ラムエ先生
たったの一日で、ハルバード領地内とアルハザード家領地内にいるマフィアたちの抗争が行われたことは、瞬く間に広がった。アルハザード家に対して無謀な挑戦を行ったハルバード家は、明日にでも滅ぼされるのではないのかと、街中だけではなく、既に学院内でも噂になっている。
「みんな……やっぱり話題にしてるね」
「今とってもホットな話題ッスもんねぇ~」
「そんな他人事みたいに……」
まだホームルームの始まる前の朝、シオンたちのクラス内もその話題で持ちきりだった。
実際にアルハザード家に仕える者として、それを話題にするグループに混じると色々と聞かれて面倒なのか、ルミナはシオンの席でニルファの髪を楽しそうに櫛ですいている。
「……シオン君も気になるッスか? そんなにダグラス君の顔を見つめて」
「う……うん、まあ一応は、クラスメイトだし」
昨日、戦力を集めるために表立った行動はまだしないと宣言していたにも関わらず、早速表立って行動したのが気になり、シオンは一人孤立するダグラスを見つめた。
いつもは傍にいる取り巻きの二人も、苛立った顔つきのダグラスを前に下手に刺激しない方がよいと判断したのか、他のグループに混ざって憶測を飛び交わせている。
「皆、席に着くんだ。ホームルームを始めるぞ」
そこで、噂の中心人物であるアルが何食わぬ顔で教室に入り、生徒たちがざわついた。
隣には、予定とは違った行動を起こされたのが気にくわないのか、不機嫌な様子のファティマの姿もある。
「マルモ先生は体調不良でお休みでね、代わって俺が朝のホームルームを仕切らせてもらう」
「あ、あの先生……いいんですか? 学校になんか来て」
女子生徒の一人が、おずおずとした態度で質問する。
「ん? どうしてだ?」
「その…………色々と忙しいんじゃないかと思って」
ハルバード家を滅ぼしに行かなくていいのか? と聞きたかったのが本音だが、さすがに教室内にハルバード家の者がいる状況で踏み込めず、女子生徒は目を泳がせた。
「噂の件か? 心配しなくていい。ただのマフィア同士の抗争で、アルハザード家は一切関係のないことだ。俺がハルバード家を滅ぼすとかなんだとか言っているみたいだが、そんなことはしないから安心していいぞ? ダグラス少年?」
鋭い睨みと殺気を感じ取ってか、アルはダグラスに含みのある笑みを向ける。
「……無関係ねぇ」
すると、ダグラスも同じように、含みのある笑みを浮かべた。
妙な緊張感が二人の間に走り、クラスの生徒たちは居心地の悪い空気に包まれる。
「ハルバード家からすれば落ち着かないのも無理ないが、ここは学院だ……学ぶべき場所であって争いを持ち込むべき場所じゃない。私的に何かしたりはしないから安心するといい」
「別にそんな心配はしていませんけど……まあ言っていることはご尤もだ。今日はどんな異世界の文明を教えてくれるんです? 丁度このあと先生の授業でしょ?」
ただの強がりかどうかはわからなかったが、ダグラスは意に介していない様子で聞き返す。
「おいおい、俺の授業が我慢できないのか? 仕方がないなぁ……おーい」
だがその余裕の表情は、次の瞬間、アルの呼びかけに応じて教室内に入ってきた一人の男によって崩され、信じられないものを見たかのような驚きの顔へと変化する。
「紹介しよう。魔人族の王子、ラムエさんだ」
黒髪で黒い肌、身体から薄っすらと感じられる魔力を放つ男に、教室内にいるアルを除く全員が驚き戸惑う。
「な、何故魔人族がこんなところに……というか、魔人族の王子だと⁉」
実際に姿を見たことはなかったが、その名は学生でも知っていた。どれほどの強者が集ったとしても、魔人族のラムエのいる戦場で勝利はありえないと言わしめた存在。
それが今、平然と人族の、それも次代を担う兵士を育て上げる学院へと足を踏み込んでいる。
そもそも、学院内には異種族の立ち入りを禁止しているため、王国としても、到底見過ごせる事態ではなかった。
「な……どうして連れてきたのですか!」
そして、ファティマも聞かされていなかったのか慌ててアルに問いただす。
「異種族との争いを止めたいんだろう? だったら生徒たちに魔人族は争う必要のない友好的な相手であることを教え伝えるのは、女神様にとっても悪いことじゃないだろう?」
「そ、それはそうですが……」
「まあ呼んだ本当の理由は、今日教える異世界の道具、長芋擦りおろし機の説明をラムエにしてもらうつもりだからだが」
アルはそう言ってラムエに視線で合図を送ると、廊下に予め運ばせていたのか、昨日ラムエにひたすら回させていた擦りおろし機を教室内に入れた。
これの説明に、どうして魔人族の王子が必要なのか全くわからず、生徒たちは口を開けたまま、これから何が起きようとしているのかを見届ける。
すると、ラムエは壇上へと上がり、呆気にとられる生徒たちの前で黒板を強く叩いた。
「……アルデロンの頼みだ。貴様ら人族のガキ共にこの魔人族の王子である俺が、この機械について詳しく説明してやるから感謝するがいい」
そして、ほぼ誰も現状を飲み込めていないまま、ラムエによる授業が始まる。唯一気にせずパチパチと手を叩いて受け入れられていたのは、ルミナとシオンの席に座るニルファだけだった。
「これは、歯車と呼ばれる回転運動を正確に伝える道具が使われている。俺もアルデロン十回くらい説明されてようやく理解したが……くくく、こいつは凄いぞ? 貴様ら人間にはもったいないくらいの代物だ」
ラムエは、黒板に長芋擦りおろし機に使われている歯車に関する説明を、黒板に書きながら説明を続ける。無論、まだ誰もついていけておらず、口を開けたまま呆然としたまま。
「このハンドルを回すことで大した労力もいらずにセットした長芋をすりおろすことができるのだ……何故かだと? それこそがテコの原理と呼ばれる小さな力で大きな力を働かせる凄まじい英知によってだな……」
そこでラムエは気付く、教室内のほとんどが口を開いたまま、ついていけていないことに。
それは、さっきまで余裕の表情を見せていたダグラスも例外ではなかった。
「ッチ…………やはり貴様らガキ共には難しすぎたか? まあ無理もない……俺でさえ、理解するのにかなりの苦労をしたからな」
説明が理解できないのではなく、状況が理解できないだけだったが、狂暴で強力とされている魔人族相手に学生兵士である生徒たちに発言する勇気がでるわけもなく、訂正されずに授業は進む。
「とにかく、テコの原理を使えば何倍もの力を発揮することができる。そして、それを余すことなく伝える歯車によってこの装置は成り立っているのだ。ええい……まだ理解できないというのか⁉ ならば……実際に見てみるがよい!」
そして、ラムエは長芋擦りおろし機のハンドルを握りしめる。
「ブリブリブリブリブリブリブリブリブリブリ!」
魔人族の王子が、ブリブリと叫びながら長芋をすりおろす姿を前に、生徒たちは終始、一声も上げなかった。ただただ意味がわからないまま、時間だけが過ぎていった。
次回更新は1/20の21時予定です




