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皇女の悩み

「まぁ、それはともかく。―――はぁ、散らかったな」


 アスランは頭の上に乗ったヌイグルミの猫を器用に避けて額に手を置き、盛大にため息をついた。確かに、彼の足元は踏み場がないほどに物が散乱している。むしろ、彼を囲むように密集している様子はまるで別の人がわざわざ並べて置いたようにも感じられる。


「エミリーさんだけでなく、噂の夢の渡り人が来るってなりゃこうもなるか。気持ちはわかるが、俺に対する悪質な嫌がらせだけは許せん。罰として野郎の手だけでお前たちを片付けてやる。―――アル、すまないが手伝ってくれ」


「わかった」


「―――というわけだ、エミリーさん、夢の渡り人。片付けが終わるまでそこでお茶して待っててくれ」


 そう言って、彼は部屋の窓近くのテーブルとイスを指さしてから手のひらを一度ひらりと返して紫の光を飛ばした。すると、その光はテーブルの上にたどり着くとポンッ、と軽い音を立ててポットとソーサーに乗ったカップ…いわゆるティーセットが現れた。王宮で使われていそうなアンティーク調な柄をしているのがお洒落だ。

 魔法だ、と驚くことも今更だが、まるで手品のようなその光景は何度目にしてもルナには鮮明に映る。

 自分が使えないことを改めて診断されたのもあり、ちょっと羨ましい。


「あの、アスラン? わたくしにも―――」


「エミリーさん、俺の話聞いてました? コイツらが調子に乗るんで手伝いはダメです。むしろあんたじゃ作業が進まない。―――おい、夢の渡り人、あんたもだ。何手伝おうとしてるんだ」


「いえ、シ―――、アルさんが手伝うのに庶民の私がしないのはおかしいかなって」


「…あんた、自分の立場ってもん、やっぱわかってねぇだろ。じゃなくて、俺は生まれのことは言ってない。あんたが夢の渡り人ってのが問題なんだ。それに、あんたが手伝おうとしてもコイツらの戻し場所なんて知らないだろ。余計に時間がかかるし、何より俺が面倒だ。あんたはエミリーさんの相手でもしててよ。アルさん、それでいいだろ?」


「構わない」


「ほらほら行った行った」


 シッ、シッ、と追い払うような仕草を返される。ルナはいいとして、仮にもエミリーは王族の人なのにそんな対応をしてもいいのだろうか。そして、言葉少なに承諾したシエルにも思うところはあるが、ここは素直にテーブルに誘われることが賢明なようだ。


「エミリー、私がお茶を淹れますよ」


「えっ、いいのですか!?」


「えぇ、お茶の淹れ方はアリー母さんとヒルダとヨルダにも教えてもらったから口にも合うと思います」


「…あの、お姉さま」


「はい、なんでしょう」


「あのよければ、さっきみたいに、本当の妹に言うような感じでお話、してもらってもいいですか?」


 あぁ、やはりバレたか。思わず苦笑してしまう。

 さっきまではさすがに人の目も合って、あえて砕けた物言いになるように気を付けていたのに。

 ルナ自身はエミリーも王女なのだからと敬語の方がしっくりくるのだが、どうやら彼女は線引きをされたように感じたのかお気に召さなかったらしい。

 まぁ、せっかく外の世界にいるのだから堅苦しいのはナシにしてあげたほうがいいのかもしれない。


「―——わかったわ」


 その答えを待っていたかのように、エミリーが安堵したように微笑んだ。大輪の花が咲いた瞬間だ。これは、王宮に戻っても言葉遣いを今のままにしてほしいと言われかねない勢いだ。それだけは絶対に阻止しよう、と心のなかでこっそり決めて、ポットを持ってお湯を淹れる。

 背後で唐突に茶器が触れ合う音ではない、カチャカチャという音が鳴る。いや、そんな可愛らしいものではない。ガチャガチャとなんだか激しい音がしている。

 蒸らす時間を待っている間にたまらず後ろを振り向くと、どうやってあの密集地帯から抜け出したのか、シエルと並んで散乱している物を見下ろすように腰に手を当てて立っているアスランがそこにいた。


「あーもうー! ガチャガチャうるせぇな! 勝手に動いたお前たちが悪い。あえて俺を囲んだのもあわよくば彼女たちの手で戻してもらおうって魂胆だったんだろ。そうはさせねぇ。―――アル、魔法で戻さないでゆっくり手で戻してやってくれ。コイツらを戻すときは魔法は使わないってばあさんとの約束なんだ」


「わかった」


「よし。というわけでお前ら、俺たちが、丁寧に、しっかり、元の位置に戻してやるよ」


 含み言い聞かせるようにアスランが言っているのを聞いて、こちらからは顔は見えないがその背中に般若の面を見たような気がする。親が悪戯をした子どもに叱っているような光景だが、どう聞いても意趣返しにしか思えないセリフだ。

 ガチャガチャと音はしていたが、アスランの立ち位置からして物にぶつかった様子はない。出て来られたのも魔法を使ったのかもしれない。

 だとしたら、アスランが言うようにもしかしてあの“物たち自身”が動いて出した音だったのだろうか。確かに、いうなれば抗議の音にも聞こえなくもなかった。そして、今まさにアスランの宣告を聞いて僅かに、しゅん、と何かが(しぼ)んだような空気が漂った気がした。


「あらあら、かわいそうに…」


 エミリーがふと言葉をこぼすのを聞いて、彼女の方を見る。

 眉根を下げて、申し訳なさそうに微笑む姿にルナは目を瞬かせた。そこで、あることに気付く。


「エミリーは彼らにふれなくても声が聴けるの?」


 魔術師長のロビンが言っていた。声無き声を聴ける者は別にいる、と。それは暗にエミリーのことだとルナはもうわかっている。

 もしかしたら、彼女はアスランとあの物たちとの会話が聴こえているのかもしれない。

 その考えは当たっていたようで、エミリーは少し恥ずかしそうに肩を竦めた。


「その、少しですけれど…。アスランのようにはっきりと聴こえるわけではありません。やはり、ふれている方がクリアに聴こえますが」


「そうなの。ねぇ、かわいそうってことは、アスランの予想は当たっていたということ?」


「どうやらそのようです。あのコたちに気に入ってもらえているようで嬉しいですわ。アスランにそう言うと苦い顔をされるのですけれど」


「そう…。それは…」


 なんとも言えない。

 モノに好かれることは基本的にはいいことなのだろうが、あんなに元気いっぱいで賑やかな様子を聞くと自分の手にはあまる気がする。

 ルナはここに訪れるのは初めてだから、きっとあのモノたちはエミリーを待ちわびていたのだろう。

 アスランが〝彼女たち”と複数形にしていたのが気になるが。だって、そう思わなければ、ルナ自身の噂があちらの世界にも広まっているということになる。それだけは考えたくない。

 危うく違う世界の事情を垣間見てしまいそうで、少しの恐怖を胸に抱いた瞬間だった。

 

「―――やっぱり、お姉さまは驚かれないのですね」


「? 何が…?」


「ふふっ、普通は物が話すのはおかしいと思われるのが一般論ですわ。物は物。感情なんて持っていないという見方が当たり前なのですもの。こうして自然とわたくしやアスランのやりとりを受け入れてくださる方はそうそういませんから」


「そう、ね。以前の私ならそう思っていたかもしれない。でも、私もああいう存在と関わったことがあるから否定することはもうしないわ」


「それは、夢で…ですか?」


「夢は本当にいろんなものが視るのよ。種族が違えど、人が作り出したモノであろうと、みんな夢を視る。夢を視るのは、心がある証拠。…もともと、私の故郷には【八百万の神】と言って数えきれないほどたくさんの神様がいろんなところにいるっていう考えを持ってはいたんだけれど。その中でも物に宿るのは【付喪神】と言われていたの。―――そろそろいいかしら」


 エミリーのカップに紅茶を注ぎ淹れる。ミラナノラの香りがふわりと広がり、自然と肩の力が抜けて落ち着く。

 ちらり、と片付けに勤しんでいる男性二人を見る。シエルは主に高い棚に片付けているようだ。


 ―――アルさん、次コレ頼むよ。

 ―――あぁ、これでいいのか?

 ―――バッチリだ。くそ、なんでわざわざ高いところから降りてきやがったんだ、コイツラ。俺への当てつけか。

 ―――……。

 ―――やめてくれ、アルさん。もしかしてそれ、頭撫でようとしてる? それとも俺の背を縮めようとしてる? なんなの、その手。

 ―――いや…。


 あの二人の片付けはまだ時間がかかりそうだ。後で淹れてあげよう、と思うものの、肝心のカップが二人分しかない。仕方ない。アスランには手間だがまたカップを出してもらおう。そう決めて、自分の分の紅茶も淹れて席に着く。

 王子に働かせて自分だけのんびりしている図がなんとも居たたまれない。まだ湯気が出ている紅茶に視線を落とし、口をつけようとして躊躇う。


「ツクモガミ…初めてお聞きします」


「仕方ないわ。ここにはそんな言葉はないはずだもの。私の故郷でも、知っている人は少なくなっていると聞いたこともあるし。私も、専門分野ではないから詳しくは言えないのだけれど。でも、そういう存在がいるって言うのは聞いたことがあるから、他の人より耐性―――って言っちゃっていいのかな? そこまで驚かないわ」


「人ならざるものも、お姉さまはお会いしたことがあるのですね。あの、夢の中でも人ならざるものはそのままの姿なのでしょうか?」


「そのままだったり、人の姿だったりいろいろ…。あぁ、でも、人の姿になった方が力が抑えられるから私の波長に合わせやすいとは言っていたわ」


「波長って?」


「さぁ、私もそのあたりはわからないまま過ごしてきちゃったんだけど。―——どうしたの? エミリー?」


 紅茶のカップを持ったまま、少し俯いて沈黙してしまったエミリーの様子が気になって尋ねると、彼女は躊躇いがちに口を開いた。


「お姉さまは、凄いです。わたくしは、声が聴こえるだけで姿は視えませんから」


「―――…」


 そこに込められた苦悩を垣間見たようで、ルナは言葉に詰まった。

 初耳だ。いや、声が聴こえるから姿も視えるとルナが勝手に思い込んでいただけだ。


「波長が合えばわたくしにも視えるかも、と今の話を聞いて思ったのですが。まだ、道のりは長そうです…」


 悲し気に目を伏せる彼女に、ルナは一種の焦燥感を抱く。しかし、今は自分が落ち着かなければ。

 的確なアドバイスなんてできないことはわかっている。

 何せ、聖力も魔力もないに等しい自分がどうして相手の夢に入り込んでいるのかさえも理解していないのだから。ここまで話して自分がいかに適当に日々を過ごしてきたかがわかって申し訳ない気持ちになる。


「エミリー、焦らなくてもいいんじゃないかしら」


「…お母さまもそうおっしゃってくださいましたけれど、わたくし、なんだかもどかしくて」


「もどかしい」


「ええっと、い、今のは聞かなかったことにしてください…!」


「………」


 そういえば、エミリーは能力の開花はまだだと言っていた。

 そこには常に抱いている〝焦り”があったのではないか。何か能力の開花の糸口があれば、と思っていたらそれは聞きたくもなるだろう。

 慌てて取り繕う様子を見るからに、彼女の苦悩の重さは計り知れない。


「何か、気になることがある?」


「え?」


「もどかしいって思うってことは、どうにかしたいことがあるからじゃないの? 何か、あった?」


「……、その、実は…お母さまの様子が気になるのです。物思いにふけておられるというか、思い悩んでおられるというか…なんだか心ここにあらずといった感じで。『どうかしましたか?』とお訊きしても『あら、わたくしったら、ごめんなさいね』と言って課題のお話に入ってしまわれるし…」


 それはもしかしなくてもあの悲しむ女性の夢のことが原因だろうか。

 国王の黒竜も関係するのだからそれはエルヒ王妃も非常に気になってしまうのは致し方ない。

 だが、それは彼女の夢の話。実の娘にも話せないのはただ伝えても混乱と不安を抱かせるだけだ。

 夢は不明瞭で不確かなもの。エルヒ王妃が慎重に事を進めなければならないのはそこも起因している。

 これは、気を付けて答えなければ。

 

「時折、答えてくださっても『ルナ様の衣装が決まりませんの』とおっしゃるだけで。そのお話ならわたくしも参加させてくださるのですが…」


 それは絶対嘘だ。いや、悩んでいるというのは嘘ではないだろうが、悩みのジャンルが正反対だ。

 エミリーもそれは嘘だとわかっていながらも、話に乗っていくあたり血縁を思わせる。

 皆してなんでそんなデザイナーの力を発揮していくんだ。

 ルナはゆっくりとカップを傾けながら心の中で大いに頭を抱えた。


「―——つまり、エル…じゃなかった。お母さまの手助けがしたいってことよね。そのためには、もっと能力を伸ばしたい。そんな感じ?」


「そうなのです…。でも、あんまり成果らしい成果はなくって。…アスランやお兄様が羨ましい」


「―——…」


 いまだせっせと戸棚や長机などに商品を整列させている彼らを見て、エミリーはため息をついた。

 その瞳は憧れというより、寂寥を感じさせる色を宿していることに、彼女はきっと気づいていないだろう。

 

 ───追い付きたい。力になりたい。


 そんな想いが溢れて見える。

 ルナはもう一度店内を見渡す。

 窓辺から入ってくる光と合わさって店内は穏やかな明るさだ。こじんまりとしたこのお店に入っているいくつもの商品たち。薄茶の戸棚や長机に乗っているそれらは柔らかな光に包まれているようだ。少なくとも、ここは居心地のいい場所なのだろう。

 そこで、ふと思う。

 エミリーは自身の能力の開花も期待していたからこそ、この店に頻繁に通うようになったのではないか。

 ここは秘匿の皇女として取り繕う必要性もなく、なおかつアスランという心強い味方もいるのだから。


「あのね、エミリー。よかったら、ここにいる間、あのヒトたちの声、聞かせてくれない?」


 ヒトかどうかはひとまず置いておいて。それ以外の表現の仕方をルナは知らない。


「え?」


「アスランにも言われた通り、私は聖力も魔力もないからでしょうね。彼らの声が聞こえるのは夢の中だけ。もしくは〝道”が通ってる時だけ。だから、日常のあのヒトたちの声は聞いたことがないの。もしよかったら教えてくれる?」


「それは…いいと、思うのですが。でも、アスランに訊いたほうが早いと思いますわ」


 彼女のアスランへの絶大な信頼と、彼女自身の劣等感がにじみ出ていて一瞬言葉に詰まる。


「早いか、遅いかではなく。きっと、エミリーのほうが話しやすいこともあると思うの。聞こえるものだけでいいから、お願い」


「そ、そうですか。わかりました。お姉さまのお役に立てるのなら、喜んで」


「ありがとう」


 本当は、ここでカグラとの仲介役をお願いするべきだったのだろうが、どうにもそれはよくないような気がした。

 それもそうだ。しっかりした話し方をしているが、中身はまだ六歳の少女。自信なんて、そんな簡単につくものではない。

 むしろ、エミリーはその出自もあってか考えに考えて行動している面が強いように感じられる。


(エミリーは、焦っていることを自覚しきれていない。そんな中、カグラとの仲介役を頼んでいいのか…)


 ルナはここに来て、今更ながら浅はかな考えだったと感じ始めていた。

 短い時間ではあるがこの店にいる間、もう一度考え直そう、と紅茶に口をつけながら真意を悟られないように瞳を伏せた。


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