞いていただけのマリエッタと、実際にそれを体験したルーラとでは、神聖樹の暴走に対する認識が大きく異なる。ルーラにとって六年前の出来事は、たんなる未曽有の災害ではない。確かに自身の目の前で起こり、記憶に深く刻まれた――
覆しようのない過去なのだ。
当然ながらそれはカイも同じだ。だからこそ、ルーラの震えている瞳に、軽口を叩くことなどあり得ない。沈黙を続ける二人にじれたのか、マリエッタが再び口を開いた――
その時、突然に男の声が割り込んでくる。
「君たちがそれを心配する必要はない。そのようなこと、させはしないからな」
金色の瞳を見開いて、マリエッタが声の出所に視線を向けた。彼女の視線に倣い、カイとルーラも視線を移動させる。窓に面した喫茶店のテーブル席。その通路側に――
ぴっちりとスーツを着込んだ二十代前半の男と、二人の警備兵が立っていた。
「……カルロス。どうして貴方がここに?」
スーツを着た男の姿に、マリエッタが金色の瞳を丸くしてそう呟いた。スーツの男が、オールバックにした自身の灰色の髪を掻き上げる仕草をして、やんわりと頭を振る。
「申し訳ないが……マリエッタ。君を監視していた。警備兵を単独で動かすなど妙な動きがあったようなのでね。懸念していたが……まだ神聖樹の件を諦めていなかったのか」
ヴァルトエック家の次女であるマリエッタ。その彼女と親しげに話す灰色髪の男に、疑問符を浮かべるカイ。彼の視線を受けて、マリエッタが僅かに顔をしかめて口を開く。
「カルロス・ボイス。財界に名を馳せるボイス家の長男にして――私の婚約者です」
「なん――婚約者だと!?」
あんぐりと口を開けるルーラに、灰色髪の男――カルロス・ボイスが淡々と言う。
「半年後には夫婦となるがな。そうなれば私もヴァルトエック家の人間として、何かと表舞台に立つことも多くなるだろう。一応だが、よろしくと言っておこうか」
つまり養子になるということか。カルロスが溜息を吐き、マリエッタに視線を向ける。
「さあマリエッタ。危険な遊びは止めて帰るんだ。お父様に心配を掛けてはいけない」
「……お断りします」
金色の瞳を鋭くさせたマリエッタが、席から立ち上がり、自身の胸に手を当てた。
「私はいずれ、この五階層の管理を正式に任されることが、決定されています。今はまだ若輩がゆえに任される仕事も限られていますが、私にはこの階層での問題を解消する責務があるのです。そしてそのためには、彼らの協力が必要不可欠です」
「君からその相談を持ち掛けられた時、私はこう答えたはずだ。犯罪者の手を借りるなどヴァルトエック家の汚点となり得る。それは君のお父様が望むものではないと」
「確かにお聞きしました。そして失望しましたよ。民の幸福より体裁を気にする貴方に」
「そもそも魔法という眉唾を信頼することが誤りだ。君は功を焦るあまり、冷静な判断力を欠いている。この街の問題もいずれは解決の目途が立つ。それまで待つんだ」
「いずれでは遅すぎます! 今こうしている間にも苦しんでいる人々が――」
「ちょちょ……ちょっと待ってくれ!」




