暗殺者の切り札
衝撃で折れた剣先が宙を舞い地面へと突き刺さる。
突き立った刃先に反射した獣人の巨体がグラリと大きく揺らぎ、ゆっくりと崩れ落ちる。
「フゥッ・・・・ハーッ」
崩れた獣人の傍らに映る小さな影が小さく揺れる。
銀の半面の下から覗いた口元から荒い息を吐いたウォルフレッドは自身の手元に視線を落とす。
手に握った剣の刀身は真ん中から先は既になく最早武器としての体を成してはいない。
この武器ではこれ以上の戦闘継続は不可能。そう判断すると躊躇なく武器を足元へと投げ捨てる。
幸い体の方は毒の影響も薄まり、痺れも取れてきた。
(皮肉だな。今更貴族の家系であった事に助けられるとは)
彼の生まれた国では貴族の習わしとして男児は生後間もない頃から毒物による暗殺から身を守るため、食事と一緒に少量の毒物を摂取させて耐性をつけさせられる。
その為に子供の頃には何度か食事の度に苦しい思いをするという事もあったが、おかげでウォルフレッドは毒の影響を受けにくく毒からの回復も早い体へと育った。
貴族の誇りも何もかも捨てようとしている自分にとっては何とも皮肉な話だと自嘲しながらウォルフレッドは顔を上げる。
毒の影響による熱っぽさも引き思考もクリアになったウォルフレッドは使える武器になるものはないかと首を振って左右を見渡す。
土と血と屍の中、壁に突き刺さったあるモノに自然と視線が吸い寄せられる。
「・・・ああ、そこにありましたか」
視界に入ったソレを見止めたウォルフレッドは迷いなくそちらへと体を向ける。
当然、その歩みを阻まんと残った敵術師から魔術攻撃が飛んでくる。
そう踏んでいたが何故か一切の攻撃を仕掛けてこない。
手を出してこない事は些か不気味ではあるが走れない今の自分にとっては好都合。
おかげで苦も無く闘技場の石壁の傍まで辿り着いたウォルフレッドは、斧の形状を保ったまま壁に突き刺さっていた廻天十字刃を引き抜く。
そして手にした斧を正面に構え、力を籠める。
「武形変化、剣士形態《ブレードフォーム》」
ウォルフレッドの手の中で十字架の形状が変化し光の刃を形成する。
変形した剣を何度か軽く振って正常に動作するかを確認。
(これだけ雑に扱っても異常なしとは大したものだな)
さっきまで使っていた雑多な武器とは違う確かな手応えにウォルフレッドは思わず感心する。
そもそも可変武器というのはその構造的な欠陥を内包している事が多い。
例えばだが折り畳み式ナイフ等は刃を柄に収納するために普通のナイフよりも刃は軽く薄く、グリップも内側を削る為に脆弱になっている。
武器に機能を追加するにはその分どこかで他の何かを機能を犠牲にしなくてはならない。
それは魔術を組み込んだ武器である魔道兵装であっても同じ事。
むしろ武器に魔術式を組み込んで強化した分よりデリケートな代物になっている。
内部の魔術式が少しでも欠けたり、キーパーツが破損するとそれだけで簡単に機能不全に陥る。
故に通常の武器以上に解決しなくてはならない構造上の問題は多い。
だからこの武器をクロードから渡された時には何かしらの不具合が起きる事も覚悟していた。
だが、実際は不具合を起こすどころか未だ綻び一つ見せない。
(これならば残りのも心置きなく斬り伏せられる)
武器への不安がなくなったウォルフレッドは残った敵勢へと視線を移す。
どうやら向こうも最後の策の準備が済んだらしくこちらが来るのを待っている。
何か仕掛けたかのかは皆目見当も付かないが丸腰の相手を攻撃する機会を見過ごしてまで用意した策。
当然それだけ勝算のある策なのだろう。だがそんな事は関係ない。
こちらはそれを喰い破り、彼らを1人残らず死体に変えるのみ。
ウォルフレッドはその手の中に空気の玉を生み出すと、足元に転がすとそれを踏みつけて前へと跳ぶ。
真正面から猛然と突っ込んでくるウォルフレッド。
それを迎え撃つサムとフェリーは緊張感のない声を上げる。
「おっ、来た来た」
「それじゃあ皆さん。手筈通りにお願いしますよ」
「分かっている」
2人と違って強張った表情をしたリーダー格の男が他の魔術師に指示を飛ばす。
「水流波撃」
8人の術師が協力して術を発動すると同時に、乾いた土の上に一瞬で水が湧き出し、3m程の高さの波となってウォルフレッドへと押し寄せる。
殺傷能力は決して高くはないが少なくないダメージを受ける。
地面に転がる骸を飲み込みながら突き進んでくる波を前に、ウォルフレッドは冷静に対処する。
波がぶつかるタイミングを見極め、直前で空気玉を正面に投げそれを踏みつけて波を飛び越える。
「掛ったな」
波の上に姿を現したウォルフレッドを見てサムとフェリーが厭らしい笑みを浮かべる。
2人は懐に忍ばせていた切り札を取り出す。
その手に握られているのは表面に黒い文字の彫られた短刀の長さの赤と白の棒。
2人はそれを振りかざすと、一団の中から前へ出てその棒を頭上へと振りかざす。
「解呪!赤酸単杖」
声と共にサムは頭上に振りかざした赤い棒を術で生じた水の上へと突き立てる。
瞬間、術によって生じた大量の水の色が一瞬にして透き通った青から濁った赤へと変化する。
そこへ続けざまにフェリーが手に持っていた白い針をその赤い液体の上に突き立てる。
「解呪!発泡蒸杖」
フェリーが術の開放を命じると共に地面に広がった一面の赤い水がゴボゴボと音を立て始める。
やがてそこから無数の泡が発生し、シャボン玉の様に真上に向かって上昇を始める。
「赤い気泡?」
ウォルフレッドは足元からゆっくりと上ってくる泡を下に怪訝な顔をする。
この期に及んでこんな鈍間な泡が一体何になるというのか。
(足止めか?いや、あれは!)
、
眼下を見渡していたウォルフレッドは視界に映った光景に背筋が凍る。
見れば先程波に呑まれた死体が音を立て徐々に溶けだしていた。
「強酸!」
驚くべき事にサムが先程の赤い棒は、術師たち生み出した大量の水を一瞬で強酸に変質させたのだ。
そしてフェリーはその酸から大量の気泡を生み出したのだ。
「これぞ混成術、『溶泡酸池』でさ」
サムとフェリーが持つ魔術道具を使った混成魔法。
魔術道具の消費魔力が大きい為に魔力量の少ない凡人の2人には1日1回しか術を発動できず、水がある場所でしか使えないという難点はあるが、発動すれば威力は間違いない2人の切り札。
「死体処理とか証拠隠滅にも使える俺らが持ってる中でもとっておきのお宝だ。とくと拝んで逝ってくだせえな」
大量の赤い気泡が吹き出し、上方に向かってばら撒く2人が自信ありげに笑う。
しかし、まだ泡はウォルフレッドがいる高さまで辿り着いていない。
ならば今の内に泡が発生するエリアの外に出てしまえばいい。
ウォルフレッドはすぐさま空気玉を蹴ってエリア外へ出ようとするが、そこへ真下にいる術師達が放った攻撃魔法が容赦なく飛んでくる。
「クッ!」
咄嗟に剣を盾にして防御するが、攻撃を受けた衝撃でエリア内に押し返される。
「おっとその酸の池の上からは出しませんぜ」
「アンタにゃその酸の上で溶けてもらわないといけねえからな」
攻撃範囲外に出られれば何の効果もないのは2人とて承知している。
その欠点を術師連中に補わせる事でウォルフレッドを酸の泡の牢獄に完全に閉じ込める。
酸の泡による包囲が完成すれば最早攻撃する必要もない。
後は放っておいても酸によるダメージか、魔力切れでウォルフレッドは酸の池の上に落ちて死ぬ。
「ヘタな悪あがきしなきゃもう少し楽に死ねたでしょうにね」
「こうなったら後はジワジワ溶かされて死ぬだけ。自分の運命ってのを呪ってくだせえな」
2人がそう言っている間に立ち上った気泡がウォルフレッドを包囲する。
ウォルフレッドは包囲を突破せんと正面の泡に向かって剣で斬りつける。
気泡は呆気ない程簡単に破裂し、飛沫を周囲へ撒き散らす。
その飛び散った飛沫が他の気泡を破裂させ、連鎖を起こして四方に飛沫をまき散らす。
それらが衣服や皮膚に掛かってジュッという音と共に体に激痛を走らせる。
「グゥッ!」
思わず口から洩れる苦悶の声。
飛び散った飛沫が顔の飛び散り片目の瞼の上に掛った。
間一髪眼球に掛らなかったがこのままではマズイ。
上に向かって飛んで逃げるがその間にも気泡が次から次へと上がってくる。
1つ1つのダメージは大した事はないが、蓄積すればダメージは相当なものだ。
しかもこれだけ量が多いと空気玉を踏んでの移動では細かく避けたりする事が出来ない。
だからといってこのまま動かなくてもジリ貧なのは明らかだ。
(どうする?もう1度、空弾降雨を下に向かって撃って泡を止めるか)
しかし、もう一度撃つとなると魔力残量が心許ない。
これ以上使いすぎると"彼女"の生命に危険が及ぶ可能性が大きい。
しかも下に降りた後は術が使えなくなる為、敵陣に接近する事も難しくなる。
先程、火柱の中に包まれてから2度目の窮地。
そんな切迫した状況の中でふと別の考えが彼の頭をよぎる。
(この様な状況。今までなら"彼女"が出てきて全ての敵を喰らい尽くしてくれたな)
自分が死ぬ事ばかりを考えていた頃、命を狙ってくる敵は全て彼女が倒してくれた。
それが最後に交わした約束だからだと今まではずっと思っていた。
だが、今はそうではなかったのだと分かる。
今更ながら自分が守られていたのだと自覚する。
クロードが言っていたように彼女には自我があるのだ。
だから今、出てきて共に戦いたいのを必死に我慢している。
これまで理解できなかった。いや、理解しようとしなかった思いが今なら分かる。
(愛する者をこれほど心配させるなど、元騎士として、男として情けない限りだ)
彼女が手を出さないのは自分を信頼しているからだ。
それだけの信頼を受けておいて応えずに死ぬなど、他の誰よりも己自身が許さない。
「もう少し待っていてくれ。必ず全員殺すから」
自分の胸に手を当て身の内に宿る"彼女"に語り掛けるようにそう呟いた後、ウォルフレッドは空気玉を踏んでもう一段に真上に跳ね上がる。
見上げると闘技場の天井が近くなり、天井に設置された大きな照明の放つ熱を微かに感じる。
いよいよ本格的に逃げ場がなくなってきた。
(いや、待てよ。もしかしたらこれは使えるかもしれない)
頭の中に浮かんだ1つの方法。これならば突破できるかもしれない。
問題があるとすれば後でクロードに文句を言われる可能性だが、迷っている時間もあまりない。
ウォルフレッドは意を決すると自身を包囲した強酸の檻の中から残った敵を睨む。
「勝ち誇ったその顔に恐怖を刻みつけてやる」
最初に一言。
読者の皆様。2か月とちょっとお待たせした申し訳ありませんでした。
苦情などあれば甘んじてお受けします。
言い訳は色々ありますが、ちょっとモチベーション落ちてた感じです。
本当にすいません。今後はちゃんと書いていくつもりですので何卒よしなに。
一応次回でウォルフレッドの戦いは決着予定。
そこからようやく真打クロードの戦い。
ぶっちゃけはやくそっから先とかも書きたい。
ガツガツいかないといけませんね。