拳に中に想い宿して
まるで目の前で爆弾が爆ぜたかの様な凄まじい衝撃がクロードを襲う。
激突の瞬間に体の前面から伝わった衝撃は体の中で暴れまわり背後に向かって駆け抜ける。
全身の血も肉も骨も慣性に引っ張られて体を突き破って外へと飛び出してしまいそうだ。
(マズイッ!)
このままでは体内を駆け巡る衝撃によって体の中をズタズタにされ戦闘不能になるのは必至。
コンマ数秒の内に判断したクロードは即座に魔術刻印を使って全身の筋組織の動きや血流を操作。
無遠慮に体の中で荒れ狂う力から脳や内臓といった重要な器官へのダメージを逸らし、比較的体の運動機能を下げない箇所に散らしてから体外へと放出させる。
空中で全身のあちこちの皮膚が裂け、派手に血が噴き出し地面に血の雨が降る。
全身に傷を負って血だらけになったがそれでも受けたダメージを逃がさずに体の中で血肉と骨がかき混ぜられてミンチにされるよりは遥かにマシだった。
落下し地面に叩きつけられる直前に空中で身を捻ってなんとか着地する。
流石にノーダメージという訳にはいかずによろめきながら地面に片膝をつく。
「ゲホッ・ガハッ・・・ハァッハァ」
呼吸を荒げ地面に手を突き立ち上がろうとするが感覚が麻痺してうまく力が入らない。
今の攻撃で脳を揺さぶられたせいだろうが手足の感覚が不確かで頭の奥では金属の塊がぶつかりあう様な音がけたたましく鳴り響いている。
これまでクロードの優位に推移していた状況をたった一撃で帳消しにする破壊力。
むしろ今となってはクロードの方が危うくすら見える。
クロードもレッガ相手に無傷で勝てる等とは最初から思っておらず、相手の攻撃を受けた時のための備えはある程度していた。
それでも先程のレッガの体当たり威力は凄まじく事前の想定を超えていた。
(完全にはダメージを逃がしきれなかったか。まったく馬鹿げた力だ)
しかし泣き言を言っている暇はない。少しでもはやく立て直さなければ次の攻撃が来る。
言う事を効かない足を痙攣する手で握った拳で打って膝に力を込める。
歯を食いしばって立ち上がり顔を上げた先ではレッガが直立したまま立ち尽くしていた。
追撃の好機にも関わらずまるで動こうとしないレッガに周囲もようやく彼の異変に気付く。
「どうしたんだ」
「今がチャンスだってのになんで仕掛けない」
動揺する観客席の中、何が起こったのか見えていた幹部や一部の強者達は全身を震わせる。
「ハハッ、マジかよ」
「とんでもない事をやりますねぇ」
「・・・やってくれたな小僧」
「やっぱりあのガキ。頭がどうかしていやがる」
彼らの視線の先では渾身の一撃を喰らわせたはずのレッガが腹部を抑え苦悶の表情を浮かべていた。
レッガが体当たりを仕掛けた瞬間、回避も防御も間に合わないと咄嗟に判断したクロードは驚くべきことに反撃に転じ接触の瞬間にレッガの腹部目掛けて鋭く右足を蹴り込んだのだ。
例えるなら猛スピードで突っ込んでくる大型トラックに向かって蹴りを喰らわすような暴挙。
しかし今回に限っては常軌を逸したこの行動が功を奏した。
蹴りがカウンターとして入った事でレッガに大きなダメージを与え、結果として彼の動きを鈍らせ突進の威力が落ちてクロード自身へのダメージを抑える事が出来た。
そうでなければ今の一撃で勝敗は決していたかもしれない。
逆にこの攻撃を足掛かりに一気に攻勢に転じるはずだったレッガの思惑は早々に出鼻を挫かれる。
「グゥゥウウッ・・・このタヌキが」
「アンタには言われたくないな」
恨みがましい目を向けてくるレッガにクロードは左頬に着いた己の血を右手で拭いながら応じる。
レッガは敢えてクロードを怒らせて攻撃を誘い前のめりになったタイミングで潰す事を狙っていた。
だが、防御に徹して一方的に殴られ続けているレッガに違和感を感じて警戒していたクロードは攻撃の間も相手からの反撃を常に意識から外さなかった。
かつての仲間を悪く言ったレッガに対して怒りが湧かなかった訳ではない。
事実として怒りで攻撃の手が荒くなったのは確かだ。
それでも怒りに染まり切らずに状況を見極める冷静さだけは手放さない。手放す事が出来ない。
感情に身を委ね己を見失えば魔術刻印の制御が出来なくなる。
ブルーノの生み出した魔術刻印は強化系の術でも最高峰だが、それ故に扱いが非常に難しい。
使用する魔力の出力はアジールにも調整できるが術自体の制御権はクロードが握っている。
使いこなす事が出来れば肉体の基本性能において圧倒的格上であるレッガとも渡り合う事が出来る。
反面、一度制御を誤れば力が暴発して相手を殺すか、自爆して己の体を破壊するリスクを抱えている。
故に体得するにはどんな状況であろうと感情を御しきれるだけの強靭な精神力が必要不可欠だった。
だからレッガが怒りでクロードの心を焚きつけようともその思考が完全に囚われる事はない。
(さて、ここからどうやって攻めるか)
視線の先のレッガの動向を警戒しつつクロードは己の体の状態を確認する。
主要な臓器へのダメージは軽微の様だが、とはいえダメージを逃がすため強引な手段を取ったせいで全身の裂傷や出血、筋組織や骨にもかなり負荷をかけたおかげで立っているだけで体中が軋む。
(全身かなり痛む上に耳鳴りも酷いが拳は握れるし足も動く。それに収穫もあった)
今の一撃を受けてレッガの隠していた札の中身も大体の予想がついた。
先程の爆発的な攻撃力。それこそがレッガの隠していた切り札で間違いない。
そう確信できるのは仮想訓練で幾度となく戦ってレッガの身体能力を解析してきたからだ。
相手の成長も考慮し最大5倍まで能力を上げて戦ったがそれでもあそこまでの爆発力はなかった。
単純な身体能力の向上であの威力は出せない。ならば考えられるのは別の要因。
「驚いたな。まさかアンタが肉体強化の魔術を使ってくるとは」
「・・・アレで気づくのかよ」
クロードの読み通りレッガが己の顔に施した血化粧はとある辺境に暮らす白犀族という少数民族の間で生まれた戦化粧をベースとした術。
他種族と比べて体内の魔力保有量の少ない獣人が他種族から身を守るために生み出した術で本来は魔力持久力の向上を目的としている。
以前にアシモフに勝つ事を模索していた時に出会った流浪の傭兵から教わった物を自分なりにアレンジを加えて肉体強化の術として完成させた。
術の効果としては顔に描いた血の紋様に自身の魔力を通し一時的に脳を活性化。
それによって普段使われてない脳の機能が一部開放され周囲の魔力を体内に取り込む事を可能にする。
取り込んだ魔力を体内に蓄積しつつ、攻撃に転化する際に瞬間的に力を向上させる。
難点としては術を発動してからしばらくは取り込んだ魔力を肉体に馴染ませる必要があり、すぐに術の効果を得る事が出来ない事。
術の名を「朱気転血面」という。
自分の腕っぷしに絶対の自信と誇りを持っているレッガが肉体強化の魔術を使ってくる事はクロードにとって少し意外であった。
「アンタみたいなタイプは強化系の術なんて使わないと思っていた」
「そういうテメエはどうして強化の術しか使わない」
先程クロードにへし折られ逆方向に曲がった右手の指を強引に戻しながらレッガが問う。
その手先が微かに震えているように見える。恐らく腹部への蹴りだけでなく顔面への強打も相当に効いていると見ていいだろう。
この好機に仕掛けたいところではあるがこちらもまだ痺れがありすぐに攻撃に移るのは難しい。
両者ともに動けないなら今は少しばかり問答に付き合うのも悪くない。
「別に大した事じゃない。俺達が生きているのはつまるところ日陰の世界だ。身一つで敵地に乗り込む事もある危険な仕事だ。いつでも手元に武器があるとは限らない。術だって封じられる事もある。そんな時に最後に頼りになるのは己の拳だけだ」
「だから俺に拳で挑む事で自分の力を示すという事か」
「そういう事だ。アンタの土俵で勝負して勝ってこそ幹部の椅子に相応しいだろ」
「フンッ・・・もっともらしい事を言っているが違うな。それは建前であってテメエの本音じゃねえ」
首を左右に振ってクロードの言葉を否定したレッガは人差し指をクロードに突き付ける。
クロードの言葉は確かに理屈は通っているがクロード・ビルモントという男の心を感じない。
「隠し事が好きなのは勝手だが最後に本音ぐらい聞かせろ」
「今更それを聞いて何になる」
「不本意ながら俺の本気の一撃を喰らって生きてたのはアシモフの叔父貴以外ではオマエが初めてだ。だからクロードという男がどういう考えを持ってこの俺に拳で挑んできたのか知っておきたくてな」
「ちょっと待て。どうして俺が負ける前提で話が進んでいる」
「当然だ。テメエが何をしようと最後には俺が勝つからな」
そこは当然だろうと言った様子でレッガが腕を組んで鼻息を鳴らす。
少し前まで優勢だったのは自分の方なのだがと思いつつクロードは溜息を漏らす。
別に目の前の男のリクエストに応えてやる理由もないのだが、観客席からも自分が問いにどう答えるのかを期待した視線を感じる。
(人に聞かせる様な大層な理由などないのだがな)
しばし思案の後、自分の中で一番腑に落ちる考えに至りそれを答えとする。
「そうだな。強いて上げるなら一度ぐらいこの拳でアンタに勝ってみたいといったところか」
父や兄の期待に応える為、幹部になる為、仲間の受けた屈辱を晴らす為、それ以外でレッガという男と殴り合う理由があるならばこれに尽きる。
かつて何度も地べたを舐めさせられた圧倒的な力、人格はともかくレッガという男の純粋な強さに1人男として憧れたのは噓ではない。
今の自分がどれだけその強さに近づけたのか確かめてみたい。
クロードの返答を聞いてレッガが僅かに口元を緩める。
アシモフの強さに憧れたかつての自分がクロードの言葉に重なった。
「フフフッ、ソイツが本音か。悪くないな」
「アンタも物好きな男だな。この戦いも自慢の得物を使えばもっと楽に戦えるだろうに」
「馬鹿を言うな。テメエは確かに気に食わない男だがそれでも組織じゃ俺の後輩。我が身可愛さに後輩より先に得物抜くなんてダセエ真似を俺が出来るかよ。何より・・・」
何かを言いかけたレッガはアシモフの方へと視線を向ける。
自身の憧れであり目指すべき男が見ている大舞台でこれ以上無様な真似は出来ない。
強化の術を使っているとはいえ格下のクロードが肉弾戦で来るのなら自分も最後までそれに付き合う。
「いや、なんでもねえ。どの道テメエのは叶わぬ幻想だ。今から俺が現実の厳しさってのを教えてやる」
「まだ一発しかまともに当ててないのにいい気になるなよ。それとも殴られ過ぎて頭がイカレたか」
「ハンッ、口の減らねえクソガキが、すぐに俺のゲンコツで寝かしつけてやる」
「舌の廻る木偶の坊が。黙らせてやるよ」
互いに嘲罵の言葉を並べながらどちらからともなく相手の方に向かって歩き出す。
一歩前に踏み出す程に両者の纏う空気が圧を増していく。
この場に集まったビルモントファミリーの仲間達が見守る中、闘技場の中央で向かい合う2人。
互いに譲れない願いがあり、負けられない理由がある。
それでも用意された椅子はたった1つしかなく。手にするのは勝者のみ。負ければ全てを失う。
あと一歩踏み込めばそこから先はどちらかが倒れるまで終わらない最後の戦いの幕が上がる。
「覚悟はいいか」
「いつでも来い」
最早2人にこれ以上の問答は必要ない。後は目の前の相手を力で捻じ伏せるのみ。
殴り倒すべき相手を正面に見据え、両者同時に相手に向かって一歩を踏み出す。