涓滴岩を穿つ
ロック達と共に観客席から応援していたルティアはクロードの放つ気配に思わず息を呑む。
過酷な戦場に幾度も送り込まれてきた彼女でさえ、これ程の気配を放つ者を見たのは数える程しかなく。
それこそ国が誇る歴戦の名将や猛将の様な桁外れの実力者達に匹敵する。
「あれがクロードさん」
知り合ってまだ間もないが、同じ家で寝食を共にしていることでクロード・ビルモントという人物の人となりは彼女なりに掴めてきたと思っていた。
普段は落ち着いた印象で己にも周囲にも厳しい性格だが、周りへの配慮や気配りなども出来る優しい一面もあり、それでいて少し意地悪で皮肉屋。
そんな風に思っていた人物が目の前の相手に向けて放つ強烈な敵意にルティアは困惑する。
「クロードのヤツが怒るのも無理もないぜ。レッガのボケはよりにもよってアイツが下手打ったせいで死んだ俺達の仲間の事を侮辱しやがった」
ルティアの前の席で同じように戦いを見ていたラドルが自分だって同じだと言わんばかりに憎々し気にレッガへと殺意を向ける。
ラドルだけではない。当時の事情を知るボルネーズ商会の者は全員が同じ気持ちだ。
「過去に何があったんですか」
少女の問いかけにボルネーズ商会の長であるフリンジが答える。
「昔、クロードの兄カロッソとレッガが幹部候補だった時、丁度この街に厄介な人身売買組織が潜り込んでてな。そいつ等を捕まえてカロッソに手柄で先んじようと考えたレッガの間抜けはファミリーの掟を破って一般人を巻き込んだ。それも使い捨ての駒として利用する方法でな」
「そんな」
「選ばれたのは緋眼族という希少魔族の男で病気の家族の高額な治療費の肩代わりを条件にレッガに加担した。男は家族の為にレッガの作戦に忠実に従い敵に接近して情報を集め、敵のアジトまで突き止めた。レッガは男からの情報で敵のアジトに奇襲をかけて壊滅寸前まで追い詰める。だが、偶然にもその日アジトを離れていた敵組織の幹部がいてな。奇襲で討ち漏らした奴等と合流して情報の出どころだった男の正体もバレて報復に狙われた。偶然それを知ったウチの連中が巻き込まれた男を守る為に戦って死んだ」
「お世辞にも頭がいいとは言えなかったが気のいい連中だった。クロードも俺も随分世話になった」
共に血と泥にまみれながら駆けた日々は今も昨日の事の様にラドルはハッキリと思い出せる。
フリンジは矜持を貫いて戦い抜いた部下達を誇りに思っている。
「怖気づいたか嬢ちゃん」
「いえ、そういう訳ではない・・・はずなんですが」
声を掛けるフリンジにルティアは複雑な表情を浮かべる。
クロードの見せた新たな一面を自分の中でどう受け止めるべきか判断がつかない。
彼女の心情を知ってか知らずかフリンジは更に言葉を続ける。
「お嬢ちゃんの事情についてはクロードから大体の話は聞いているからとやかく言う気はないが、クロードとこれから先も関わっていくつもりなら理解してもらいたい。アイツが生きているいるのはこういう世界だ」
フリンジの言葉にルティアは自分がクロード達を少しでも知った気になっていた己を恥じる。
短い時間だがクロードやロック達ファミリーの人間と触れ合う中で彼らの事を理解したつもりになっていた。
「逃げたくなったなら今からでも国許に帰りな。俺の方で手を回してやる。ダリオからの疑いもクロードへの借りってのも忘れてもらって構わねえ」
「親父よ。そいつは出過ぎた真似じゃねえか」
「お前は黙ってろ」
フリンジからの提案にルティアは黙ったまま下を向く。
決して提示された条件が思った以上に好条件で選択に迷ったからではない。
フリンジが言葉の裏に隠した真意を彼女とて理解している。
これから先もクロード達と関わり続けていくのであれば自分にも覚悟が必要だという事。
「大丈夫です。私にだって覚悟はあります」
ルティアとて死と隣り合わせの戦場を生き延びてきた人間だ。
クロード達とこれからも関わり続ける事で命が危険なのは理解しているが、ここを離れたからといって生きていく事の難しさは変わりないとも思っている。
何故なら精霊術師もまた希少存在であり、強大な力を持つ故に敵に狙われ味方の盾にされてきた。
命と精神をすり減らし戦い続けた結果、精霊が使い物にならないと判断されると呆気なく見捨てられた。
そんな過去の壮絶な体験を思い出せば温かい食事が摂れ、安心して眠れる寝床があり、割のいい仕事もまである今の環境を与えてくれたクロード達にはどれだけ感謝しても足りない。
自分に居場所を与えてくれたクロードに関わった事で、その為に自分が死ぬのであれば自分は納得できるとルティアは思った。
「いい面構えの嬢ちゃんだ。気に入ったぜ」
「いつもの事だ。クロードの所にはこういう強い女が寄ってくる」
「違いねえ」
そう言って顔を見合わせたボルネーズ親子はガハハと声を上げて笑うと闘技場の中心へと視線を戻す。
「そんじゃ一緒に見届けるとしようかクロードの戦いぶりをよ」
「はい!」
仲間を侮辱されたクロードの怒りを肌に感じつつも、レッガは挑発がうまくいったと内心でほくそ笑む。
これで思惑通り自分に流れを引き寄せる事が出来ると喜んだのもほんの束の間。
すぐにレッガは自分が引き出した悪鬼の力を目の当たりにする事となる。
瞬きしたほんの一瞬の合間にクロードの姿が目前にまで接近する。
「うっ!」
自分が立っている位置から少なくとも4~5mは離れた場所に立っていた。
その距離を一瞬で詰めてきた事に驚き反応が遅れる。
既に右拳を構え攻撃態勢に入っていたクロードに反応が遅れたレッガは防御が間に合わない。
だが焦る必要はない。クロードの拳は自分には通用しない。
繰り出された拳が腹を打つが先程と同様に引き絞った筋肉の鎧は拳を通さない。
「無駄だと言った!」
「それがどうした」
もう何度も拳を打ち込んだのだからその守りが鉄壁である事など理解している。
だが今のクロードにとってそんな事はどうでもいい。
目の前の男はかつてクロードと肩を並べ苦楽を共にした仲間舘を落ちこぼれと嘲った。
相手が何者であろうと理由が何であろうと許してはおけない。
「俺は喋るなと言った!!」
荒々しく吠えるクロードに呼応するように背に刻まれた紋様が脈打ち、背中から全身へ向かって走る力の奔流が体の中を駆け巡る。
拳を振り上げるレッガよりも早くクロードが2撃目を放つ。
打ち込んだ拳に込められた力がレッガの体に炸裂する。
「ぐぅっ!」
今まで受けた攻撃とは比較にならない衝撃が全身を揺さぶる。
受けた一撃に耐えるレッガだが、その足が地面から離れ巨体が僅かに浮き上がる。
「ウオラァッ!」
打ちつけた拳をさらに力づくで押し込んで重量級のレッガの体を後ろへと殴り飛ばす。
距離にして3m程の距離まで飛ばされたレッガは自分の身に起こった出来事に驚きを隠せない。
「くっ!こんな事が」
打撃で自分が浮かされた事など今まではなかった。それこそ子供の頃まで記憶を遡ったとしても片手で数える程度しか覚えがない。
「おい・・・今ちょっと浮かなかったか」
「あっ、ああ、そうだな」
開幕の際の立ち会いでは打ち負けて飛ばされたのはクロードでレッガが優勢である様に見えていた。
それが今、実際に彼らの目の前で繰り広げられているのは全く逆の展開。
自分達の目前で繰り広げられる目を疑う光景に思考が追い付かない。
そんな彼らを置き去りにして状況は更に動き続ける。
「この程度の事!」
自分よりも体格面で劣っているクロードに飛ばされた事は驚きではあるが体へのダメージらしいダメージは感じない。
反撃に転じるべく前を向いたレッガの正面には既に拳を構えたクロードの姿。
無言のまま繰り出される拳に咄嗟に右手を突き出して受け止めようと試みる。
「止められるなんて思ってんじゃねえよ」
伸びてきたレッガの手の前で拳を開くと小指を掴んで自分の方に引き寄せ、空いた左拳を右脇腹に2連続で叩き込む。同じ箇所への無意味な攻撃を執拗に繰り返すクロードにレッガも苛立ちを覚える。
「テメエこそしつこいんだよ!」
右手小指を掴まれた状態から強引に腕を引き戻しクロードに右膝蹴りを打つ。
レッガの反撃に対して右手小指を逆方向へへし折った上で手を離し、飛び込んできた左拳を叩きつけ力づくで打ち返す。
「どうしたこんなものか!」
「くぅ!」
右膝を打ち返された反動で後ろへ下がるレッガへクロードは容赦なく追撃に出る。
相手は右足が退がった事で左足に急に体重が乗った為にバランスを崩しており体勢が不十分。
反撃をするにも踏ん張りがきかない状況、不用意に手を出せば先程の様に指を折られる可能性もある。
体勢を立て直すまでの僅か数秒の合間ではあるが今の相手に出来る事は防御のみ。
手も足も出せず歯噛みするレッガに向かってクロードは容赦なく拳を打ち込む。
「ぐぎっ」
レッガの口から初めて漏れた苦悶の声。原因はクロードが狙い打った左の肋骨に入った亀裂。
自慢の防御を破られたレッガは奥歯を噛み締め踏みとどまる。
「何をしやがった」
「そんな事は自分の頭で考えろ」
いかに屈強な筋肉の鎧といえど人の体である以上は必ず弱点はある。
といっても常人から見ればそれが弱点と呼べる代物であるとは限らない。
レッガの全身の筋肉を支えている骨はこの世界に生きる多くの種族の中でも頑強さを持つが、筋肉程の柔軟性や耐衝撃吸収能力を持っている訳ではない。
もっとも他より脆いと言っても普通に2~3発殴って簡単に折れてくれるようなものでもない。
だから攻略する為の手順を踏んだ。
第一段階 意図的に右脇腹へ攻撃を集中し、意識を腹部へ集中
第二段階 強打を見せつけ一発の威力と脅威を意識に植え付ける
第三段階 指破壊によって打撃以外の攻撃を出しにくくする
第四段階 体勢を崩させ力みが効きにくい状況を造り出す
そうして生み出した状況によって不十分な体勢で迫られる選択。
姿勢が崩れた事により腕が上がりにくい状態で、意図的に刷り込まれた腹部への攻撃が来ると予測。
腹筋に力を篭める事で下腹部へ筋肉が引っ張られ、肋骨が僅かに下がりガードが薄くなった所へ強打を喰らわせて骨を破壊する。
鉄壁を誇った守りに穿たれた小さな亀裂だが、レッガという巨壁を突き崩す最初の一歩。
(ここから一気に突き崩す)
踏みとどまったレッガに反撃に転じる隙を与えない。
クロードの拳が自分にダメージが通す事を知った以上、レッガは不用意に拳を受ける訳にはいかなくなったと考える。
思惑通りクロードの攻撃に両腕を盾にして防御の構えを見せる。
そんなものはおかまいなしに防御の上から拳の連打を叩き込む。
強打に腕を持っていかれないように腕に力を篭めて身を固めるレッガだが、防御を固めるほどに視界は狭くなり反撃に転ずるのが難しくなっていく。
まさかここまで一方的な展開になると思っていなかった観客席の者達が息を呑む。
特にレッガの部下や取り巻き達にとっては自分達が憧れた力の権化のような存在であるレッガが終始圧倒され続けている光景などは悪夢を見ている様だ。
皮肉にもその悪夢がクロードの実力に懐疑的だった者達に彼の実力が疑う余地のないものだと示していた。
「これが区画番号保持者」
「第七区画の鴉の実力」
周囲の反応からクロードに対する評価が変わっていくのを肌で感じアシモフの額に薄く汗が滲む。
甥であるレッガの実力については微塵も疑ってなどいない。
素手の立ち合いならば全盛期の自分にさえ匹敵すると認めており、今も彼の勝利を信じている。
ただ、あまりにもクロードの実力が自分達の想定からかけ離れ過ぎていた。
「ファミリーに入り込んだ鼠を狩り出すつもりだったが、思わぬ怪物が出てきたな」
「むぅ」
不服そうではあるがシェザンもクロードの実力は本物だと認めている。
かつてレッガの稽古相手も務めた事のあるシェザンだからこそ両者の実力がより分かる。
「アルバートのヤツめ。とんだ怪物を飼い慣らしていたものだ」
「シェザンさん。それは違いますよ」
アシモフとシェザンの話に割り込んできたカロッソはクロードの方を見ながら目を細める。
「父さんが飼いならしたんじゃなくて。このビルモントファミリーがクロード・ビルモントという怪物を生み出したんですよ」
「俺達が生み出しただと?どういう事だカロッソ」
「ウチの弟はアレで中々の努力家でしてね。元々は大して強くなかったんですが親父や兄であるオレ、ファミリー仲間にとって足手まといになる事が本人は余程嫌だったらしいみたいで陰ながら訓練したりとかブルーノさんに師事したりとか他にも僕らの知らない所で色々やってたみたいなんですよ」
カロッソの話にシェザンとアシモフは闘技場の中央にいるクロードに目を向ける。
今の話を聞いて2人の記憶にも少なからず思い当たる節はあった。
「それ程までしてヤツは何がしたいんだ」
「さあ、それはクロードがこの戦いの後まで生きていたら本人に聞いて下さい」
はぐらかすようなカロッソの言い回しに煮え切らない思いを残しつつ、アシモフは黙って場内のクロードとレッガの闘争へと意識を戻す。
ガードの上からの連打を続けるクロードだが、相手に大したダメージが通っている様に見えない。
それでも問題はない。何故なら連打を続ける目的は別のところにある。
防御に徹していたレッガは異変に気付く。
先程まで聞こえていた観客席からの歓声がやたらと近くに聞こえる。
違和感に横目で周囲の様子を窺ってようやく気付く。自分が壁際まで追い込まれていた事に。
「追い詰めたぞ」
直後にこれまでに受けたダメージとは比較にならない痛みがレッガの右足を襲う。
「グゥッ!なにが」
ガードを続ける両腕の間から覗き見るレッガの右足にクロードが強烈なローキックを見舞う。
一度目はかろうじて耐えたが二度目の痛みに堪らず片膝をつくレッガ。
バランスを崩した際に緩んだガードの隙間にクロードが右の縦拳をねじ込んでくる。
防御を閉じようと試みるが連打を受けすぎたか腕が痺れて思ったよりも腕に力が入らない。
その間にクロードは割り込ませた拳を開いてレッガのガードを力で無理やりこじ開ける。
「あの日からアンタがボルネーズ商会に溜め込んだツケ。今日ここで利子をつけて払ってもらうぞ」
片膝を地面に突いた事でようやくレッガの頭の高さが手の届く位置まで下がった。
観客席で見ているフリンジやラドル達同朋の積年の恨みを篭める様に右拳を強く固く握り締める。
その動きに合わせる様に拳を握ったラドルが席を立ちあがる。
「喰らわせろクロード!!」
叫ぶラドルの声に応える様に放たれる閃光の様な右ストレートがレッガの顔面に突き刺さる。
今回は展開考えるのに時間がかかり申した。
それに季節の変わり目は体調が振るわないなぁ
ともあれ結構いい感じに書き上げられたかな