悪童の追いかけた背中
レッガ・チェダーソンはビルモントファミリーの幹部アシモフ・バースティアの兄イルバン・チェダーソンの三番目の息子として戦地で生を受けた。
チェダーソン一族は代々傭兵稼業を生業としており、レッガの父も2人の兄達も傭兵となった。
三男であるレッガも生まれ持った体躯や戦闘センスが秀でており、父や兄の家族同様に傭兵の道を進むものと思われ周囲もそうなる事を望んでいた。
しかし、そんな周囲の期待に反してレッガは身勝手で手の付けられない悪童へと成長していく。
始まりは7歳の時に街で因縁をつけてきた自分より年上の不良少年8人を独りでぶちのめした事に端を発する。
その事件を皮切りに9歳で市中の同世代の悪ガキ達のリーダーとなり、11歳で街にあった全ての不良グループの頂点に君臨、13歳では汚職政治家の息子と揉めて彼ら親子の雇った荒くれ者達と派手な抗争を始め、止めに入った実の兄2人を含む200人近くを病院送りにした。
16歳の時にいよいよ手の付けられなくなった息子を見兼ねた父は、仲間の傭兵達を伴いレッガを力尽くで抑えつけようとするが、レッガは彼らを相手に大立ち回りを演じた挙句に全員を倒してのけた。
彼にとっては相手が年上だろうが他種族だろうが悪人だろうが善人だろうが関係なく歯向かう者、気に入らない相手、自分に従わない者は己の力で全て捻じ伏せた。
僅か16歳という若さで実の父をも超え、街で誰も叶う者のいなくなった少年はますます増長。
自分の力こそを絶対のルールとする息子に危機感を覚えたイルバンが誰か息子を止められる者はいないかと考えた時、かつて上官殺しの罪で傭兵業界から追放され消息を絶った弟の事を思い出す。
以前に傭兵仲間の風の噂に弟は傭兵を辞めてからはチェダーソンの姓を捨て、今は亡き生まれ故郷のバースティアという国の名を姓として名乗り、ある国でマフィアの幹部となっていると耳にした。
弟のアシモフであれば暴走を続ける我が子を止められるのではないかとイルバンは考えた。
毒を制するにはより強力な猛毒を用いて制するしかない。そう考えたイルバンは伝手を通じて数年ぶりに弟に連絡を取り助力を願った。
マフィアの幹部の地位にまで上り詰めた弟が果たして疎遠になった兄の頼みに応じてくれるか自信はなかったが、アシモフは実の兄の頼みとあれば是非もなしとこの求めに応じて馳せ参じた。
「おお、見違えたなアシモフ」
「兄者もな。いや、少し痩せたか」
何十年ぶりかに再会した兄弟はどちらからともなく手を差し出し固い握手を交わす。
本来であればお互いの近況などについて酒でも飲みながら語らいたいところではあったが、話もそこそこに2人はレッガの下へと急ぎ向かう。
当時、レッガの率いていた不良グループは一大勢力となっており、街の破壊や金品の略奪などの犯罪を繰り返していた。
目に余る悪行の数々に当時の政府は重い腰を上げていよいよ軍隊を出動させる直前の所まで来ていた。
そうなっては大勢の犠牲者が出るのは間違いない。
その様な事態になる事を防ぐべくアシモフは兄の案内でレッガの根城へと向かった。
叔父と甥の初対面の舞台となったのはレッガが街の金持ちから奪い取った屋敷。
屋敷の敷地に足を踏み入れたアシモフを待っていたのはレッガの力の支配によって従えられた1000人を超える彼の部下達。
「初めましてだな叔父さん。待ってたぜ」
大勢の手下に取り囲まれたアシモフに声を掛けたのは屋敷のベランダに現れたレッガだった。
高い位置からアシモフを見下ろす少年の眼には相手に対する敬意など微塵も感じられず、心の底から相手の事を見下しているという心根が透けて見える。
一目見てレッガから危険な兆候を感じ取ったアシモフは兄が危惧するのも頷けると納得する。
このまま増長を続けていけばいずれはこの世の全てを見下し、命を軽んじ人を人とも思わぬ残虐非道な犯罪者へと成り果てるであろう事は容易に想像がついた。
自分の甥の潜在的な危険性を認識したアシモフに向かってレッガが思いがけぬ提案をする。
「叔父さんアンタってマフィアの幹部なんだろ。俺をアンタの組織の幹部にしてくれよ」
「なんだと?」
意図が読めずに怪訝な表情をするアシモフにレッガは相手を小馬鹿にするように笑う。
「どうせショボくれた田舎者の集まりだろうが、まあその辺は目をつぶってやる。俺が丸ごと頂いて最強の組織にしてやるよ。大改革ってヤツだな」
「・・・そんな事をしてどうする気だ」
「決まってるだろ。俺がこの力で世界を取りに行くんだよ。マフィアはさしずめ俺が上に行く為の踏み台だな」
どれだけ強かろうとも思考は年相応にまだまだ青臭さの抜けない若造のまま。
とはいえ世間知らずの餓鬼の思考に強大な暴力を持たせるのは非常に危険だ。
被っていた帽子を下ろしたアシモフはゆっくりとレッガの方へと視線を向ける。
「ガキがあまり大人を舐めるな。さもないともっと怖い大人がやってくるぞ」
「おもしれえ。そんな奴がいるなら俺の前に連れてきてくれ。秒殺してやるよ」
どこの誰が来ても自分は絶対に負けないというレッガに、アシモフは自分は若かりし日の自分の姿が重ねる。無鉄砲で向こう見ずは血筋からくるものだろうか等と考えながら戦闘態勢に入る。
「どうやら口で言ってもわからんようだな。ならば実力行使だ」
「フンッ、やってみろよロートルが」
右手を上げて手下に合図を送りアシモフへとけしかけるレッガ。
力で全てが思い通りになると思い上がった若者の目の前で闇の世界から訪れた男がその片鱗を見せる。
アシモフの拳の一振りで十人ほどの手下が風に吹かれた木の葉の様に宙を舞う。
まるで現実味のない光景にレッガのかき集めた悪党共は口を半開きにして呆然と見上げる。
そうしている間にもアシモフは次々とレッガの手下達をなぎ倒していく。
この場に集まった者達が当初想像していたのは大勢で1人を袋叩きにする一方的な展開。
だが、実際に目の前で繰り広げられるのは真逆の光景。
さながら強大な獣に蹂躙されて追い立てられ逃げ惑う弱小動物の群れのようだった。
「何をしてやがる馬鹿共が!相手はたった1人だビビるんじゃねえ!」
怯む手下達に向かってレッガが檄を飛ばす。
かろうじて戦意を保っていた幾人かが武器を手にアシモフへと攻撃を仕掛ける。
「舐めやがってこのジジイ!」
「ぶっ殺してやるぜ!」
手に持った武器で襲い掛かろうとするレッガの手下をアシモフの鋭い眼光が射貫く。
「誰が誰を殺すだと」
「えっ、あっ・・・・」
「うぅ・・・ああああ」
睨まれた男達はまるで金縛りにあったように身動きが取れなくなり、陸地にいるのに水の中に沈められたような息苦しさに呼吸も満足にできなくなる。
確かにレッガの作り上げた不良グループは確かに軍隊が出動を余儀なくされる程の街の脅威ではあったが、所詮は街の不良少年やチンピラ、ゴロツキといった半端者の集まりでしかない。
レッガという男の力と威光を笠に着て弱者を威圧して威張り散らすだけの彼らと違い、アシモフは裏社会を生きる筋金入りのマフィア。
紛い物の彼らではアシモフの放つ本物の殺気の前に立っている事すらままならない。
1人、また1人と武器を捨てて逃げだす者が出始める。
「相手はたかが1人だぞ。逃げるな!」
士気を取り戻そうとレッガが声も張り上げるが既に手遅れであり逃走者は後を絶たない。
「こんな馬鹿な」
レッガが力によって作り上げた組織はほんの数刻で崩壊した。それもたった1人の手によって。
「俺の組織をよ。どうしてくれんだこの野郎!」
怒りに駆られたレッガはベランダから飛び降りると一直線にアシモフへ向かって襲い掛かる。
強烈な一撃を無防備なアシモフに叩きつけたレッガはそのまま顔面を殴りつけ、腹を殴りつけ、足を蹴りつける。
「ハハハハハッ!どうだ見たか!これが俺の力だ!」
反撃も出来ずにただ殴られるだけのアシモフにレッガは何度も何度も攻撃を繰り出し続ける。
勝ち誇ったように攻撃を続けるレッガだが、アシモフはまるでビクともしない。
どれだけ蹴りつけようが、殴りつけようが呻き声一つ上げない相手にレッガの背筋を冷たい汗が伝う。
「チクショォ!どうなってんだクソがぁ!」
焦りから繰り出した拳がアシモフの額を打ち付ける。しかし、その一撃で砕けたのはレッガの拳の方だった。
「ぐぁあああああっ」
骨が折れた拳を抑えながらその場に蹲るレッガにアシモフが冷ややかな視線を向ける。
「軽いな。お前の拳は」
「俺の拳が軽いだと!ふざけるな!」
今まで敵対した相手を数多く打ち倒し、平伏させてきた自分の拳を軽いと言われ納得できないレッガ。
怒りに震えながら立ち上がったレッガの前でアシモフが拳を握る。
「拳骨っていうのはなこうやって打つものだ」
繰り出された右拳がレッガの顔面へと叩き込まれる。
今度は自分がアシモフの一撃を耐えきってその自信を砕いてやろうなどと考えていたレッガの浅はかな思惑は見事に粉砕される。
気付いた時には地面の上に仰向けになって倒れ天を見上げていた。
「アガッ、・・・ウグゥウウウ」
なんとか立ち上がろうするものの手足にまるで力が入らず起き上がる事が出来ない。
たったの一撃で身動き一つ出来ない状態まで追い詰められた事が受け入れられず、必死に立ち上がろうとするが体がまるで言う事を聞かない。
今日まで1対1の喧嘩で誰かに負けた事などなかった。誰よりも自分こそが強いと信じてきた自信が足元から音を立てて崩れていく。
「チックショォ。誰も・・俺に勝てる・はず・・・ねぇんだ」
この期に及んでまだ負けを認めようとしないレッガの頭上に影がかかる。
視線を上げた先に立つアシモフは服に着いた土を払いながらレッガを見下ろす。
「レッガ。お前は今日から俺が預かる事になった」
「ふざ・・けんな・・・まだ負けてねえ」
反抗的な態度をとってみせるが無様に這いつくばり息も絶え絶えな今の状況では説得力は皆無。
負け犬の遠吠えに耳を傾ける理由などなくアシモフは当然の様に彼の主張を無視して話を続ける。
「ここに来る前に兄者。・・・お前の親父と話して決めた事だ諦めろ」
このまま国に残していってもレッガを止められる者がいなければ元の木阿弥になる。
であれば国を離れてアシモフの下で一から性根を叩き直した方がよいとイルバンは判断した。
「この俺が預かる以上は今までの様な好き勝手は出来んぞ。目が覚めたら覚悟しておけ」
そう言ってアシモフは握り拳を振り下ろしレッガの意識を完全に断ち切る。
かくしてレッガはアシモフに強制的に連れ出され、生まれ故郷を離れる事になった。
アシモフと共に暮らし始めた最初のうちはあの日の負けを認められずに何度もアシモフに挑んではその度に何度も返り討ちにあった。
そんな事を繰り返している内にレッガの考えに変化が生まれた。
どうしたらアシモフに勝てるかではなくどうすればアシモフの様に強くなれるかを考えるようになった。
彼の強さの秘密が知りたくて、いつしかその背中の後をついて回るようになっていた。
アシモフもそんなレッガを拒むような事はせず、むしろ積極的に行く先々に連れて出かけ彼に様々な経験を積ませた。
アシモフと行動を共にする中でレッガは彼の強さだけでなく人柄からも多くの事を学んだ。
己にも他者にも厳格でありながら、ファミリーの為ならば泥を被る事も厭わず自身が矢面に立って行動するその姿に生まれて初めて他者への憧れを抱いた。
自分もいつかアシモフの様な男になると心に誓い、彼を手本として行動しつづけた結果レッガの周りにもいつしか多くの者が彼の集まっていた。
どうしようもなく餓鬼だった自分がそれほどまでに変れたのは機会をくれたアシモフのおかげであり、いつか自分が幹部になる事でその恩返しを果たそうと思うようになった。
レッガが幹部の座に執着する一番の理由。その執着が強すぎたせいで焦りから大きな失態を犯し、恩返しをするどころかアシモフの顔に泥を塗る事になった。
醜態を晒した自分にはもう二度と機会は巡ってこないものだと半ば諦め掛けていた折に舞い込んだ二度目のチャンス。これを逃せば今度こそ次はない。
元よりここで敗れて生き恥を晒すつもりはない。これが最後の機会と覚悟を決めて臨んだ。
「グゥッ」
強烈な一撃に顔が真上を向き、噴き出した血が頭上を舞う。
クロードの拳を顔面に受けたレッガの脳裏にアシモフと初めて会った日の事を思い出す。
かつて自分の足元にも及ばなかった男が一瞬でも自分が憧れた男と同レベルの拳を持つまで成長するとは思いもしなかった。
「お前は大した男だ。だが!」
レッガもアシモフの一撃で呆気なく倒された当時の彼とは違う。
後ろへと反り返りそうになる背中を強引に押し留め、容赦なく二撃目を打ち込んでくるクロードの拳を自ら頭突きで出迎える。
「勝つのはこの俺だ」
「っ!?」
予想外の反撃にクロードの拳が弾き返され僅かに体勢を崩す。
この瞬間を待っていたレッガはこの瞬間の為に溜め込んでいた力を開放する。
体から赤い蒸気の様なものが立ち上り、凄まじい力で大地を踏みつけ体を押し出す。
「ウオッシャァアアアアアアアアアアアアアアアァ!!」
小手先の技などなくただ全力で目の前のクロードに向かって体ごと突っ込む。
形勢をひっくり返す強烈な一撃にクロードの体が宙を舞う。