英雄を志す者-2-
少女は凍てつく寒さに薄く小さな唇を震わせながら、そっとラナの耳元に顔を近づけ再び問い掛ける。
「英雄になる条件を教えてあげましょうか?」
聞き違いではなかった。
ラナが英雄になろうとしていることを知った上で、そう問い掛けている。
「ねえ。聞こえているわよね?」
息が掛かるほどの至近距離で言われているのだから、聞こえていないはずがない。驚きのあまりに言葉が出ないだけだ。
ただでさえ、村には年齢の近い女の子など一人もいなかった。面識のある女の子もいない。それなのに、目の前にいる少女はラナのことを知っているかのように話しかけて来たのだ。
この少女は一体何者なのだろうか。
何故、英雄になりたいことを知っているのか。考えれば考えるほどに謎は深まる一方だ。
ぽかんと口を開けたまま、間抜け面で呆然と眺めるだけのラナに痺れを切らせた少女は、
「英雄になる条件を教えてあげようかって訊いているのだけど、君は私を無視しているのかしら?」
と、目尻をピクピクさせながら言った。
「ああ、俺に訊いてるんですよね?」
「他に誰がいるっていうのよ」
もちろん自分以外に誰もいないことは分かっている。同い年くらいの女の子と初めて会話をするのだから、さすがに緊張しない訳がない。英雄を目指していると言ってもラナは普通の少年なのだ。
「ですよね! 英雄になる条件でしたっけ? はい。聞こえていますよ。聞こえていますとも」
取り敢えず返事をすることはできたが、少女が何故そんなことを訊いてきたのかは見当もつかない。
「聞こえているのならさっさと答えなさい。こんなところで無駄に時間を費やしている暇はないのよ」
目尻の痙攣が激しさを増し、更に不機嫌そうに言った。
「すみませんでした!」
大きな声で勢いよく、膝に顔が付くくらいに体を折り曲げながら謝った。
親の躾の賜物だろうか。
注意されると反射的に謝る癖がついている。結果的に心から謝罪しているように見えたのか、少女の目尻の痙攣が治まっていた。
「まあ、いいわ。君は英雄になりたいのよね?」
核心をついたかのようなその台詞は、直接的に面識があるようにも思えるし、間接的に誰かから聞いていたようにも思える。
どちらにせよ、少女がラナの夢について知っているという事実は揺らがない。そうなると、何故その事を知っているのか、話を進めながら理由を聞く他ない。ラナはようやく少女の問い掛けに答える。
「確かにあんたの言う通り、俺は英雄になりたいと思ってるけど――」
「なら英雄になる条件を教えて欲しいってことで良いわね」
「どうもご親切に……って、なるか!」
全力のツッコミを入れた。
見ず知らずの少女が自分の夢について執拗なまでに干渉してくると、さすがに不信感を抱かずにはいられない。
そこまでして、英雄になる条件とやらを教えたいのだろうか。
「どうして? 本気で英雄になりたいのなら、そこは有り難く教えてもらうのが普通じゃないのかしら?」
「普通って何?! そもそも、あんた何者?! どっから湧いて出てきた?!」
英雄になりたいラナにとっては願ってもない申し出だったが、突然現れた得体の知れない相手をそう簡単に信用できるはずがない。
「失礼ね。私は遠路遥々、英雄になる条件を教えに来たのよ」
「どんな遠くから来たかは知らないけど、その英雄になる条件って何?! 聞いたことないんですけど! 新手の詐欺か何かですか!? なるなる詐欺ですか!?」
少女に対して不信感を抱く大きな理由を挙げるなら、この「英雄になる条件」と言っているところだ。
仮に少女の言う通り、英雄になる条件があるとするなら、それは聖十字騎士団に入団し、英雄志願者として世界を守る以外にあるはずがない。
いくら世間知らずでバカなラナだとしても、自分がなりたいものに関しての知識はちゃんと持っている。
「何よ、なるなる詐欺って。バカじゃないの? それにどちらかと言えば、なれるなれる詐欺だと思うわよ? なるなる詐欺なら、君が「俺は必ず英雄になるから信用しろ」みたいなことを言って、他人を騙した時に成立するんじゃないかしら」
バカな男を哀れむ冷ややかな視線と的確な指摘がラナを追い詰める。
「ど、どっちでも良いだろそんなの! ってか、俺のことバカって言いました!?」
「はい。落第点」
「は?」
「ネーミングセンスなし。リアクションは微妙。考える能力は皆無。全然ダメ。せっかく英雄に一歩近づける絶好のチャンスが巡って来たのよ? 心の底から込み上げて来るものはないの?」
一体、何を求めているのかよく分からない発言。ラナは困惑気味に首を傾げた。
「ごめん。何が言いたいのか全然分からないんだけど」
「なりたい気持ちが大事だって言っているの。それさえあれば、そんな風にはならないはずよ。まあ、その様子だと立派な道化師にはなれそうにないわね」
「誰が道化師になるかいっ! あんな薄気味悪いカルト集団の仲間入りなんかするわけないだろ!」
「冗談よ、冗談」
「……」
笑いのセンスなど微塵にも感じられない、なんの面白みもない無意味で笑えない冗談。
これ以上、得体の知れない相手に付き合わされていては、日の出までに山を越えられないと判断したラナは、無言でその場を立ち去ろうとした。
「遭難」
少女は隣を横切ろうとするラナにふっと含み笑いを添えて一言だけ呟いた。
「え?」
何か言われてもシカトを決め込むつもりが、身に覚えがあるその一言に、思わず足を止めた。
「君、出発早々に出鼻挫かれてこの世の終わりみたいな顔だったでしょ?」
「そんな顔はしていない」
強がってはみたが、このまま彷徨い続ければ、何の武勇伝もなしに英雄の「え」の字すらものにできないまま、完結を迎えそうな危機的な状況に追い込まれていることに違いなかった。
「私としては、「おお! 女神様!!」みたいな反応を期待していたのだけれどね」
手を合わせたり、両手を広げ、天を仰いでみたり、思い描いていた理想の反応を小さな体を目一杯に使って表現している。
「どんな反応だよ、それ」
普通に考えれば、遭難中に現れた少女は救いの女神と言えるのだが、登場の仕方も最初の発言も何から何まで怪し過ぎる。
「あれだけ能天気に踊ったり歌ったりしていたから、それなりに面白い反応してくれると思っていたのだけれど。やっぱり期待外れみたいね」
「ちょっと待て。何でそんなことまで知ってんだ!?」
「ずっと見ていたからに決まっているじゃないの」
「はあ?!」
衝撃の告白だった。
まさか出発してから遭難に至るまでの一部始終を見られていたなんて、誰が予想できただろうか。
何処の誰とも分からぬ相手に恥ずかしいところを目撃されて、辱めを受けるくらいなら、毎月一度は王都へ農作物を売りに行く村人たちと一緒に行けば良かったと後悔した。
元はと言えば、格好をつけて人知れず真夜中に村を出発した自分が悪い。
「なにを驚いているの?」
「驚くだろうが普通! ストーカーか何かですか!?」
恥ずかしさで真っ赤に染まった顔を腕で覆い隠しながら、全力でツッコミを浴びせた。
「別に好き好んで君のことを見ていたわけじゃないわ」
「どういうことだよ!?」
「君が十五歳になったら英雄になりたいって言うから、十年も待って態々こんな辺鄙な場所へ出向いたのよ。少しは感謝してほしいものだわ」
「俺がいつそんなことを言ったんだよ」
「え? 君、ドイナ村のラナじゃないの?」
「確かにドイナ村のラナは俺だけど――」
「じゃあ、間違いないじゃない」
話せば話すほど、謎が深まるばかりだ。
地元の人間以外誰も近寄ろうともしない小さな村に住むラナの名前を知っているはずがないのだ。しかし、十年も前からこの日を待っていたのなら、自分が覚えていないだけなのかも知れない。そう思ったラナは、申し訳なさそうにしながら、
「もしかして、俺とどこかで会ったことありますか?」
と、腰を低くして訊いた。
「こんな山奥でナンパ? さすがにひくわね」
「んなっ!? 俺は一言も「お茶しませんか?」なんて、言っていないだろうが!」
女性経験が全くないのに、ナンパなどという小っ恥ずかしいことが出来るはずがない。
「さっきから冗談も通じないなんて、つまらない男ね」
「つまらなくて結構! くだらない冗談に付き合ってる暇はないんだよ!!」
「あら、そう」
顔を顰めて、心底つまらなそうな顔をする少女の口から溜め息が白く漏れ出る。
さすがのラナもその態度に怒りが沸々と込み上げてきた。
「人には質問に答えろとか言っておきながら、自分は冗談ばっかり言って答えないってか?」
「あら、冗談も許せないほど器の小さな男にそこまで言われる筋合いはないわ」
「なんだとぉぉぁおお?!」
怒りを露わにしても、軽くあしらわれる。言葉では敵わないと悟ったラナはグッと拳を握りしめ耐えた。
一方、少女は期待していた男ではなかったと幻滅していた。どうして、こんな男の為にここまで来たのかと、また深い溜め息を吐き、半ば諦めた様子で話し始めた。
「一応、君とは会うのは初めてよ」
「だったら、なんで俺のこと知ってんだよ?」
予想通りと言えば予想通りだが、初めて会うのに知っているなんて可笑しな話だ。
「さっきから可笑しなことを訊くわね」
少女は「さすがにお手上げです」と、言いたげな苦笑いをして呟いた。
「何が可笑しいんだよ」
「だって、英雄になりたいと協力を求めて来たのは君の方なのよ」
「俺があんたに協力を求めた?」
頭がパンク寸前だった。
いくら記憶を辿っても誰かに協力を求めた覚えはないし、少女も初対面だと言っているのだから、いくら考えても答えが出ない。正に堂々巡り。
(こいつ全然何の話をしているのか見当もつかない。この女やっぱり変だ)
「どこに変な女がいるのかしら?」
「へ、変な女だなんて一言も――」
「ずっと観察してて思ったんだけど、やっぱり君って相当バカなのね」
「俺のどこがバカだってんだよ!?」
「さっきから全部口に出てるわよ」
「ふぐっ!」
咄嗟に口を両手で塞いだが、時すでに遅し。一度、口から離れていった言葉は戻ってくることはない。
その言葉は耳から脳に伝わり、堪忍袋の緒をものの見事に切り去っていた。
「君が相当バカで間抜けだったとしても、変な女呼ばわりされたのは許せないわね」
「はあ? 言わせてもらうけど――」
「普通に考えてみなさいよ。初対面の相手に対して失礼すぎると思わない?」
(その初対面の相手にバカだと罵られている俺は一体何なのだろう)
言いたいこともまともに言わせてくれない理不尽すぎる少女に抗う術がない。少女の正体は愚か、自分との関係性すら把握できないまま話が進んでいる。
(待てよ。もしかすると本当に新手の詐欺にでもあっているんじゃないか? 例えば、純粋な気持ちで夢を追いかける志願者だけをターゲットにして、「簡単に夢を叶えられます」みたいな謳い文句で唆かす悪質な手口とか、今みたいに何かにつけて罪悪感を植え付け、詫びる代わりに金品を要求するつもりなんじゃないか?)
いつもなら、楽観的に考えてやり過ごすラナもさすがにここまで不思議な少女に対しては警戒心が増していく一方だった。
「さっきから何をぶつぶつ言っているの。私が質問しているんだから、さっさと答えなさいよ」
「そうですよねえ。あなたの仰る通りです。初対面の相手に対して言う台詞じゃなかったですね。変な女呼ばわりして、どうもすみませんでした」
面倒くさそうな表情を前面に押し出した謝罪の言葉は明らかに棒読み。反省の意思など微塵にも感じられない。
「それで謝っているつもりなのかしら」
当然のことながら、その態度は少女の堪に障り更なる怒りを買うことになった。
ラナに向けられた鋭い眼光に圧倒され目を背けるも、沈黙の圧力が凄まじく半ば強制的に謝らないといけない雰囲気を漂わせる。
「えーっと……」
「何?」
「す、すみませんでした」
「跪きなさい」
背筋が一気に凍り付く。
身の危険を察知したラナは獰猛な獅子と対峙した野兎の如く、逃げることも許されず、ただ言われるがまま、その場にひれ伏し許しを請うしかない。本能的にそう思った瞬間、少女に言われるがまま跪いた。
「どこのどなたかも存じ上げない方を変な女呼ばわりしてしまい、大変申し訳ございませんでしたあああああ!」
全身全霊を込め、積もった雪に上半身が埋もれる程に頭を下げ謝罪した。恐らくラナの人生でこれ以上にないくらいの土下座だった。こんなに誠意のこもった謝罪の姿勢を見て心を打たれないものなどいるはずがない。
血の通った者ならば、必ずや許してくれる。そうあってほしいと心から願った。
「バカは死なないと治らないって言うじゃない?」
「死んで詫びろと?!」
「どうぞ、ご自由に」
考えが甘かった。
この少女には血も涙もなければ、情のかけらもない。変な女と言ってしまっただけなのに、なぜ命を賭してまで詫びなくてはいけないのだろうか。
半ば強制的に謝罪させられたとはいえ、謝った相手に対してかける言葉ではない。
次第に少女に対する罪悪感よりも何を言い返しても返り討ちにされてしまう自分の情けなさに対する嫌悪感でいっぱいになっていった。