母娘のような二人
目を開いたその瞬間、眩しいほどの光を感じる。
その明るさに反射的に顔を手で覆い、なんとはなしに夢を回想してルナは呻いた。
「重い…! 重かった…!!」
「普通に起きなさい。普通に」
身悶える勢いで小声で叫ぶルナに、冷静な女性の声が飛んだ。
その声に向かって、ルナは視界を開けて主張する。
「だって…! だってね? あれはない! ないよ! あんまりだよ! ―――って、え? なんでアリー母さん?」
「ご挨拶ね、ルナ。あんたが連れて行かれたって聞いて、飛んで来たんだけど?」
「とんで…? え、ここどこ? 私、馬車に乗せられてそれで…。―――ていうか、その服、何? 怖い」
「一言多いわよ」
矢継ぎ早に口を動かす娘にアリシアはどこまでも冷静に言葉を返す。それが功を奏したのか、興奮状態のルナは徐々に落ち着きを取り戻し、身体の力を抜いてふかふかのベッドに身を沈めた。
「あんたの聞きたいこと、順番に教えてあげる。でも、その前に食事にしましょうか」
アリシアは立ち上がって紫紺のローブを翻し、赤茶色をした上品な扉へ向かう。
扉を開けてほんの少し身を乗りだして、誰かに言伝をしたのだろう。話し声はすぐに止み、またルナのもとへ戻ってきた。
―――あんな綺麗な服、どこにあったんだろう…。
改めてアリシアの服装を全体で見てルナは思う。
紫紺色のローブの下には金糸で刺繍が施された白のかっちりとしたシャツ、そして紺色のズボンが見え隠れしている。男性のような装いだが、もともと女性的な魅力が溢れているからか、禁欲的な出で立ちに見える。
同じ女性でもハッと息を呑むほど魅惑的な…―――あぁ、ダメだ。美しすぎる。
格好ひとつ変わるだけでここまで目に眩しい存在であることを初めて知ったルナである。
「その服、初めて見た」
「そうね。もう着ることはないと思っていたのだけれど…ここは服にも気を払わなければいけないから」
面倒よね、と続けられた言葉にルナは曖昧に頷く。
からり、と軽く笑って言う彼女は確かにルナの知っている人であった。そのことに安堵すると同時に、まだ疑心に似た戸惑いが胸に疼いていることでうまく笑えない自分がいるのを感じていた。
「―――で?」
「え?」
「今回の夢はどうだったの? 綺麗な少年には会えた?」
「―――、……」
いつもの、穏やかな声音。その声は、ルナが無意識に作った心の氷の膜を溶かすには十分だった。
拾ってくれたその日から変わらず優しい心を持つ彼女。
格好が変わって、雰囲気も変わって…この豪奢な場所に見事に馴染んでいる様は本当に他人だと感じたのだが、どうやらそれはルナの思い込みだったようだ。
「…アリー母さん」
「うん?」
呼ぶ声に応えてくれる声。まるで本物の母のように慈しむ眼差しを向けてくる彼女に、ルナの胸は熱くなる。
―――嬉しさと恥ずかしさがないまぜになって、ルナはたまらず俯いた。
「…っ、え、と…、そう、夢…。会えた、よ。うん、会えた…」
「それはよかったね」
「うん…」
「……」
「……」
アリシアは夢の話を深く聞くことはしない。尋ねたとしても、その人の外見であったり、ルナの心持ちだったりと当たり障りのないことだけだ。
アリシアが夢の内容に触れるのは、あくまでルナ一人では答えを導き出せない時だけだ。ルナ自身の口から出さなければ永遠にアリシアが夢の内容を知ることはない。ルナも、自身の夢ではないとわかっているからこそ口外しないように気をつけている。
不意に会話が途切れて、内心どうしようかと迷うが、ルナにとってこの沈黙は苦ではなく、むしろ安らぎであった。それは二年もの間に築かれた二人の信頼関係の深さを物語っている。
現に、アリシアの瞳はいまだ穏やかな色を隠しもせずにルナを見つめている。
彼女はルナの次の言葉を待っている。それは夢に関しての催促ではないことを的確にルナは感じとっていた。
ここから別の話題を出して話をそらすことは簡単だ。アリシアが決して気にしないというわけではないだろうが、無駄な詮索もしないし、快くその話題に乗ってくれるだろうことをルナは知っている。
―――けれど、とルナはようよう口を開く。
「あのね…終わったの」
「……」
「彼の長くてつらい夢…やっと、終わったの」
「…そう」
「うん。…だから、きっと…もう、大丈夫」
―――目を閉じるとぼんやりと浮かび上がってくる景色がある。
広い草原。どこまでも果てしなく広がる青い空。どこからか舞ってくる色とりどりの花びら。―――そして、そこに佇む綺麗な少年。
呆然としていた。それから、泣きそうに笑って彼は言った。
『…すごい。―――きれいだ』
それは彼の本当の世界。憧れて、切望した世界に立っている事実が彼を歓喜させた。
その強い感情がルナにも流れ込んできて、とても心地よくなったのと同時に少しの寂しさが胸をよぎった。
―――彼は、自分の夢を取り戻した。だから、自分の役目はもう、おしまい。
「―――そう…終わったの」
「…うん」
ぽつり、とこぼされた言葉に、ルナは素直に頷く。
ついで、頭に乗る温かな重みにじんわりと瞳に薄い膜が広がる。
「おつかれ様」
―――それは、ルナにとって一番心に響く温かい言葉。
「―――…うん」
ルナの夢はいつも他人の夢。そこにはいつも出会いと別れがある。
何かの制限があるものの気がつくと他人の夢に入りこみ、それが出会いとなる。しかし、ルナがその人の抱える闇を払拭するきっかけを与えると、次には違う人の夢になっていて、『もう一度、あの夢に行きたい』とどれだけ願っても二度と叶うことはなかった。
だから、その人の結末をルナが知ることはない。
―――夢は、夢。現実ではないのだからこんな気持ちにならなくてもいいのに。
何度繰り返し心に言い聞かせても、そこから生み出される切なさには勝てない。
『次は君の名前、教えてもらうから』
―――“次”なんてない。
だから、続いた彼の言葉にルナは苦く笑ったのだ。
『約束だよ』
―――いっそ、忘れてくれたらいいのに。
「次は、あんたの夢だといいねぇ」
頭を撫でる手はそのままに、アリシアはしみじみと言った。
それは幾度となく、ルナが悄然と肩を落としている時にまるで励ますかのようにこぼされる言葉。
「…そうだと、嬉しいなぁ」
―――誰もこんな寂しさを感じない、そんな夢がいい。
扉のノックの音が二人に届くまで、ルナは涙をこらえながらアリシアの温もりを感じていたのだった。