帰り際
パンケーキでお腹がだいぶ膨れた気もしていたが、少し遠回りをしたら屋台もいっぱいあるというので見学がてら歩いていくと馨しい匂いが鼻腔をくすぐり、知らず心が躍る。
大胆に鳥の丸焼きが吊るされていたり、ナンドックか北京ダックかわからないが何かの肉が挟まれている軽食もその場で作って売られていたり、果物屋さんでもその場でスムージーに出して提供しているお店もあり、ジャンルがごちゃ混ぜであったがなかなか賑やかだった。
その場を歩いているだけで、なんとなくお祭りに来たような気分になり、不思議な心境になる。
エミリーと手を繋いでいるその反対側を数人の子どもたちが駆けていく。
―――早くこっち来いよー!
―――待ってよー!
―――急げ、急げ! お菓子なくなっちゃうよ!
「この先に、『ポム・ギュー』というお菓子屋さんがあります。子どもたちが自分でお小遣いをためて自分で買えるように、店主が計らってくださった特別なお店です」
駄菓子屋さんのようなものだろうか、とエミリーの説明を聞きながら足を進める。確かに、子どもたちで賑わっているお店がある。
その近くに大人はいるが、その店には入らないようにか、遠巻きに見守っている姿が見える。
「御覧の通り、子どもたちが自分で買えるお店です。大人は出入り禁止なのです」
中の店主は気のよさそうなご老人だった。穏やかな微笑みが印象的で、子どもを大切そうに見守っている。
―――あぁ、懐かしい…。
昔、幼馴染みと一緒に駄菓子屋さんでお喋りをしながらその日決めたお菓子を食べた記憶が脳裏に過ぎる。あの男の子と女の子の様子は、その記憶とよく似ている。
「お姉さま、ここで少しお待ちくださいね!」
「エミリー…!?」
急に駆けだしたエミリーにハッと我に帰る。急に離れてはいけないのでは、と焦ったのだが、逆に伸ばした腕をシエルに掴まれてしまう。
「え、えっ、いいの!?」
慌ててシエルとエミリーを交互に見ると、シエルは黙って頷いた。その冷静な姿勢に徐々にルナ自身も落ち着きを取り戻す。
「こんなに離れてて、大丈夫なの?」
エミリーの行った先はその駄菓子屋さんだ。正面にあるとは言え、距離というものは護衛するうえでは重要な問題だと思われるが、果たしてこの場合はどうなのだろう。
不安に思って問いかけるとシエルは「問題ない」と応える。
「エミリーにはあと一人護衛がいる。心配は要らない」
「そ、そうなの…?」
パッと見、その護衛らしき人はいないのだが、どこかに上手に隠れているのだろうか。同じような距離を取っていたらそれこそ不安なのだが。
「ルナ、顔色が悪い」
「え?」
それはエミリーに何かあれば不安にもなります、と口を開こうとしていたら「もしかして、さっきの…?」と重ねて問いかけられた。
「さっきの…」
そう言われて浮かぶのは、喫茶店でのやりとりだ。
無事エミリーから了承の意を受け取る形になったが、ルナの心にはしこりのように残るものがあった。
「エミリーに、まだ不安が…?」
「そ、それはないです…! 本当に…」
エミリーに不安があるのではない。
問題は、全く違うところにある。
「不安ではなく、心配というか、なんというか…」
黙ってこちらをまっすぐ見つめるシエルに、少し迷った末、観念したようにルナは言葉を紡いだ。
「―――…こうして、お揃いのいで立ちで、姉妹のように一緒にお出かけしているのに、あんな話は無粋だったかな、とか思ってしまって。もともと、あの子の母にはさっきの依頼をするために、ほんの少し時間をいただきたいとだけ伝えていたのです。それが、こんな…息をしやすい場所であんな話をすることになるなんて…なんだか、申し訳なくって…」
「申し訳ない? なぜ?」
「何故って…」
「その依頼はルナにとっても大切なことで、エミリーも喜んでいた。それでも、申し訳ない?」
「…だって、彼女にとっては断れない状況でありました。素直には喜べないです」
王宮の中でまだ存在を隠して生きているエミリーからすれば、接する人は数少ないことであろう。カグラも、きっと彼女にとっては大切な存在であるに違いない。その気持ちを利用したような後ろめたさと、その方法しか思いつかなかった自分の不甲斐なさを今、ひしひしと感じているのである。
エミリーはお店の中で茶色の網籠を持って、子どもたちの間を縫うようにして奥の方へと入っていった。
しばらくすると、満足そうな表情で駄菓子屋さんから出てきた。
まっすぐにこちらを目指す翡翠の瞳は、あの水泡の中で視たものと同じだった。
『あなたの名前、教えて?』
友だちが、ほしいのだと。
無意識にそう叫んでいる彼女の声が、カグラを通して伝わってきていた。
「せめて、この“外”にいる間は、姉として、友だちとしていてあげたかったのだけれど…」
それでは、本末転倒だ。わざわざ時間を割いてもらっているのに、何も言わずいることはエルヒ王妃にも、エミリーにも、そしてシエルにも悪いことだ。
だから、あの時【ルナ】として区切りをつけなければならなかった。
そのことで、彼女の気持ちに暗い何かを落としてしまったのではないかと心配で仕方がない。
「それは…」
「お待たせしました! お姉さま!」
「おかえり、エミリー」
シエルが何か言葉を発そうとしていたところを丁度、エミリーの言葉が被る。
ルナは気持ちを切り替えてエミリーを出迎えた。彼女は小型のオルゴールが入りそうな箱を持っていた。
「これ、お姉さまに!」
「え?」
「開けてみてください!」
ウキウキとした表情で待っているものだから、ルナは少々戸惑いながら箱をもらい、中を開けてみる。
「わたくしのおススメのキャンディーです!」
中には日の光を受けて宝石のようにきらめく色とりどりのキャンディーがそこにはあった。
ビー玉の大きさで、箱いっぱいに入っているものだからお菓子ではなく、煌めく宝石をもらった気分になった。
「これを、私に…?」
「はい!」
屈託のない笑顔に、言われるまま一粒つまんで口に運ぶ。
コロコロと口の中で転がって、甘い風味が広がる。この世界の飴は初めて食べる。
金平糖のような風味だ。赤色でも、苺味というわけではないようだ。
だが、やはり懐かしい感じがして胸にグッと込みあがるものを感じる。
「お姉さま、どう?」
「おいしい、とっても。エミリーも」
「えっ」
「はい、あーん」
途端に、顔を赤くして恐る恐る口を開けてくれ、一粒入れるとキュッと目を瞑って口をもごもごと動かす様子になんとも言えない可愛らしさを感じる。
「おいしい?」
「―――世界イチ、おいしいです!」
かなり真っ赤な顔になっているのでその言葉とは逆の印象を受けるのだが、恥ずかしさ故かな、とあたりをつける。
さすがにまだ幼いとはいえ淑女なのだから、人前で大口を開けてもらうのはさすがにダメだったかな、と少し反省しつつ、エミリーの頭を撫でる。
わざわざ買ってきてくれた。その事実に、少し罪悪感が薄まってしまいそうだ。
「エミリー、ありがとう」
「うふふ、どういたしまして!」
そして、ハッとしたと思ったら大きな声でシエルに向かって言った。
「あ、兄さんにはあげちゃダメですよ! それはお姉様のものなんですから!」
「……。わかってる」
譲らない、といった様子でじーっ、とエミリーがシエルを見るものだから、彼は仕方ないとため息をついた後、そのように返した。
この短い時間で感じたことだが、エミリーはどこかシエルに敵対心的なものを抱いているように思える。
なんだか、今のやりとりも一生懸命にエミリーがシエルに威嚇しているようで、可愛らしかった。思わず笑ってしまう。
「さ、お姉様。今度はこっち!」
子どもは、勢いが凄い。
この残りの時間を最大限に使おうとしているのを感じる。
とても、明るくて陽だまりのように温かい子。
今は陰でしか過ごすことが出来ないというのが嘘のようだ。
いつの間にか手を引かれている。
さり気なくシエルがエミリーからもらったキャンディーの箱を持ってくれた。
活気溢れる店を見て回り、様々な発見があった。
異世界に来てから二年間。なるべく人との繋がりを持たないようにしていたのもあって、改めて人と関わり、その温かさは誰しもが持っているものだと実感した。
その温かさは、シエルとエミリーが築いてきた関係でもあったが、惜しみになく初対面のルナにも分け隔てなく、むしろ進んで与えてくれていた。
───また来てくれよな!
───次はもっと良いモン食わせてやるよ!
その言葉が、何度も心に響いたのは何故だろう。
閉ざした扉を優しくトントン、と叩いて呼びかけてくれているよう…。
楽しい時間はあっという間だった。
「エミリー」
不意に、シエルが声を掛けた。エミリーは素直に止まった。
「残念…まだまだ楽しみたかったのに。この街は広すぎます」
途端に、寂しげな様子に変わり、ルナは察した。
あんなに日が高かったのに、気づけばだいぶと傾いていた。
「馬車が来る場所まで、お送りします」
また、元の場所、セントラルに帰ってきた。馬車はもう、着いていた。
互いに楽しかったこと、感謝の言葉を伝えあった後、ヨルダが時間を告げるように馬車から降りてきた。
「お姉さま、わたくし必ずお役に立ちますからね。どうか期待していてください!」
「……」
とても嬉しそうな表情に、たまらず彼女を抱きしめる。
「お互い、頑張りましょう。彼女たちを救うために…」
それは自分に言い聞かせるような言葉だと自分で言っていてルナは感じた。
小さな誓いのようでもあって、その約束を自然と出来るようにしてくれた彼女にも感謝する。
エミリーの額に口づけをする。急なことだったからか、エミリーが真っ赤になった。
「今日はどうもありがとう。また一緒にお出かけしましょう」
シエルにもお礼を告げ、馬車に乗り込む。
ヨルダが馬車の窓を開けてくれて、お互いに手を振る。シエルが直立不動なのがなんだか、らしいな、と思った。
彼女たちの姿が見えなくなり、ヨルダに向かう。
「ヨルダ」
「はい、お嬢様」
お城に着くまでがどうやらお出かけのようだ。お嬢様呼びになんだか笑いがこみ上げてくる。
「ヒルダとあなたのお母さんに会ったよ。ヒルダと最初から企んでいたの?」
「予定変更があまりにも急でしたので、企んでいた、というのは語弊がありますが…。母もああ見えて緊張していらっしゃったので母のため、お嬢様のためにはどうしたらいいかとヒルダと話し合ったのです。どちらも粗相はありませんでしたか?」
「びっくりするほど仕事熱心なのが伝わってきてた。いい家族だね」
「恐縮でございます。お部屋に戻りましたらハーブティーをご用意いたしましょう。温かくて香りのよいものを選びましょう」
「気遣ってくれて、ありがとう」
こんな私的なことを話しあえるなんて思っていなかった。だから、今のこの空気はどこか不思議なものだと思いながら、行きの時より心が穏やかだと感じていた。




