紫のダイヤ【コレクトシティ】
「では、また夕刻にお迎えに参ります」
馬車の中からヨルダが声を潜めてルナに声をかける。耳がいいのか、あらかじめ設定を聞かされていたのかあえてルナの名を出さずにヨルダが目礼したのを見て、さすが、と感嘆する。
「うん、ありがとう。ヨルダも気を付けてね」
「―——どうぞ、楽しんでくださいませ」
ヨルダの穏やかな微笑みが見えたと同時に、シエルが馬車の扉を緩やかに閉める。
たった数時間のお出かけだというのに、何故だか名残惜しい気持ちになるのはヨルダの気持ちが伝わってきたからだろうか。
王宮で別れたヒルダのほうがまださっぱりしていた感じがする。双子でも性格の違いが少し出るのかな、となんとはなしに思っていると、グイッ、と腕を力強く抱き込まれた。言うまでもない、エミリーだ。
「お姉さま! まだランチには時間がありますし、さっそく街を案内します!」
無邪気に笑うエミリーは微笑ましいが、そのままの勢いで突き進むものだから身長差の関係で前のめりになってしまう。いくらヒールが低いと言っても履きなれていない靴にかわりない。このままでは間違いなく足をもつれさせてしまう。
そんな危機感を抱いた瞬間、ルナは知らずエミリーを呼び止めていた。
「? はい、お姉さま」
わりと素直に立ち止まってくれたエミリーに安堵の息をついて、ゆっくりと彼女がつかんでいる腕に手を添える。ルナの言外に放してほしいという意図を汲み取ったのかエミリーはハッとしたようにすぐに腕から身を引いた。
なにもそこまで距離を置かなくても、と思いのほか過剰な反応にルナが驚愕する。エミリーの焦った表情を見て、ルナはあることに思いいたる。
「ごめんなさい、お姉さま! さっき兄さんから注意されたのに―――」
「あぁ、違うの、エミリー」
「え?」
ルナはそっと小さな手にふれて、軽く手を繋ぐ。
怒られるか呆れられるかどちらかを想像していたのだろう、エミリーはわずかに目を見開いた。
「こっちの方が歩きやすいわ。ね?」
一度ルナを見て、それから繋がれた手を見て、エミリーが何を思ったのかルナにはわからない。
しかし、唇を少し引き結んで、繋いだ手に軽く力を込められたことから悪い気はしないのだろうことはわかる。
「実は、私も楽しみにしていたの。今日はよろしくね」
だから時間の許す限りたくさん遊びましょう、と続けるとまたエミリーは花が綻ぶような笑顔をルナに見せてくれたのだった。
*******
当たり前だが、街は人が多い。
村の外れに住んで二年、つい最近は王宮内で限られた人たちしか会っていないことを考えるとこの喧騒は不思議とルナをわくわくさせた。
建物もレンガ作りで色の統一感があり、鉢植えに咲いている花も景色に彩りを与えている。
喧騒といっても怒鳴り声なんて聞こえないし、むしろ無邪気な子どもの笑い声や主婦たちの賑やかなお喋り、客寄せの元気な声で溢れている。
この世界に日本はないけれど、こうして手を繋いで街を歩いているとただ海外に遊びにきたみたいだ、と頭のどこかで思えるほど、そこには平和な風景が広がっていた。
「お姉さま、気分が悪くなったらいつでもおっしゃってくださいね。久しぶりの外出ですもの、無理はなさらないで」
手を引くエミリーが心配そうにこちらを見る様のなんてかわいらしいことか。
「大丈夫よ。ありがとう、エミリー」
お礼を言ったものの、もしや今のは自分に関しての設定の一部であったのかもしれない、と思い直す。
手を引かれるままに歩いているが、そういえば自分の設定を詳しく聞いていない。
今の発言からするに、自分はもしや病弱設定であろうか。そうでなければただの引きこもりでしかないのだが。
少し心配になってきたものの、エミリーが頬をほんのり染めながらとても嬉しそうに街を案内してくれた。
「あぁ、お姉さまに見てもらいたいところは今日一日では足りないくらいです。この街は東西南北の四区画に分かれていて、それらを“シティ”と呼んでいます。先ほどの噴水のある広場はシティの中心部、【セントラル】です。今向かっているのは東の【コレクトシティ】。服飾関係や雑貨店が主にあるところです」
詳しく聞くところによると、この街は大きな円形になっており、広場【セントラル】を中心として東西南北に門が設けられている。その先をくぐると“シティ”区間になるのだと言う。
東が【コレクトシティ】、西が音楽や劇などの芸術が盛んな【サンルースシティ】、南が新鮮な食材を取り扱う料理街でもある【フェリーミィシティ】、北が植物や薬品を扱っている【グロイリーフシティ】だという。
一度では覚えられない名前にルナは少し閉口したが、とりあえず今は東の【コレクトシティ】に向かっていることを認識しておく。区間の境目を表すかのように門の上部中央にはその区間の象徴であるマークと色があるようだ。
【コレクトシティ】は紫色のダイヤモンドが記されている。そういえば、村でも噂をされていたが、この城下街にある宝石店は有名どころが集まっていると聞いたことがある。あれはこの“シティ”のシンボルを掲げているのかもしれない。
さすが、都会。物資の流通が盛んである強みが見える。
門をくぐってすぐにきらびやかなアクセサリーや食器などの露店がたくさんあった。エミリーはそれらに目をくれることなく、足早にどこかを目指している。
「本当は一つ一つ見て回りたいんですけれど、一日の限られた時間ですべて見るのはやはり難しいのです。なので、その中でもわたくしのおススメのお店を紹介しますね」
うきうきとした気持ちが繋がれた手を通して伝わってくるようだ。
エミリーは上手に人込みをすり抜けて歩く。道幅も広いため、そんなに雑多に人が詰め込んでいるわけではないのだが、妙に歩き慣れている様子にルナは少しの違和感を抱く。
その答えはすぐに出た。
「よぅ! 嬢ちゃん! 久しぶりじゃねぇか! 元気にしてたか?」
「ホールおじさん! うん、久しぶり! わたくしは元気よ! おじさんの雑貨屋さん、こっちに移動してきたのね。前はもっと向こうの通りにあったのに」
「ハハッ! 露店はどこにでも開けるのが利点だ。こうして日々、どこが客足が良いのか探ってるのよ」
ホールと呼ばれた店主は雑貨屋とは思えないほどの屈強な身体を反り返らせるように豪快に笑った。海賊と言われた方がしっくりとくる荒くれ者のようなその姿に少なからず目が釘付けになる。
ふと彼はルナとシエルに目を止めた。そして笑いを止めて「おっ!」と驚きに目を見開いた。
「なんだなんだ、アル。お前も隅に置けねぇな。妹以外のレディを連れてるなんて初めてじゃねぇか。お堅い奴だと思ってたが、そんなこたぁなかったみてぇだ!」
こりゃめでてぇこった!! と声が大気を震わせた気がした。他のお客さんや出店の方々が興味津々でこちらを見ているのをいやでも感じる。
どうしよう、この空気。完全に巻き込まれ事故を起こしているのがわかるがいかんせん、状況が呑み込めない。
名乗ってさえいないのに店主の中で話が進んでいる様子にルナも困惑を隠せない。
今の話からして、この店主と兄妹は以前からの顔見知りのようだ。エミリーのことは嬢ちゃんと言っているが、シエルのことは“アル”と呼んでいる。もしやアルフレッドの“アル”だけを名乗っているのだろうか。それは安直すぎやしないだろうか。
しかし彼らの呼び方は気やすい友人に対するものであって、兄妹が王族としてでなく市民としての姿で溶け込んでいることがよくわかる。
だって野次馬の人たちが「マジかよ」「ホントに?」と言いながらお互いに目を配らせている。あの反応は一朝一夕にできるものではない。
エミリーが案内役をすることから薄々思ってはいたが、この人たちは結構足繫くこの街に降りてきているのでは? その疑問は街の人たちの様子が肯定を返しているようなものだった。
王宮では姿を隠されているが、街ではオープンに過ごせているようで安心する反面、そのリスクの大きさにうっすらと恐れを抱いたのは彼らには決して言えない。
多分、ルナがその危険性を言わなくてもこの兄妹はよくわかっている。それがルナを余計に複雑な気持ちにさせる。
野次馬の後方で唐突に街の淑女たちがかすかな悲鳴を上げたのが聞こえ何事か振り向く。互いに支えあいながらくずおれていく姿に一瞬焦りを覚えるが周りの生ぬるい視線を見て、納得する。
あの反応はファンクラブにありがちな光景だ、と気付いたと同時にルナは自分の背筋に冷たいものが滑り落ちる感覚を抱いた。
市民に扮しているようだが、その実、シエルは結構有名人なのでは、と今更ながら思い至る。
そして、声の大きいこの店主のせいで大いなる誤解が生まれたことを理解した。それは、いけない。
「え、あの―――」
「違うわ、ホールおじさん! この方はわたくしの従姉で、さっき街に来てくださったばかりなの。兄さんの婚約者ではありません! それに、今日のお姉さまの時間はわたくしのものと約束しましたもの。 ね、お姉さま?」
グイッ、と思いもよらず力強く腕を抱き込まれた。
その必死な様子は兄にやきもちを焼く妹の姿そのものだった。演技なのか素なのかよくわからないがとりあえず頷き返す。
それを認めてエミリーは傍目にもわかるほど顔を綻ばせた。
「ほら!」と自信に満ちて店主を見返している姿が微笑ましくて思わず吹き出してしまう。
「あぁ、スマンスマン。オレの負けだ。だが、惜しいな。せっかくアルにも春が来たって思ったのによ」
一体何の勝負をしていたのだろう。かなり悔しい声音をしながらもその表情は穏やかなものだった。
そして後方で崩れていた淑女達がたちどころに回復したのが視界に映った。なんとも現金な方たちだ。
ホッと一安心したのもつかの間。
すぐにイタズラを思いついた色がその瞳に垣間見えると彼は口を開いた。
「だが、従妹なら結婚は出来るんだぜ? 嬢ちゃん」
「もう! またそんな意地悪をおっしゃって!!」
意地悪するおじさんの露店にはしばらく通ってあげないんだから! とプリプリ怒るエミリーをまた豪快に笑い飛ばす店主に周りの人たちもつられて笑みをこぼす。
その光景がなんだか眩しくて目を細めたところで、シエルが思案気な表情をしているのが視界に入った。
「―――なるほど」
「! 兄さん! 悪乗りなさらないでください!」
もしかして、今日一日この自由すぎる会話がそこかしこで繰り広げられるのだろうか、と心の中でルナはひっそりと思った。




