雑貨店【マ・ラジェス】
「もう、兄さんがややこしいことをおっしゃるから。絶対に今日はお姉さまを渡してあげないんですから。お姉さまも兄さんに誑かされないでくださいね」
「たぶらかっ…」
エミリーからそんな言葉が出るなんて。思わずエミリーを二度見した。
彼女はまだまだご立腹のようだ。
それもこれも後ろで「アル、頑張れよー!」と謎のエールを送っている店主が原因だろう。
シエルに至っては不憫としか言いようがない。ほぼほぼ喋っていないにも関わらずたった一言だけであんなに盛り上がってしまったのだから。
なんとも言えない気持ちでシエルを見ると彼は涼しい顔でこちらを見ていた。
「何?」
「いえ、なんでも…」
憤慨している妹とどこまでも対照的な彼に心配する必要はなかったのかもしれない。
人込みを抜けて、紫の屋根をした家の前でようやくエミリーが足を止める。
周りは赤茶のレンガの家なのに、ここだけ木製の家だ。
「【マ・ラジェス】という雑貨店です。流行とは違う物なのですけれど、可愛らしいものや綺麗なものがたくさんあるんです。多分、お姉さまも気に入ってくださると思います!」
嬉々として手を引かれて扉の前に移動する。扉には魔法陣のような模様が描かれている掛札があった。それが妙にルナの意識に引っかかった。
「―――待て」
エミリーが木製の扉に手を掛けようとしたところをシエルが制止した。
なんだろう、と思って振り返ると、彼はエミリーと場所を入れ替わるようにして扉に手を掛けた。
それを見て、ルナはようやく理解した。
(そうか、シエルが今回、護衛の役目を担ってるんだ)
王子自ら護衛役をするなんて驚きの事実だが、エルヒ王妃なら命じることをためらわないだろう。逆にマーカスのように忠義に厚い人が出てきてもそれはそれで大変かもしれないが。
何気ない街の散策でもこうして護る行動に出ている彼を見るとさすがのルナもハラハラとした緊張感を抱く。一歩引いて彼の後ろ姿を見つめる。
彼はすぐに開けることをせず、扉に手を掛けたまま固まっている。
「―――…兄さん?」
さすがのエミリーも疑問に思ったのだろう。困惑気味に彼に声を掛けた矢先―――。
『はっ!? なんでいきなり―――ッて、うわーーーッ!!!』
―――――ガチャガチャ、バッタン!!
店の中から男性の悲鳴と、ものすごく騒がしい音が聞こえた。
まるで強盗が入ったかのような騒ぎに思わずルナはエミリーを背後に庇うように手を引き、抱き込んだ。
それと同時にシエルは臆すことなく扉を開けた。
「―――…大丈夫なようだ」
中の様子を確認し、少しの沈黙を挟んでシエルは淡々と言った。
明らかに大丈夫そうじゃない雰囲気を感じたのだが気のせいだろうか。
しかし、そこはシエルの今回の護衛の役目を鑑みるに嘘ではないことは確かだ。
シエルが躊躇いなく中に入るものだからルナの恐れもどこかにとんだようだ。思いきって足を踏み入れる。
部屋の中は明るい光に満たされていて外観と差を感じるほど清潔感にあふれていた。
観葉植物が玄関に置かれ、そこを通り過ぎると目の前に広がるのは木製のテーブルや正方形で区切られた棚などがあった。きっとそこにはいろいろな商品がきれいに並べられていたのだろうと思われた。
―――というのも、テーブルや棚には商品らしいものがひとつもなかった。
代わりに、紫がかった赤色の髪をした一人の少年が床にしりもちをついていて、その周りを囲むように物が雑多に置かれていた。
壺や皿、オルゴールや帽子、狐や熊をかたどった置物など様々ある中で、猫のヌイグルミが少年の頭にどっかりと乗っているのが妙に異彩を放っていた。
「あ、アルさんが来たってことは―――あぁ、やっぱり。エミリーさんが来たからうちのモノたちが騒ぎだしたのか」
その少年は首に手を置いて、大きなため息をついた。かなり参っている様子に、これは全然大丈夫じゃないな、と同情心が生まれる。
「でも、おっかしいな…いつもならこんなに興奮しないのに。お陰で後片付けが面倒なことに―――ってあんた誰?」
軽く足元を払って少年は立ち上がり、ルナをようやく認めた。エミリーの前にいるのに今気づいたような様子に驚く。
なんと答えたものか、と思案しながら困惑していると、少年はみるみる怪訝そうな表情になってきた。見た目からの勝手な予想だが、彼は十歳中頃だと思われる。日本でいうところの中学生ぐらいの年だろうか。
眼差しが反抗期のソレとよく似ている。妹にもそんな時期があったな、とどこか遠い目になりかけていた矢先、彼はルナから視線を外し、シエルを見据えた。
「困るよ、アルさん。呪い持ちを連れてくるなんて。俺の本業はこの雑貨屋なんだって言ってるだろ」
「え」
驚きが口をついて出た。
彼の視線がこちらに戻される。目と目が合い、彼の瞳が赤と紫が混ざり合うような不思議な色をしていることに気付く。
「俺はこの雑貨店兼骨董屋の【マ・ラジェス】の店主代理アスラン。先に断っておくが、呪い屋は今は休業中なんだ。許せよ」
「はぁ…」
腰に手を当ててふんぞり返る少年に気のない返事をしてしまったのは仕方がないと思う。
呪いとはルナの手首にある“呪”のことを指しているのはまず間違いない。
しかし、ルナからするとその前にあなたのその状況は一体どうしたんだ、と訊きたい気持ちが一番強い。
目と目が合っているが、どうにも彼の頭に乗っている猫のヌイグルミに視線が引き寄せられそうで困る。
ちょうど彼の頭に抱き着いているような、ただただ寝そべっているようにも見えるその猫のヌイグルミはもしかして帽子扱いなのだろうか。
いつ降ろすのだろう、と見守っているとアスランと名乗った少年は「あ?」と何かに気付いた様子で目を瞬かせた。
「違うのか? じゃあ、何しに来たんだよ」
降ろさないようだ。
そのまま腕を組んで思案気に首を傾げた彼は頭上のことを気にしている様子が一切ない。
そのことに内心、引いた。
「アスラン、それはあんまりです。さっきあなたが言ったじゃないですか。ここは雑貨店。このお店はわたくしもお世話になっていますし、ぜひお姉さまに知っていただきたくて来たのですわ」
「冷やかしか」
この人店主代理でいいのかな。彼の愛想がない様子と、なおも頭に猫のヌイグルミを乗せている姿がなんともシュールに思えるのはルナだけであろうか。
「気になったら買います!」
「エミリーさんといい、エルヒさんといい、アルさん…あぁ、今日はそっちじゃないな。あの王子といい、コイツらを見てそんなに目を輝かせてる人を俺は見たことがない。この店に対するその羽振りの良さはなんなんだ」
「だ、だって…気になるものは仕方ないじゃないですか…!」
「まぁ、こっちは助かるからいいけど。エミリーさん、あんた最近街に降りてきたら真っ先にココに来るようになってるからそこのアルさんがついてくるようになったんじゃないか?」
「大体あってる」
「そうなんですか!? 兄さん!?」
ちょっと待って。今の会話、聞き捨てならない。
どうして少年は王族の顔ぶれを把握しているのか。今、普通に王族の人間の名前が少年の口から出ていた。
客と店員の関係であるが、エミリーやシエルは親しい友人に対する態度で普通に少年と話している。
え、これって結構大問題なのでは、と感じたと同時に、あることに気付く。
「【アスラン】…?」
ルナがこぼしたつぶやきが聞こえたのだろう。三人が一斉にルナを見た。
「獅子の名を持つ導き…もしかしてあなたは、あの予言の人?」
ほぼ確信を持った問いかけに少年は目を見張った。
「驚いた。あんた俺のこと知らないで来たのか。じゃあ、冷やかしに来たのは本当なんだな」
この人、そんなに有名人なのか。興味なさげにこちらから視線を外し、エミリーに確認している彼をただただ見つめる。
しかし、よくよく考えると王族の竜が予言で名前を出すほどだ。それは彼らの世界で話題に上るほどの実力者だということを指している。
まだあどけない少年の面差しをしているがそれなりに修羅場をくぐっているのかもしれない。
「―――ん? あの予言の人…? あれ、あんた俺のこと知らないんだよな?」
再度こちらを向いた彼は不思議そうな顔をした。
「? はい、今知りました」
実物を知る、という点では。という意味で頷くと彼はますます眉根を寄せて思案する。
「じゃあ、なんで―――……。いや待てよ。エミリーさんとアルさんと普通に歩けるってことはあんたも王族に関わりのある人間。特にエミリーさんは秘匿の存在。ということは、エルヒさんとのつながりが濃い証。そして、予言…。そうか、もしかして、あんたが夢の渡り人か?」
「え、えぇ、巷ではそう呼ばれてるみたいです」
「へぇ、あんたが…。意外と若いんだな」
自分より若い人に言われるとなんだか違和感。
「それほど若くないですよ。二十代なんで」
「え、そうなんですか?」
「………若作りか」
エミリーには後でいくつに見えたのかさりげなく聞いておくとして、アスランの発言はやや遺憾である。
彼の目が『おばさん』って言ってる。決してこれは被害妄想じゃないと思う。
いいけど。別にいいけど。完全に口から言われたらアウトだが、目だけで済んでいるし、と誰に言うでもなくルナは心の中で呟いた。
若作りではなく、スキンケアの賜物だとルナは信じている。
シエルも軽く目を見開いたのをルナは見逃さなかった。常がクールな表情をしているだけに感情を露わにしたということは相当驚いたことを示している。
そんなに童顔だろうか。まぁ、日本人は外国の人には若く見られるとは聞いたことはあるがそれはもしや異世界でも当てはまるのだろうか。
「まぁ、容姿なんてそうアテに出来ない。俺なんてこんな見た目だからよく疑われるしな」
「そうなのか?」
「アルさんたちみたいに龍の血を引いてる人ってそういう本質だけを見るからホント好感持てるよ。でも、大抵の人間はそうじゃない。夢の渡り人さん、あんたも気をつけな。特に王宮は疑い深いヤツばっかだ。あんたみたいな聖力も魔力もうっすい人は侮られやすい。おまけにひ弱そうだ。格好の獲物にふさわしい。せいぜい喰われないようにな?」
「はぁ…善処します」
少年から見ても聖力も魔力もないことを改めて突き付けられて少し気持ちが沈んだのはルナだけの秘密だ。




