間違いだらけのプロローグ
――女神は思った。
「ああ、またか」と。
何故、知識ある生物はこうも欲深いのかと。
「殺せ……エルフは皆殺しだ! 聖霧の森を今こそ俺たちのモノに……!」
どうして生きるために必要以上の虐殺を繰り返し、他から奪おうとするのかと。
「ただ殺すなんてもったいねえ……へへ、エルフの体液は万病に効く、捕まえて絞り尽くしてやれ!」
どれだけの年月が過ぎようとも、争いが無くなることはなかった。
一時の平和が訪れても、再び欲深き者が現れ、戦乱へと他者を巻き込んでいく。
そして今まさに愚かにも、獣人とエルフの二種族が、お互いの領地を狙って争い始めようとしていた。
「今こそ魔霧の森を我々エルフの民が取り戻す時! 近付いて襲いかかるしか能のない獣人を恐れるな! 勝利するのは知略に長けた我々である!」
「獣人の耳と尻尾の毛皮は必ず削ぎ落とせよ~? 人間と魔族に高く売れるからな……!」
戦場となっている平原の北東に位置する森、聖霧の森。そして南西位置する森、魔霧の森。
聖霧の森に住まうエルフたちは、かつての故郷であった魔霧の森を奪い返すために。魔霧の森に住まう獣人たちは、新たな領地と万病に効くとされているエルフの体液を奪うために侵略を開始した。
「…………愚かな」
お互い、暮らすのに不自由のない領地があるにも関わらず、奪おうとする。
その醜い争いを、戦場となっている平原から少し離れた高地で見届けていた女神は嘆いた。
「そうでなくとも……分け与えればいいものを」
見ている間にも、双方の森から次々に戦力となる軍勢が現れる。
弓矢を武器に、火を滾らせ、風を巻き起こし、流れる水を操り、大地を砕くなどの自然の力を操るエルフの民。
人並み外れた身体能力と反射神経に、強固な鎧もきりさく鋭い爪と牙を持ち、さらには森の獣たちと心を交わすことで自在に操る力を持つ獣人の民。
以前より、険悪な関係を保っていた二つの種族は満を持して、この平原を決戦の地とした。
「体力のねえエルフなんざなぁ……近付いちまえばこっちのもんだ!」
身体能力の高さを活かし、瞬く間に平原を駆けて聖霧の森へと向かう獣人と従者の獣たち。
「ほぉら! 何も考えずに突っ込んできたぞ! 全員、弓を構えろ! まずは火矢で燃やし尽くすんだ!」
慌てることなく、平原の各地に陣を設けて迫りくる獣人を待ち構えるエルフたち。
獣人が咆哮をあげ、エルフの構えた弓矢が放たれた時、戦いは始まるだろう。
「これは私の罪でもある……これまで何もしてこなかった愚かな女神の罪」
女神は、この戦いを止めたかった。
これまでもずっと、止めたいと願い続けていた。でも、止められなかった。
女神なのに、この世界を守護する神であるはずなのに、力がなかったから。無力だったから。
「でも……私は何もしない愚かな女神であり続けるつもりはないのです。今度は必ず、止めてみせます。今の私には……心強い味方がいるのですから」
そんな女神にある日、一人の協力者が現れた。
力のない自分に代わり、世界のために戦って欲しいと頼み込んでようやく得た協力者。
「……来たのです!」
その協力者は、ニヒルな笑みを浮かべてこの戦いを「任せな」と言った。
力のない女神に代わり、この戦いを必ず平和的に止めてくれると言ってくれた。
だから、女神は安心して一足先にこの戦地へと足を運んだのだ。
「「「ひゃっはぁぁぁぁあああ!」」」」
そして、一足先に来たことを激しく後悔した。
「任せな」と言われて、任せてはいけない相手であることはわかっていたはずなのに、その場の雰囲気に流されて、ここに来てしまった自分を殴りたくなった。
「あぁ……やっぱりですか」
冷めきった眼を浮かべながら、女神は呟く。
エルフと獣人の間に割って入るように、突如、平原の高地から猛速度で飛び出すように現れたのは、この世界に存在しないはずのバイクと呼ばれる文明の利器に跨った――――
「汚物は……消毒だぁぁぁぁああ!」
モヒカンヘッドで顔中にピアスで穴を空け、刺々しい鎧を身に纏った頭のおかしい連中だった。
他にも、バイクと同じく、この世界に存在しない車と呼ばれる巨大な乗り物の上で、葉っぱ一枚の男たちが「ズンドコズンドコ」と、何のために鳴らしているのかわからない太鼓を叩き、宙吊りにされた同じく葉っぱ一枚の男が、この世界には存在しない楽器、ギターを弾きながらギターの先端から火を噴いている謎の光景がそこにはあった。
そんなモヒカンヘッドたちは、理性の感じられない狂った顔で舌を出しながらバイクに跨り「ひゃっはぁぁぁぁぁああ!」と謎の叫び声をあげている。
「な……なんなんだあの連中は⁉ 獣人たちの仲間か⁉」
「いや……獣人たちも進行を止めて警戒している、どうやら違うみたいだぞ!」
しかし、エルフと獣人にとってその連中は、あまりにも衝撃的な印象を与えた。
見た目はどうあれ、この世界にない乗り物であるバイクを見たことがあるわけもなく、長距離でも悠々と猛速度で走ることのできる獣人たちでさえ、その速さと重量感に圧倒されたからだ。
「あいつら……火を噴いているぞ! エルフでもないのに何故……⁉」
バイクにはそれぞれ運転手と、その後ろに跨る者で分けられており、後ろに跨っている者たちは、これまたこぞってこの世界には存在しない文明の利器、火炎放射器を手に持って無駄に空へと火を噴かせていた。
エルフ特有の力であるはずの炎を操る姿に、熱に苦手な獣人たちは後ずさりする。
「矢だ! 矢を放て!」
すかさず、遠距離での戦いに長けていたエルフたちは臆さず、一斉に矢を上空へと撃ち放った。
しかし、矢はどういうわけかモヒカンヘッドたちには届かず、途中で軌道を変えて一直線に落下すると、誰もいない地面へと突き刺さった。
「なんなんだ、あのヤバい連中は……!」
有効であると思っていた攻撃が効かず、得体の知れない相手を前に、次第にエルフたちも顔を青くしていく。
「はぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああ! ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!」
「ィェェェェェエエエエエエイ‼ バイブス……⁉ 上げてこうぜぇぇ‼」
「なんなんだ! あのやばい連中の中に混じっている一際やばい奴等は!」
「あいつら…………一体どこの領地の連中だ⁉ 何のためにこの戦場に⁉」
圧倒的重量で進軍してくる鉄の馬たちを前に、エルフとだけ戦うつもりだった獣人たちは混乱し、次々に士気を低下させていく。
少なくとも、エルフの放った火矢を凌いだだけでも驚異的な力があるのはわかった。
そんな相手と戦うのは、特に理由がないのであれば避けたかった。エルフと違って、その連中と戦うのは戦力を失うだけで得るものがなく、利点がないからだ。
「ど、どうするんですか長!」
「…………あまりにも想定外すぎる。あの連中の目的もわからん」
火矢を放ったにも関わらず、未だ叫びながら走るだけで何も仕掛けてこない連中を前に、エルフの長も額に汗を浮かばせて様子を窺う。ここで下手に刺激するのは、危険と判断したからだ。
「あの……馬鹿。一体……どんな止め方なのですかこれは」
高地で観察していた女神は、一時的にだが一応は止まった戦いを前に、苦い顔を浮かべる。
これのどこが平和的なのか? 今すぐ協力者の胸倉を掴んで問いたかった。
明らかに攻撃的、そして事態の収拾のつけ方も想像つかない。
恐らくは『今回も』思いつきと勢いだけでやらかしたに違いないと、モヒカンヘッドの連中の戦闘のバイクに跨る、桃色のショートヘアの女の子を従者に連れた男性へと女神は視線を向ける。
モヒカンヘッドたちとは雰囲気のまるで違う、ソフトハットを被った知的な印象のある銀髪の美青年は、ニヒルな笑みを浮かべてソフトハットを深く被り直すと――
「一人残らず捕まえて利用し尽くしてやるぜぇぇぇえ! 女は孕み袋! 男も孕み袋だぁ!」
「男もっスか⁉」
知性のかけらも感じられない舌を出した狂った顔つきで雄叫び、火炎放射器を空へと放った。
「絶対に……間違っているのです」
それだけの力があれば、もっと平和的に解決できる方法があるはずなのに、力の使い方と解決するための方向性を間違えている男に対し、女神はゴミを見るような視線を送る。
女神がその男と出会ったのは、今からニヵ月ほど前のことだった。