第二章 神聖樹6/11
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北区にある喫茶店。その駐車場に停められている一台の赤い車。それは地下世界の支配者であるヴァルトエック家の、その次女のマリエッタ・ヴァルトエックの車であった。
富裕層が暮らしている北区においても、車の所有者は少ない。またその所有する車の中でも、マリエッタの赤い車はその外装や設備に掛ける金額が、他を圧倒していた。
平民の生涯所得にも匹敵するだろう、マリエッタ・ヴァルトエックの赤い車。そのトランクが、誰に触れられることもなくパカンと勝手に開いて、そこから――
ドラキュラ伯爵の衣装を着た、一人の少年が顔を覗かせた。
「……む? ここが敵の本拠地か? みんな気を付けろ。油断すれば――もげるぞ」
「……どこが?」
ドラキュラ少年の言葉に、疑問符を浮かべたのはカボチャ頭の少年であった。カボチャの頭で器用に眉をひそめる少年に、ドラキュラ少年が腕を組み大仰に頷いた。
「無論、もげやすい部位だ。具体的に述べるならばそう……えっと……鼻とか?」
「ええええ! それは大変なんだよ!」
首を傾げるドラキュラ少年のその言葉に、少女の狼狽した声が上がる。トランクからひょこりと顔を覗かせた一人の少女が、その獣の耳と尻尾を動揺に揺らした。
「鼻がもげたら、花粉症の人は唯一のアイデンティティを失うことになるんだよ!」
「……いや、多分気にするところはそこじゃないよね? 唯一なのかも分からないし」
慌てる獣耳少女に、カボチャ少年が冷静に指摘する。するとここで少女の胸元がもそりと動き、その襟からひょっこりと小さな毛玉が顔を覗かせた。
「――ミャア」
毛玉が一声鳴く。毛玉の声に、獣耳少女がぱあと表情を華やがせ、襟元からその毛玉を慎重に引き出した。その毛玉の正体は、背中から翼を生やした子猫であった。
手に抱えた子猫を自身の頭の上に乗せて、小さな鱗のある子猫の額を、獣耳少女が優しく撫で始める。顔を弛緩させる少女と子猫に、ドラキュラ少年が目を瞬かせて尋ねた。
「何だ。その猫も連れてきていたのか?」
「そうなんだよ。この子は今日からあたしたちの家族になったんだよ」
「ミャア」
獣耳少女の言葉を肯定するように、少女の頭に乗った子猫が一声鳴く。
この子猫は闇商人でもあるベリエス・ガイサーが、不正なルートを通して入手した違法品、品種改良生命体であった。背中から生えた翼で空を飛ぶことができ、さらには口から炎まで吐き出すという常軌を逸した猛獣だ。
だがそれら特徴を有する危険な猛獣は、カイの魔法により、無力な赤ん坊の姿にまで戻されていた。また記憶も過去に戻されているため、子猫とベリエスとの主従関係は解消されている。そして子猫は、赤ん坊に戻されてすぐに自身を保護してくれたこの獣耳少女を、新たな主として考えるようになっていた。
因みに、民間人がブリードを所持することは許されていない。だがまだ幼い彼らは、そのような規則があることも、この子猫がブリードであることも知らない。もっともカボチャ頭の少年だけは、カボチャの奥にその真意を隠していたりする。
何にせよ、新たな家族として迎い入れた子猫を見やり、ドラキュラ少年が大仰に頷く。
「なるほど。ならばこの毛玉にも名前を付けてやらんといかんな。ふむ……ケダマ」
「そのまんま過ぎない?」
カボチャ少年が嘆息する。すると今度は獣耳少女な悩ましげに腕を組んだ。
「うーん……じゃあ、ゲオルグバッチョスダブルヤクマンはどうかな?」
「長いし途中から麻雀の用語が入ってるよ」
カボチャ少年が小さく息を吐き、話題を切り替える。
「名前は後で決めよう。それよりも、どうしてこんなところまで来ちゃったのさ?」
カボチャ少年の疑問に、ドラキュラ少年が当然とばかりに人差し指を立てる。
「トランクが開いていたからだ。開いているトランクにはとりあえず入るのが礼儀だろう」
「どちらかと言えばそれ、無礼じゃない?」
ドラキュラ少年の根拠のない礼儀作法に、カボチャ少年が肩を落とす。
トランクが開いていたのは、この車の所有者であるマリエッタが、汚れた服を着替えるためにトランクから新しい服を取り出していたからだ。彼女は恐らくしっかりとトランクを閉めたつもりなのだろうが、金具のかみ合わせが悪かったのか、完全にはロックされていなかった。少年少女はそれを見て、彼女の目を盗みトランクに忍び込んでいたのだ。
嘆息するカボチャ少年に、ドラキュラ少年がつけ足すように、言葉を続ける。
「あの金髪の姉ちゃんだが、話によると怪盗ハロウィンズに用があるそうではないか。だというのに、主要メンバーたる俺たちに声を掛けんとはおっちょこちょい極まりないといえる。ゆえに気を利かせて、こうして無断について来てやった次第だ」
「つまり、のけ者にされて悔しかったんだね」
「適切な翻訳だ。さすがという言葉を送ることもやぶさかではないぞ」
誇らしげに頷くドラキュラ少年に、カボチャ少年はまた嘆息し、ポツリと言う。
「……とにかく知らない土地で動き回るのは危ないから、カイさんが戻るまで隠れてよ」
「俺に危険なものなどありはしないが了承しよう。ぶっちゃけ何も考えていないしな」
「ほらボッコスリンガルイグリアン。狭いからあたしの服の中で大人しくしてるんだよ」
「ミャア」
そんなことを話しながら、少年少女はトランクに身を屈めて、その蓋を静かに閉じた。




