事件のあらまし
「…おいしく頂きました」
手を合わせて食後の挨拶をし、ルナは穏やかに微笑んだ。
空腹時の不安は何だったのか、出された量をぺろりと平らげてしまったルナは、大変満足だった。
その言葉を受けて、ヒルダが食器を片付けていく。
繊細なデザインを施された皿がワゴンに帰っていくのと入れ換えに、ソーサーに乗ったカップがルナの前に置かれる。
「ミラナノラの茶葉をブレンドしたダージリンティーでございます。我が国の特産でもあるんですよ」
「爽やかな味わいが城下でも好まれていて、食後の紅茶として人気なんです」
透明感のある琥珀色の紅茶を言われるまま口元に寄せる。ほのかに柑橘系の薫りがする。
確かに口の中がさっぱりしそうだ、と思う。
「薫りも素敵でございましょう?ミラナノラの葉はアロマでも使われるほど、リラックス効果が高いんです」
「どうぞ、ごゆっくり味わってくださいませね」
食事が終わった後もまだぎこちない気持ちが表に出ていたのか、二人の侍女はルナに安心させるように微笑みながらそれはもう丁寧に説明してくれた。
気を遣わせてしまったことに反省しつつ、飲みやすい温度にされている紅茶を一口飲む。
「…おいしい」
それしか言えない自分が歯がゆい。おいしいし、彼女達が言ったように自然と身体の緊張がほぐれるような不思議な風味だった。
心の中でまだ気を張っておかなければ、と無駄な疑心があるせいで、存分にリラックスすることが出来ていない。そのことに罪悪感と焦燥感がわくが、双子は気にしたふうでもなく、むしろホッとしたような雰囲気であったのでルナは続けざま少しずつ紅茶を口に含んでいくことができた。
まさに至れり尽くせり状態で内心「どうしてこうなった」と考える。
確か、アリシアの家から連れ出された理由は不法侵入国罪(仮)で罪人としての扱いが待っていた筈だ。
不覚にも気絶ついでに眠ってしまい、目を覚ましたらあの堅物騎士と『改めまして』という状態かと思いきや、いつの間にか豪華なベッドに横たわって傍にはアリシアがいて、何故か今は優雅にお茶を飲んでいる。
頭の中で体験した流れを改めて見ても矛盾しか感じない。
その矛盾が気にかかって、この先何が起こるのか非常に怖い。
この不安は次のアリシアの説明で全て払拭されるものだろうか。
再度アリシアを見やると、こちらも同じように紅茶を飲んでいた。自分が飲んでいる姿よりもよほど優雅である。
普段とは違う装いというのもあり、どこぞの貴族様そのものだった。
こういう予感は不思議と当たるもので、今からその事実も明かされるのだろうか、と身構える。
そんな心持ちをしているのに、リラックス効果のある紅茶を飲んでいるからか、上手いこと気が引き締まらず不安がふよふよと浮いているのを感じる。
もう、なんかつらい。早く喋ってくれないかな、とやきもきした気持ちをもて余しながらアリシアをじーっと見つめる。
「…面白かったからもう少し焦らそうと思ったけれど、酷い顔になってるからそろそろ話しましょうか」
聞き捨てならない言葉を聞いてしまった。
愕然とするルナに、アリシアはどこ吹く風。カップをソーサーに乗せてヨルダに手渡し、視線をルナに定めた。
ふっ、と笑った表情から一転し、急に真剣な瞳に射ぬかれてルナは肩を揺らした。
「まずは、ここが何処かということね。ここは、【マイアル宮殿】。有名だから、あんたも名前くらいは知ってるでしょう?」
試すように微笑まれて、そして予想だにしていなかった場所の名前に息を飲む。
確かに有名だ。聞いたことがある、で済まされないほど。
「オルキス国王のおわす場所…?」
「正解。よかったわ。あたしたちが暮らしているこの国の王の話は一度しかしていなかったから覚えているか不安だったのよ」
「村の友だちの話でも出てたから…」
「そうね、小さな村でもこの国のトップとは切っても切れない関係だし、まぁ、皇子もいるから年頃の娘だと憧れを抱くのも当然ね」
「お子様はお二人、だったっけ」
「皇子って言いなさい。もうそんなに幼くないわよ」
「あ、ごめんなさい」
つい夢の中での癖で言ってしまい、軽く口元を指で塞ぐ。そういえば、とアリシアの他に二人部屋の中にいることを思い出し、慌ててヒルダとヨルダを見やる。
双子の侍女は何も聞いていないかのように瞼を閉じて控えていた。
あれは絶対聞こえてるな、と確信を持ちながら今後言葉には気をつけようと誓ったルナであった。
オルキス国の名を持つ王族こそ、この国のトップである。政には欠かせない一柱であり、現国王の名はアレクシス王と言う。
王妃とは仲睦まじいと小さな村でも聞いたことがあるほど愛妻家だそうだ。だから側室はおらず、王妃との間に二人の皇子を授かっていることも知っている。
王位継承権の件も、二人の皇子の仲は良いと聞いたことがあるので、争い事には発展しないと安堵していた覚えがある。
アリシアの言う通り、この二人の皇子は優秀で有能と誉れ高い噂があるほど、活躍目覚ましい好青年と聞いている。
実際に顔を見たことはないが、父王の跡を充分に継げることができる実力を持ち合わせているというのだから、幼いはずがない。
村の娘たちも想像することが楽しいようで、頬を赤らめてうっとりと語っていたのもあり、自然とルナも名前を覚えていた。
「アロルド皇子とアルフレッド皇子…だったよね?」
「それも正解」
正直に言えば片仮名の名前を覚えるのは苦手で、本を読んでいるときも『この人誰だっけ』と登場人物表を作るほどなのだが、正解が出て安心し、ルナは小さく息をつく。
これで名前を間違えていたら本当に申し訳なかった。一瞬だけ双子の侍女を見つめ、改めてアリシアに向き直る。
「で、何で私はここに?」
「正直に言うと、ただの勘違いよ」
「……は?」
あまりにも直球すぎる解答だったからか、もしくは完全に予想だにしていなかった解答だったからかルナはたっぷり五秒は沈黙し、低い声を出した。
「勘違い…?」
「そう。勘違い」
繰り返されてもピンと来ない。
ともすれば馬車に押し込められた時の手荒な扱いに怒りたくなる気持ちをグッと押し込めなければならないほど気持ちの整理がつかない答えだった。
「どういうこと?」
アリシアに向ける感情ではないことをわかっていながらも、燃えたぎる怒りは押し隠せない。自分でも驚くほど低い声が口をついて出てくる。
しかし、そこはアリシアである。ルナの理不尽さに憤る気持ちを穏やかな笑顔で受け止めた。
「事の始まりは王妃の夢よ」
一切の情報を聞き漏らすまいと耳を澄ましていたからか、“夢”というワードにルナは一瞬だけ怒りを忘れる。
「王妃はそれはもう酷い夢にうなされていてね、国王も気が気ではないほど心配していたそうよ」
「……」
「でも、何度目かの夢で、不思議な少女と出逢ったのですって。夢での話はわからないけれど、少女と出逢ってそれきりその夢は視なくなった」
「―――っ…」
「ある日、王妃は国王の危機を救ったの。これがまた不思議なもので、王妃は言ったの。『彼女のお蔭だ』って。―――ここまでは、あんたも身に覚えがあるんじゃない?」
「…なんとなく。正直、どの夢か特定はできないけど似たような件ならいくつか」
「あんたって本当に働き者よね」
「う、うん…」
呆れたように目を細めるアリシアに、なんとなく顔向けができなくて堪らず視線を反らす。
アリシアに伝えていない夢はたくさんある。夢も多種多様で人の数ほどあり、似たようなケースはあるものの一つとして同じものはなかった。
ヒルダとヨルダがいるため、アリシアもかいつまんで説明しているのだろうが、内容がざっくりしていてルナにはどれのことやら判断がつかない。
一番厄介なのはルナが夢の後のその人の結末を知らないことだ。
夢が終われば、その人との関係も終わり。そう思えるほど、現実世界で夢の主たちと会ったことがなかったのだ。
「話を続けるわね。―――王妃はどうしてもその夢の中の少女にお礼を言いたかった。愛する人を救えたから、当然よね」
それから、王妃は何度も夢の中で少女に逢えることを願いながら眠りにつくようになった。
「でも、逢えなかった」
続く言葉をルナがこぼした。その体験はルナにも覚えがある。
王妃はどれほど切望してくれていたのか。自分は何度も苦い思いをしたからか、『あれは夢の世界。現実にはいない』ぐらいにいつしか割りきれるようになっていたが、彼女はどうしたのだろう。
「そう。王妃はそれはもう悄然としたそうよ。朝の目覚めと共に溜め息をつくぐらい」
「(…ん?)」
雲行きが怪しくなってきたような前振りに、一瞬だけある予想が頭を過った。いや、そんなまさか。
「毎朝その溜め息を聞いた国王は、それはもう気が気ではなかったみたいよ」
出た、愛妻家。
王妃と言うのだから当然ながら寝室は国王と一緒だろうことは、誰もが納得できる。
しかし、今回の件はきっとそれが裏目に出たのだ。妻が物憂げに溜め息をついている姿を朝一に見ることになる夫の心境は想像に難くない。
ただ唯一の救いは溜め息をつくほど切望している相手が“女”であることだろうか。
それでも、愛妻家というのだから独占欲は強そうだ。
「まさか、その国王様が…?」
「…それは国王があんたを捕らえるように言ったってことかしら?」
「うん」
「残念、ハズレ。答えはノーよ。勘違いしたヤツは別のヤツ」
「え?」
「国王は王妃を慮って、魔術師長に内密に指示を出したの。『“夢の渡り人”を探せ』と。」
「夢の、渡り人?」
「その頃には城下でも噂になっていてね。貴族平民に関わらず、夢の中で幸せを授けてくれる少女。昨日までは夢で逢っていたのに、翌日になれば今度は違う人のもとで姿を現していた...まるで夢を渡り歩いているようだってことでそんな名前がついたってわけ。あんたも有名人ね」
からからと笑うアリシアに、いまいち現実味が出ないルナである。
「それで?」とひとまず自分のあだ名については置いておくことにして続きを求めた。
「魔術師長は困ったと頭を抱えたそうよ。逢ったことも視たこともないヤツを探せって言われてもそりゃあ、無理な話よね」
それでも国王の命令には逆らえない。魔術師長の心境はそれはもう大変なことになっていただろう。
探されていた本人としては申し訳ない気分でいっぱいになるが、こうして探し当てたからその人は大層優秀だったことが伺える。
「いろいろ手を尽くして、ようやくソレらしき者を特定出来て、魔術師長は喜んだ。でも、いつその場から消えるかわからない得体の知れない者だったから彼は何も知らないヤツに『ここにいる者をすぐに捕らえてくれ』と頼んだの」
「……」
「魔術師長が『捕らえろ』っていうのだからこれはただ事ではないってことはわかったみたいなんだけど、ねぇ…?」
「あぁ、うん…善は急げって言うしね。…うん、なんで私がここにいるのか大体わかった」
どんな伝言ゲームだ。
予想していた斜め上の解答にルナは溜め息をつきたくなっていた。