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夢の次第

「長い夢は、これでおしまい」


  パン、とルナは柏手を打ち、ゆっくりと胸元に手を引き寄せ、月に一礼した。

 四つの魂の安寧とこれから始まる旅に遠く想いを馳せる。

 この世界に輪廻転生というものがあるのかは知らない。

 だが、ようやくそれぞれの魂が出逢えたことは、祝福してあげてほしい。


  そしてどうか───、報われますように。


 誰にともなく祈りを捧げるルナに、兄妹は声をかけられずにいた。

 祈りはまるで郷愁をも思わせる深い繋がりのようなものを感じ、二人はただ見つめることしかできなかった。


 しかし、その時間もすぐに終わりを告げた。


 アルフレッドが何かの気配を感じ、厳しい視線を桜の木の下に投じる。


「お兄様…?」


さりげなく桜の木から距離をとれるように、なおかつルナに近づけるようにアルフレッドが動いたその直後だ。


───キュイッ!


 ボコ、と桜の木の下から土が跳ね上がり、白い何かが顔を出した。

 その生き物は黒い瞳を瞬いて、辺りを見回す。一見すると野生動物の仕草そのものだった。


 月を見上げ、何かに気付いたように急いで土から出てきて、タタッ、とルナのもとへと走る。

 鳴き声に気づいたのだろう、ルナが振り返る―――その前に、既に傍らに来ていた生き物に目を見張った。


 白い生き物は四つ足で、月を仰ぐようにただ首を伸ばして空を眺めていた。

 全長は、おおよそルナの膝下ぐらいの、小さな生き物。

 キツネと見紛いそうになるが、月に照らされたその顔はどちらかと言うとイタチに近い。

 しかし、鼻は少し長く、耳は先端が薄い桃色だ。花びらのような形の耳で、うさぎの耳よりよく動いている。ピン、と周囲の音を探るように張り、やがて気落ちしたようにへなり、と垂れた。


  ───キュウゥ…。


 気弱な声だった。今にも涙を流しそうに、頭を下げて座り直したその生き物の額には、カグラと同じものがあった。


 途方に暮れる迷子の子どものような生き物に、ルナはしゃがんで声を掛けた。


「もしかして、あなたも行きたかった?」


 つぶらな黒曜の瞳がルナを認めた。

 目元がほんのり赤く色付いているのは、カグラの化粧を思わせる。


 ───でも、この子はカグラじゃない。


 なんとなく、ルナはそう思った。

 だってカグラはようやく解放されて、やっと天に還ることが出来たのだから。


 では、この子は───?


 キュ、と短く鳴いて、小さな生き物はスンスン鼻を動かしてルナに近づいた。

 ルナは手のひらで小さな生き物を受け入れ、額を撫でる。


 ───キュウゥ、キュウゥ…。


 置いていかれたのだ、と哀しい声に聞こえたのは、ルナも同じ気持ちだからだろうか。


「……私も、置いていかれたの。一緒だね」


 撫でられることで落ち着いたのだろうか。ぺたり、と身体に頭を添わせるように寝入る姿勢になった小さな生き物に目を細める。


「あなたはどうしたい? もし良かったら、私といる?」


 額にある模様を少し撫でてあげると、目は瞑りつつ、イヤイヤではない様子に拒否されていないことを感じて、ルナは続ける。


「私も、桜の花は思い出深いの。それに…」


 ルナは自身の腕にまだカグラにかけられていた“呪”を見つけた。色は()せている。しかし、完全に消えていないということはまだ役割があるのだろう。つまりは───……。


「私とあなたの還る場所、たぶん同じだと思う」


 そこでようやく小さな生き物は瞳を開いて、もう一度ルナの手のひらを嗅ぐように鼻を押し付けた。ちょっとくすぐったさを感じつつ、ルナは静かに告げた。


「淋しいなら一緒にいよう。あなたがここに残った意味が、きっとあるから」


 ───一緒に探そう。


 小さな生き物は一鳴きし、カグラのつけた“呪”に触れた。


 ───キュイッ


 それはまるで了承の返事であった。その声に呼応するように、“呪”は桜の模様から葉桜になり、明るい色彩に変化した。


「……きれいね」


 そう、まるで幼い時に約束をするときに指きりげんまんをしたような、そんな暖かな感じがする。

 小さな生き物は、葉桜の模様になった手首をぺろぺろと舐めた後、ルナにひと撫でされ、その場で丸くなった。


「ルナ様…」


 ルナは声に気付いたように、しゃがんだままエミリアに顔を向ける。

 エミリアは声をかけていいものか、幼いながらに気を遣ってくれているような表情をしていた。

 ルナは安心させるように微笑み「ありがとう、エミリー」と口を開いた。


「お陰で、あの人たちも(そら)に還ることが出来たみたい」


 ゆっくりと視線を足元の生き物に移すルナに、エミリアはゆっくりと歩み寄る。

 アルフレッドもその後を追うように傍に来た。


「あの、そのコは?」


「カグラの中で産まれた結晶…って言った方がいいのかな? 私もこの子のことは、あまり知らないの」


 依然として丸まったままの生き物に、ルナは温かい眼差しを向けていた。

 小さな生き物は一度パタン、と耳を動かした後、丸まったまま動かない。


「ルナ、事態を説明してくれるか」


「……そうだね、エミリーにもわざわざ来てもらったから、話さないわけにはいかないね」


 本音を言えば、これは憶測だからこういうふうに喋ってはいけないのだけど…。そうルナは前置きをしてゆっくりとその場に腰かけた。その僅かな動きに反応したように小さな生き物はぱちり、と目を開け、彼女の膝に乗り上げた。まるで聞いているとでも言うようにパタン、とわざとらしく片耳を動かしたのをルナは見逃さなかった。


「先に言っておくと、『カグラ』は人間の女性の気持ちに強く影響を受けてしまった桜の化身なの」


 膝上に乗った小さな生き物を撫でつつ、ルナはエミリアとアルフレッドの向こうに見える葉桜を見つめた。


「桜、というのは私の国でも咲いていた木の種目で、繊細な植物ではあるけれど、それほど珍しいものではないの」


 春が来れば桃色の花を咲かせ、夏に向けて青い葉を茂らせ、夏になれば紅葉し散っていき、冬になればまた芽吹く準備をする。ほとんどの木と―――この世界の樹木とそんなに大差はない、普通の木であった。


「この世界には、桜の木はないって聞いたわ。つまり、あの木はもとはここじゃない世界の植物。きっとそこは私の居た世界に限りなく近い世界。もっとも、あの人たちの住んでいた時代と私の時代は違うみたいだけど」


 それは服装だったり、カグラに視せてもらった景色がそう判断させただけだ。本当は全く異なる世界だとしても、今は瑣末なこと。


「私の住んでいた時代を今とするなら、彼らの居た時代はそこよりはるか遠い昔。小さな集落だったのか村だったのか、そのあたりは分からないけれど、あの桜の木は小さな川の少し近くに咲いていた。―――その時はカグラじゃなくて、みんなに愛されたただの桜の化身だった」


 愛されたものには神様が宿る。神様と呼べるものではなかったかもしれない。それでも、毎年毎年花を咲かせて人々に安らぎを与えていた桜はすくすくと育っていたことだろう。


「桜の化身は川の守護神である龍神に恋をしたんだと思う。同時に、龍神も同じ気持ちを彼女に抱いていた」


 つかの間の逢瀬だとしても、傍にいられる幸せを確かにあの夢の中でルナは感じていた。恋に落ちた経緯はわからない。それは彼らだけの物語だから知らなくていい。ただ、彼らの相手を愛おしいという気持ちは本物だった。


「でも、そこにある男女が現れた。その人たちは、戦に巻き込まれていて、逃げている途中だった。怪我を負っている女性を、男性は必死に守っていたんだけど……彼女は、あの桜の木の下で息を引き取った」


 彼女の血が、桜の木の元に流れ着いたのが今でも鮮明に思い出せる。きっと、その時だったのだろう。ヒトの強い感情に桜の化身が呑まれてしまったのは。


「ヒトの血は穢れって私の国の昔の人たちは言っていてね。多分、その時に桜に彼女の血が触れてしまったんだと思う。その時にはもう、桜の化身はカグラになっていた。それから―――、生き延びた男性は、死んでしまった彼女に向けて笛の音を贈るようになった」


 その笛の音が、桜の化身とヒトの女性の気持ちの慰めになった。カグラ自身はどうしてあの笛の音が心を穏やかにするものなのかわかっていなかったように思う。

 ヒトの女性はきっと生き延びた彼を見て安堵し、まだ想ってくれていることに喜びのようなものを抱いていたんじゃないだろうか。だってあの笛の音は泡沫の中からでもカグラに届いていたのだから。


「そんな日々が続いていたんだろうけど、ある日事件が起きた。たぶんそれは、災害と呼ばれるものだったんだと思う。川は氾濫し、彼らを飲み込んだ」


 そういう運命だったのかもしれない。あの龍神では守りきれない規模の大きな力だったのだ。

 カグラもその事に気づいていたはずだ。けれど、気持ちは追いつかなかった。───愛しい人を失ってしまった怒りや哀しみが全て龍神に向けてしまうほどに。


「この桜の木はきっと、龍神がここにつれてきた。きっと彼は“逃げ水”の役割を果たしてたんじゃないかな」


 龍神が制御できないほどの災害。それに勘付くことはできただろう。今までの経緯からルナは一つの結論にたどり着いてしまった。


「それは、あの龍神の精一杯の自己犠牲。恨まれてもいいから、どうか生きてほしかった。ヒトで言うところのそんな気持ちにも近かったんだろうけど」


 ルナはエミリアに視線を向け、ひとつ息をついて先を続けた。


「エミリーは知らないだろうけど、私が最初にここに来た時ね、彼女死にたがってたの」


「え…?」


「私が最初に彼女に依頼されたことは、『月に還してほしい』―――それは、ここじゃなくて、彼がいるところに行きたいってことだった」


 彼は、どこにももういない。その意味するところはエミリアにもわかったようで、不意の真実に彼女は瞳を潤ませた。


「そんなこと、一度も…」


「エミリーだから言えなかったんだよ。“幼いから”とか“未熟だから”とかじゃなくてね。この世界にきて、初めて会えた友人だったから。彼女にも思うところはあったんだろうね。彼女の夢に出て来るほどに、エミリーは彼女の心に残ってたよ」


 瞳を伏せていた小さな生き物はふとエミリアを見上げた。自然とエミリアも小さな生き物に視線が移る。

 ルナは小さな生き物の背を撫でると、もう一度寝入る姿勢になってしまった。


「彼女たちは“彼”のいない世界は耐えられない―――そのことを龍神は分かってたんだろうね。きっともとの世界のままだと彼女たちは恨みをぶつける場所もなく、出口のない暗闇にずっと閉じ込められて…いずれ消えていってしまったかもしれない。昔の私の国はそういうの、怨念とか祟りとか言って良いものではなかったから、消してしまえる人はいたからね」


「だから、自己犠牲か…」


 アルフレッドが呟いたことに、ルナは頷き返した。


「彼女たちの消滅を龍神は望まなかった。そして、出来れば彼女たちを助けてあげたかった。ううん、ヒトはあまり関係ないかな。彼が求めていたのはもとの桜の化身ただひとりだったんだから」


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