兎の帯留め
「お姉さま、このコ、かわいいと思いませんか!?」
エミリーの満面の笑みと共に鳥の絵柄が入った茶器を指し示される。確かに、かわいいと言ったらかわいいが日本の古墳近くの博物館に展示されていた朱雀の絵と似ていて容易に賛同しかねる。綺麗と言った方がしっくりくるのではないだろうか。そんなことを思っていたらエミリーが続けた言葉にルナは耳を疑う。
「この茶器、綺麗って言われるよりかわいいって言われた方がくすぐったそうに笑うのですよ。口調もあっけらかんとしていて、話していると慣れない言葉遣いで戸惑いもしますがとっても新鮮なのです」
「え、そうなんだ…」
よかった、綺麗って言わなくて。茶器の表面も艶があって色彩も橙と朱色で鮮やかで保存状態がいいのがわかる。綺麗と言われ慣れているのか。むしろよく『かわいい』という言葉が出てきたな、とエミリーに感心の目を向ける。
「お姉さまも、かわいいと思いますでしょう?」
「うん、言われてみれば、かわいい」
「…あら、このコ、今照れましたよ」
「なんて言ってるの?」
「『おめえさんの方が別嬪じゃねぇか、べらんめえ』だそうです」
(あれ、江戸っ子…?)
ルナの言語変換がそのような言葉遣いにさせたのだろうか、と頭の片隅で思うがエミリーも慣れない言葉遣いと言っていた通りコレはやや田舎寄りの出身なのかもしれない。
想像していたよりも気さくな返答に、戸惑いもあれば親近感もでてくる不思議な感覚を味わっていると、エミリーが尚、嬉しそうにこちらに笑いかけてきた。
「お姉さまとお話が出来て、このコも嬉しそうです。他のコたちも今か今かと待ちわびているようですから一通り回っていきませんか?」
美術館ほどの広さがあるわけでもなく、ただの一軒家の一階だから回るのはそんなに時間はかからないだろう。商品が所狭し、というわけではなく、程よい間隔も空いていて店内にはすっきりと並んでいる。エミリーはその一つひとつの商品たちとルナに挨拶を交わしてほしいようだった。
そんなことならお安い御用というもので、ルナはエミリーの後をついていく感じで顔合わせをしていった。
意外にもエミリーは演技派のようでその“声”になるように努めているのか、女性らしく淑やかな声だったり、男らしく低い声にしたりとわざわざ変えてくれ、ルナはなんとなくだが個々の性格らしきものも把握することが出来た。
「―――?」
ふと、ルナは白い小物が目に付いた。エミリーが次はどのコから話を聴こうか迷っている間のことで、ルナは引き寄せられるようにその目の前に立った。
それは兎の形をした、置物のようなものだった。思わず手に取っていた。丸い月を抱いているような恰好で、よくよく見てみると手のところと尻尾の後ろ側に穴があいている。そう、まるで紐を通すような―――。
「それが、気になる?」
「ッ!?」
いきなり背後から声がしてルナは驚きに引きつった声を上げた。
慌てて後ろを振り返るとまっすぐにこちらを見下ろすシエルと目が合った。
「すまない、驚かせた」
「い、いえ…」
未だ心臓が早鐘を打っている。その胸を抑えるようにルナは胸元に手を置き、ぎこちなくシエルから視線を外した。
本当に不意を突かれると人は声も出ないらしい。
さっきまでアスランとお茶を飲んでいたのが視界に入っていたから、まさかこんな至近距離まで近づいていたとは予想外もいいところだったのだ。
ともかく、手の中にある商品を落とさなくてひとまず一安心だ。
「まぁ、兄さん、そのように乙女の背後に立つものではありません」
こちらの異変に気付いたエミリーが非難するように眉を吊り上げて戻ってくる。
「すまない。そこまで考えていなかった」
むしろ何を考えてそこに立っていたのだろうか。ようやく収まってきた鼓動にひとつ息をつき、ルナは彼らに向き直った。
「大丈夫、ちょっと急で驚いただけだから。―――もうお茶はいいの?」
「…あぁ。おいしかった。アスランは猫舌だからまだ飲み切ってはいないがよく飲んでいる方だ」
「そ、そうですか…。それはよかった」
獅子の名を冠する人も猫の特性をお持ちでいらっしゃるのだろうか、と納得の意味も含めて彼を見やる。
アスランの基準はよくわからないが、彼らのお気には召したようだ。
ということは、シエルはお茶を飲んですぐにこちらに来たということだろうか。確かに今いる位置は玄関に近いけれど、そこまで片時も離れないように護衛をする必要は果たしてあるのだろうか。
これではシエルの気の休まる暇がないな、と守られる当事者ながら不憫に思っていると彼はもう一度ルナの手元に視線を移した。
「―――それ、気になった?」
再度同じことを問われ、ルナは手を開いて中にあった兎の置物に視線を移す。
手汗なんてついていないだろうな、と一瞬肝を冷やしながら見ているとエミリーも手元をのぞき込んできた。
「あら、このコは初めて見ます。ここ最近入ってきたのでしょうか」
ここ最近、がどの程度かはわからないが常連である彼女が言うのならば間違いないだろう。
「エミリー、このコ、もしかして何か伝えたがってる?」
「お任せください、お姉さま」
エミリーの手に兎の置物を手渡す。エミリーは手の中に集中し始めた。
挨拶を交わし、お互いに名乗ったようで、小さく言葉が聞こえた。そこからは相手の話に耳を傾けているのだろう、エミリーは瞼を下ろし、沈黙した。そうして間もなく翡翠の瞳が顔を見せた。
「このコの名前は【アマント】とおっしゃるようです。なんでもお姉さまに一目惚れしたようで、そのせいでお姉さまがこのコに引き寄せられたのだと思います。このコが言うにはお姉さまがまるでお月さまのようで、故郷に戻れたような気持ちになるんだとか。とりあえず、お姉さまの手の中が居心地がいいようなのでお返ししますね」
「そう、なんだ…」
再度手の中に戻ってきた兎の置物を見つめる。
熱烈というか、理由が何故そうも郷愁を駆られるものなのだろうか。
請われていることがわかって気恥ずかしいやら恐縮やらで複雑な心境である。
うっかり買いたくなるのはルナがあまりにも夢でいろんな人にあって来たからだろうか。このままではいつか怪しい壺を買わされる羽目になる。そのことが容易に想像できて、そんな自分に絶望したルナである。
薄暗い気持ちを抱えているルナとは反対に、兎の置物は乳白色が目に柔らかく映って見えた。
そこでふと、脳裏に月を見上げる兎を思い出した。すすきとお団子を供えてその隣に佇む一羽の兎。その兎は黄金色の月を見上げていた。そう、日本の月見をイメージさせる情景だった。
この世界でも兎は月の使者であるのだろうか。そういえば、この世界の月は大きいが、プラネタリウムで見たように兎の形を見出したことがないことに思い至る。
満月まできっとあともう少し。次は意識して見てみようとなんとなく思う。その傍ら、兎の置物を見ていると手の中で駆けていきそうに思えた。
生き生きとした温かな鼓動が聴こえてくるようだ。日本にいた頃、兎を触らせてもらったことがある。その感触に似たものを感じるのはルナがおかしくなってしまったのだろうか。
―――でもきっと、このコは手の中や木目などの武骨なところではなく、柔らかく温かいところがいい…。
そう、それこそ風をきって駆けていき、見晴らしのいい野原から月を眺められるような、そんな場所がこのコには合う―――。
「お買い上げ、ありがとうございまーす」
唐突にカウンターから声が飛んできた。頬杖をついてこちらを気だるげに見つめるアスランと目が合う。十中八九、彼が言ったのだろう。
「あの、まだ買うとは何も…」
「ソレ、帯留めだから今のあんたの腰帯に合うんじゃないか」
「え、帯留め? コレが?」
「帯留め用の紐もそこに置いてるだろ? それには琥珀の色がよく合う。セットでどうぞ」
「え、あの―――」
いきなりの押し売り業にさしものルナも度肝を抜かれる。
ヤバい、今さっき怪しい壺を買わされる自分を想像したばかりだ。
危惧したことがこんなすぐに現実になるなんて―――、と焦りに頭が真っ白になったところに、さらに驚くことが起きた。
「―――ルナ」
「はい? ―――え、あっ」
シエルに名を呼ばれて振り向く前にフッと手の中が軽くなった。そしてシエルがやや身を乗り出し、琥珀の帯紐を手に取るのが視界に入り、彼のしようとする行動を察した。
「ストップ、ダメ、シエル!」
そのままスタスタとカウンターに歩んでいきそうなシエルを咄嗟に引き留める。
シエルはとりあえずは足を止めてこちらを振り向いてくれたが、何故、その瞳は不思議そうな色を浮かべているのだろうか。
無表情ながらも、どこかきょとん、と効果音がついていそうな雰囲気が漂っている。
「な、なんであなたが買おうとしているんですか?」
「―――気になってるようだから」
「そんな理由で!?」
「立派な理由」
「いや、それはそうですけど、でも―――」
真顔で返されたら自分の理由も物を買う時に必要であることは頷けるが、それよりも釈然としないものを胸に抱く。
この時点でいろいろと考える時間はあったはずだが、その時は何故か焦りが強くルナの中で芽生えていた。
「あなたが買うなら、私が買います…!」
悲鳴にも似た声が店内に響いた。
*******
ルナは自分が無一文だと思っていたが、実際はアリシアの薬草を育てるのを手伝っていたのもあり、その収入からお小遣いというものを得ていたらしい。それは二年もすればそれなりの額も貯まるというもので(基本の生活は自給自足だったものだから余計に)今回、街に出るということでヨルダから馬車の中で財布なるものを渡されていた。さすがに小遣いの全額は入っていないが、アリシアが王宮に駆けつける際に持ってきたのだと伝えられた。
恐らく、アリシアはこんなふうにルナが外の世界に出ることをわかっていたのかもしれない。
存分に息抜きをしてくるように、とご丁寧に言伝をヨルダに頼むくらいだから、このお金を使う時がもう間もなく訪れるのだろう。
そんなことを思っていた矢先だったのもあり、シエルが帯留めを買おうとしているところを止めるのには良い言い訳になった。
―――『やっとこのお金たちが陽の目を見られるんです』という言い方はさすがのルナも大いに反省することになったが。ついでに紙幣や硬貨の使い方もそこでようやく教えてもらい、顔から火が出る勢いでただただ恥ずかしかった。
今は店の商品である衝立の陰に隠れて腰帯を締め直しているところだ。腹部の中央に丁度、兎が来るようにし、腰帯は後ろで括り、帯紐の留め具のところが隠れるようにする。鏡はないが、代わりにエミリーが着付けを手伝ってくれ、ひとまず斜めになったりと不格好なことにはならずには済んだ。
「ふふっ、お姉さま、お似合いです」
「ありがとう、エミリー。手伝ってくれて助かったわ」
「いいえ、お姉さま。こういう時に頼っていただけてわたくし、本当に嬉しいんですよ。まるで本当の姉妹のようで」
「エミリーは買わないの? 兎はこのコだけでも、他の帯留めもかわいかったし、おそろいのようにしてみない?」
「おそろい! それは素敵な響きですね! でも、今日はやめておきます」
「どうして?」
「ここのお店のコたちは、買い手を選んでいるのです。だから、わたくしは買えないのです」
エミリーにとっては当たり前のことを言ったのだろう。さらりと返された答えにルナは思わずエミリーを見つめた。
「……エミリーらしい理由ね」
「こういう時は、あのコたちの“声”が聴こえるのが難点です。だって欲しい時に『買わせて下さいな』って訊いたら『ヤダ』って言うんです。あのコたちは素直ゆえに、正直物です。ヤダ、なんて言われたら買えないじゃないですか」
「それもそうね…」
声は想像がつかないが、そのやり取りが目に浮かぶようで苦笑が零れる。
確かに、そう言われるとなかなか懐に入れるのは躊躇いが生じるだろう。
しっかりと相手の気持ちを尊重してあげる、優しい彼女の内面も感じられてルナはホッと安堵する。
「―――でも、喜んでいる姿を見るのはやはりこちらも嬉しいものですね。丁度お姉さまの帯は白地に草花の刺繍がされていて、それがよりこのコを映えさせています。今、とってもはしゃいでいますよ!」
「そう、ならよかった」
ほぼ衝動買いに等しい行為ではあったが、本人が満足そうならよかった。
兎の帯留めに視線を移し、そっと触れてみると愛おしく思えるのはきっと自分のお金で初めて買えたものだから、という理由だけではない。
―――そう、新しい生命をこの手に抱いた感覚に似ている。
指先から息遣いを感じて、大切に守らなきゃ、と思えるような―――そんな気持ちが溢れてくるようだ。
「着替え終わったかー?」
「アスラン、淑女を急かすものではありませんよ!」
「いや、少なくともその衝立は仮にもウチの商品だから。それに、日頃は限られた奴しか入ってこないとはいえ、いつ客が来てもおかしくないからな? お喋りに夢中なのはいいが、場所をわきまえてくれよ」
「あら、そうでした。わたくしったら嬉しくってつい…」
あぁ、この返答の仕方、エルヒ王妃様と本当に瓜二つだな、とルナはさらに笑みをこぼした。
幾度かエミリーに確認してもらい、ようやく衝立から出る。
女性の着替えというので気を遣わせてしまったようで、アスランとシエルは玄関入り口で待機していたのだが、エミリーの合図でこちらに向き直った。
「おっ、違和感ねぇな!」
「―――…」
きっとアスランは女性を褒める才能がないのかもしれない、と長くもなく短くもないルナの人生経験から予想を打ち立てた。いや、ただ帯留めを追加しただけで本人は変わりないのだから褒めようもないのは分かっているが。
「アスランさん、素敵なものをありがとうございました」
「いやいや、毎度あり! きっとソイツも何かしらやらかすからまた話聞かせてくれよな!」
最後の最後で不穏なことを笑顔で言った猫のヌイグルミを頭に乗せた少年に、ルナも淑女スマイルで手を振ってその店を後にしたのだった。
店を出て、最後に出てきたシエルが扉を閉めると、魔法陣のような模様が描かれている掛札がほのかに紫の光を発し、同時に兎の帯留めも光に包まれた。けれどそれはものの数秒でやがて何事もなかったかのように光は消えた。
「―――今のは?」
「“封”だ」
たまらず問いかけたルナに応えたのはシエルだ。
「ふう…?」
「そう、ここの商品はとても貴重で特殊。買い主を離れていくことも少なくない。この店自体にその場に留められるよう“封”は施されているが、この店を出れば自由も同然」
「…逃げてしまうんですか」
「その手から離れる理由はそのモノたちしかわからない。一時的に離れるだけなのか、違う相手に渡るつもりなのか、その実情を買い主が知るはずもなく、―――そのためこの店に苦情が来る。それを未然に防ぐための呪いなのだと、アスランから聞かされたことがある」
(なるほど…)
思わぬところで店の事情を知ってしまい、気の利いた言葉も浮かばないルナである。
せっかく買った商品が店を出た瞬間にどこかに行ってしまうなんてそれは買い手も憤慨するに決まっている。先ほどの紫の光は、買い手の元に留まれる期間を設けるものだったのだ。
最後のアスランの言葉、あれはそういう意味であったのか、と納得をしたがそういえば自分ももう余所事ではないな、と思い至り、少々複雑な気持ちになった。
「お姉さま、次はあちらの通りのお店に参りましょう!」
そんな心に温かい日差しを与えるかのように明るいエミリーの声が届いた。
見れば、ショーウインドウにきらびやかなワンピースやドレスが飾られている。
今までは主に装飾物のお店が多かったが、ここからは服飾が主なのだろうか。
「ココの店には絶対に来てくれ、と今回かなり念を押されているのです。あのお店を外してしまったら後から彼女たちに責められてしまいます」
―――『それはわたくしが贔屓にしている仕立て屋に無理を言って作らせたものですわ』
何故、エミリーの言葉でエルヒ王妃の言葉が脳裏に過ったのだろう。
疑問とも予感ともつかぬ気持ちを抱いたルナは、エミリーに手を引かれるがままに店に足を踏み入れたのだった。




