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少年の世界

 『あなたの夢―――教えて?』


 それを聞いた相手がどのような表情をするか、ある程度の予想はしていたが、彼も例外なく難しい顔をして唸った。

 無理もない。

 夢は曖昧なもの。繰り返し同じ夢を視ることもあるが、その日の心理によって状況がころころ変わる夢を視ることもある。説明しろ、というには時間が必要だろう。

 むしろ、何から話せばいいのかわからない人のほうが確実に多い。だから、ルナは真っ先に一番気になっていた質問を彼に聞くことにした。


「ここにいる夢、いつから視ているの?」


 ここ、というのはもちろん、少年が座っているこの石だらけの色のない世界のことだ。

 ずっと立っているのもなんなので目線を合わせるためにも、少年の真正面に座ってみたルナだったが、ふいっと少年から顔を背けられたので少し斜めに座り直した。

 真正面より約90度のこの角度が圧迫感もなく、話しやすいのだと誰かから聞いたことがあったので、話をする際にはなるべく意識しているつもりだ。

 その効果があったかどうかはわからないが、彼は神妙に言葉を紡いだ。


「いつからかは覚えてない。でも、最近よく視るようになったとは思う」


「最近…よく…」


 そんなものだろうなぁ、とルナは自分で質問をしておいて思う。

 2、3週間前からなど具体的に言われても正直困ったと思うが、ようは彼女が知りたかったのは彼の感覚的なものだ。

 どうやら、同じ夢を繰り返し、そして頻繁に視ているらしい。

 夢は、視ている人の願望を全て映し出す。言ってみれば視ている本人が「あぁ、これは夢か」と自覚した瞬間、夢を操れるようになるのだ。大抵は「こうなってしまうのかな」「あんなことになったらどうしよう」と強く思い込んだ時にそれができる。彼はこの夢を何度も視て、そしてこれが夢だと自覚している。その時にきっと強く願った筈だ。なのに、変わらない。

 ―――“予知夢”という例外もあることにはあるが、今回はそれではない、とルナは確信を持って言える。


「なるほど。…じゃあ、次。あなた、何を“聴いているの”?」


 これには驚いたようで少年は勢いよく顔を上げた。澄んだ蒼の瞳がルナを射抜く。


「なんで…」


「ここに来て二回目だけど、あなた、いつも強く耳を塞いでるから」


「そうじゃない。なんでそんなこと聞こうと…」


「それが、あなたの夢に強く関係しているから」


「……」


 彼の沈黙から、予想はしていたのだろうと伺える。認めたくないのか、それとも聴いてはいけないものが聴こえているのだろうかと悪い想像が頭を過ぎるルナである。


 ―――ルナが他人の夢を訪れる時には、必ずその夢の主は問題を抱えている。

 問題を抱えているその人の感情がルナの中にも流れ込んでくるから分かることもあり、その感情をもとに夢の主を探し当てているといってもよかった。

 だから、あの広い草原から迷わずに彼のもとに辿りつけたのも彼の心の奥底に見つけて欲しい、という気持ちがあったからだ。つまり、夢の中にいる時は、その夢の主と感覚を共有している状態である、と言える。

 それ故、彼が“聴こえている”のにルナが“聴こえない”というのは、おかしい。

 だから、これは予知夢ではない。完全に標的ターゲットが彼に絞られていることから、この夢の異常性が高く、何か危ういものを思わせる。それが確信的ではないからこそまず、彼と同じ体験をしなければならないだろう。


「とりあえず、触るね」


 手を伸ばし、彼の手に触れようとする。しかし、それは彼によって拒まれた。

 花は大事に抱えたまま、立ち上がろうと膝を立てたのだ。これにはさしものルナも驚いて、思わず手を引っ込めた。


「触る必要性は」

 

 静かな瞳で、彼は言った。先程まで気安く話していたのが嘘のように冷たい眼差しで、ともすれば「すみません」と謝りたくなるほど声も底冷えするものだった。

 しかし、ルナもここで折れるわけにはいかなかった。


「あるよ。じゃないと、聴けない」


「…仮に聴こえるとして、どうしてそこまでしようとする」


「―――私も、ここから出たいのよ」


 それはこの夢の中の話ではないけれど、と胸中で呟くルナであったがそれは本音に違いなかった。

 偽りのない気持ちが伝わったのだろうか、彼はハッと息を飲み、沈黙した。

 

「ごめんね」


 一言断り、今度こそ彼に触れる。彼は動かない。

 彼の辛そうな表情は見たくなくて、目を閉じる。そうして意識していくと、聴こえてきた。


『やめて、やめて!その子を殺さないで!』


『おいっ、待ってくれ、それはオレじゃ…あがっ!?』


『火が、火があああ!!』


『ぎゃああああ!!』


 幾人もの声が飛びかっている。何かが燃える音、重なって響く悲鳴。

 ―――あぁ、やめて。それ以上、命を消さないで。

 


『―――そう、苦しめばいい。その身に焼きつきし数多の罪…怨嗟の焔の渦へ誘ってやろうぞ、化け物め』



 一際重く響いたその声で目を開く。目の前には唇を噛み締めている彼がいた。蒼い瞳はルナを案じる光をたたえている。

 知らず息をつく。どうやら聴いている間、呼吸を忘れていたらしい。


「今の、ずっと聴いていたの?」


「……」


 彼は返事もせず、顔を伏せるだけだったが、それが是という何よりの証拠であった。

 手を離した今も彼にはあの“声”が聴こえているのだろう。

 ある程度覚悟していたが、あまりの衝撃に彼にかける言葉が咄嗟に思いつかない。

 今更になって彼が最初に触れるのを嫌がった理由を知る。花を受け取る時も器用にルナの手に触れないようにしていたものだから女性恐怖症を疑っていたがそれは違っていたようだ。

 彼に触れたら、聴こえてしまう。直感的にルナはそれをやったのだが、どうやら彼もそのことに随分前から気づいていたらしい。

 ―――優しい人、なんだろうなぁ。

 胸にじんわりとしたものが広がる中、最後に聴こえた禍々しい声がどうしても彼に似つかわしくなくて、ルナは躊躇いがちに口を開いた。


「確認したいことがあるんだけど」


 数回深呼吸をして、心を落ち着かせてからルナは彼に向き直る。

 

「あなた、人を殺したことある?」


 あまりにも直球すぎたのか、彼のカラダが強ばった。しかし、これ以上オブラートには包めないのもルナだった。

 何か柔らかいものを鋭い刃物で刺したような音、次々と聴こえてくる悲鳴と奇声、そこには確かに命が消える音で満ちていた。想像もしていなかった生々しい“音”がしつこく頭に残っている。

 彼は何度か口を開いては閉じて、ようやく絞り出すように声を紡いだ。


「この手で、殺したことはない。…だが、殺してしまったことはあると思う」


 なんともはっきりしない答えにルナは眉を顰める。つまり、どっちだ。

 やきもきするルナに、彼の独白は続く。


「生を受けたその日から、抱えなければならない罪がある。それは僕に限らず、この血を受け継いだ者の宿命だけれど」


「宿命…?」


「君みたいな綺麗な人にはわからないだろうけど、僕の生はいろんな人の命が絶えた上で成り立っているんだ。だから、僕が直接命じて殺させたわけではないけど、消えた命があるのも事実なんだ」


「……」


 難しい上に抽象的な物言いにルナは混乱する。しかし、彼があんまりにも悲しそうに笑うものだから、その言葉の意味を深く考えるのをやめる。


「あなたの言葉、難しい。そして堅い」


「すまない」


「でも、ちょっとはわかったよ。やっぱりここ、あなたの夢じゃない」


「…え?」


「今の『宿命』とか、あなたが背負ってるものがあるっていうのは、それはあなたが常に感じてるものだから別にいいよ。いや、気持ち的にはダメだけど今は置いておいて。確実に言えるのはそう―――ここは違う」


「…よく、わからないんだが」


「ごめん。…難しいな、なんて言おう…」


 ルナは立ち上がって来た道を振り返る。遠くの方に僅かだが空の青と草の緑が見える。

 ―――そう、あそこが正しい。

 思うままにルナは色のある世界を指差す。


「あっちが、あなたの本来の夢。とても綺麗で、澄んだ空間こそ本物の世界」


 いつの間にか少年も立っていて、ルナの指差す方向へ顔を向けている。

 

「でも、あっちには…」


 今まで何度もこの色のない世界から出ようとしたのだろう。少年の表情に影が差すのを見て、ルナは無意識にその手をとった。


「え?」


「おいで。連れて行ってあげる」


 問答無用で彼を引っ張っていく。握った手は幼いながらも女の子のものとはやはり違っていてなんだか力強いな、と思う。

 手を繋いで歩を進めている間、耳を塞ぎたいほどの“音”がルナの中に流れ込んでくる。

 まるで二人の行動を嘲笑うかのように誰かの声が響いてくる。


『無駄なこと。化け物ごときが、この檻から出ることは叶わん』


 それでも、ルナが歩を止めることはない。少年も、いつの間にか自分の意思で足を動かしている。


「―――大丈夫。一緒だからちゃんと行ける」


 ルナは知っている。その胸にはパズルの最後のピースをはめる時に感じる高揚感があった。自然、口元が弧を描く。

 少年の手を決して離さないように強く握る。すると、彼もつられるように握り返してくれたのを感じた。


「そう、そのまま。その気持ちで…。―――行くよ」


 そうして、ルナは色の境目に足を踏み出した。

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