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皇女への依頼

 エミリーへの贈り物は大変お気に召してくれたようで、歩きながら猫の帯留めを撫でたり、はにかんでいたり、とご機嫌さんである。


「お姉さま、お腹が空きましたでしょう? 今から行くお店はパンケーキがおいしいと城下では噂なのですって! わたくしも今日のためにずっと我慢していたのです。きっと、お気に召していただけるわ!」


「そう…。私も今から楽しみよ」


 二人で手を繋いで行くのは楽しい。彼女から嬉しい気持ちも伝わってくるようだ。


 三人は大きく回ってまた広場【セントラル】に戻ってきた。そうして、次の目的地がある南の門をくぐり、【フェリーミィシティ】に入る。南の門は新鮮な食材を扱い、料理店が多いようで門のマークも赤とフォークとスプーンが交差するように描かれていた。赤を見ると無意識に中華街を思い出すが、ここは異世界。案の定、普通のオシャレなカフェが立ち並んでいた。これだけ並んでいたら競争率も激しいだろうに、と要らぬ危惧も頭をよぎったが、エミリーの話を聞くところによると、それぞれの店にも昔ながらの看板メニューであったり、新しいメニューを取り入れたり、他の地域からも客が来て、店の立ち代わりというものはないようだ。

 海に近づくと魚介類も扱っていて、門付近よりもより活気に満ち溢れているとも言っていた。なるべく城の警備も配置されているが、喧嘩もしょっちゅう見かけるので今回は行かない、と言うエミリーにも驚きが隠せない。まるで現場を見てきたような口調に、シエルが傍にいるとは言え、それなりにお転婆をしているエミリーを説得する言葉を探すも、ついに見つからなかった。

 海付近のお店に行くのも、船が近くにあることが予想され、そこでの交流も彼女にはなくてはならないものだと、不思議と思い至ったからだ。

 こうして手を繋いで一緒に歩けることも奇跡なのだろう。


 ―――私もそろそろ、カグラの件について腹を括らなければいけない。


 彼女はまだ自分より幼いながらも様々なしがらみの中において、一生懸命だ。

 ならば、自分も“彼ら”に報いなければならない。心は決まった。


 お店の名前は【コスモス】という名前だという。ガーデンテラスがついた二階席を持つ大きな家の形をしていて、一階はどうやらテイクアウトのショーウインドウになっているようだ。二階席に続くように人の列があり、三人もその行列に並んだ。

 どうやら予約はテイクアウトのみ受け入れているという特殊な様式のようだ。

 中も外観と同じく柔らかなクリーム色で、コスモスが一輪挿しにされていたり、コスモスを描かれた絵が飾られたりしていた。

 日本では、コスモスは秋桜と書く。だから、秋の印象が強いので一輪挿しのものは造花かとエミリーに尋ねると、なんでも魔法で素早く花を乾燥させたものだと聞いています、との返答があった。

 なるほど、ドライフラワーのことか、とすぐに思い浮かぶ。

 薬草でも、花や実を乾燥させるときに用いることもあって、アリー母さんに教えてもらったな、と記憶を辿る。

 ルナ自身は魔力や聖力がないものだから、コツコツ地道に乾燥させることしかできず、アリシアがそう時間も置かずに持ってきたドライフラワーが花をふんわりと咲かせたままなのを見て、日本で自由研究にでもすればよかった、と悔やんだ記憶も一緒に思い出した。

 今思えば、あまりアリシアはルナのコンプレックスを刺激しないようにか、魔法を使うのも場所を選んでいたのだろう。

 彼女にも少なからず配慮を頂いていたのだな、と場違いながら考える。


 そんなことを頭の中で思いながら、待ち時間はエミリーと話をする。アスランと一緒にお客から逃げた商品を追いかけたことだったり、シエルかアロルド皇子(お兄様と一括りにされていたが)とどこに出かけて楽しかったかを本当に嬉しそうに語るものだから、待ち時間はあっという間だった。

 ほどなく席を案内され、丁度、テラス席という解放感に溢れた席であった。

 日よけの屋根もあり、周りにはコスモスが咲いている。完全に秋の景色だ、とおかしくて思わず笑った。

 この店のおススメのパンケーキを頼む。メニュー表を見て、文字が読めないことに気付いてエミリーのおススメにしてもらっただけだが。シエルは苺のタルトを頼んだようだ。


「…意外?」


「え? あ、いや…」


「……僕も甘いものはちゃんと食べる」


 果たして彼にとって昼食の代わりになるのだろうか。日頃からちゃんと食べているのだろうか、と思わず二度見してしまったのだが、なんとなく違うニュアンスの答えが返ってきたので慌てて訂正する。


「あ、違うの。お昼ごはん、それで足りるの?って思って…」


「あぁ…。足りない分は後で補うからいい」


「え、食べてください、今」


「いい」


 即答だった。何の我慢ですか、と思わずツッコミそうになったが、エミリーがこらえきれない、というように控えめに笑ったのを聞き、口をつぐむ。


「兄さん、ここのコーヒーが一番好きなんです。甘いものを食べた後に飲むのが一番コーヒーのうまみを感じると言っておりました。これでも、兄さんはわたくしといろいろなお店をめぐる中で自分の好みを把握していらっしゃったようで、最初の頃は一緒のものを食べていたんですけれど今ではご自分の好みのものをお食べになられますの」


 どれほど城下街に降りてきたのかが伺える発言にさしものルナも驚く。

 もう一度、シエルに視線を向けると気まずげに視線を逸らしていた。これは、照れているのだろうか。それとも、恥ずかしがっているのだろうか。今のルナにはわからなかった。

 ささやかな会話をして、ほどなくしてパンケーキが運ばれてきて、彼の所望した苺のタルトも運ばれ、ともに感謝の祈りをする。

 ほかほかのパンケーキは意外にももっちりとしていて、とろりと溶けたアイスクリームと生クリームがシロップのようについておいしかった。細い線状に掛けられた紅色のシロップ状のものは苺のジャムだろうか、と思ったが、風味が明らかに違う。おいしく、なんとなく香りも覚えがあるこのシロップはなんだろうか、と首を傾げたのを見たエミリーが種明かしをするように答えを教えてくれた。


「それはバラのシロップです。このお店は花の調味料を使うことでも有名なのです」


 なるほど。オシャレな外観にあった、オシャレなお店であったようだ。

 食後のフラワーティーも、ポットが透明で、お湯を淹れたら花弁が茶こしの中で舞って、見た目も華やかかつ、味も落ち着いたものであった。これハーブティーだ、と思ったのは内緒である。


 シエルのコーヒーには黄色の花が一つ浮かべられていた。どこかで見たことのある花だな、と思う。ほんの少し(かぐわ)しいにおいがしたような気もした。


 食後の紅茶を嗜みながら、ルナは心が(にぶ)らないうちにエミリーに相談を打ち明けることにした。


「エミリー、改まって、話があるの」


「はい、なんでしょう、お姉さま」


 その翡翠の瞳は、とてもまっすぐと純粋で、とても期待に満ちていた。

 なんとなく、この時点で彼女がどのように返答するのか、ルナにはわかってしまった。


「―――ここからは【ルナ】としてお願い申し上げます。約一週間後の満月に、あるヒトの転機が訪れます。その手助けを、エミリー、あなた様にお願いしたいのです」


「はい、喜んで」


 屈託なく彼女は笑う。その姿にルナは一度目を伏せ、覚悟を決めたように面を上げた。


「ありがとうございます。―――…ここからが、本題です。そのヒトの名は―――カグラ。面識は、在りますね?」


「存じ上げております。でも、あの、具体的には何をしたらいいんですか?」


「それは、あなたの力で“カグラ”を引っ張り出してほしいのです」


「!?」


 その言葉に驚いたのはエミリーだけではなかった。傍らのシエルも目を瞠っていた。

 ルナは続ける。


「きっかけがあれば、あのヒトは出て来れる。でも、夢の世界のままでは意味がない。この世界に繋げてほしいのです」


「危険すぎる。まだエミリーの力は…」


 思わずと言ったようにシエルが苦言を呈する。その先をあえて濁したこともルナは重々承知の上であった。


「そのことに不安を抱いているのであれば、このお話はお断りください。言ったはずです、“ここからが本題だ”と」


 ピン、と張りつめた空気になったことを肌で感じた。

 ルナは、友人として、協力してほしいわけではない。ましてや、恩人だからこそ一もなく二もなく頷いてほしいわけでもなかった。


「私には聖力も魔力もない。だから、その時使う力は、どれほど消費するのかもわからない。最悪の場合も視野に入れてその場に挑んでもらわなければなりません。私は、あなたの身を守れないのだから―――」


 コスモスの花がささやかに揺れた。

 エミリーは、逡巡するようにコスモスの花に視線を向けた。


「そして、もう一つ。この件に関しては、ひどく哀しいものがあるかもしれません。これは、その時にならないとわからないのですが、少なくとも喜ばしいものはきっとそこにはありません。正直に言いますと、あなたには大きな負荷がかかることも考えられます」


 彼女には自分で考えてもらわなければならない。

 今の自分からはデメリットを伝えることしかできない。

 ここで大切にするのは彼女の意思であり、彼女の生命。

 他者から依頼されたことだが、関与するにはそれなりの責任を伴う。

 そのことをおろそかにしてほしくはなかった。

 じっとエミリーの瞳から視線を外さず、ルナ自身も意思を揺るがすことなく沈黙を守った。


「お姉さまの言うこともわかります。わたくしは、未熟ですもの…」


 少しの沈黙の後、エミリーは静かに続けた。


「―――…でも、やっぱりお受けいたします。だって、わたくしではなければならない理由もそこにはあるのでしょう?」


「……―――」


 あぁ、やはり聡い子なのだな、とルナは思った。そして、彼女の心はとても輝かしいものであるということも同時に感じてしまった。ルナはひとつ、呆れたようにひとつ息を吐いた。


「―――…そう、エミリー。あなたでなくては、カグラはこっちに来てくれない。それはもう、彼女に視せてもらったから、その保障はできます」


「ふふっ、やっぱり! ね、兄さんもいいでしょ? わたくし、カグラとももっとお話がしたいの。きっと、その日は今まで聴けなかったことが聴けるはずだから」


「………」


 すぐには、シエルは頷かなかった。

 だが、やがてあきらめたように一つ息を吐いた。


「お前が、そう望むのなら、いいんじゃないか。母上も、お前の意見に合わせてくださるだろう」


「ええ! 絶対に押し切るわ!」


 説得してあげてほしい。とは頼んだ手前言いづらかったルナである。


 緊張していた喉に、フラワーティーはとても心地よく流れていった。ふんわりと香る花のにおいもようやく知覚できた気がした。


 お店を出て、食後の運動とでも言うように、もう一度【コレクトシティ】を回る。


 その間、時折憂いた表情を見せるルナを、シエルはただ無表情で見つめていた。



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