試練の朝を迎え
フィーベルト・アルカインとの戦いから数日。
遂にビルモントファミリーの新たな幹部を決める日が訪れる。
早朝、キッチンに立ったアイラが朝食の支度をしていたところ、リビングに新聞の束を抱えたクロードが姿を見せる。
「おはようございます旦那様」
「ああ、おはよう」
アイラと軽く挨拶を交わしたクロードはいつもの様に自分の席に着くとテーブルの上に置いた新聞の束の中から無造作に一部を手に取って広げる。
アイラはその様子を横目に見て調理の手を止めると、準備しておいたコーヒーを手早く淹れてクロードの元へと運ぶ。
「本日はお早いのですね」
「そうか?いつも通りの時間だと思うが・・・」
差し出されたコーヒーカップを片手で受け取りつつ、クロードは視線を新聞から壁掛け時計へと移す。
長針と短針が差している位置はいつもとそう変わらない様に見える。
新聞に視線を戻しつつ、黙したまま質問の意図について思案するクロードの隣でお盆を抱えたアイラが苦笑気味に答える。
「いえ、今日のご予定は午後からだと伺っておりましたので」
「・・・ああ、そういえばそうだったな」
確かに今日の予定については早い段階から彼女に伝えてあった。
そんな簡単な事にも気づけないとは、どうやら自分は少なからず緊張しているらしい。
(まったく、この期に及んで人並みに緊張とは。我ながら恥ずかしい話だな)
自然と己の口元に自嘲めいた笑みが浮かぶ。
それだけ今日行われる幹部会を特別意識しているという事。
何せ幹部になれる者はほんの一握りであり、実力だけでなく、運や機会にも恵まれなければ候補に挙がる事すら出来ない。
一生に一度あるかどうかの機会ともなればクロードでなくとも落ち着いていられる者はそうは居まい。
「大した事じゃない。午前中の間に少し寄っておきたい所があってな」
「こんな大事な時にお出掛けですか。最後の準備か何かですか?」
「いや、そうじゃない」
準備に関しては今日までの間に考えられる限りの事は済ませた。
勿論、想定外の事というのは起こりえるがそれは今から考えた所でどうしようもない。
予測し、対策を立てることは大事だが起こるかどうか分からない事についていつまでも考えてしまうのは時間の無駄というもの。
予測の枠を超えて起こってしまった事象については起こった時に対応する他ない。
だからクロードは今から慌てて何かを準備する必要性を感じていない。
これから出掛けるのはもっと個人的な理由に起因する。
「幹部会の前に少し昔の仲間に会っておきたくてな」
呟いたクロードは手に持ったカップの中で湯気を上げているコーヒーに視線を落とす。
クロードの言葉の意図を察したアイラが申し訳なさそうに視線を下げる。
「そういう事でしたか。差し出がましい事を申しました」
「別に気にするな。幹部会の前に少し感傷に浸りたくなっただけだ」
申し訳なさそうに頭を下げるアイラを言葉で制し、クロードは新聞へと視線を戻す。
彼女が謝る必要は無い。先ほど口にした通りこれはただの感傷に過ぎないのだから。
それでもクロードの気持ちを汲んでか、朝食の用意が終わるまでアイラは話しかけてこなかった。
しばらくして朝食の準備が終わる頃、グロリア、ヒサメ、シャティの3人がリビングに現れ、静かだった食卓が賑やかなものに変わる。
「珍しいな。いつもなら昼過ぎまで寝ているグロリアが朝食に顔を出すなんて」
「昨日は仕事無かったし、今日ぐらいはね」
指摘を受けて少し気恥しそうに視線を逸らすグロリア。
普段から我の強い彼女なりの気遣いなのだろう。それを見て少しだけ可笑しさがこみ上げてくる。
この面子が朝食の席に揃ったのも随分と久しぶりの事だから尚更かもしれない。
「私のことよりもエルよ。今日ぐらい帰ってくればよかったのに」
「そうですね。折角の大事な日ですし」
「そう言ってやるな。彼女も忙しい身の上だ」
研究所にいる彼女はおいそれと外出することは出来ない。
事前に申請していれば外出も出来るが、今は研究が忙しいらしく手が離せないとのことだった。
その代わりと言うか、先日施設に立ち寄った折に彼女からは激励の言葉を受け取っている。
彼女だけではない。他にもヒロシやザハナーテといったファミリー以外の街の知り合いからも色々と声を掛けてもらった。
別にそれらの言葉が幹部会の結果が変わる訳ではないが、おかげで気合は入った。
元々手を抜くつもりはなかったが、それでも自分に出来る最善を尽くそうと思う。
「ところで先程からルティア嬢の姿を見ないが?」
「ルティアさんでしたら昨晩からブルーノ先生の所です。一応事前に泊まりになると聞いています」
「そうか」
どうやらルティアはルディアで師匠の所で頑張っている様だ。
ここ最近はあまり顔を合わせて話をしていないが、アイラや他の者から伝え聞く限りではブルーノともうまくやれているらしい。
(師匠に彼女を紹介した甲斐はあったという事か)
自分の行動の成果に満更でもない様子でクロードはコーヒーを口にする。
落ち着いた様子のクロードを見て彼を囲む4人がどこか安心したように微笑む。
いつもより少しだけ和やかな空気の中で、朝食を終えたクロードを玄関先で皆が送り出す。
「ダーリン。いよいよだね」
「そうだな」
「今晩はご馳走を用意してお帰りをお待ちしております」
「少し気が早とも思うが、無駄にはしない」
「心配ないと思うけど、下手な失敗はするんじゃないわよ」
「分かっている」
「クロ・・・ガンバ」
「最善は尽くす」
4人それぞれから激励の言葉に背中を押されてクロードは家を出る。
家を出たクロードは敷地内に立つ馬小屋の方へと足を向ける。
その手には馬具が携えられている。
馬小屋の中に入るとシュバルツが待ちかねていたと言わんばかりに、顔を上げる。
「今日は頼むぞシュバルツ」
「ブルルルルッ」
クロードの言葉に応える様にシュバルツが荒い鼻息を鳴らす。
今日は特別な日だから彼女の背中を借りると決めていた。
普段ならクロードと数名しか手の付けられないじゃじゃ馬だが、空気の読めない駄馬ではない。
主人であるクロードにとって今日が特別な日なのだと彼女も分かっている様だ。
問題を起こすことは無いだろう。
クロードは小屋の外に愛馬を連れ出すと馬具を装着し、その背に跨る。
「行くか」
クロードの言葉に応えるようにシュバルツが前へと走り出す。
家の周囲を囲む柵を軽々と跳び越え、あっという間に草原を駆ける一陣の風となる。
まだ行く先も伝えぬ内に走り出した愛馬にクロードは動揺する素振りはない。
手綱を握ってこそいるが、シュバルツに対してこちらから命令するは必要ないのだ。
行動や言葉で何かを伝えずとも彼女はクロードの意図を汲み取って動く。
まるで長年連れ添った古女房の如き以心伝心ぶりである。
「久しく背に乗っていなかったが、やはりお前の背に乗って感じる風は心地良いな」
クロードが口にした感想に当然でしょと言わんばかりにシュバルツが嘶きで返す。
どうやら彼女も久々にクロードを背に乗せて走る事に上機嫌の様だ。
目的地の途中まで道なりに走り抜けた後、通り沿いにある1件の雑貨屋に立ち寄る。
顔見知りの店主と軽く言葉を交わし、小さな花束を1つとビール瓶を1本購入して店を後にする。
そこからは購入した花が散らない様に配慮したゆっくりとした足取りで目的地へ向かう。
家を出て30分程で市街地から北東にある小高い丘へと辿り着く。
丘の上には柵に囲まれた一体があり、綺麗に形を整えられた石が碁盤の様に規則正しく並んでいる。
ここはビルモントファミリーの所有している墓地。
「思ったよりも早く着いたな」
丘の下にある大きな木の傍でシュバルツの背から降りたクロードは、丘の上の方を見上げる。
「皆に会ってくるからここで少し待っていてくれ」
そう言って愛馬の額の辺りを軽く手で撫でるとシュバルツが小さく嘶く。
それを答えと受け取ったクロードは彼女に背を向け丘の上に向かって歩き出す。
雑草が刈り取られ、よく手入れの行き届いた静かな墓地の中を1人歩いて行く。
歩き出してしばらくすると丘の上から見知った顔が降りてくるのが見えた。
「クロードか。珍しい所であったな」
「トニーこそ今日はどうした。親父さんの墓参りか?」
「ああ、墓の手入れはビルモントファミリーの管理人がやってくれてるが、供え物とか花の手入れは自分の手でやらないとな。お前の方こそどうしたんだ。滅多に顔なんか出さないだろ」
「そちらと同じでこちらも墓参りだ」
クロードは手に持ったビール瓶と花束をトニーに見える様に軽く持ち上げる。
それを見たトニーが口元にニヒルな笑みを浮かべる。
「そいつは結構な事だがもう少し時間を考えて来たらどうだ」
「何かまずかったか?」
「いや、ただ昼間からお前のような黒づくめの男が墓場をウロついていると墓地に死神が出たと噂になるんじゃないかと思ってな」
「・・・余計なお世話だ」
トニーからの皮肉の篭もった言葉にクロードは心底不満そうな表情をする。
クロードの表情を見てトニーはクククと可笑しそうに笑い声を漏らす。
トニーは普段、寡黙でクールな酒場のマスターだが見知った相手にはたまにこういった冗談も言う。
「さて、それじゃあ俺は店の仕込みがあるからそろそろ戻る」
「そうか。なら近いうちに新人を連れて店に顔を出すからその時はよろしく頼む」
「新人?最近新しく人を入れてるとは聞いてなかったが」
「ああ、急遽1人採用する事になりそうでな」
「使えそうなヤツか?」
「ああ、腕は立つし、頭も切れる。後は親父が気に入るかどうかだ」
「なるほどな」
クロードの話を聞きながらトニーは既にその時の為にどんな酒を仕入れておくか考えていた。
他の者ならともかく、クロードがお墨付きを出したのならきっとその男は採用されるだろう。
クロード・ビルモントという男の人を見る目にトニーは一目置いている。
「なら俺はお前がその男を連れてくるのを良い酒を用意して待つとするか」
言ってトニーはクロードの肩を軽く叩くと丘の下へと降っていく。
その背中を見送りながらクロードは彼に向かって声を掛ける。
「言い忘れたが下にシュバルツがいるから蹴られない様に気をつけろよ」
その声を聞いてトニーの肩が一瞬小さく跳ねた気がしたが、特に振り返る事も無くそのまま下へと降っていった。
トニーと別れたクロードはそのまま丘の中腹にある畳一畳ほどの大きさの石碑の前に立つ。
この石碑はファミリーの首領、アルバート・ビルモントが建てさせたファミリーの為の共同の墓。
ここには身寄りの無いまま死んでいった多くの者達が眠っている。
石碑の前には高そうな酒のボトルや花束など数々の供え物が置かれ、周辺は綺麗に清掃されている。
話によるとファミリーの古参メンバーや引退組はよくここに来て供え物をしたり墓の手入れをしているのだとか。
クロード自身はここに来るのはもう随分と久しぶりになる。
「ヤザン叔父貴、ベルケント兄貴、トイック兄貴、ロイド先輩、ラッケル先輩、バトーラ、ヤンザック、アンドルフ」
記憶の中にある仲間達の名を呟いたクロードは墓の前に片膝をつくと花束とビール瓶を墓に供え、黙ったまま石碑を見つめる。
ビルモントファミリーが結成されてより今日までの間、ファミリーの為に戦い夢半ばで散っていった者が大勢いる。
マフィアである以上、死とはいつも自分達と隣り合わせの存在であり避けることの出来ないものだ。
敵対組織との抗争や謀略に巻き込まれ命を落とす者は必ず出る。
その中にはクロードに良くしてくれた友、面倒を見てくれた先輩、嫌っていた者も含まれている。
皆それぞれ夢見た理想も、願った未来も違ったけれど同じファミリーの一員だった。
今日、クロードは彼らに対し自身がこれから臨む幹部会の報告に来た。
「今日、これからビルモントファミリーの幹部会でギムド老の引退と併せて次の幹部が選出されます。今回その候補として俺が選ばれることになりました」
返事をすることの無い石碑に向かってクロードは淡々と語り続ける。
「ファミリーの中には俺に対する批判もあり、幹部選出は難航するかもしれません。事実、俺自身まだ未熟な面があると自覚もしています」
義父や義兄であればもっと上手にやれたのではないか、そう思うことは今までも何度かあった。
だが、自分は義父や義兄ではない為に自分なりのやり方しか出来ない。
その結果として為すことが出来たこともあった。だから自分は自分のやり方で前に進む。
「俺に任せたいと言ってくれる人や期待してくれる人が居ます。その人達の言葉を思いを無駄にしない為にも俺は幹部の座に挑みます。そして皆が支え、作り上げてきたファミリーの幹部になる。だからどうか見ていて欲しい。その結末を」
墓の前で拳を固く握りしめてクロードは前を向く。
散っていった者達が守ったファミリーを引き継ぎ、ここから未来へと守り繋げていく。
英霊達の前で決意表明すると共に己が幹部を目指す目的と意義を再確認したクロードは立ち上がる。
腹は既に決まっている。後は挑むのみ。
「幹部の座。この手に掴んでみせる」
第六章開幕と同時に今日で連載一周年。
いやはや時が過ぎるのは早いものです。
ここまでやってこられたのも皆様のおかげ
感謝感謝にございます。
今後ともどうぞ応援よろしくお願いします。