師への報告
夕暮れ時、いつもより早く仕事を終わらせたクロードは、己が師である大魔術師ブルーノの工房のある丘陵地帯に来ていた。
「それにしても相変わらず寂れた場所だよね。ブルーノの奴も何が楽しくてこんな所に住んでるんだか」
クロードの右肩の上に乗ったアジールが目の前に立つ小屋を見上げ、そんな事を呟く。
アジールと共に小屋を見上げたクロードはふうと溜息を吐く。
「師匠の事だから何かあった時に周りに被害が出ない様に考えての事だろう。それに辺鄙な所に家が建っているのはウチも同じだろう」
「ウチは仕方ないさ。家主であるキミに敵が多いからね。住宅街に家を建てたりなんかしたらご近所さんがいい迷惑さ」
アジールの言う通り"第七区画の鴉"と呼ばれるクロードは、今まで数々の敵対する組織や犯罪者を潰してきたせいであちこちから恨みを買っており敵が多い。
極力敵対した相手は"残さない様"にしてはいるのだが、それでもどこかで恨みを買っている。
「恨みを買うのもこの稼業の宿命だ」
「分かってるよ。でもクロードと違ってブルーノはマフィアの仕事してないじゃないか」
「それは・・・、師匠の立場はあくまで相談役だからな」
もっともそれはあくまでも建前であり、ブルーノという人物があまり人と関わりを持ちたがらない人間だというのはクロードも理解している。
ブルーノという人物にとって他者と関わりを持つのはただただ煩わしいだけでしかない。
わざわざアルバートに頼んでこんな場所に自分の工房を作らせたのも、なるべく人と会う機会を減らそうという彼の本心の表れなのだろう。
そんな人嫌いとも取れるブルーノがビルモントファミリーの相談役に納まったのは、単に古くから付き合いのあるアルバートから強く頼まれて断れなかったからだという。
「アルバートもなんでブルーノなんかを相談役にしたんだろうね?魔術以外はからっきし能がなさそうなのに」
「そうでもない。あれで師匠は面倒見もいいし、人の事を良く見ている」
実際、彼の指導おかげでクロードは魔術というものを習得する事が出来た。
何よりクロードが今こうして生きていられるのは彼のおかげと言っていい。
「親父と師匠がいなければ俺はあの時死んでいた」
「そういえばそんな事もあったね」
1人と1羽は彼等との出会いを思い出しながら小屋の中に入る。
いつものように地下への階段を降りるクロードは手には大きな袋を2つ下げている。
中に入っているのは大量の食料品や替えの下着などである。
「それにしてもブルーノの奴も世話が焼けるよね。ファミリーの人間に自分の身の回りの面倒見に来させるなんてさ」
「これでも師匠なりに譲歩した方だ。最初は顔見知りの俺達以外誰も工房に近付かせようとしなかったんだからな」
常日頃から工房に篭って魔術の研究に没頭しているブルーノは、熱中するあまりにしばしば自分の事すら忘れがちになってしまう。
以前、研究に没頭するあまり一週間近く寝食忘れて工房に閉じこもり、クロードが久しぶりに訪れてみれば栄養失調で死に掛けていた事があった。
それ以前から危ないなと思う事は何度かあったが、その危惧が現実となった瞬間だった。
彼に師事して以来、ブルーノが人とあまり関わりたがらない性格だという事は知っていたが、流石にこれは見過ごせないと思ったクロードはすぐさまこの事をアルバートに報告。
それ以来、ファミリーの人間が週に何回か彼の様子を見に来る事になった。
「流石に一度死に掛けたのは堪えたのか、意外とアッサリ受け入れたよね~」
「寝ても覚めてもあの人の興味は魔術の探求だけしかないからな。死んだらそれも出来なくなると思ったんだろう」
「ほんと呆れた魔術馬鹿だねぇ」
呆れた様に首を振る相棒にクロードは苦笑しつつ階段を降り、木扉の前に立つ。
分厚い扉を軽く叩いて中に向かって声を掛ける。
「師匠いらっしゃいますか?」
声を掛けてからしばしの沈黙の後、扉の向こうから低い声で返事が返ってくる。
「その声、今日はクロードか。遠慮せずに入りなさい」
「失礼します」
ドアノブに手を掛け木扉を押し開け室内に入る。
ホールの様な広い室内、積み上げられた本に囲まれ佇む人物が1人。
腰まである長い真っ白な長髪に真っ白な顎髭を蓄えた端正な顔立ち。
背は高く歳の割に背筋はしゃんと真っすぐに伸びており、服装は魔術師らしく白い法衣の上から紺色の薄汚れたローブを纏っている。
顔を上げたブルーノの目が丸眼鏡越しにクロードの方を向く。
「今日来るとは聞いてなかったが?何かトラブルでもあったか」
「いえ、今日はご報告があって参りました」
「そうか。まあ立ち話もなんだから少し座りなさい。もっとも他に椅子が見つかればだが」
あちこちに本が積み上げられた室内を見渡してブルーノがそんな事を言う。
クロードはブルーノに対して一礼し、両手に下げた袋を足元に置き積み上げられた本の山を見渡す。
慣れた様子で本の山の中から素早く椅子を見つけ出すと、積み上げられた本を崩さない様に椅子を引き抜く。
「相変わらず凄い本の量ですね。今度ウチの若い者に片付けに来させましょうか?」
「要らん。この部屋はこれで正しく片付いてる」
そう言ってブルーノは手に持っていた本を目の前の本の山に積み上げる。
冗談の様に思うかもしれないがこの老人、この部屋にある本の所在を全て把握している。
以前、試しにいくつかの本を貸してくれと頼んでみた事があるが、その時はこの広い室内から迷う事無く指定した本を選び出して見せた。
ブルーノ曰く魔術師に大事なのは何よりも記憶力であり、この本山に乱雑に積んである本を覚えるのも彼なりの鍛錬の一環なのだそうだ。
「それにお前のとこのガサツな連中じゃ大事な本を傷つけられかねん。この中にはこの世に二つとない貴重な本もあるからな」
「しかし、これだとその貴重な本も虫に食われかねませんよ」
そう言って本山に積み上がった1冊を手に取って見せる。
いかに優れた魔術の本であろうと、風化と虫食いに勝てはしない。
きちんと保管しないといつかは劣化し使い物にならなくなる。
「本の手入れもした方がいいでしょうし、師匠の身の回りの世話の事も考えてこの際きちんと弟子でも取ったらどうですか?」
「弟子ならお前がいる。必要ないだろう」
「俺は正式な弟子とは言えませんよ」
確かに自分はブルーノから魔術の垂訓を受けているが、自分の本職はあくまでもマフィアであり、これから先も魔術師となる予定はない。
クロードの言葉にブルーノは少しだけ残念そうな顔をする。
「お前が継いでくれたなら磨いてきた魔道を後世に残せるんだがな」
「その事については申し訳なく思っていますが、そう出来ない事は教えを受ける時から言っておいたはずですよ」
「分かっておる。だからこれはただの愚痴だ」
そう言ってブルーノはフンッと鼻を鳴らし、手に持った本に視線を戻す。
態度や言葉とは裏腹にその瞳の中には未練の色が滲んでいる様に見える。
「それより話があるんじゃなかったのかクロード?」
「はい。首領から既にお聞きの事とは思いますが、この度正式に幹部に推薦される事になりましたので、そのご報告に参りました」
今朝の社内フリンジによって正式に解禁となった情報を報告するクロード。
共に暮らすアイラ達ではなく他の誰よりもまず先に、一番古くから世話になっているブルーノにまずこの事を報告したかった。
深々と頭を下げるクロードの姿を見てブルーノはやれやれと溜息を吐く。
「そういえばアルバートのヤツがそんな事を言っておったな。普通なら出世を祝ってやるべきなのだろうがマフィアの幹部じゃ素直に喜べんな」
「そう言わないでくださいよ師匠」
ブルーノの言葉にクロードは思わず苦い顔をする。
思えばブルーノは最初からクロードがマフィアになる事に反対だった。
「今からでも遅くない。マフィアなどやめて魔術師として魔道の道を極めないか?」
「それは無理だとさっき言いましたよ」
「分かっておる。しかしお前が幹部にまでなるとはな」
「師匠。まだ幹部じゃないです。今は幹部候補です」
「どっちでもいいわそんな事」
不貞腐れた様にそっぽを向いてブルーノは大きく溜息を吐く。
「やはりあの時、お前をアルバートに任せたのは失敗だったかもしれんな」
「俺はそうは思ってません。あの時、親父と師匠に出会う事が出来なければあのまま死んでいました」
人の国において自分が一級犯罪者として手配され、自分が名を変えるきっかけとなった事件の日の事を思い出す2人。
「そうは言うがな。アルバートの養子になってしまったが為に、お前はマフィアなんて世界を知ってしまい悪の道に足を踏み入れる事になってしまった。その事に俺も少しは責任を感じておるのだ」
「それについても以前申し上げた通り気に病む必要はありません。全ては俺が自分自身で選んで決めた事です」
「しかしだな・・・」
まだ言い足りない様子のブルーノを手で制し、クロードは自分の意思を伝える。
「確かに人様に後ろ指を差される様な仕事。真っ当な生き方とは呼べないかもしれません。それでも俺は今の仕事に誇りを持っています」
「他にも誇りを持てる仕事に就けたんじゃないか?」
「そういう道もあったかもしれませんが、俺はこれで良かったと思っています」
どの道、アルバートやブルーノ達と出会った時点で既に自分の手は血で汚れていた。
穢れた手が、奪った命が、真っ当な生き方を許しはしなかっただろう。
確かにこの道は真っ当な人生とは逆をいく言わば茨の道である。
それでもこの道を行かねば出来ない事もある。
この道の上には自分にしか出来ない事がある。
何よりここには家族が、友が、守りたい人達がいる。
それだけで地獄へと続くこの道を往く理由としては十分だ。
「マフィアを続けていく覚悟は決まっている。という顔だな」
「はい」
「まったく、仕方のない奴だ」
呆れ顔をしたブルーノは重い腰を上げ、椅子から立ち上がる。
不意に立ち上がったブルーノにクロードは下げていた頭を上げる。
「師匠?」
「そういえばここしばらくお前の魔術刻印の調子を見ていなかったからな。調子を見てやるから奥の部屋に来なさい」
「はいっ!ありがとうございます!」
ブルーノに促されたクロードはすぐに椅子から立ち上がりブルーノの後に続く。
ブルーノ師匠はカッコイイ老人。




