王妃の客人
「つまり、勘違いしていたのは私を捕らえに来たあの黒い人?」
確かめるように尋ねると案の定、アリシアは「正解」と穏やかに微笑んだ。
笑えない。実に笑えない話である。
今現在、至れり尽くせり状態の理由がわかって納得した反面、ルナ自身はまだモヤモヤとしたものが胸に燻っているのを感じている。
複数の見知らぬ男たちに囲まれ、厳しく問い詰められ、挙げ句拘束され、馬車に押し込められたのは彼女にとって恐怖でしかなかった。
ここに至るまでの経緯が間違いであることを説明されたということは、彼ら騎士達は今頃大目玉を食らっていることだろう。
彼らも仕事で、使命感を胸にやって来たのだろうに可哀想な結果になったとは思うがそれとこれとは別の話である。
このやり場のない怒りをどこに投げようか、と何気なく窓の外を見やる。
ちゅちゅん、と雀サイズの小鳥が飛び交うのが見えた。和む。外に投げるのはやめよう、と即座に結論を出す。このようなドス黒い感情をぶつけてしまったら確実に小鳥が墜落してしまう。
心の中でもて余している感情に自然と表情が消えていくのを感じる。
―――だが、ふとあることに気付く。
「アリー母さん」
「ん?」
「連れて来られた理由は勘違いだって分かったけど、王妃様は…?」
そもそもの発端は彼女である、と言ったのはアリシアだ。
連れてこられた理由は勘違いであろうが、人探しをしていたことは事実。
【魔術師長】と明らかに位が高そうな人物にオルキス王がじかに頼みに行ったのだから見つけて『はい終わり』ということはないはず。
見つけて連れてきたという結果になったのは魔術師長のせいだが、そもそも頼んだオルキス王本人は自分をどうするつもりだったのだろうか。
いまだ【愛妻家】というヒントしかない分、やはり王妃に献上するつもりで自分を…と良からぬ想像が頭を過る。
「それは、今のあんたの立場も関係してくるから教えるわね」
「え?あ、はい」
立場も何も一般庶民ですが、という言葉を辛うじて飲み込み、姿勢を正す。
一般人だと思ってはいるが、連れて来られた時は【罪人】だったことが思考の隅でチラついた。
そんなまさか、と思った瞬間だった。
「直球で言うわね。王妃自身が指名し、この宮殿に招き入れたとあって、あんたの立場は【王妃の客人】よ」
「は?えっ?」
大切なことをサラッと言われて、身構えていた筈なのに思考が受けとめきれなかった。
【罪人】から【王妃の客人】に昇格?と今まで体験した事実を単純に並べて頭の中を整理しようとする。この時点でルナは軽い混乱状態に陥っていることがわかる。
案の定、その反応にアリシアは呆れた表情をルナに向ける。
「…聞いてた?」
「う、うん…ばっちり」
「……」
「え、ホントに?」
アリシアの疑わしそうな瞳を見つめるにつれて不安が増していくルナである。
再度聞き返したルナにアリシアは盛大なため息をつき、次いで『ほら見なさい』といった表情をした。
待って、ちゃんと聞いてました。それはもうバッチリ聞こえていました、はい。と心の中で急いで弁解するも、言葉にしないと相手がわかるはずもなく。
ルナは真っ白になった頭を働かせてようやく次の言葉をひねり出す。
「【罪人】の件は?」
「は?…あぁ、そういうこと」
突然の【罪人】のカミングアウトにアリシアは不意を突かれた顔をしたが、その言葉からルナが何故混乱しているのかを悟ったようで、再度椅子に深く背をもたれた。
「なるほどね。あんたがここに連れてこられた理由はそんなところで落ち着いたのね。昔はそんな軽率な考えをするヤツじゃなかったんだけど…例の件がまだ尾を引いてるのか…。ルーカスも年をとったわね」
頬杖をつきながらアリシアが独り言のようにこぼし、その場を取り成すように小さく笑った。
「ルーカスさんって…?」
「あんたをここに連れてきた張本人よ」
漆黒の制服に身を包んだ彼を思い出す。同時に瞳の鋭い光も思い起こされて知らず手が震えた。浴びせられた言葉が、痛かった。
「アリー母さんの、知ってる人?」
「ええ、彼とは腐れ縁でね。ある程度のことは知ってるよ」
「…今更だけど、アリー母さん、ここに勤めてた?」
どうもアリシアの発言にはどこか場所や人を懐かしむ雰囲気が感じられる。
何もかも知ってるような、掴み所のない言葉の数々に、ルナはたまらず問いかけた。
ルナとアリシアの視線が合わさる。それと同時に、アリシアの瞳がスッと細められた。
「―――ええ」
短い肯定。あえて多くを語ろうとはしないその様子に、ルナは自然と口を閉ざしてしまう。
アリシアに聞きたいことはたくさんある。この世界に来てから、彼女に質問しない日はなかった。
彼女は全てを答えてくれる。
―――そう、きっと今ルナが疑問に思っていることも聞けば答えてくれるだろう。
『もう着ることはないと思っていたのだけれど…』
先のアリシアの服装で聞いた彼女の言葉が思い起こされて、ルナは質問のために開けた口をまた閉じた。
そこで初めて、二年間も一緒に暮らしていたのに彼女のことをあまり知らないことに気付く。
「ねぇ、アリー母さん」
「ん?」
「私、あの家に帰れる?」
尋ねた声は、少し震えていた。
アリシアは“ここ”に勤めていた。しかし、何らかの事情で“ここ”から離れたということは―――。
考えが回りに回って、唐突にルナは恐怖した。
私は、何も知らないのだ―――と。
「恐れる必要はないわ」
ルナの心を見透かしたように、アリシアは言った。
「さっきも言ったように、あんたは【王妃の客人】。あんたの身の上は、王妃の名の下に保障されているの。何人たりとも手出しは出来ない。例え国王であろうが、よ。【罪人】と言って捕らえてこようものなら、逆にそいつが不敬罪にあたる。覚えておきなさい」
何やら難しい話だが、ルナは曖昧に頷いた。
とりあえず、【王妃の客人】という立場は【一般庶民】とは比べ物にならないほど安全な地位らしい。
それでホッとしたなどということはないが、アリシアに面倒事が降りかかることもあまりなさそうで少し気持ちは楽になった。
「―――さて、お腹もいっぱいになったし、あんたちょっとそこら辺散歩してきなさい」
「へ?」
唐突である。
いきなりの話題転換に思わずアリシアを凝視した。
「あんたがいつも着てた服、持ってきたからそれに着替えるといいわ。王妃との謁見は明日だから」
「え、ここって王宮だからまずは国王様たちにご挨拶しなきゃいけないんじゃ…」
「まだ正式に【王妃の客人】ってなってない内に、身軽な服で動いときなさい。明日からはそれなりの格好になってもらうから」
それはそれで不審者扱いされないだろうか、と危惧するも、アリシアは取り合わず、ヒルダとヨルダに指示を出してさっさと部屋から出てしまった。
「アリー母さん…」
引き留めようと伸ばした手は宙を掴み、行き場を失い、やがてシーツに降りた。
「さぁ、ルナ様。まずは浴場へ行きましょう」
「長い眠りで、汗もきっとたくさんかいておられます。身を清めましょう」
双子に言われるままにルナはゆっくりと身を起こし、久し振りに地面に足をつける。
かちこちに固まった身体を支えてもらいながら、目的の場所へと誘われる。
「なんで…」
無意識に溢れた言葉は、空気に消えた。
最後の質問の答えを聞けないままに歩く道は、とても重く、そして億劫だった。
アリシアではない傍にある温もりを感じながらも、ルナは一人取り残されたような心持ちで足を進めるしかなかったのだった。