その身に宿した悪の性 4
瓦礫の上に悠然と立つクロードの姿にフィーベルトは思わず奥歯を噛みしめる。
「クゥッ」
我が身までも囮として魔力消費も省みず放った捨て身の一撃。
そこまでして放った会心の一撃だったにも関わらず、立ち上がったクロードには額から流れる血以外に目立った外傷は見られない。
フィーベルトの方は術の発動と同時に防壁を張ってなんとか重傷を負う事は避けられたが左腕はへし折れ、左耳の鼓膜は破れて立っているのも困難な程。
傍らに立つ邪精霊の方も魔力消費の大きい術を放ったせいで魔力残量は残り僅か。
2人共が限界まで力を出し切っており文字通りの満身創痍。
ここまで我が身を犠牲にしたのだからせめて腕の一本でも折れていてくれないものかと切に願うフィーベルトだが、そんな彼の願いも空しく黒き死神は額から伝っていた血を手で軽く拭い去ると、何事もなかったかのように軽く肩を回してみせる。
「随分と辛そうだな。だがまだ折れてくれるなよ」
肩の調子を確かめたクロードは大きく目を見開くと無防備に前へと踏み出す。
ただそれだけの事なのにフィーベルトは圧倒されて後ろへと一歩後退る。
眼前の男がつけていた自制心という鉄の仮面、その下から微かに覗いた獣の本性が黒衣の内側から溢れ出す。
「これ程までに違うものなのか」
辺境の国の中で"最強"という頂きに指を掛けた者が放つ気迫に圧し潰されそうだ。
どこかで死力を尽くして挑めば僅かでも勝てる可能性があると思っていた。
しかし、その考えが甘い夢であったという事を思い知らされる。
立っているのさえやっとなフィーベルト達に対し、クロードの方は未だに力の底を見せていない。
目の前に突き付けられた事実を前に、もはや勝機など欠片程も見出せはしない。
「例えそうだとしても、まだここで倒れる訳には!」
挫けてしまいそうな心を奮い立たせ、血が滲むほどに歯を食いしばり体を前に起こす。
振り上げた拳を膝に打ち込んで体の震えを抑えつける。
ここで敗れれば生き残ったとしても自分には暗い闇に覆われた未来しかない。
「負けられないのだ!」
瓦礫の中に埋まっていた折れた鉄パイプを掴んで引き抜くと尖った先端を相手の方に向け、中腰に構える。邪精霊もまたその隣に寄り添うように立ち攻撃態勢を取る。
心身ともに擦り切れる一歩手前の状態でありながら未だ折れない2人の姿にクロードは心からの高揚感を覚える。
(これならまだまだ遊べそうだな)
流石に全力で殴れば邪精霊はともかくフィーベルトの方は即死は免れないだろうが、この様子なら少しくらいは力を開放してもいいかもしれない。
日頃あまり表に出す事はないが、クロードもまた強者との戦いに飢えている。
争いに事欠かない稼業ではあるが、戦いを楽しめるだけの強者とは早々巡り合えるものではない。
そんな中で現れた久方ぶりの上等な獲物、最後の一片まで喰らい尽くしてしまいたくなる。
自分の内側から湧き上がる黒き衝動に突き動かされる様にクロードが一歩前へ出る。
その時、クロードの肩の上で影が蠢くいたかと思うと黒鳥が姿を現す。
「パンパカパーン!アジールさんとーじょー」
この場の空気などまるで読まない陽気な調子でクロードの肩の上に現れたアジール。
いいタイミングで水を差してきた相棒の登場にクロードは不機嫌そうに表情を歪ませる。
「どうしたアジール。何か用か?」
「別に~そろそろ出てくる頃合いかなと思ってね~」
おどけた様子で答えるアジールに、クロードは憮然とした表情を崩さない。
「そういえばさっきは何故手を出した。俺1人でやると言っておいた筈だが」
「はて、何の事だい?」
「恍けるな。直撃の瞬間に防壁の強度を上げただろう」
「アララ、やっぱりバレてたか」
悪びれる様子もなく嘯く相棒にクロードは呆れた様に溜息を吐く。
先程の一撃、まともに受けていればこの程度の軽傷で済むはずがない。
そんな事は少し考えればすぐに気づく。アジールとはこれでも長い付き合いだ。
クロードがそれを望んでいない事ぐらいは分かっている筈だ。
「余計な真似を・・・」
「だったら直撃を喰らって怪我した方が良かったかい?一応言っておくけど結構一撃だったよ。僕の防壁があった状態でもキミにダメージを通したんだからさ」
アジールはクロードの掌に残った額の痕に嘴を向ける。
物理での攻撃や他の魔法とは違い大気を伝播する彼らの魔法はクロードが全身に纏う薄い防壁越しに衝撃を伝え、その身に届いていた。
確かにまともに喰らっていれば死にはしないまでもかなりのダメージを受け、しばらく身動き出来ない状態になっていただろう。
「僕らは別に正々堂々の果し合いをしている訳じゃないんだ。相手の攻撃を律儀に喰らってやる理由はないだろ?」
「・・・・・」
「それとも久しぶりのご馳走を前に目的を忘れちゃったかな?君がここに来たのは何か果たすべき目的があったからじゃなかったかな?」
アジールの言葉にクロードは黙ったまま答えない。
アジールの言っている事が間違っているとは思っていないし、彼の言葉に納得していない訳でもない。
ただ、ようやく面白くなってきたこのタイミングでお預けを喰らった事に不満を感じているだけだ。
(分かっている。頭を冷やせという事だろ)
恐らくクロードがこのまま攻撃に出れば加減を間違って殺しかねないとアジールは判断したのだろう。実際、その危惧は妥当だと思う。
もちろんクロードとて目的を忘れていた訳ではないが戦いにのめり込めばのめり込むほど、加減と言うのは難しくなる。大方それを危惧しての横槍といった所だろう。
(俺としたことがどうやら久しぶりに骨のある相手を前に冷静さを欠いていたらしい)
相棒の助言によって昂っていた心を沈めた事でクロードの体から戦いへの熱が引いていく。
「まったく、過保護な相棒を持ったものだ」
「酷いな~。そこは感謝する所だよ相棒」
互いの顔を見て憎まれ口を叩きあった2人はいま一度目の前の標的に目を向ける。
戦いへの渇望が完全に消えたわけではないが、今はそれよりも優先すべき事がある。
少し脇道に逸れそうにはなったが、ここまでは概ね想定通り。
後は目の前の2人の全力を受け尽し、無力化すればこの戦いは決着する。
(ならば俺は予定通り行程を完遂し、この戦いを締め括るとしよう)
己に言い聞かせるように心の中で呟くと、クロードは前を向き拳を握る。
「仕込みは終わった。あとは仕上げをするだけだ」
クロードの言葉に答える様にフィーベルトと邪精霊が正面から突っ込んでくる。
「ウォアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「ガルァアアアアアアアアアアアアアッ!」
咆哮を上げて飛び込んでくる2人をクロードは真正面から迎え撃つ。
先にフィーベルトの持つ長い鉄パイプの鋭い先端が飛び込んでくる。
その先端を体に届くより早く真横から手で掴むとその先端を力任せに握り潰す。
だが、そんな事には構わずフィーベルトは体ごと鉄パイプを押し込んでくる。
このままだとクロードからはカウンターの的になるだけ。
(この土壇場でヤケになった?いや、違うな)
突っ込んでくるフィーベルトと並走していた邪精霊の爪が彼の握る鉄パイプの中ほどを斜めに斬り裂く。
瞬間、先程まで一本の長槍だった1本の鉄パイプが2本の短槍へと早変わりする。
「セァッ!」
フィーベルトは短く鋭くなった鉄パイプの片方をクロードへと投げつける。
至近距離からの投擲ながらクロードはそれを半身を後方へ反らして難なくこれを躱す。
そこへ追撃の一手で邪精霊が拳を振り上げて襲い掛かる。右手は歪んだ空気の塊を纏っている。
先程の自分にダメージを与えた魔法攻撃に比べれば威力は劣るだろうが、まともに喰らえばダメージは避けられまい。
「フンッ」
相手が拳を振り下ろすよりも早く右足を前に出して相手の間合いへ踏み込むと、邪精霊の腹部に右拳を打ち込んで後ろへと吹き飛ばす。
「ガッ!」
弾かれた邪精霊の体が大きく後ろに飛んで瓦礫の上を転がる。
その間にクロードへと肉薄したフィーベルトは背後へと回り込む。
「ハァッ!」
右手に持った短い鉄パイプの先端をクロードの首筋目掛けて振り下ろす。
その切っ先を相手に背を向けた状態のまま左手で掴み取ると、鉄パイプもろともフィーベルトを地面に叩きつける。
「ぐぅっ!」
苦悶の声を上げ地面に倒れ伏したフィーベルト。そこへ間髪入れず追撃の拳を打ち下ろす。
だが、そこへ体勢を立て直した人狼が低い姿勢のタックルを仕掛けてくる。
「チィッ」
追撃を中断し猛烈なタックルを受け止めたクロードの体が瓦礫の上を真横へ滑る。
クロードの体にしがみついた邪精霊にクロードは容赦なく膝蹴りを喰らわせる。
それでも邪精霊はクロードの体から離れようとはしない。
「グルルルルッ」
「オイオイ、じゃれつくなよ」
膝蹴りをもう一発喰らわせようとした時、正面から刃の欠けた斧が飛んでくる。
咄嗟の判断で拳を打ち込んで斧を砕いたクロードの視線の先には息も絶え絶えに立ち上がる男の姿。
「そこ・・・までだ。それ以上は・・・・やらせない」
足元の瓦礫の中から金属の破片を拾い上げたフィーベルトがこちらを睨む。
「止めたいなら、自分で止めてみろ」
「言われずとも!」
叫び声と共にフィーベルトが一直線にクロードに向かって走る。
それに応じるべくクロードは邪精霊を力任せに引き剝がし地面に転がすと、向かってきたフィーベルトを迎え撃つ。
左右に持った鉄パイプと金属片を操り、連続して繰り出される攻撃。
クロードはそれらを的確に見切って躱し、両拳を打ち返して武器を破壊する。
「まだまだぁっ!」
壊れた武器の破片を投げつけると、血だらけになった手で足元のスコップを掴みあげると大上段から叩きつける。
その一撃を敢えて右肩で受けたクロードはそのままフィーベルトの首を右手で掴んで持ち上げる。
指先に力を込めるとフィーベルトが苦し気な声を漏らし、ジタバタともがく。
無感情に相手を締め上げるクロードの背後で、瓦礫を踏みしめる音が聞こえた。
「まったく2人して諦めが悪いな」
再び起き上がった邪精霊が背後からクロードの足に噛みつこうと大口を開けて飛びつく。
その顔面に向けて掬い上げる様な鋭い後ろ蹴りを放ち、5m程離れた瓦礫の山まで吹き飛ばす。
「ガァ・・・・アァア」
今度こそ力尽きて瓦礫の山に埋まる様にして動かなくなった邪精霊を横目に、クロードは右手で締め上げていたフィーベルトを目の前に放り出す。
「ゴホッ・・・ガハッ」
「残念だがここまでだな」
気力も体力も全て出し尽くし、血反吐にまみれ横たわる男を黒衣の死神が見下ろす。
「最後にお前達の健闘を称えて面白い物を見せてやろう」
クロードは自身の右手を持ち上げると、瓦礫に埋もれる邪精霊へ向けて掌をかざす。
「星神器召喚」
「っ!?」
クロードの放った言葉を聞いたフィーベルトは一瞬自分の耳を疑う。
それは世界でもごく一握り、神の加護を持つもの者にのみ許された力を彼方より呼び寄せる呪文。
信じられないといった様子の彼の目の前で黒鉄色の現実が死神の手の中に顕現する。
「魔弾の生成者、発動」
今度は左手のスキルで足元の瓦礫の中から拾い上げた金属片を使って4発の銃弾を生成して見せると、右手の魔銃のシリンダーにゆっくりとした動作で装填し、その銃口を邪精霊の方へと向ける。
その行動の意図をフィーベルトが理解するよりも早くクロードの手の中で魔銃が火を噴く。
耳を打つ炸裂音の直後、銃弾を受けた人狼の左肩が消し飛ぶ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
被弾から一拍遅れて人狼の悲鳴が周囲に響き渡り、支えを失った肘から先がまるで朽ちて落ちる枝の様に地面に落ちる。
クロードの放った一撃を見て、フィーベルトの脳裏にかつて耳にした噂を思い出す。
善良なる王と仲間である英雄を殺した事で、アーデナス教本部が神敵として定めた大罪人。
「まさか・・・・生きていたと・・・いうのか。"魔弾の英雄"・・・酒木 蔵人」
掠れるよう声でその名を口にしたフィーベルトの前で一陣の風が吹き、その顔に刻まれた三本傷を白日の下に晒す。
長らくお待たせして申し訳ない。
こちらが最新話になります。
今回も結構な難産でしたがようやく完成しました。
皆様のご期待に添える内容になっているとよいのですが・・・。
爆風咆哮を「ブラストハウリング」を「ブラスタードハウリング」に変更。
理由は某アニメ化されたなろう作品で同名の技が出たから。
別に気にしなくてもいいんでしょうが同名だと芸がないので変更しました。