やさしいおっさんと俺
03 やさしいおっさんと俺
「だから、通行の邪魔だって言ってんだよお嬢ちゃん」
俺がMSOの最後を思い出し遠い目をしていると、不意に現実に呼び戻された。
声の主は初めに声をかけてきた食材屋の男…NPCとはもう言えないだろう。
自分の目で見るこの光景は間違いなく現実なのだと知らされるのだから。
「あ、ああ。すまないおっさん。ちょっと頭がなかなか理解してくれなくてな」
「オッサンじゃねえ、俺の名前はオーサンだ」
そう、そうだ。この食材屋の名前はオーサン。おっさんというのはプレイヤーの間で言われていた愛称だ。
ゲームに初めてログインすると、プレイヤーはとりあえずこの町にやってくることになる。
そしてチュートリアルクエストが始まり、プレイヤーはこの町のNPCを一通り巡るお使いクエストをさせられるのだ。そのクエストのなかで初めに食べ物をくれるのがこのオーサン、MSOでは空腹の概念があるため食糧は必須なのだ。
ゲームだとスキルランクが低い頃は初心者期間といい、システム上優遇して貰える期間がある。
その初心者期間中に金がなく食うものも食えない初心者プレイヤーが、話しかけるだけでご飯をくれるのがオーサンなのであった。優しい!
それからオーサン=優しいおっさん というプレイヤー間のイメージが固まったのだ。
「で、なんか買っていくのか?店の前でぼーっとしてたんだ、なんか買うんだろ?」
オーサンはそういって陳列してある赤い果物をこちらに向けた。
それはゲーム内では通称りんごと言われていたポプルの実だ。基本的な食糧であるほか、この町の周りに生えているポプルの樹に採集スキルをつかえばスタミナの続く限りいくらでも手に入れられる困窮食の一つでもある。
「ああ、そうだな。いくつか包んで貰お…」
俺はそこまで言って固まった。そして自分の身体をポンポンと両手でまさぐる。
金だ。ものを買うには金がいる、当然だ。
おれのおかねどこ。
MSOでも当然買い物にはお金を使う。お金の単位はゴルだ。ゲームでの見た目はそのまま金貨に見えた。
ゲームでは金貨袋というアイテムを持っていれば結構な額を一度に持ち運ぶことが出来た。溢れれば金貨をそのまま持つという形になっていたのだが…。
だがそれはゲームのインベントリという漠然としたアイテムの保存だったはず。
今俺はどこにそんなの持ってるんだ?
いや、そもそもゲームで持っていた物がそのまま持ってるのか?
「嬢ちゃん、どうしたんだ?財布でも捜してんのか」
「あ、ああ。そうなんだ。何処に仕舞ったのか、ど忘れしちゃってな」
やばい。オーサンの目が鋭くなる。
金も持ってないのに買い物に来たのかと思われたのか?
「さっきから服ばかり触ってるが、その腰のカバンじゃねえのか?」
「!」
そう、そうだ。
MSOの拡張インベントリはカバンだ。腰のベルトに付いているウェストポーチサイズのカバンに見覚えがある。
これはMSOの課金アイテムの一つ「小型拡張カバン」だ。
無課金アイテムだと大きなカバンの姿をしていて、基本インベントリのなかにカバンがどーんと鎮座する状態になるのだが、この小型拡張カバンはそれがない。更に追加スロットにカバン拡張アイテムを追加することでインベントリをもっと拡張できる。インベントリ制のMSOにおいて真っ先に課金するべきポイントだ。
カバンにはキーホルダーのような姿で、追加スロットに付けるアイテムがついていた。その数は間違いなく俺がMSOで拡張スロット追加用に買った課金アイテム数に間違いなかった。
なるほどゲームではどんな風についてるか謎だったがこんな形で追加されていたのか。
カバンに手を突っ込むと、見た目以上に手から腕までぐぐっと入り込む、まるで底がないみたいだ。
金貨袋のグラフィックを思い浮かべて、もぞもぞと中身を漁れば袋状の物をしっかりと掴むことが出来た。
安堵とともに勢いよくそれを引っ張り出すと、MSOのゲーム画面で見た金貨袋そのものが手にしっかりと握られていた。
金貨袋のなかに入れられるゴルは最大5万ゴル。最終日の露店でたたき売りのアイテムの支払い用にいくらか使ったと思うが、大半は残っているはず。
「お、ちゃんとあったな。安心したぜ。こんなに相手したのに財布がありませんでしたじゃ、こっちも商売あがったりだからなー」
俺もものすごいホッとしたが、同じくらいオーサンの顔に安堵が広がる。
「ああ、全くだ。手間かけさせてすまなかったな。ポプルの実いくつかと、パンと、すぐ食える調理済みの物と保存食いくつか、この財布の中身で適当に包んでくれないか」
俺は金貨袋をオーサンに手渡した。
最終日だというのもあって、すぐ食えそうな食品アイテムはインベントリに入れてなかった…はず。MSOでは空腹でも死にはしなかった。もちろんそれなりのペナルティは受けたが。
しかしこの現実のようなこの世界で食事を取らないなんて事は…恐らく無理だと思う。現に今も腹が減っている気がする。そして唐突な出来事で口を開けてぼんやりしまっていたからか、喉も渇いている。間違いなく自分の肉体の感覚だ。
「すまん追加だ。あと持ち運びできる水もできたら用意してくれないか」
MSOだと水は水筒や空きビンを持って井戸や水源に対して「採取」することで手に入ったが、あくまで料理やポーションをつくるための中間素材のような扱いだ、これからは生きるために水を持ち歩かなければダメか。
ゲームと同じカバンが使えて本当に良かった。
「ん、嬢ちゃんそんな格好で冒険者なのか?じゃあ冒険者用にその辺まとめたセットがあるから、そいつに追加する形で適当に見繕うぜー…って」
財布を空けて中身を見たオーサンの表情が固まる。
あれ、思ってたほど中身がなかったのか?しまったな…ゲームとは物価も違うのかも知れない。
「金貨ばっかりじゃねーか!こんなにいらねえし!釣り銭がやばくなっちまうよ!」
「え、そりゃ1ゴルはこの金貨一枚じゃねえの?」
「おいい…金貨は1万ゴルに決まってるじゃねえか…恐ろしい事言うなよ。なんか変な身なりしてると思ったけど嬢ちゃん貴族か?」
「はえ?」
やばい、斜め上の事実だ。
ゲームでは金貨が詰まってるように見えたあの袋だったが、ここでは金貨は貴重だったらしい。
そうか、まあそうだよな。金だもんな。ゴールドだもんな。
ゲームだと金貨がぽいぽいドロップしてたから、金なんて貴重でもなんでもねえなーって思ってたけど、ここはかなり現実に近いみたいだもんな。
動揺して感覚がおかしくなってるのか俺。
「一枚だけで十分だ。俺は真っ当な商売してるんでね、残りは返すしちゃんとそのカバンにしまっとけよ!」
勢いよく突っ返してきた金貨袋を受け取り、すぐにバッグの中に仕舞う。
「すまないな、あー…なんというかあー。そう、世間知らずなんだ。最近ここらに来てよく分かってないんだ。ワタシノクニノオカネとチガウノヨー」
とってつけたような嘘の設定が口から出てきた。
俺、超怪しい。貴族かって疑われているし。貴族なんかじゃねえ、これ以上無い小市民だ。
家事の得意な自炊サラリーマンだよ。
「そうなのか? まあこの町は治安が良いから良いけどよ。あんなのホイホイ見せびらかすんじゃねえぞ?銀行行って預けてくるなり、銀貨や銅貨に崩してきた方が支払いやすいぜ」
「わかったよ」
「んじゃ、これが食い物詰めた袋な。冒険者に評判が良いんだぜ、中身がなくなったら袋持ってきてくれれば割引するぜ。あとはポプルな。これは痛まないうちに食えよ」
どさっと大きな袋を渡される、食い物と水は重い…と思ったけどあまり重さを感じないな。
「あとこれ釣りなんだが、銀貨と銅貨な、小銭袋やるからちゃんと管理しろよ?」
チャリチャリと金属が当たる音がする、小さな革袋も手渡された。
ちょっとした買い物をするならこの程度で十分か。
NPCの時から優しいおっさんだったけど、本当に優しいじゃねえかオーサン。
ゲームの時は会話してもそんなにパターンがあったわけじゃ無いけど、これはやばい。
オーサンの好感度うなぎ登りだわ。青天井だわ。
突然こんな事になって混乱してたけど、おっさんの優しさでなんか前向きになれる気がする。
「ま、何処で寝泊まりしてるかしらねえけど、物盗りには気をつけるんだぞ嬢ちゃん」
そうだった。
ゲームじゃないから、その辺で適当に休憩スキルで座ってるだけじゃダメじゃないか…。
MSOじゃ宿屋なんて無かったしな…。もしかして今なら宿屋があるのか?
そういや「マイハウス」はどうなってるんだろ、ゲームだとメニューからボタン押すだけで、契約している自宅に転送出来たけど…そんなの無さそうだよな…、なんだよメニューって…。
最悪町の外で「野営」スキルをつかって、たき火でもして過ごすか、町の中で休憩スキル使って道に寝っ転がってるしかないのか。
冒険者ってホームレスだよな。日雇い労働者って言っても良いか。
道や広場に座ってたむろする冒険者達。
駅前や繁華街の地面に座って暇そうにしている不良と変わらないな!
それが自分の現実の物となると、言いようが無い悲しさを感じるな…。
とりあえず金の持ちすぎが良く無さそうだし、銀行行くか。
なんで手持ちの金だけゲームのままなのかね。
金が無いよりマシだけど、大金持つのはどの世界でも不安になるだろ。
オーサンの食品店から歩き出した俺は独りごちる。
ポリゴンモデルを俯瞰していた時と違い、今の俺の目線では何もかもが大きく見える。
オーサンも地味にでかいおっさんだったし、遠目に見る他のキャラクターや知らない一般人達もそうだ。
まるで俺が子供になったみたいな錯覚を受ける。
そして「銀行」はMSOにおいての「預かり所」だ。
基本の預けエリア+課金によって広げられる領域にアイテムを保存することが出来る。手持ちのカバン以外だと「召喚獣」に預けるしか、物を運ぶ方法が無いMSOでは、銀行はインベントリを圧迫するアイテムを保存する大事な施設なのだ。ついでに名前の通りお金を預けたり出したりも出来る。
ゲームで銀行に預けてあったアイテムやお金はどうなってるんだろう?
カバンや手持ちのお金が無事だったことを考えると、そのまま残っている可能性もあるな。
俺はそう思いながら、市場の隅にある銀行に向かうのだった。
※今回のMSOネタ
「野営」スキル
薪(素材アイテム)を消費してたき火を熾し、その周りで休憩するスキル。
休憩スキルの効果に加算される形でより強力な自然回復を促す事が出来る。
低ランクだとただの木材に火を付けたたき火だが、ランクが上がると布張りのテントや木組みを使った大きな火を熾すことが出来き、それに伴い回復量も上がる。
一人が使えば周りに他のプレイヤーも恩恵に授かることが出来る。食糧アイテムを分け合ったりもできる。
休憩と並びホームレス感溢れるスキル。
「マイハウス」
無課金でも使える要素、スキルではない。
メニューにあるアイコンを押すと、自分専用の家のあるマップに移動できる。
家は家具を置いたりして飾れる他、フレンドを招待したりできる。