第二章 神聖樹4/11
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地下世界で暮らしていくにあたり、最も気に掛ける必要がある災害。それは地下空間の崩落だ。何百、或いは何千トンにもなるだろう地下空間の天井。それが崩落を起こした時、現代の人類に生き残る術はなく、人工物もろともに地中に埋まるよりほかない。
天井崩落の危険性を検討するには、二つの要因を考慮する必要がある。
それは――地下深度と地下空間の広さだ。
地中の圧力は地下深度十メートルごとに三気圧上昇する。地中の圧力が増せば当然ながら、天井崩落の危険性が増すこととなる。地下世界はおおよそ二百メートル単位に、複数の街により構成される階層が設けられる。単純計算で、第五層ともなればその地中の圧力は三百気圧ともなり、それだけの圧力が掛かる天井を支えるのは容易ではない。
そして天井崩落の危険性は、地下空間の広さにも大きく左右される。広大な地下空間であれば、その天井もまた広大となり、支える重量も必然的に増すこととなる。巨大な都市ともなれば、その地下空間の広さは直径にして数キロあることが珍しくなく、天井が崩落する危険性も、崩落による被害もまた、大きく増加する。
地下世界において最も恐ろしい災害。地下空間の崩落。どのような技術であろうと、その危険性を完全に払拭することはできない。だがしかし、人類はとある手段を講じることで、崩落の危険性を最小限に留めている。そしてその手段のカギとなるものが――
神聖樹であった。
神聖樹を端的に説明すると、一本の巨大な木だ。そのサイズは個体によりまちまちではあるが、大きなものとなれば幹だけで直径十メートル、高さは百メートル以上にもなる。一年を通して青々しい葉をつける常緑樹であり、その姿は生命力に満ち溢れている。
神聖樹は未だ謎の多い植物で、基本的に枯れることがない。一度根を下ろすと、人が水を与えずとも何十、何百年と生き続けるのだ。また非常に頑丈な植物であり、地中の圧力により押し固められた岩石だろうと、容易に砕いて根や枝を伸ばしていく。
他の植物にはない、異質な特徴を有する神聖樹。その中でも、地下世界で暮らす住民にとって重要となる特徴が二つある。その二つの特徴とは無光合成と成長速度だ。
無光合成とは、日光のない地中において光合成の役割を果たす機能だ。詳しい仕組みはまだ解明されていないが、その機能により、地下空間には一定量の酸素が供給されることとなり、人間を始めとするあらゆる動物の生命活動を可能としている。
そしてもう一つの特徴である成長速度。これは神聖樹の異常な成長の速さにある。
先にも述べたように、神聖樹は個体により百メートル以上にも成長する。その高さは地下空間の天井にも優に達することとなり、神聖樹の幹は地下空間の天井を貫き、さらに強靭な枝が岩石を砕いて、地下空間の天井に根を張るようにして広がっていく。これほどの成長が僅か数日の間になされるのだ。そして何よりも重要なこと、それは――
急成長により張り巡らされた神聖樹の枝が、地下空間の天井を支えているという事実だ。
つまり神聖樹とは地下空間における、大黒柱のような存在なのだ。神聖樹が張り巡らした枝が天井を支えているからこそ、直径数キロ、或いは十数キロにも及ぶ巨大な地下空間の天井を崩落させずに維持でき、人類は大きな街を建設することができている。
神聖樹は、人類が地下世界に移住した三百年以上前より、存在するといわれている。仮に神聖樹がなければ、人類は地下世界に移住することなどできなかったに違いない。それほどに神聖樹とは重要な存在であり、文字通り地下世界の支えとなっている。
だが神聖樹にも――ただ一つ欠点があった。
神聖樹は人が栄養を与えずとも成長する。だがある程度の成長を遂げると、まるで時間が凍りついたように、その成長を止めてしまう。基本的に人類は、この成長の停止した神聖樹を地下空間の柱として運用するのだが、その状態にある神聖樹に特定の栄養素を与えると、停止していた神聖樹の成長が再開されることが分かっている。
その栄養素とは――生物だ。
神聖樹は生き物を喰らうことで爆発的な成長を遂げる、食生植物なのだ。ゆえに神聖樹の運用では、人間を含め生物を近寄らせないように周囲を封鎖することが重要となる。
だが六年前に――悲劇は起こった。
第五層主要都市アレクシア。その広大な街を支える四つの神聖樹。そのうちの一つ。南区にある神聖樹が突如成長を始め、周囲にある建物や人間を呑み込んでしまったのだ。
神聖樹の暴走は、神聖樹を中心として直径二キロに及んだところで、停止した。アレクシアの崩壊すら懸念された神聖樹の暴走であったが、最悪の事態だけは避けられたのだ。しかし、その暴走による被害はあまりにも甚大であった。
この神聖樹の暴走により、アレクシアは総人口の一パーセントを失った。南区はアレクシアで最も人口密度が高く、総人口の五割がそこで生活をしている。それを踏まえれば、この程度の被害で済んだことは奇跡といえた。高い建物が少ない住宅街であったため、神聖樹の暴走を遠目に確認でき、早期に住民の避難がなされたことが要因だろう。
もちろん、数百人の命が奪われた以上、それを幸運なことだとは言えない。だがそれだけであれば、アレクシアを復興するのに、さして問題とはならないだろう。問題となるのはもう一つ、数百人もの命とは別に、暴走した神聖樹より奪われたものにあった。アレクシアならび地下世界において、人の命よりも重要かつ甚大な被害。
それは――土地であった。
神聖樹の暴走により、南区はその面積の約三十パーセント、アレクシアの総面積で約五パーセントの土地が失われた。神聖樹は地面に張り巡らせた根から自身の分身となる幹を生やし、まるで森のようにして、人類にとって貴重となる土地を呑み込んでしまったのだ。
そしてそれから六年が経ち――その弊害がついに表面化を始めた。




