悪魔の契約と代価
夕刻、朱に染まる緩やかな坂道をクロードは夕焼けを背にして登っていく。
口に咥えたタバコの煙を燻らせながら歩く彼の肩の上、不意にコートの襟の影からいつものようにアジールが姿を現す。
「いや~、思ったよりも時間が掛かっちゃったね」
「仕方あるまい。こちらにも予定というモノがある。いつ起きるか分からない男1人の為にこちらもスケジュールに穴は空けられないからな」
「それは確かにそうなんだけどね。でも彼を気に掛けてない訳じゃないんだろ?」
「まあ、多少はな」
口に咥えていたタバコを左手に持ち、素っ気ない言葉を返すクロードにアジールは少し呆れた様な声を漏らす。
「多少ねえ。僕には随分肩入れしてるように見えるんだけど?ブルーノに頼んでワザワザ"そんな物"まで用意させてさ」
アジールはクロードが右手に持っている包みに視線を移す。
包みの中にはここへ来る前、遠回りしてブルーノの工房に立ち寄った際に受け取った"ある物"が入っている。
おかげでフィーベルトを預けている医院から連絡を受けてから面会に行くまで時間が掛かった。
「コレに関しては今後必用になると判断したから用意してもらった。それだけの事だ」
「本当にそれだけ?」
「・・・何が言いたい」
「いや~、なんとな~く誰かさんと境遇が似てるもんだから、ひょっとして同情でもしてるんじゃないかな~と思ったんだけど?」
アジールはクロードの表情を窺うように覗き込んでくる。
唯一、クロードの今日に至るまでの経緯を知っている相棒ならではの問い掛け。
しかし、そんなアジールの問いをクロードは鼻で笑い飛ばす。
「フッ、それこそまさかだな。お前には俺がそんな善人に見えるのか?」
「見えないね」
「だろう?」
あくまでもあの男に利用価値があると判断したからやっているに過ぎない。
同情などというセンチメタンタルな感情に流されていてはこの稼業は務まらない。
「分かったよ。それじゃあ今回はそういう事にしといてあげるよ」
「随分と引っ掛かる物言いをするな。何か言いたい事でもあるのか?」
「別に~なんでもないよ~」
話をしている間に坂の頂点に辿り着いたクロードは坂の上に建つレンガ造りの小さな建物の前へと移動する。
目的地である医師マードック・ボナパルトの医院の前、正面口に立ったクロードは白い看板の掛かる木製扉のドアノブに手を掛ける。
扉を開くと同時にベルが鳴り、受付の奥に居た見知った顔の看護婦がこちらを向く。
「こんばんはクロードさん」
「忙しい時にすまないテセリア君。少し邪魔をする」
「構いませんよ」
受付にいたテセリアに対して軽く会釈をしたクロードは、受付横にある建物の奥へと続く廊下の方を軽く指差す。
「事務所に連絡を貰った件で様子を見に来たんだが?」
「それでしたら通路の奥、突き当りの部屋ですね」
「そうか。ありがとう」
テセリアに礼を述べた後、テセリアの横を通って廊下に進む。
明かりが乏しく薄暗い無人の廊下を真っ直ぐに突き当りまで移動する。
奥の部屋に近付くにつれ、廊下の奥から微かに話し声が漏れ聞こえてくる。
(誰と話をしているんだ?)
少しばかり気になったので足早に部屋の前へと移動したクロードは部屋の扉を開く。
部屋に入った瞬間、生温い空気が頬に触れ、アルコールの臭いが鼻を突く。
正面にはビール瓶を片手にベッドの上で胡坐をかいて談笑するマードックとフィーベルトの姿。
しかもよく見れば2人の間、広げられた新聞紙の上には吸殻が盛られた灰皿と燻製肉の切れ端やらミックスナッツといったつまみ類が並んでいた。
「オ~ウ、遅かったなクロ公」
「・・・アンタ達は病室で何をやっている」
地の底から響く様な重厚な声と共にクロードの蔑む様な冷たい視線が2人を射抜く。
「いや、これは・・・その・・・・」
「ハハハハッ、ちょっとこの男にこの街での酒の嗜み方ってのを教えてやったたんだよ」
まるで悪戯を見つかった子供の様に視線を逸らし、言い訳を探すフィーベルト。
一方のマードックはというと反省するどころかまるで気にする様子もなく、むしろ豪快に笑って見せる。
「まだ看護婦が働いてるというのに先に酔っぱらうヤツがあるか」
「別にいいだろ。俺の医院だ。どこで何をしようと俺の勝手だろ~が」
酒臭い息を撒き散らしながらそんな事を言うマードックに、クロードは心底の呆れた様子で溜息を吐き出すとマードックの手からビール瓶を奪い取る。
「オイ、何すんだよ」
「コイツは没収する」
「や~め~ろ~よ~返せよ~」
「喧しい。いい大人が子供の様な駄々をこねるな」
クロードは自身の手からビール瓶を奪い返そうとするマードックの額に向かってデコピンを一発喰らわせる。
瞬間、犬の悲鳴の様な声を上げてマードックがベッドの上から転がり落ちる。
「クッソイッテ~!今ので完全に酔いが飛んじまったじゃねえか」
「それは結構。では職務に戻ってくださいドクター」
「うるせえ。第一ウチはとっくに診療時間終わってんだ。労働時間外に働くお前みたいな仕事中毒と違って俺は時間外労働はしねえんだよ」
「そうですか。ですがまだテセリア君が働いていますので、遊ぶならせめて彼女が帰った後にしてください」
一切の遠慮なく繰り出され続ける正論に上手い反論の言葉が出てこない。
「チキショー、口ばかり達者になりやがって」
「それは褒め言葉として受け取っておきます」
「全然褒めてねえよ。ったく昔あれだけ世話してやったってのにこの恩知らずめ」
「その頃は大変お世話になりました。が、それはそれ、これはこれです」
完全に割り切った物言いのクロードは部屋の出入り口の方を指差す。
その仕草には分かったらとっとと出て行けという無言の圧力が込められていた。
「ハァ、分かったよコノヤロー」
勝ち目無しと悟ったマードックは恨み言を呟きながら廊下へと歩く。
横を通り過ぎる前にクロードはマードックに確認をとる。
「ドクター。彼の容体は?」
「お前にボコボコにされた分を除けば重度の過労と栄養失調。事情は知らねえが長い事張り詰めすぎた結果だろうな」
「なるほど。あとどのくらいあれば復調しますか?」
「そうだな。普通なら1週間以上掛かるところだが、その男ならもう2、3日もあれば十分動ける様になるだろ」
「そうですか。ならなんとか間に合いそうですね」
何か納得したように独り言を呟くクロードに、マードックの方からも言葉を掛ける。
「こっちからもついでに一ついいか」
「伺います」
「なら今度ブルーノのジジイに会ったらこないだ送った健康診断の日に必ず来るよう伝えておけ。あのジジイもう5回もすっぽかしやがったからよ」
「・・・分かりました。最悪オレが引き摺ってでも連れてきます」
「オゥ、そんじゃ後は頼むわ」
言うべき事を言い終えたマードックはノロノロとした足取りで部屋を出ていく。
急に静かになった部屋の中、クロードは近くにあった椅子を引き寄せ腰を下ろす。
それからしばし座ったままフィーベルトの観察してから口を開く。
「フッ、最後に会った時と顔つきが別人だ。何か良い事でもあったか?」
「そう見えますか?」
「ああ、憑き物が落ちた。そういう顔をしている」
「・・・・確かにそうかもしれません」
自嘲する様な笑みを浮かべ、フィーベルトの視線が下を向く。
クロードに敗北するまでフィーベルトはずっと張り詰めた日々を送っていた。
邪精霊がいつ暴走するかという不安も勿論あったが、それだけではなかった。
本心では共にあり続けたいという願い。
早く死んで楽になりたいという思い。
どの道を選べばいいのか分からずに迷い、信じるものを見出せずに自分で作りだした出口のない暗闇に囚われ続けた。
相反する感情の間で苦悩や葛藤を繰り返し、擦り減った心はもう限界寸前だった。
しかし、その暗闇はクロードの手によって力尽くで打ち破られた。
強引に過ぎる手ではあるが、結果としてフィーベルトは道を選び、迷う理由を失った。
「今なら分かる。貴殿が何故あのような形で私と戦ったのかが」
もし、クロードの実力を知る前に勧誘の話が出ていたなら彼はきっと断っていた。
フィーベルトは一度自分で口にした意見をそうそう曲げる様な男ではない。
故にもし戦う前に決めていれば自分が出した結論に最後まで殉じる道を選んだだろう。
恐らくそれを見越していたからクロードは敢えてフィーベルトと戦ったのだ。
それも敢えてフィーベルト達から全力を引き出し、それを正面から上回って見せる事でクロードが提示する条件以外の選択肢をフィーベルトから全て奪い取った。
最後に残された選択肢を2つにしたのもクロードの策略の内。
この2つの違いは明確だ。フィーベルトが心では選びたいと願っている選択と本心では選びたくないと思っていた選択。
しかもただ提示するのではなく、徹底して追い詰め、己の本心と向き合わせた上で最後に選ばせる。自身の選びたい道を。
最後を他人に決められるのではなく自分で決めたのなら最早言い訳の余地はない。
それが例え極限に狭められた選択肢の中であったとしてもだ。
「誰かに強制された意に添わぬ行動は、例えそれがどんなものであれ禍根を残す。貴殿はそれを最小にする為に敢えてあの形をとったのだ」
「さて、何の事かサッパリ分からないな」
当然の様に恍けて見せるクロードだが、その口元は少し笑っている様にも見える。
少なくともフィーベルトの考えが的外れではないという事なのだろう。
彼は敵を味方に引き入れる為に必用な手段とクリアすべき条件を十分に心得ている。
味方というのは互いを信頼し、背中を預け合うもの。
もし味方が自分に敵意を持っているなら、そんな相手に背中は預けられないし信用する等不可能と言っていい。
だから敵意は取り除かなければならない。敵を味方に引き込むのなら尚更だ。
しかもこの男はただ敵意を取り除くだけでなく、フィーベルトが向けていた敵意さえ逆手にとって利用してフィーベルトを迷いの牢獄から解放した。
「こうも手玉に取られたのは生まれて初めてだ」
「不快か?」
「分からない。正直な所まるで悪魔に操られている様な気分だ」
「ならどうする。逃げるか?その悪魔から」
「随分と意地の悪い事を言うんだな。どんな状況であれ私は己の願いの為に自分の意思で悪魔と契約を交わす事を選んだ。今更後戻りなど出来ない」
自分はもうこの悪魔から逃げる事は絶対に出来ない。だがそれでいい。
逃げればきっと死よりも恐ろしい未来が待っている。それなら前へと進もう。
悪魔が示したこの道は間違いなく地獄へ続く血塗れの道だが、愛する者と往く事が出来る最後の道でもある。ならば自分は煉獄に焼かれる終わりの時までこの道を彼女と2人で歩く。
「どうやら決意が固い様で安心した。なら俺も悪魔として契約の為に必用な代価を要求する」
「代価?」
「なんだ知らないのか?悪魔というのは願いを叶える為に代価を要求するらしい」
「そうなのか。しかし何も持たぬ私から差しだせるものなど・・・」
代価を求められると思っておらず困惑するフィーベルトの前でクロードは可笑しそうに笑う。
話の流れになぞっただけで別にクロードは本物の悪魔という訳じゃない。
だから本気で代価を要求している訳じゃない。
ただ、彼に差し出してもらうべきものがあるのも間違いではない。
そしてそれはもう決まっている。
クロードは持ってきていた包みをフィーベルトの前に置くと、その中身を開く。
「アンタが契約の代価として差し出すもの。それは"顔"と"名前"だ」
唐突かもしれませんが次回から新章に突入します。その名も
第6章「運命の幹部会」
ビルモントファミリーの9幹部が揃う時、何かが起こる。
曲者揃いの幹部達からクロードは幹部のお墨付きを得る事が出来るのか!
そしてフィーベルトの運命は!
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ちなみに作者は本章最後に登場したマードック医師が割とお気に入りです。