力を示す時 1
クロードがレッガと対峙した同じ頃、ブルーノが1人でアルバートのいる貴賓席を訪れる。
「邪魔をするぞアルバート」
「ブルーノか」
ブルーノの姿を横目に見たアルバートが軽く右手を挙げる。
すると彼の周囲にいた護衛が素早く部屋を出ていく。
静かになった室内にアルバート以外でただ1人その場に残ったダリオへとブルーノは視線を向ける。
「お前は出ていかんのかダリオ・ローマン?」
「はい。私も同席させて頂きますブルーノ相談役」
「・・・そうか」
僅かに頭を下げるダリオを一瞥するとブルーノはアルバートの隣まで移動して椅子に腰を下ろす。
「お前から頼まれていた通りにしておいたぞ」
「ああ、その様だな」
ブルーノに答えたアルバートの視線は場内中央でレッガと対峙するクロードへと向けられている。
「まったく。師匠に弟子の足を引っ張らせるなど何を考えている」
「仕方あるまい。こうでもせねば条件がクロードに有利すぎる。そうだろうアジール?」
アルバートの問いかけにブルーノの影に潜んでいたアジールが姿を現す。
「そういう事。なにせ黒を纏っている限りクロードはこの僕の加護に守られているんだ。ハンデを付けてあげないとレッガが可哀そうだよ」
「随分と自信があるんだな」
「そりゃあね~僕の力だもん。当然さ」
皮肉のつもりで言ったダリオの言葉も意に介すどころかアジールはケラケラと笑い飛ばす。
そんなアジールにブルーノは苦言を呈する。
「しかしアジールよ。少しばかりクロード側の条件が厳しくなりすぎてはいないか?」
「ん~?そうかな~」
「流石に使えるのが魔術刻印のみというのはな」
「な~に、今更自分の施した術に自信がなくなっちゃった?」
「そういう訳ではないが・・・」
確かにクロードの能力については他の者より知っているがそれでも今回は縛りが多すぎる。
多すぎる足枷のせいで万が一が起こらないとも限らない。
そんなブルーノの心配とは対照的にアジールはまるで気にする様子はない。
「心配しなくても僕の相棒はそんなヤワじゃないよ」
「だといいのだがな」
「ふふ~ん。それは見ていれば分かるさ」
そう言ってアジールが闘技場の方へと嘴を向ける。
鋭い嘴の先、今まさに両者が引いた拳を相手に向かって繰り出す。
「ハァッ!」
「オラァッ!」
2つの拳が闘技場の中央でぶつかり合う。
激突の瞬間、腹の底から突き上げるような地鳴りと共に闘技場が大きく揺らぐ。
地鳴りから僅かに遅れて衝撃で闘技場中央から観客席に向かって猛烈な突風が生じる。
ウォルフレッド戦で土が水や血を吸って重くなったせいか砂埃は起きなかったが、それでも突風によって掬い上げられた小石などが巻き上げられて観客席へ降り注ぐ。
「いってぇええええ!」
「ぶぇ!砂が口に入った」
2人の拳が生み出した衝撃波によって被害を被る観客席。
ただ、その一角に被害をまったく受けていない区画があった。
カロッソやレイナのいるレッガ派の幹部の周辺だ。
「レイナお嬢さん。お怪我はありませんか?」
「大丈夫です。チャールズさん」
「そうですか。それはよかった」
シルクハットを軽く持ち上げ紳士然とした朗らかな笑みを向けるとチャールズは四方に展開していた魔法障壁を解除する。隣ではアシモフが憮然とした顔で闘技場の中央を睨みつけている。
「あの馬鹿共が。レイナお嬢の顔に傷でもついたらどうする気だ」
「まあまあ落ち着いてくださいよアシモフさん。チャールズさんがいればレイナちゃんの玉のお肌は安全ですから」
憤慨するアシモフの肩を後ろから叩きながらカロッソが宥める。
そんな2人を横目で見やりながらもレイナの意識は闘技場の中央へと向かう。
「そんな事よりも状況は」
彼女が視線を向けた先、闘技場中央に立つ影が1つと中央から離れた場所に立つもう1つの影が見えた。
中央に立っていたのはレッガ。逆に中央から弾き出されていたのはクロードの方だった。
両者の状況を認識したレッガ派の観客席からワッと歓声が上がる。
「どうだ見たか!これがレッガの兄貴の力だ!」
「力勝負で兄貴に勝てるかよ!」
大半が状況を見てレッガのパワーによってクロードが押し出されたと判断する。
実際、クロードの足元にはが中央から現在の位置まで地面を滑った形跡が確かにあり、それだけ見れば確かに力比べはレッガに軍配が上がったと判断するのも無理はない。
だが、実力者とされる者達の目にはそうは映らなかった。
「体重差だな」
「ああ」
フリンジが呟いた言葉を隣で聞いていたベイカーが肯定する。
2人の話している事がイマイチ理解できなかったロックが2人の方を振り返る。
「フリンジの叔父貴。どういう事っすか?」
「簡単に言うとクロードが弾かれたのは力負けしたからじゃねえ」
所謂『作業・反作用の法則』と呼ばれる考え方である。
2つの物体がぶつかりあった時、同等の力であれば互いに受ける影響は同じというものだ。
ならば同じ影響を互いが受けた時、どちらがより遠くへ飛ばされるかといえば重量の軽い方。
そして身長180cm台で痩せ型のクロードと身長220cm台で大柄なレッガではどちらの体重がより重たいかなど測らなくとも一目瞭然。
「その証拠に2人の立ち姿をよく見比べてみろ」
「立ち姿ですか?」
フリンジに言われロック達はもう一度場内の2人へと視線を戻す。
そこで両者の立ち方の違いに気づく。
クロードの拳は真っ直ぐに前に突き出されているのに対しレッガの拳は肩の高さまで掲げてやや仰け反る様な不自然に半身を引いた状態で立っていた。
「確かにクロードは後ろに吹っ飛ばされはしたが代わりにしっかりとレッガの野郎は拳を打ち返している」
「って事はクロードの兄貴は負けてねえ!」
「そういう事だ」
フリンジの説明を聞いたクロード陣営が一気に湧き上がる。
外野が盛り上がる一方、直接対峙しているクロードの方は至って冷静だった。
(初手は出力40%でほぼ互角か。大方想定通りといったところだな)
多少殴りつけた拳が痛みはするが、少し硬いものにぶつけた程度の痛みであり戦闘継続に支障はない。
軽く手首を回しながらクロードは正面に立つレッガへと視線を戻す。
一見すると平然としているようにも見えるが僅かに視線が泳いでいる。
どうやら自慢の拳を打ち返された事に少なからず動揺しているらしい。
無理もない。かつてのクロードであれば今の一撃で十分倒せていたのだ。
多少の成長は予測していただろうがまさか自分と張り合えるほどになっていたとは思わなかっただろう。
(もっとも今のがあちらの全力という訳でもないだろうが)
見る限りレッガの方に肉体的なダメージが入っている様には見えない。
だがそれもクロードにとっては想定内。
そもそも猪熊族はその名の通り熊の様な屈強な体躯と猪の如き突破力を併せ持つ頑強な戦闘種族。
並の人間では打撃でダメージを負わせる事はまず不可能であり、刃物の類もほとんど通さないと言われる程皮膚も厚い。
加えて魔法に対してある程度の耐性もあり、弱い防壁程度であれば体当たりだけで突き破ってしまう。
レッガはそんな種族の中でも戦闘において傑出した才覚を持つ逸材。
戦闘経験も豊富で失態を犯すまでは常に荒事において最前線で戦っていた。
恵まれた肉体に戦闘の才まで持つ彼を拳だけで制するのは決して簡単な話ではない。
(さて、後はここからどうやって攻めるかだが・・・)
恐らく今の一撃で自分に対する相手の評価は大幅に修正されているだろう。
現にレッガがクロードに向ける視線に先程まで見えていた侮りの色が消えている。
「ここまでやるとは思わなかったって顔ですね」
「・・・てっきり得意の魔術を使ってくるかと思っていたからな」
「はて、魔術が得意だなどと誰かに言った覚えはないんですが?」
ワザとらしく肩を竦めて見せるクロードにレッガは小さく舌打ちをする。
「俺の虚をつく為に今まで手の内を隠してたって事か」
「いいえ、そちらが勝手に勘違いしただけだと思いますよ」
レッガの言葉をクロードは的外れも甚だしいと軽く鼻で笑い飛ばしてみせる。
大方、ブルーノに師事していた事や周囲の人間から集めた情報から予測したいたのだろう。
だが生憎とクロード・ビルモントという男は何か1つの戦い方に拘ったりはしない。
得意とする戦法を持つことは悪い事ではないが、それを封じられれば戦えなくなる様では駄目だという事をクロードは知っている。
だからどんな状況下に置かれても戦える様に己を磨き、近接格闘、銃撃、通常魔術、精霊術という4つの戦法を高いレベルで使いこなす万能型となった。
そしてそのどれ1つ取っても他者に簡単に後れを取ったりはしない。
「で、どうします?予想外の事態に心が折れたというなら降参しますか」
「馬鹿を言うな。むしろ呆気ない幕切れにならずに済んでむしろホッとしている」
レッガは着ていた上着を脱ぎ捨て鍛え上げられた上半身を明かりの下に晒す。
「あまり勘違いをするなよ。確かに昔に比べ多少は腕を上げたかもしれんがあの程度の拳で俺は倒せん」
「ならば試してみますか?」
「なにぃ」
聞き返すレッガの前でクロードは右手を持ち上げ人差し指を天井へと向ける。
「この場に集まったファミリーの同胞達に宣言する。クロード・ビルモントはこの戦いにおいて一切の武器を使用せず攻撃、防御の魔法も使う事なくその上でレッガ・チェダーソンを地べたに這いつくばらせてみせると」
場内に響き渡る声で己の勝利を予告するクロード。
自分よりも遥かに大きく優れた肉体を持つ相手を前に無謀ともとれる宣言に場内は騒然とする。
「術を使わないだと」
「馬鹿な。何を考えてやがるんだ」
「自殺行為だろ」
「クッ、クロードちゃん?」
「クロ坊のヤツ大きく出やがったな」
到底正気とは思えないクロードの宣言に敵味方問わず誰もが己の耳を疑う程だ。
未だかつて受けた事のない屈辱にレッガの表情がみるみる怒りに染まる。
「クロード。テメエ今、なんて言ったぁ?」
「聞こえなかったか?アンタお得意の肉弾戦で沈めてやると言ったんだ」
天井を指していた手をレッガに向けて手招きするクロードにレッガの怒りが爆発する。
「ほざいたな小僧!」
怒りに任せて前に出たレッガは暴れ牛の如く猛スピードで突っ込んでくる。
常人であれば軽く接触しただけでも大怪我必死の突進をクロードは表情一つ変えずに迎え撃つ。
「ブチ殺してやる!」
振り上げた右拳をクロードの頭上目掛けて振り下ろされる。
砲弾の様なその一撃に合わせてクロードは左拳を繰り出す。
そのまま拳ごと殴り飛ばしてやる。そう思って放ったレッガの拳はクロードに直撃するどころか髪の毛にさえ掠りもせずにその体の横を通り抜ける。
「っ!?」
意図したものとは違う軌道を描く自身の拳。
あまりに不可解な出来事に脳が一瞬、混乱に陥り思考が停滞する。
その僅かな混乱の隙を突くようにクロードの拳がレッガの右脇腹を捉える。
直後、腹部に走る鈍痛にレッガは思わず目を見開く。
「ぐぅっ!」
自身を襲った一撃に咄嗟に地面を蹴って後ろへ退がり距離を取るレッガ。
何が起こったのかまるで事態が呑み込めない。
それでも視線だけは外すまいとクロードの方を見たレッガの背筋を冷たいものが駆けあがる。
かつて何度も打ちのめし容易く足元に捻じ伏せてきたはずの相手が、今まで一度も脅威だと感じた事のない男に初めて強者と対峙した時と同等の恐れを感じた。
目の前の男は本当に自分に勝てなかった男と同一人物なのかそんな疑問が浮かぶほどかつてとは別人に見えた。
過去と現在で大きく乖離する状況に大きく動揺するレッガ。
そんな彼に向かってクロードはゆっくりと歩きだす。
「逃げるなよレッガ。勝負はまだ始まったばかりだろ」