城下街へ行こう
翌日の朝。
本日着る服を目の前で広げられたルナは一瞬思考を止めた。
「やった、普通だ」
歓喜の声が真顔のまま口からついて出た。その瞬間、ヒルダとヨルダがグッと唇をかみしめたのをルナは見逃さなかった。いつも異常に飾り付けようとあれこれ思案している人たちだ。これは失礼だったかもしれない。
彼女たちを前にして声に出してしまったことをすぐに反省した。明日は今日以上に凄いことが起こりそうな予感がする。
「ルナ様、心苦しいのですが本日はこちらをお召しくださいませ」
「うん。…あの、ついでに今の発言は聞かなかったことにしてくれる?」
「……」
「……」
二人とも黙ったということは了承しかねるということだろうか。なにそれ怖い。
服装については絶対に庶民派を発揮させてはいけないことを今更ながら悟ったルナだった。
はっきり“心苦しい”と言っていたことを考えるとその心境は計り知れない。急なことだったとはいえ相当服装については意見を交わしあったのだろう。双子の侍女は熱く語る。
「ルナ様が初めて城下街に降りられるというのに急なことでしたので…あぁ、もっと時間があれば慎ましくも可憐なお洋服をご用意出来ましたのに…!」
「せめて午後にして頂けたらもっと美しく、もっと魅力的に仕上げることが出来ますのに…!」
本当、彼女たちのこの溢れてこぼれ出るほどの私への飾り付けたい気持ちは果たしてどこからやってくるのだろうか。
いまだ大げさに嘆く侍女たちを軽く諫めながら改めて用意された服を見る。
それはこの国では一般的な服装で、紺色のワンピースだ。丈はやはり足首ほどまである。
王宮に来てから教わったのだが、王族のドレスは腰の細さを強調するために引き締まっており、腕は細く袖口にかけて大きく広がっているのが特徴らしい。お陰で食事の時は袖に大いに注意を払わなければならない。
しかし、一般的な服装ではその心配は必要なく、動きやすさ重視であり服自体も軽い。王族の服装の流行に乗るように腰元を細く見せるように帯を締める。
ルナの帯はシルク地の白。その帯にはささやかながら花をちらべるように白銀の糸で刺繍されている。
シンプル故に、一見すると普段の王宮での服装からしたら地味に見えそうだが、ルナにはかなりの贅沢をさせてもらっている気分だ。
手伝い要らずで着られるので侍女たちの手をわずらわせることがない安心感が出てきてもいい筈なのだが、こうも悲しまれては居たたまれない。
「じゃあ、着替えてくるね」
そそくさとドレスルームに逃げ込み、手早く着替える。
コルセットがない分、お腹回りが凄く楽だ。
腰帯は二重に巻いてもまだまだ長さがあるので適当に後ろで結ぶ。腰帯は横に結んだり、前に結んだりと村でもアレンジを楽しんでいる娘たちがいたのを思い出す。
「結び方、教えてもらったらよかったかな…」
村に行くこと事態が両手で足りるぐらいの回数しか行っていないのもあって、遠巻きに彼女たちを見ることの方が多かった。
あまり足を運ぶことのないルナをすんなりと受け入れてくれたのもアリシアのお陰で、ルナ自身、異世界から来たという自覚もあって積極的に関わろうとはしなかった。
彼女たちも好奇の目でこちらを見ていることをわかっていたが必要以上に話そうともしないルナにやはり踏み込める者はおらず、互いに距離を置いていた感じがする。
王宮に来てからこの世界の人たちとの関わりが増えて少しルナの中で意識が変わったのだろうか。不思議と、次に会えたら…のことを考えた。そのことに気付き、苦笑する。
「意外と、楽しみなんだなぁ。ちょっと緊張もあるけど…」
今回、城下街に行くことになったのは他でもない、エルヒ王妃の計らいだ。
ルナがお願いの代わりにひとつの頼み事をしたことがきっかけだ。
「エミリーとこっそりお茶会だと思っていたけど、まさか城下街で会えるようにセッティングしてくれるなんて」
昨日の夕食のとき、エルヒ王妃の使いがやってきて手紙を手渡された。どうぞ内密に、と深々と頭を下げられたから一体どんな内容か身構えたものだ。
そこにはルナがエミリア皇女に会えるように少しでも時間をもらえないかという頼みごとに対する快い返事が認められていた。
ホッと安堵したのは一瞬で、中に書かれた提案(という名の決定事項)を読んで驚愕したのは記憶に新しい。
「会えるのは嬉しいけど、昨日の今日だとは思わなかった」
だからこそ、双子の侍女の嘆きようは今もなお続いているのだが。
その日のうちに返ってきた返事にある種の予感は抱いていたものの、エルヒ王妃の行動力の素早さには驚きを隠せない。
早ければ早いほどありがたいことに変わりはないが、心の準備が整わないことも事実。
そんなことを言ったらズルズルと先延ばしにしてしまいそうだからこのぐらいが丁度いいのかもしれないが。
「よし、じゃあ、行きますか」
晴れ渡る空を眺めて、ルナは目を細めた。
*******
エミリーとは城下街で待ち合わせだ。
王宮から馬車を出してもらい、噴水のある広場で停まった。
朝でも活気があるようで道行く人がにこやかに通り過ぎていく。
ここはトラックの代わりというべきか、物資の在庫補充のためにも運用の馬車も朝から多く来るのだそうだ。もちろん、城下街だというので人の行き来も多い。長らく田舎暮らしを満喫していたルナは少し日本に住んでいたころの活気を思い出し、郷愁に似たような気持ちを抱いた。
「あちらも気づいてくださったようですよ、ルナ様」
一緒に乗車してくれていたヨルダが、窓越しに誰かを認めて声を掛けてくれた。と同時に、扉がゆっくりと開く。
「どうぞ、よくお越しくださいました」
降りるのを手伝う為だろう。手を差し伸べられたが、その相手に目が釘付けになる。
翡翠の瞳に、赤茶の髪―――色合いは違うが、端正なその顔に見覚えがあった。
そこまで考えて、ある人と面影が重なり、ルナは驚愕する。
「…―――(シエル)?」
ものすごく理性を働かせて寸でのところで言葉を発さずにいられたが、口の動きでわかったのだろう。
目の前の彼は無表情ながらその瞳に悪戯めいた光をたたえて口元に人差し指を添えた。―――秘密、ということなのだろうか。
明らかに瞳と髪の色を変えているのだから内密にするための変装なのだろうが、彼の場合、根本的なところが違う。服装も一般的な男性の服なのに、洗練された仕草と立派な容姿だから何故か街の雰囲気から浮いて見える。
(変装の意味、あるのかな…)
どぎまぎしながら手を取られて馬車から降りる。間違っても今思ったことは口に出してはいけない。
たとえ、彼に見惚れていた街の淑女たちの視線が一気に冷たくなったように感じても、絶対に。
「ありがとうございます、えぇっと…」
「お待ちしておりました! お姉さま!!」
「お、お姉さま…!? ッ―――!?」
萌黄色の服に身を包んだエミリーがものすごい勢いで抱き着いてくる。
そしてまさかの第一声にも驚いて受け止めきれず、少し体勢を崩してしまう。
高いヒールの靴ではないからすぐに持ち直せると思ったが、それよりも早く、温かくて硬い何かに肩を抱かれる。
支えられたのだとわかり、慌てて見上げると相変わらず涼しい顔をしたシエルがこちらを見下ろしていた。まつ毛も赤茶色をしていることに気付けるぐらい彼との距離が近いことに心臓が痛いぐらいの音を立てる。
「シエ―――…」
言葉を発そうとした唇に柔らかく押さえるものが当てられた。それはほんの一瞬であったけれど次に彼が自身の唇に当てた人差し指が視界に入り、カッと頬に熱が広がるのを感じた。
とりあえず、黙ったルナを認めて、彼はついとエミリアに視線を落とす。
「こら、エミリー」
「だって、この日を待ちわびたんですもの!」
「離れる」
「うぅ、兄さんの意地悪」
本当に名残惜しそうに離れるものだから庇護欲が掻き立てられる。なんてかわいい子だろう。
ルナにも妹がいるが、こんなに素直に甘えられえる子ではないから新鮮な気持ちを抱く。
改めて彼女たちと向き合い、現状把握に努める。
エミリー、さっき彼のこと“兄さん”って言った―――?
「改めまして、おはようございます、お姉さま。今日は妹のわたくし、エミリーがお姉さまを城下街に案内いたしますわ! ────あと、兄さんも」
あからさまに付け足した感じで言ったエミリーに驚きを隠せない。ジトッ、と何か言いたげな視線を向けているエミリーに構わず彼は言葉を返す。
「浮かれた妹を諫めるのも兄の役目だ。許せ」
凄い、棒読みだ。もともとクールな性格であるが、街中でもそのキャラでいくのか。
その時点でなんらかの演出であることをにおわせているが、言われたエミリーはうっ、と言葉に詰まりほんのり頬を染めてルナを見やる。
「さ、さっきのは目をつむってくださいね、お姉さま!」
「え、えぇ…もちろん」
どうやら恥ずかしかったようだ。どのあたりが恥ずかしいのかちょっとわからないままにルナは頷く。
出だしから妙なお芝居が繰り広げられている感じがするのは、エミリーの出生が関係しているからだろうか。
その姿を隠されているとはいえ、正真正銘のお忍びでの街散策に違いはないのだから。
(王族も、大変だな…)
かと言って、今のルナも無関係ではない。
エミリーが言うにはルナは“お姉さま”という役割らしい。
兄さんと言っているくらいだからエミリーとシエルは“兄妹”。だからシエルの容姿もエミリーに近い色合いにしているのだと察する。魔法か何かで色を変えているのだろうか。
(だとしたら、私もやってもらえばよかったかもしれない)
薄い水色のヴェールがついている帽子を被せてもらっているが、黒髪黒目というのは隠しようもない。今のルナと姉妹というのは無理があるように思われたが、次のエミリーの言葉で謎がとけた。
「あぁ、それにしても嬉しいですわ。こうして従妹であるお姉さまに会える日が来るなんて。憧れでしたのよ、お姉さまに会えることが。そして、一緒にこの街を回れる日を…!」
片方の手で握りこぶしを力強く握って、もう片方は頬に添えてさめざめと語る姿は圧巻だ。六歳の少女とは思えないその仕草に目が釘付けになる。ヒートアップの仕方が王妃様そっくりだ。さすが親子。
じゃなくて、私は従妹としてここにいるのか。ルナは設定を呑み込みながらレッスンで鍛えられたスマイルを顔に張り付ける。
「お姉さま、今日は存分に楽しみましょうね!」
感涙する一歩手前の表情が眩しすぎて、ルナは微笑みながら目を瞑った。




