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服飾店の出会い

 クリーム色の石造りの一軒家。屋根が綺麗な薄緑の明るいお店で、看板には木版にルナには読めないがきっとこの店の名前が書かれているのだろう白い文字がそこにあった。

 ショーウインドウから見えるドレスはやはりきらびやかで、品があって眺めているだけでもうっとりしてしまいそうだ。今のルナにはそのような余裕はなかったが。


「このお店は【カナリア】と言うんです。わたくし、とっても大好きなお店なんですよ!お姉さま、中に入ったらきっとびっくりすると思います!」


 その言葉通り、店内に足を踏み入れるとルナは目を見張ることになった。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」


 その言葉通り、カウンターから飛んでくるようにはちみつ色の髪を持つ柔和な微笑みの彼女が姿を現した。


「ヒルダ…?」


「はい、お嬢様」


王宮にいる時となんら変わらない眩いばかりの笑顔にルナの思考が完全に停止した。その後、膨大な疑問がルナの頭を駆け巡る。


「ど、どうして―――」


「アル様、エミリー様、そしてお嬢様、私どものお店にようこそいらっしゃいました。丁度、約束のお時間ですね。とても首を長くしてお待ちしておりました」


「ヒルダたちのお店…?」


 オウム返しのように言葉をこぼしたルナに、ヒルダではない穏やかな声が返ってきた。


「はい、お嬢様は私どものお店は初めてでいらっしゃいますよね。この店は御覧の通り、仕立屋でございます。ご要望はなんなりとお申し付けくださいませ。お客様に憂いなく、心が華やかになりますよう尽力させていただきます」


「は、はぁ…」


 ヒルダの後からゆったりとした足取りでやってきたこの女性は誰だろうか。髪の色が同じ…もしや、ヒルダの母だろうか。

 混乱の中、静かな空間にガチャン、という施錠の音が耳に届く。


(鍵……?)


 お店なのになぜ鍵をかけたのだろう、と真っ白な頭の中でかすかに思った後、ヒルダが傍らに立ち、ルナの帽子に手をかける。

 あ、と思った時には遅かった。


「黒髪、黒目…お話通り、ですね。噂はかねがね、私の娘のヒルダとヨルダから聞き及んでおります。外部から見られぬよう、カーテンもしめましたのでどうぞご安心を、お嬢様」


「あ、残念。せっかくお揃いの髪だったのに…」


「そう気を落とさないでくださいまし、エミリー様。お出かけの際は必ずお返ししますから」


 宥めるように穏やかな声音のまま、彼女はそう言ってルナの帽子をテーブルの上に置いた。

 私の娘―――ということは予想は当たっていたということだろう。

 エミリーの正体もバレている。つまりは、ここで演技をする必要はない、ということだ。事情は分からないながらも、状況はある程度察したルナは肩の力を抜く。

 ここも、アスランの店と同じような感じなのだろう。王宮で侍女をしているヒルダもいるので間違いない。


「自己紹介が遅れました。私はメルリ・カンヴィアと申します。いつぞやは娘たちがお世話になりましたそうで…こうしてお会いできて嬉しゅうございます。本当は、私が王宮へ参上せねばならぬ身でしたのに、わざわざ足を運んで頂き恐縮でございます」


「そんな、あの、私は本当に何も―――…」


 初対面で頭を下げられ、ルナが恐縮した次の瞬間。


「ひいては、王妃様のお言葉通りに、かつ私たちの恩人たる夢の渡り人様のために最高のドレスを仕立てて御覧にいれましょう」


「……」


 親子だなぁ…、とルナはしみじみと思った。ヒルダは言うまでもなく決意を固めている表情で、エミリーだってきらきらとした眼差しが眩しい。ならば、と傍らに立っていたシエルに視線を移すが、見事なポーカーフェイスでその思考はついに読めなかった。

 この時点でルナに同情してくれる者はかぎりなくないに等しく、辿る道もまた一つであった。


「さぁ、こちらへどうぞ」


 さりげなくメルリさんに手を引かれ、ヨルダには肩を抱かれ奥の部屋へ誘われる。その後ろからエミリーも付いてくるのは微笑ましい光景のはずだがこれから起こる出来事にルナは素直に喜べない。

 唯一の男性であるシエルは彼女たちの後ろ姿を黙って見守っていたが、やがて手持ち無沙汰になり、ルナの被っていた帽子を正面に、椅子に座るほかなかったのであった。




「―――おまたせ致しました」


 ようやっと奥の部屋から出てきたルナは神妙な顔でそう言った後、静かにシエルの向かいの席に座った。


「…疲れてる?」


「そのように、見えますか?」


「見える」


「そうですか…」


 ならば自分はきっとそう、疲れているのだろう。

 ルナは自身の被ってきた帽子を見下ろしていたので気付いていなかったが、シエルはふと顔を上げて三人の女性がドア越しからこちらを見ていることに気が付いた。


「エミリーは…?」


「エミリーはメルリさんたちとの打ち合わせに入っていかれました。なんでも、最終チェックも兼ねて話し合っておきたいことがあるんだとか」


 その三人が今現在ドア越しにいて話し合っている様子はないので声を掛けるべきか数秒シエルは思案したが、エミリーが手振りで『ダメ』と言っているのでそれ以上はあえて見ないことにした。

 そうすると自然と視界に入ってくるのはルナの姿。何を考えるわけでもなく、ただただ一点を見つめている様子は相当な疲労感を感じさせた。

 シエルは女性のドレスのことなどわからない。母や妹が新しい衣装を着る度に花が咲くように笑っている姿は見たことはあり、それが眩しく思えることは少なくなかった。だから、このような場所は彼女にとって好ましいところだと思っていたが、実際はそうでもないのだろうか。


「ルナは、こういう場所は苦手?」


「苦手…では、ないです、ね…。」


 それは意外な答えだった。


「着飾る度に新しい自分を発見したような、目の醒めるような、そんな気分になれるのはやっぱり楽しいし、嬉しいです。このお店の人とエミリーはさすがというか、凄くセンスがいいから一緒に選べるのは勉強にもなるし…そう、楽しい。楽しいんだけど…」


「けど?」


「選んでるものが“ドレス”って言うのが…!」


 それ以上は感極まったように言葉を途切らせ、ルナは額に手を置いて完全に俯いてしまった。

 とても『楽しい』と言った人の行動ではない。

 だが、その様子が今までのルナの姿からは想像できなくて、つい彼女を凝視してしまうシエルである。

 悲しんでいるのではない。怒りを抱いているわけでもない。ならば、彼女のこの様子は何と言うのだろうか。何か声を掛けなければ、いけないような気がする。


「……。ここの次はエミリーの好きな喫茶店(カフェ)に行くと聞いている」


「カフェ?」


「ここから少し歩くが南に料理街でもある【フェリーミィシティ】がある。そこで食事を、と…」


「あぁ、そっか。そうでしたね。ランチをするのが今回の目的でした」


 もうちょっとで忘れそうだった…、と呟く彼女に、先程まで奥の部屋で何をされていたのかシエルは真剣に考えそうになった。


「……」


 不意に、ルナがふわりと笑った。若干、弱弱しいというか儚い印象を抱くが、先程の沈鬱な表情から一変したその様子にシエルは目を瞠った。


「友だちと食事なんて、何年振りだろう。ふふ、楽しみ…」


 しみじみとした声音で彼女は本当に嬉しそうに語った。それが本心だということもわかって、シエルはなんとも言えない心境になる。ホッとしたような、逆に胸がざわつくような、一言で表すには難しい気持ちであることは確かだった。


「ルナは、着飾るより食べる方が好き?」


「……しいて言うなら、両方です」


 一瞬の間はなんだったのだろうか、と思ったがそういえばここは服飾の店だったな、とシエルは思い出す。甲乙をつけるような問いかけは無粋だったかもしれない、と少しの反省もした。

 先程より少々顔に赤みがあるがもしや照れているのだろうか。今の会話の中に照れる要素はないと思うが…やはり女性のことはよくわからない。アロルドなら、彼女の心境の変化も手に取るようにわかるのだろうな、とほんの少しここにはいない兄を羨んだことなどルナは知る由もない。

 チラリ、と奥のドアに視線を移す。未だにエミリアたちは隠れるようにこちらを見ている。明らかに話し合いはしていない。

 壁に掛けられた柱時計を見やる。昼時だ。ここから歩いていけば丁度、席も空いている時分だろう。

 ここはひとつ、エミリアに出てきてもらうとしよう。


「ちょっと待ってて」


 そう言いおいて奥の部屋に足を向ける。エミリアはハッとした様子で慌てて部屋に戻った。


「……」


 物音を立てないようにかほんの少しドアは開いているが、ノックも無しに入室するのはさすがに憚られた。控えめにノックをして声を掛ける。応えはすぐにあった。


「ちょっとお待ちください、兄さん。そうだ、少し時間が掛かるのでお姉さまと出かける準備をしてくださいな」


 ルナの言っていた最終の打ち合わせはそこまで掛かるのか、女性は大変だな、と改めて思ったシエルは素直に彼女の元へと戻る。

 傍らに立つとルナはこちらに視線を移した。先程より顔色が戻ったようだ。


「エミリーたちは?」


「まだ少し話があるようだがじきに出て来る。外出の準備をしておこう」


「わかりました。―――?」


「お手をどうぞ」


「え」


「?」


 不思議そうに首を傾げるシエルに、ルナは驚きを隠せない。ただ立ち上がるだけなのだが、そこまでされることが当たり前の文化なのか、ルナにはわからなかった。とりあえずそのままの姿勢でいるわけにもいかないため、少しの間の後、結局彼の手を取ることになった。ついつい恐縮して『ありがとう』を伝えるのも小さな声音になってしまったが。


 立ち上がると、シエルはそっと彼女の手を放し、テーブルの上にあった帽子を手に取った。

 あ、とルナが声を上げたと同時にその帽子は彼女の頭上にふわりと乗せられた。その後、髪を優しく撫でつけ、その上にヴェールが掛かるようにゆっくりと手を滑らせていく。

 丁寧な触れ方にルナは頬に熱が集まるのを感じていた。一国の皇子に私は何をさせているのだ、と自問するが、不可抗力だったんだ、と懺悔する自分もいて胸中は小さな嵐が巻き起こっていた。

 当然、シエルはそのことに気付く様子はなく、一歩二歩と距離を置いて彼女を俯瞰するように見つめる。

 美形に自分の平凡な容姿を見られていることに、なんの罰ゲームだろうエミリー早く帰ってきてと呪文のように心の中で唱えていたルナの心境を彼が察することはなかった。


「あの…」


「何?」


「本当に、私の髪の色は今、赤茶に見えますか?」


「うん、見える。普通の人は」


 最後の付け足された言葉に疑問符がルナの頭に過ぎる。


「普通の、人は…?」


「その帽子は、魔法具であるけれどあくまで帽子。聖力、魔力が特別高い者にはいくらなんでも誤魔化せない」


「…それは、大丈夫なのでしょうか?」


「大丈夫。特筆して能力値が高い者が姿を消そうとも、僕の目を欺くことは出来ないから」


「そう、ですか…」


 今の会話の中で、絶対に説明を省かれた箇所があるような気がする。シエルがあまり語らない性格なのだろうが今の説明で“わかりました”ということは難しい。とりあえず、シエルが護衛である強みもあってルナとエミリーの外出は叶ってるということだろう。

 そう思うとシエル様様である。いや、そもそも護衛が皇子というのもおかしいのだが。


「お待たせいたしましたわ」


 エミリーが扉から出てきてにこやかに言ったのが聞こえて、後ろを振り向いた。


「お姉さま、いい出来になりそうですわ!!」


 満面の笑みでこちらに抱き着いてきたエミリーを受け止めつつ、先程の作業部屋でのことを思い返し、苦笑が零れる。

 舞踏会では、いろいろと覚悟が必要になってくる予感がした。


「ふふっ、エミリー様のご期待に添えるように私どもも精進させていただきます」


 ヨルダも誇らしげに微笑みながらこちらに歩み寄ってきて、そのように述べた。


「お手柔らかに、お願いします」


「はい、お嬢さま。―――あと、先程ご所望されていたこちらを…どうぞ」


「ありがとう、ヒルダ」


 ヒルダから透明の猫の形をした帯飾りと、紫の帯紐をもらう。


「まぁ、かわいいですね、お姉さま!」


「エミリー」


「? はい」


「これは貴女のものよ。せっかくの楽しいお出かけだし、これぐらい、いいよね?」


「え、えっ!?」


 ヒルダにも手伝ってもらい、エミリーの黄色の帯に帯飾りをつける。

 丁度、大きな姿見もあったので、自分の姿を確かめてもらうと、今にも泣きそうな、困ったような表情のエミリーがまっすぐ見ていた。


「猫は、苦手?」


「いいえ、いいえお姉さま。わたくし、こんなの初めてで…」


「そう。でもこれで、お揃いね?」


「―――はい!」


 次にこちらに振り返った彼女はとても綺麗な顔で笑った。

 同じうさぎの形はどうやらなかったようだが、これはこれでかわいいものを贈れたのでよかった、とルナは胸を撫でおろした。

 協力してくれたヒルダにも感謝の意を伝え、三人はその場を後にした。


 着付けや小物選びなどは疲れたが、このお店を訪れることができてよかった、と心の底から思えた。


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