背に刻んだ決意の証
第七区画の丘陵地帯に建つ1件の小さな小屋の地下。
大魔術師ブルーノの為に作られた広大な空間と無数の部屋を持つ工房がある。
その1室にクロードとブルーノの姿があった。
「アジール。お前は影に戻っていろ」
「分かってるよ」
クロードの言葉に従い、アジールはクロードのコートの襟元の影に溶けるように消える。
肩の空いたクロードは部屋の中央に置かれた寝台の前に移動し、羽織っていた黒いコートを脱ぐ。
「脱いだコートは壁のハンガーに、服はそっちの籠の中に入れておきなさい」
「分かりました。師匠」
ブルーノの言葉に従い、脱いだコートを壁に掛けた後、今度はスーツの上着を脱ぎ始めるクロード。
言われた通りに脱いだ衣服を足元の籠の中に放り込み、室内に取り付けられた小さな発光石の下で上半身だけ裸になる。
「背中をこちらに向けて座りなさい」
「はい」
言われた通りにブルーノの方へと背中を向けるクロード。
その背中には肩甲骨の辺りから両腕にかけて羽の様な模様が刻まれていた。
まるで両翼を広げて飛び立とうとする鳥のようにも見えるそれは極道者が背中に入れている普通の入れ墨等とはまるで違う。
"魔術刻印"と呼ばれる魔術によって肉体に描かれた刻印であり。入れ墨とは別種のモノ。
絵のように見える刻印は複雑で難解なギメオン文字という魔術言語を使って刻まれており、普通の魔術師程度では定着させる事はおろか描く事すら出来はしない。
その力は刻まれた術者本人の内に宿る魔力を体内で循環させて肉体を強化するというもので、ブルーノが考案した魔力の新しい運用方法の一つである。
「ふむ、見た限り状態は良さそうだな」
クロードの背中の刻印をジッと眺めながらブルーノは小さく頷く。
それからしばしの間、ブルーノはクロードの背中を見たままブツブツと独り言を呟きながら背中を舐める様に見つめる。
自身の貴重な研究成果を目の前にして探求者としての欲求が抑えられないらしい。
魔術に関してはどこまでも変質的なまでに探求心と執着心を見せる。
なんともブルーノらしいなとクロードは心の中で思う。
「それにしてもこんなに早くお前が幹部に選ばれるとは思ってなかったな」
「そこは俺も同じ意見です」
クロード自身、自分が幹部になるのはもっと歳を取って、アルバートが引退し、兄カロッソが後を継ぐ頃になるだろうと思っていた。
年齢や実績的な問題だけでなく組織内の世代交代の次期から考えてもそのぐらいが一番問題がないだろうと勝手に考えていた。
「こんな事になると分かっていたならあの日、お前がコイツを入れてくれと言って来た時に止めておくべきだったか」
「そんな事言わないで下さいよ師匠」
この背に黒き翼の刻印が刻まれた日の事は忘れもしない。
クロードが自身の背中に魔術刻印を入れたのはこの街でマフィアになると決意した日の事だ。
アルバートの友であり大魔術師であるブルーノに頼み込んで刻印を施してもらった。
当初、義理とはいえ友人の息子の背中に術を施すのには抵抗があったのか断ろうとしていたブルーノだが、それでも最終的にはクロードの申し出を受け入れ術を施した。
その当時、魔術刻印の理論を組み上げたブルーノはあと一歩のところで行き詰っていた。
理論は完璧と言っていいレベルで出来上がっていたのだが、その理論を完成させるには最後に理論が間違っていない事を検証する必要があり、検証をするには被験者となるべき人間が必要だった。
突き付けられた選択を前に、人としての倫理観と魔術師としての探求心の2つを天秤に掛けたブルーノが選んだのは魔術師としての探求心だった。
アルバートに言わない事と、魔術刻印が安定するまで護身の為にブルーノから魔術を習う事、この2つを条件にブルーノはクロードに施術を行った。
「今でも時々あの選択は間違いだったのではないかと思う時がある」
「そうですか?俺は師匠に頼んで正解だったと思っていますよ」
「何を馬鹿な。私は自分の魔術を確かめたいという欲求に負けて若いお前の背中に一生消えないであろう術を刻み付けた愚か者だ」
「それでも今日の俺があるのは師匠のおかげですから」
まるで悪党の言葉とは思えない淀みのないクロードの言葉に、彼の背中を見ていたブルーノは心底呆れ果てた顔をする。
「まったく、あの目つきの悪いだけだった小僧が小生意気に世事まで言う様になるとはな」
「すいません」
謝罪の言葉とは裏腹にどこか可笑しそうに笑みを浮かべるクロード。
背中を向けているので表情は見えないはずなのに、ブルーノはそんなクロードの表情を的確に読み取り渋い顔をする。
「まったく魔術じゃなく口の方ばかり達者になって」
「いや、これでも一応術の方もそれなりに上達してるんですがね」
「少し腕を上げた程度でいい気になるんじゃない」
先程までと違ってぶっきらぼうな感じに口調が変わるブルーノ。
そこで彼はふとある事に気付く。
「待てよ。腕を上げたって事はクロード。まさかお前、相変わらず例のお嬢さん達と夜の防衛線を続けているのか?」
ブルーノの指摘にさっきまでニヤけていたクロードの表情が一瞬で凍り付く。
というのも以前、女性陣からの夜のアタックが厳しくなり寝不足に陥った時に何か方法はないかという事で相談したのがブルーノであり、その対策として教わったのが魔術での防壁や結界の張り方だ。
クロードにとっては非常に情けない話であり、この話をされてしまうともう何も言い返せない。
「・・・えっと、その・・・・お察しの通りです」
「まったく何をやっているんだ。図り事と荒事だけは滅法強いと街でも噂の悪党が、いつまでも女相手に後手に回るとは情けない」
「いや、その・・・・・面目次第もありません」
責める様な口調のブルーノに背中を向けたまま、クロードは背中を丸めて項垂れる。
街で噂の悪党もこうなっては形無しである。
「てっとり早く誰か1人を抱いてしまえば済む話だろう」
「師匠。流石にその発言はゲスすぎます」
こんな事を平然と言ったりするからこの歳までずっと独身なんじゃないか等と失礼な言葉が脳裏を過ぎるが決して口には出さない。
だが口に出さずともブルーノには筒抜けらしくここぞとばかりに責め立ててくる。
「うるさい。とにかく早く誰か1人に決めて結婚なりすればいい。あまり面倒になる様ならいっそ全員嫁にしてしまえばよいのだ」
「そんな無茶苦茶な」
このレミエステス共和国という国では夫婦は基本的に一夫一妻制と定められている。
アルバートが裏で手を回したおかげで流れ者のクロードにもこの国の戸籍がある。
なのでクロードはこの国で結婚をして家族を持つことが許されている。
ただし婚姻を結べる相手はたった1人の女性とだけだ。
だからクロードの家では毎度クロードの争奪戦が繰り広げられる訳であり、クロードはその事に頭を悩ませている。
「別に不可能な事じゃないだろう。むしろそういうのはお前の方が詳しいと思うのだが?」
「それは確かにそうかもしれませんが・・・」
ブルーノの言う様に物事と言うのは何事においても必ずといっていいほど例外というものが存在し、この結婚問題についても複数と婚姻を持つ為の通り抜け道は存在する。
クロードは仕事柄、法の穴を突き、法の抜け道を通る必要がある都合上、この国の法については人一倍詳しい。
本人は謙遜するが、その知識レベルはそれこそ法の番人たる裁判官や弁護士にだって負けていない。
「何か結婚できない特別な理由でもあるのか?」
「いえ、別にそこまでのものは・・・単に俺のワガママというか」
「だったらその我儘をやめて早く結婚して身を固めればいい」
「師匠、この話はこのくらいで勘弁してもらえませんか?」
この話だけで体力をごっそりと削られて疲弊したクロードの背中は、先程よりも随分と小さくなったように見える。
「フフッ、"第七区画の鴉"なんて呼ばれても中身はガキの頃とそんなに変わらんな」
「師匠は昔と比べて随分と嫌味が上手になりましたね」
「そう褒めるな」
「いや、全く褒めてませんから」
「お前にとって褒め言葉で無くても、私にとっては褒め言葉だ」
「・・・はぁ」
そう言えばこの人はこういう人だったと思い出したクロードは思わず頭を抱えたくなる。
1人ナーバスな気持ちになるクロードの背にブルーノはそっと手で触れる。
「さて、お喋りはこのくらいにしてそろそろ始めるとしよう」
「はい、お願いします」
ようやく結婚話の重圧からの解放されたクロードの背筋が元に戻る。
真っ直ぐになった背中、そこに刻まれた翼の根元に当たる部分にブルーノが両手を乗せる。
「いつもの様に痛むかもしれないが・・・」
「構いません。やってください」
間髪入れないクロードの返事を耳にしたブルーノはフッと笑みを浮かべ、両の掌に力を込める。
ブルーノの両腕を伝ってクロードの背中全体に魔力が流れ込んでいく。
それと共にクロード背中から両腕に掛けて熱の様な痛みが走り、クロードの表情が僅かに歪む。
「魔力伝達に問題はなし。あのアジールの魔力量に良く保っている」
「そう・・・・ですかね」
「ああ、アレの保有する魔力量は異常だからな。クロードに術を施す上で唯一不安だったのが私の術がどこまであの精霊の力に耐えられるかだった」
「師匠にそこまで言わせる程アジールは大した奴なんでしょうが、あまり持ち上げないでくださいよ。すぐ調子に乗るので」
クロードの影の中で、アジールはそんな事無いよと抗議の声を上げているが、声が上ずっているので調子に乗っているのがバレバレである。
アジールが実際はどの程度の力を持つ存在なのかはクロードにも分かっていない。
本人も自分は力のある精霊だと言っているが詳細について語った事は一度もない。
ただ、今まで戦ってきた経験の中から彼が上位精霊をも超える存在ではないかと考える事がある。
「だがクロード。お前が今日まで無事でいられたのは主にアジールのおかげだろう」
「確かにそうなんですがね」
実際、ブルーノの言う通り英雄の力を持っているとはいえ、クロード1人の力では今日まで生き残る事は出来なかったと断言出来る。
この地上において屈指の能力を持つ星神器を持っていてもクロード自身は所詮はただの人間。
防ぐ事が出来ない様な攻撃を受ければ簡単に命を落とす様な脆い存在だ。
その事は誰よりもクロード自身が、顔の右側に深く刻まれた3本の傷痕と共によく理解している。
「あの国に居た時だけじゃない。いや、むしろ今の方が命の危険は増しているだろう」
「そうですね。普通にやってたらきっと最初の1年の内に死んでいたでしょう」
何せこの国の悪党連中ときたら魔人も亜人もどいつもこいつも関係なく入り混じっており、人間であろうと一筋縄じゃいかない様な連中ばかりしかいない。
そんな化け物揃いの裏社会。悪党達と渡り合って行く為にも戦う力が必要だった。
そこでとった手段がこの魔術刻印である。
精霊術師は契約精霊と魔力を共有しているのでその膨大な魔力を自身のものとして運用する事が出来る。
だが当時、アジールの持つ術以外に術の使い方などまるで知らなかったクロードには、膨大な魔力も宝の持ち腐れでしかなかった。
なんとかこの力を使う方法はないかと考えたのが以前ブルーノから話に聞いていた魔術刻印を使っての自身の肉体の強化という方法だった。
ブルーノの腕前を信じてこの方法に臨んだ結果、暗黒街において力で勝るはずの多種族の悪党達を相手に対等以上に戦う事が出来る様になった。
これも術を施してくれたブルーノと魔力を与えているアジールのおかげである。
もっとも相棒の方には照れくさくて感謝の言葉などなかなか言い出せないのだが。
そんな事を考えている間にブルーノの手が背中から離れる。
「終わったぞクロード」
「ありがとうございました」
寝台から立ち上がるクロードの背中に向かってブルーノは言葉を続ける。
「いくつか綻びが見られる部分があったからそこは修復しておいた」
「そうでしたか。すみません」
「それは構わない。だが・・・」
「どうかしましたか?」
そう言ってブルーノは少し考え込むような顔をする。
「私ももういい歳だ。今後の術のメンテナンスを考えると少し不安に思ってな」
「と言いますと?」
足下の籠からYシャツを拾い上げ、袖を通しながらクロードが振り返る。
「このまま順調に時が経てばいずれ私はお前よりも先に死ぬだろう。そうなった時にお前の背中の魔術刻印をメンテナンスする人間が居なくなる」
「・・・そうなるかもしれませんね」
あまり考えたくはない事だが、この世界においても死は絶対であり、誰の下にも必ず最後には死が訪れる様になっている。
それは大魔術師と呼ばれるブルーノであっても逃れることは出来ない。
クロードとブルーノどちらが先に死ぬか分からないが、いずれ必ず別れの時は訪れる。
「老い先の短い私はいいが、この先も戦い続けるであろうお前の未来が心配だ。お前の今後の事も考えると本格的に弟子を取った方がいいかもしれん。そう思ってな」
「そんな事・・・」
魔術以外に興味がない筈のブルーノが自分の事じゃなく弟子であるクロードの未来の事まで考えてくれている事に思わず胸が熱くなる。
「しかしそうなると一から教えるの時間的に難しい。ある程度魔術知識を持っていて尚且つそれでいて素直で教え甲斐のありそうな若者はどこかに居ないものだろうか」
そうそうそんな都合のいい人物はいないと分かっていながらも自分の要望を口にするブルーノにクロードの頭の中で1人思い当たる人物の姿が浮かぶ。
丁度クロードも"彼女"に合う仕事先を探していたところだ。
給料に関してもブルーノは金を貰った金をほとんど使わずに溜め込んでいるので十分に払える。
何よりこの人は魔術に関する事以外に興味がないので女であっても手を出す心配がない。
それに彼女をブルーノの弟子に出来れば、彼の身の回りの世話など面倒を見る人間が増えるのでファミリーとしても大助かりだ。
自分の背に刻まれた魔術刻印の事は置いておくとしても今ここで話を決めた方がいい。
そう判断したクロードはYシャツのボタンを留めてブルーノへと向き直る。
「師匠、その事についてですがご相談があります」
「ん?どうした改まって」
訝しむブルーノに向かってクロードは率直に本題を切り出す。
「実は師匠に紹介したい人物がいます」




