人喰い餓狼の正体
邪精霊。それは邪霊に憑りつかれた精霊の成れの果ての姿。
憎悪、憤怒、悔恨、悲嘆といった感情を残し死んでいった者達の残滓が寄り集まって生まれた邪霊が精霊に憑りつきその核を汚染し変質させた存在。
そうなったが最後、その身が滅びる時まで感情のままに暴れ続けると言われている。
「グルゥァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
周囲一帯に響き渡る様な雄叫び上げた邪精霊はその鋭い爪と牙を剥き出しにし、フィーベルトへ無防備に近付こうとするルティアへと飛び掛かる。
「やらせぬわ!」
契約者であるルティアの危機に彼女の影に潜んでいたアルマが素早く飛び出し邪精霊の腹目掛けて体当たりを喰らわせる。
咄嗟の事だった為に巨大化が間に合わずぬいぐるみサイズのままだったが、それでも相手を吹き飛ばせるだけの威力は十分にあった。
「ガウアァッ!」
バスケットボール大のアルマの体当たりを喰らった邪精霊は唸り声をあげて大きく仰け反り、後方へと弾き飛ばされる。
しかしそれもほんの一瞬の事、不意の攻撃に虚を突かれた邪精霊だったが後方へ飛ばされながらも空中で身を捻って体勢を立て直し着地する。
着地と同時に前傾姿勢となって正面を向いた邪精霊は攻撃を邪魔された事に牙を剥いて怒りを露わにし、正面に居座る小さな火竜を睨み付ける。
怒りを向けられたアルマの方も自身の契約者を狙われた事に心中穏やかではない。
「痴れ者めが。我のルティアを傷つけようなどと万死に値する!」
ギリリと奥歯を噛みしめたアルマは怒りのあまり全身から炎を噴き上げる。
吹き上がる炎で周囲を照らしながらアルマはその身を徐々に巨大化させ、邪精霊に攻撃を加えるべく大きく口を開く。
「すぐに消し炭にしてくれるわ!」
「落ち着いてアルマ!」
制止しようとするルティアの言葉も聞かず。アルマは口から火炎弾を吐き出す。
手加減なしで放たれた直径1m程の火炎弾は邪精霊へ向かって一直線に飛ぶ。
直撃すればその身を数千度の炎で焼き尽くす炎の塊。
だが、自身を焼き尽くさんと迫る火炎弾を前にしても邪精霊は動じる事無く自身の右腕を大きく振り上げる。
瞬間、振り上げた拳の周辺だけグニャリと景色が歪んで見えた。
「ウッガァアアアアアアアアアアアアッ!」
女らしい姿をした見た目には到底似つかわしくない荒々しい雄叫びを上げて邪精霊は振り上げた拳を火炎弾に向かって打ち下ろす。
拳を受けた火炎弾は直撃の寸前で真下へと大きく軌道を変えて地面に激突。
直後、炎の塊が弾けて爆散、周辺一帯に炎を撒き散らす。
「ウワァアアア!怪物が出たぞ!」
「炎が広がってくる前に逃げろぉおおおお」
周囲が阿鼻叫喚となり蜘蛛の子を散らすように人々が逃げていく。
その場に残されたのはクロード達とフィーベルトと邪精霊だけ。
夕闇の中、地面に燃え広がった炎が周囲を明るく照らし、女人狼の姿をした邪精霊の肢体を色濃くそして鮮やかに映し出す。
「ぐぬぅ、よもや邪精霊風情が我の火弾を撥ねのけるとは。なんたる生意気」
目の前に広がる炎の中に無傷で立っただけでも忌々しいのに、自身の炎をまるで邪精霊を彩る為の舞台演出の様に扱われてアルマは心から憤慨する。
火炎弾一発とはいえ自慢の炎を容易くあしらわれたのだから面白くないのは当然だ。
「よかろう。そちらがその気なら我も徹底的にやってやる」
「それ以上は駄目!」
ギラリと敵意に満ちた眼でもう一度邪精霊に対してを攻撃を仕掛けようと口を開くアルマだったが、その前にルティアが飛び出して攻撃を阻む。
「何をするルティア。危ないではないか」
いくら火精霊の加護を受けて火系魔法に耐性があるとはいえ、こんな至近距離でアルマの火炎弾の直撃を喰らえば火傷程度では済まない。
「待ってよアルマ。私まだアルカイン卿に話を聞いてない」
「そんな悠長な事を言っておる場合ではない。殺らねば殺られるのだ!」
「だけど私は・・・」
別にルティアも話せば誰とでも分かり合えるなんて甘い考えをしている訳ではない。
話し合いで問題が全て解決しない事は軍属の頃に嫌と言うほど思い知った。
それでも争うにしてもまず争う理由がはっきりしていないのは嫌なのだ。
ルティアは邪精霊の向こうで壁に手をついているフィーベルト・アルカインへと向き直る。
「アルカイン卿。どうしてこんな事をなさるのですか!」
ルティアの問い掛けにフィーベルト・アルカインは反応しない。
ただ力なく下を向いたまま何かをブツブツと呟いている。
「すまない。すまない。なんとか逃げてくれ。私ではもう・・・」
「アルカイン卿?」
フィーベルト・アルカインのただならぬ様子にルティアは彼に駆け寄ろうと前に出るのだが、それを邪精霊が黙って見ているはずもなかった。
邪精霊は標的をアルマから再びルティアに戻すと、彼女を排除すべく飛び出す。
まるで放たれた矢の様なスピードでルティアへと急接近する邪精霊。
しかし、その行く手に何者かの影が割り込んでくる。
「っ!?」
「おいでなさい。グレイギンッ!」
メイド服のスカートを翻し邪精霊の前に立ちはだかったアイラは敵に向かって自身の右手をかざし自身の契約精霊の名を呼んだ。
すると彼女の足元から黒い霧の様な物が溢れだして、その中から全身を禍々しい黒鎧で包んだ頭部のない騎士が姿を現す。
「ルゥオオオオオオンッ!」
アイラの前に現れた黒騎士は頭部がないにも関わらずどこからか雄叫びを上げると、その背に帯びた刀身2m越えの両手持ち大剣を掴んで向かってくる邪精霊の頭上へと振り下ろす。
ズドンッというまるで砲撃が着弾した様な物凄い音と共に大地が揺れ土埃が舞い上がる。、周囲の建物の窓ガラスが一斉に割れる。
その凄まじい衝撃の後、土煙を背にしてアイラがルティアとアルマの方を振り返る。
「全くなにをやっているのですかアルマ様、それにルティアさん」
「フンッ、我はルティアを守ろうとしただけよ」
「すいません。私のせいでご迷惑をおかけして」
「謝罪なら結構です。それよりも今は急ぎこの場を離れますよ。騒ぎを聞きつけて人が集まってきますからね」
「えっ?でも相手は今の一撃で・・・」
「いえ、まだです」
ルティアの言葉をアイラが否定した直後、巻き上がった土埃が山のように大きく膨れ上がり内側から破裂する。
その中から現れたのはアイラの精霊の一撃で倒されたと思っていた邪精霊とアイラの精霊である闇騎士のグレイギン2体。
「嘘!直撃したはずじゃ」
「恐らく向こうも元は上位精霊なのでしょう。中々手強いです」
信じられないと言った様子のルティアとは対照的に、アイラは自身の精霊と対等に渡り合う様を見ながら相手の力量を冷静に見極めている。
この様な戦いの場に立つ彼女の姿は初めて見たが、まるで感情の起伏が見られずどこか冷めている様にさえ見える。
そんな彼女の視線の先では今も2体の精霊が拳と剣で激しい打ち合いを演じている。
「ガァッ!」
邪精霊が繰り出す鋭い爪の一撃を鎧の籠手で跳ねのけたグレイギンは邪精霊の胴体目掛けて大剣を真横に振るう。
ゴウッと唸りを上げて大剣の刃が邪精霊の腹部に迫るが、邪精霊は迫る刃に対して刃と自身の体が並行になる様に傾けると真下から剣の側面を叩いて刀身を上に向かって打ち上げ軌道を逸らす。
軌道を逸らされた大剣が空を切るのを見送る邪精霊に、グレイギンは足蹴りを喰らわせて追撃する。
咄嗟にそれを両腕で受けた邪精霊は石畳の上をゴロゴロと転がる。
「やはり強いですね。グレイギンの重魔剣を拳で弾くとは。さっきアルマ様の火炎弾を弾いた事といい恐らくあの邪精霊の持つ属性能力でしょうか。厄介ですね」
「なら術者を先に叩いてしまうか」
そう言ってアルマは最初の位置で立ち尽したままのフィーベルト・アルカインの方へと視線を移す。
「いえ、恐らく無駄です。あの邪精霊を見るに現在暴走状態であるように見受けられます。彼を倒しても攻撃を止めないでしょう。それどころか契約者を失った事で狂乱状態が悪化する可能性もあります」
「なんと面倒な」
忌々し気に歯噛みするアルマはふと今の会話にある疑問を抱く。
というのも邪精霊に関する情報はあまり世に知れ渡っておらず、王国や教会にも邪精霊に関する記述のある書物は僅かしかない。
それらの書物も閲覧は制限されており、高位の魔術師にしか読む事が許されていなかった。
なのに何故このエルフは重要文献にしか記載されていない様な事を知っているのか。
「おい、召使い。お主やけに邪精霊に詳しいな」
「それは当然です。私の契約精霊も邪精霊ですから」
「なっ!」
「えっ!」
しれっととんでもない事を口走るアイラにアルマは開いた口が塞がらない。
暴虐と殺戮の権化と化した邪精霊と契約するなど到底正気の沙汰とは思えなかった。
何故その様な暴挙をしたのか、そもそも話の通じるはずのない相手とどうやって契約を結んだというのか、分からない事が多すぎて混乱しそうだ。
隣で話を聞いていたルティアもそれは同じだったらしく驚きのあまり固まっている。
「その様な事はどうでもいいのです。それよりも今はどうやってあの邪精霊を退けるかの方が大事なのでは?」
「そ、そうだな。お主の邪精霊だけではやはり倒しきれぬか?」
「難しいですね。本気を出せば倒す事も出来るかもしれませんが、それだとこの辺り一体が吹き飛びますし、倒した後で私がグレイギンを制御出来なくなります」
「なるほどな。奴を倒しても相手が変わるだけでは意味がないな」
「そういう事です」
アルマ自身がグレイギンに加勢する事も考えたが、ああも至近距離で打ち合っていてはグレイギンにも攻撃を当ててしまいかねない。
「そういえばあの男はどうした。先程から姿が見えぬが」
「確かにクロードさんの姿がありませんね」
「旦那様でしたら只今人払いの真っ最中です」
「人払い・・・ですか」
「こんな非常時に随分余裕だな」
「私がお願いしました。私や旦那様の力はあまり人目に触れて良いものではありませんから」
交戦状態に突入してすぐ戦いに加わろうとしたクロードをアイラが止めた。
自分が相手を抑えている間に周囲の人間を避難させ、また誰も近づかぬように封鎖してほしいと。
クロードとアイラ、2人の持つ力は他者に軽々しく見せていいものではない。
クロードに関して国外において指名手配されている身なので言わずもがなだが、アイラの方も邪精霊をその身に宿していると知れれば討伐対象に指定されかねない。
この国で安穏とした暮らしを続ける為にはこの秘密は絶対に守る必要がある。
「アルマ様には理解できないかもしれませんが、大事な事です」
「フンッ、我は悪党の隠し事になど興味はない。ただ・・・」
言葉を言い掛けたところでアルマは前方に向かって小さな火炎弾を放つ。
その瞬間、丁度グレイギンから距離をとった相手の体に火炎弾が着弾し、相手の体勢を大きく崩し後ろへ下がる。
「お主等がおらぬとルティアが困るからな。今回ばかりは手伝ってやるわ」
「もう、アルマは素直じゃないんだから」
「そんな事はない。我ほどの正直者はそうおらぬわ」
ヌハハと高笑いするアルマの頭上を一筋の影が飛び越えていく。
その影は地面に広がる炎の上へと音もなく降り立つと、明かりに照らされて姿を現す。
「すまない。待たせたな」
「フンッ、貴様など待っておらぬわ」
「いえ、お待ちしておりました旦那様」
「クロードさん!早かったですね」
戻ってきたクロードにアイラ達が声を上げる中、その名を聞いたフィーベルトが僅かに顔を上げる。
「クロード・・・だと」
先程まで茫然としていたはずのフィーベルトの目に意思が戻り、クロードの方へと視線を動かす。
「もしや貴殿がクロード・ビルモントか?」
「如何にもその通りだが」
クロードの返答を聞いた途端、フィーベルトの頬を一筋の涙が伝う。
「ようやく・・・会えた。これで・・・やっと終われる」
「なに?」
突然、涙を流したかと思えば1人で訳の分からない事を言い始めるフィーベルトにクロードは眉を顰める。
「アンタ。俺に何か用があるのか?」
「ああ、ある人から貴殿の事を聞いた。私の願いを叶えられるのは貴殿しかいないと」
フィーベルトの口にしたある人というのは恐らくグァドとフィーベルトに第九区画からの脱出を促した人物の事だろう。
何者かは知らないがその人物がこの男とクロードを会わせる為に何かを吹き込んだのは間違いなさそうだ。
「願いを叶えるだと?一体何を吹き込まれたんだ」
クロードの問い掛けにフィーベルトはその場の誰も予想していなかった言葉を口にする。
「お願いだ。どうか私と・・・・妻を殺してくれ」
今回、主人公はほとんど出番なしw
そしてアイラが大活躍の回となりました。
にしてもデュラハンってどうしても黒騎士になっちゃいますね。
イメージが刷り込まれてるせいだと思いますが。
なにはともあれフィーベルトが口にした衝撃の言葉。
クロードはそれにどう答えるのか!
次回、「悲劇の将校」をご期待ください。