運命壊し
おおよそ、人が見せる顔ではなかった。悪魔のような、それでいて聖人のような、善悪のない無垢なる存在がそこに立っていた。
それはアルにとって、ただの退屈しのぎでしかなかった。
これまで救ってきた世界は、それでいいかと思ったから、協力してきただけにすぎないのだ。
逆に、それでいいかと思わなかった世界に関しては、協力などしない。逆に、滅ぼすことだってしてしまう。最初、アルがファティマの願いを否定したように。
「忠告しといてやるよ、ファティマ様? 完璧な善人なんてこの世に存在しない……どんな奴も、必ずどこかで自分にとって都合の良い正義が働いているものさ」
「正義の行いであれば……それは善でしょう?」
「例えば、俺の知っている異世界で、自分の住んでいる世界の秩序と環境を守るため、それを乱す人を滅ぼそうとしていたイビルという男と、その人の可能性と命を守るためにゼクセルという男が争っていたが……さて、どっちが正義かな?」
その問いに、ファティマは答えなかった。頬に汗を伝わせ黙ったままで。
「そう、どちらも正義で、どちらも悪だ。簡単な話……善悪なんて人の定義によって変わる。でも……それぞれで違う善悪を定義されちゃあ困るから、ルールというものが存在するのさ、これをやったら悪いこと、これをやったら善いことと、人の善悪の認識を一定づけるためにな」
それは、この世界の争いがなくならない理由でもあった。それぞれが、それぞれの正義を掲げているからこそ、どうしても譲れずに敗北を恐れ、戦い続けている。
相手に屈することは、悪に屈することだと信じてやまないから。
「俺たちの善悪は、誰かが作ったルールの下に作られている。創造神が作った世界の仕組みのようにね。…………善悪なんて、本当はないのにな」
あるのはただ一つ、結果のみ。アルは、それを知っていた。
世界を救うという行為のほとんどは、それに対して得をする者がいて、逆を返せば損をする者がいるということでもある。
人を贔屓する神がいて、魔物を贔屓する神がいて、たとえどちらを救ったとしても、人が喜ぶか、魔物が喜ぶか、その程度でしかないのだ。
だから神々が救いを求める度にいつもアルは思う、くだらないと、つまらないと。
だからアルはいつだって天秤にかける。どちらの方が、面白いか? と。どうなるのが最高の結末であるか? と。アルは、アルが定義する善悪の中で、自分のために動くのである。
「そしてそれは、神も例外じゃない……なあファティマ様?」
「…………私は」
「なんで、殺しちゃダメなんだ? あの大蜘蛛は殺していいのに?」
何も言い返せないのか、ファティマは黙ってしまう。
それは、ファティマの都合でしかなかった。アルが倒した、いずれ魔王と呼ばれていただろう世界を滅ぼす危険性を孕んだ魔物も、ファティマが「命は平等」と見逃してきた魔物も、何も変わらない。ただ強くなりすぎただけで。
それは、ファティマにとってこの世界を守らなければならないという都合でしかなかった。そこに、殺された魔物の善悪は関係しない。
「だから俺は君が世界を支配するとか、俺の仲間を殺しかけたとかそんなのはどうでもいいのさ」
そして、再びアルはラムエに手を差し伸ばす。
「俺にとって結果が全てだ。君はまだ何もできていない。そして俺の前では何もできない」
ラムエには、差し出された手が恐ろしく見えた。
怪物でもなければ、聖人でもない。ただの人でもなければ、悪魔でもない――なにかもわからない存在が差し出した手が、怖くて仕方がなかった。
初めて、恐怖を覚えた。泣き叫びたくなった。
ただ自分より強いだけならここまで恐怖しなかっただろう。
善も悪もない絶対的な力を持った男だからこそ、恐ろしく感じたのだ。
行動理念が、一切わからないから。
「君がこれから何をしていくかも、俺の目的の邪魔にならないのであればそれでいいのさ……ただ、さっきも言ったがお勧めはしない。つまらないからな」
「…………本当に俺は、世界を支配したあと自害するのか?」
「ああ、自害する。そういう運命が見えた」
「お前は何故……自害しなかった?」
「………………………………そういう運命じゃなかったからだ」
意味がわからず、ラムエは再び困惑する。
だがその中で、ニルファだけが理解し、寂しげな表情を浮かべていた。
「力で支配するのは簡単だ……でも、結果の見えている挑戦なんて面白くない。どうにもならないことに挑戦するのが一番楽しいのさ……これは先駆者である俺からのアドバイス。……どうだ? 力での支配より面白いことを俺と一緒にしてみないか?」
だからこそ、ラムエは無性に知りたくなった。
目の前の男の行動理念を、目の前の男が面白いと宣う、やろうとしていることを。
どうせ、目の前の男がいる限り、この世界は支配できない。
ならば、この男が消えていなくなるまでは、この男が言葉にする楽しい人生と呼べるものを知ってから判断するのも、遅くはないと感じた。
「さあ、選択の時だ」
アルは、手を差し伸ばしたまま、もう片方の手でハットを深く被る。
そこから垣間見えた視線は、まるで、心の奥底を見透かすようだった。
「……選べ、君の運命を」
ここで手を取り、共に新たな運命を探るか、手を取らず、自害の運命を辿るか。
開拓か、維持か、二つの運命がラムエへと迫る。
「……面白い」
そして、ラムエは、アルの手を取った。
その判断に、それまで人とは思えない感情のない表情を浮かべていたアルの顔が和らぎ、満足そうな笑みを浮かべる。
「……君が辿るべきだった運命は今、壊された」
アルは、ハットを片手で脱ぎさると、倒れるラムエを引っ張り上げてしっかりと顔を見つめた。
それはまるで、ラムエが下したその決断を、心の底から喜び、その喜びを伝えようとしているようだった。
そしてアルは呟く――
「ようこそ、新しい世界へ」
創造神によって本来辿るべきだった運命を変えた男に、尊敬の意を込めて。
次回更新は明日12時予定です




