英雄を志す者-6-
「この五つの条件が聖女ディアンナが定めた【結魂契約】の契約内容よ」
「契約しなきゃ死ぬって……。英雄がそんなことするわけ――」
「したのよ。こうして魔族である私がわざわざ、根拠のない自信しかない非力で無能な君を英雄にするために来ているのがいい証拠よ。何度も言わせないでくれる?」
英雄に強い憧れを抱いていただけに、最強と謳われた英雄の一人が、自分たちの世界を守る為だけに異世界の住人を巻き込むような未知の力、魔法を使っていたなんて信じたくなかった。
そう、信じられないのではなく信じたくなかったのだ。
(ああ、神よ。俺が実は死んでしまっているなんてオチなら、いっそのことゲームオーバーだと宣言をしてほしい。もし夢なら早く覚めてくれ)
神に祈ってみたり、頬を抓ってみたり、ちゃんと足がついているか確認してみたり、色々なことをして現実逃避をしてみたが、結局はその行動すべてが逃れようのない真実に直面していると認めざるを得ない証拠を増やしているだけだった。
「オーケー。とりあえず、世界とあんたの置かれた状況は分かった。だけど魔法を発動させられる前に話し合いで解決できなかったのか?」
「話し合いは聖女ディアンナが魔界に協力を求めた時に行われていたわ。とは言っても、余所者の戯言を一方的に聞き入れるような者は誰一人としていなかったから話し合いにもならなかったみたいだけれどね。今の君だってそうでしょ?」
「俺が同じだって言うのか?」
「もし君が遭難してなかった時のことを考えてみて」
「遭難してない時――」
「私が突然、空から降りてきたらどうする?」
「逃げる」
「英雄の条件を教えてあげると言われたら?」
「無視する」
「常識はずれなことを言われたら?」
「聞かなかったことにして帰る」
「私の身が危ないから助けてと言われたら?」
「助ける」
「そこは助けてくれるのね」
「困った人を救うもんだろ。英雄になって世界を救うなら尚更な」
「今だからそう言えるかもしれないけれど、実際にそうなったらどうでしょうね」
質問には嘘偽りなくありのままの気持ちで答えていた。
怪しい奴には関わらないし危ない奴だと判断したら近寄らない、普通なら誰でもそうする。しかし、助けを求めるくらい困っているというのであれば全く別の話だった。
目の前に困っている人がいるなら必ず助ける。それは英雄になると決めた時から心に誓ったことだった。そのきっかけは、ある絵本の最後に書き記されていた一文が影響している。
『一輪の花、咲かぬところに楽園なし』
この一文を読んだ時は意味が解らなくて、父親に何度も説明してもらっていた。
一輪の花は、ひとりの笑顔。
楽園は、皆が笑顔になれる世界。
目の前の人を笑顔にできない者は、世界を平和へと導くことはできない。ひとりの笑顔は世界中に伝染していき、平和な世界を創り出す。
だからこそ英雄になる者は、全てそうあるものだと思っていた。
「助けを求められたら君は助けると言ったけど、その前に私が言ったことは全て受け入れなかったわよね?」
「ああ」
「ディアンナも最初から不信感を抱かれて、誰一人として彼女の話を聞き入れようとはしなかった。それどころか、世界を脅かす危険因子として魔族に殺されかけた。余所者が突然きて理解できないことに巻き込もうとしているのだから当然のことよね」
「それでも命を奪う魔法なんて間違ってる」
「あら、今の話を聞いてもまだ間違っているなんて言えるのね」
「どんな命も大切にする。それが俺の目指す英雄だからな」
「私からしてみればそれは偽善でしかないわ」
「知るかそんなもん。間違ってんのは間違ってんだよ! 誰かを犠牲にするくらいなら死んだ方がマシだ!」
「そう。そこまで言うなら試してあげる」
少女は背にしていた身長より少し長めの杖を手に取り、ラナに向けた。
「な、何をする気だ⁉︎」
「私は君が言った通り、人間が憎いわ。だから、私を笑顔にする為に死んで」
「はあ?」
「本気よ。死にたくなければ、私を殺すことね」
どんなに綺麗事を並べても自分の大切なものを守るためなら、何の躊躇もなく誰かを傷つけると証明したかった。
ラナの言うことは、偽善だと認めさせたかった。少女の殺気は本物だ。
「待て待て待て! ひとまず、落ち着け! あんたの話は信じるし、魔族でも何でも助ける為に協力するから――」
「大地より湧き上がる堕ちた神の憤怒」
ラナの制止する声など完全に無視して、詠唱を始めてしまった。
(こいつ目が本気じゃねえかよ)
目を細め鋭い眼光を向けられたラナは、二、三歩後退りした。
「雷鳴と共に天を穿て」
詠唱が進むにつれて、杖の先端がバチバチと音を立てて光を放ち始める。魔法を良く知らないまでも、その尋常ではない様子は身の危険を感じさせるには十分すぎるほどだった。
だが、少女の人間に対する憎しみの感情からは逃げられないと思った。
(ここで逃げる事ができれば、命は助かるかもしれない。だけど、もし他の人が自分の代わりに死んだらどうなる。俺を殺してこの子の憎しみが晴れるならその方がいいんじゃないのか。魔族も人間も関係ない。目の前にいる女の子を笑顔にできないなら俺に英雄になる資格なんてないじゃないか!)
目の前の女の子を笑顔にする。
ただそれだけのために、ラナは命を捨てる覚悟をした。
「俺はあんたを殺さない! あんたが笑顔になるってんなら喜んで死んでやる! 過去に起きたことを許して欲しいとは言わない。だけど、これからの世界の為に人間と一緒に戦うと約束してくれ」
「じゃあ、死んで」
ラナの思いが少女に伝わったのかは分からないが、これで良いと思っていた。自分は世界の為に一人の女の子を笑顔にする為に、命を懸けて戦ったのだと、流儀を全うした自分の決断に悔いはなかった。
「雷樹」
輝きが大きくなった杖の先端を地面に突き刺すと、足元に黄色に輝く魔法陣が浮き出てきた。バチバチした音が大きくなると雷鳴と共に天高く昇る雷がラナを貫いた。