夢の道
ルナはエルヒ王妃のコレクションルームを辞し、カグラのいる庭を目指していた。
笛は、コレクションルームに置いてきた。
『必要であらば持って行ってくださいませ』
と何故か期待に満ちた顔で言われたが、丁重に断りを入れた。その時のあからさまに落ち込んだ様子の王妃様は本当に守ってあげたくなる可愛さだった。代わりに、というわけではないがひとつ頼み事をすると、眩しいほどの笑顔で了承の意を告げられた。
薄々思ってはいたが、彼女は本当に表情が豊かだ。ルナからしたら母親世代なのに、ルナのほうが冷めている印象を受けるほど。
あれが若さの秘訣だろうか。今から見習うべきだろうか。
どうにも最近、夢見のせいか気分が沈みがちである。一番は環境が変わったことが要因のようだが。
(私ってそんな繊細だったかな…)
もうちょっと図太い神経だったような気もするが、いざカグラの木を目前にすると足が止まる。
『―――わらわを、【月の君】のもとへ…』
彼女の願いを思い出す。
そこに込められた想いはルナの心を強く貫いた。
ルナにはわかる。痛いほどにわかる。彼女の寂しさ、辛さ、我慢なんてとっくに越えてるのにどうしようもできなくて。泣いても叫んでも変わらない現実に、言いようのない冷たさがその心を蝕んでいく―――あの感覚。
『次こそ、楽しみにしている』
カグラの、淡く皮肉さえ見える微笑みと共に最後の言葉を思い出す。
「『次』が、彼女との最期―――」
知らず自分の口から零れた言葉に、ルナはあぁやはり、とその場で瞳を閉じた。
これ以上足が前に進まないのは、彼女がルナを拒絶しているから。生半可な覚悟でいることは許されない。
そこには何もないはずなのに、カグラとルナの間に確かな壁を感じる。
壁は、固く閉ざされた扉によく似ている。
望む言葉を、彼女は待っている。扉の向こうで、待っている。それが唯一の救い。彼女にとっての救いだと信じている。
ルナはその言葉を知っている。けれど、それは納得のいく結末ではないことを予感している。
―――だから、背を向けた。
ノックをする勇気はなかった。彼女に声を掛けたその時が、『終わりの合図』。
ルナの直感はよく当たる。胸騒ぎであったり、先ほどのように知らず口にした言葉だったり、無意識下で起こるものは全てハズれたことはない。
『魔力も聖力もないなりに、本能が冴え渡っているのかもしれない』
そう解釈したのはアリー母さんだ。そう言われた時はこの世界に来てから日も浅く、ファンタジーな世界を認めたくない気持ちの方が強かったのもあるから本気にはしていなかった。
夢を渡り続けて二年も経った今では既にそれが自分の取り柄と開き直っている。
カグラのもとに来たのはあくまでタイムリミットの確認のため。
―――“ルナが『次』に声を掛けるまで”。
それが彼女の残された時間であり、ルナが覚悟を決めるまでの猶予の時間。
「魔力も聖力もないのに、“呪”にはかかっちゃうのは理不尽なんじゃないかな…」
左の手首を見つめて、ルナは言葉をこぼす。
そこには木の枝と桜が僅かばかりに散らされた文様が浮かび上がっていた。まるで鎖が巻きついているように見えるのは錯覚ではないだろう。
「これが、“呪”…初めて見た」
アリー母さんに、雑談混じりで聞いたことがある。
魔法なんて元の世界にはなくて魅力的で、ルナが幼子のように話を聞きたがっていたのもある。その知識が今に生きるなんてあの時は思わなかったが。これでロビンに話しかけることが一つ減ったことは諸手を挙げて喜ぶべきなのだろう。
“呪”とはそのままの意味で“呪い”のことだ。カグラは魔力値が高めだったと聞いている。(シエルは『否』と言っていたが。)魔は闇に通じるものがあり、憎しみや怨みを人にもたらすことができる。“呪”は、魔法の一つなのだそうだ。
カグラの場合は、ルナを逃さないための枷としての役割が強そうだ。これがあるから、カグラはルナの夢に干渉することが出来た。それが恐らく彼女が言っていたルナへの“道”。
なるほど、よく考えられたものだ。
“呪”は一方的な誓い。自分の願いのために、他人を縛りつける強くて歪んだ力。
一体いつの間にこんなものを付けられていたのか知らないが、きっとロビンは既にルナ自身に“呪”をかけられていることをわかっていたのかもしれない。
あの人、本当にイイ性格してるな…。自分の手首を見ながら、心境は遠いところを見つめながら思う。
「でも、困ったな…。手がかりらしい手がかりがないような…」
カグラのタイムリミットはルナ次第の面があるため余裕があることはわかった。だから、“呪”自体それほど心配しなくても良いだろう。
問題は、ルナ自身が視ている夢と王妃の視ている夢のタイムリミットがわからないこと。多分、この二つの夢は何かしら関連性がある。時期的に重なっているのもあるが、一番に確信を抱かせたのは王妃の夢での予言だ。
カグラの木とは反対側を行くように歩みを進めながらポケットから王妃の予言をメモした紙片を出して目を通す。
そこには見慣れた日本の文字が連なっている。事前にエルヒ王妃がこの国の文字で夢の予言をメモしていてくれていたのだが、恥を忍んで『すみません、読めません。そして紙とペンをください』と潔く頼み込むと始めの部屋に移動し、優秀な侍女たちがすぐに準備してくれた。
そして気を遣ってくれたのか即座にその場を辞してくれて、王妃と二人っきりになって夢の予言を書き出すという奇妙な時間を過ごしたのだった。
見たことのない文字にエルヒ王妃が興奮して、『コレクションにさせて欲しい』と言われた時はさすがのルナも言葉に詰まり、どう返事をしようか悩んでいる間に何故か和紙と筆と黒のインクを渡された。
むしろここまで来たら硯が欲しい。ていうか、墨じゃないんですね。とはさすがに言い出せず、言われるままに筆を進めた。
ドレスを汚さずにできたことは賞賛ものだが、字体が大変なことになっている。習字なんて小学生の時しかやってなかったのが大変悔やまれる。
もちろん、ペンで書いたものは今ルナが持っているもので、筆で書いたものが王妃の手に渡っている。
―――アレ、飾られるのかな…。
どうかあの達筆な作品たちの隣ではなく王妃私用の棚の奥に眠りますように、と手渡す時に願を掛けたが果たして届いただろうか。そんなことを頭で考えながらゆっくりとメモに意識を戻していく。
『夢視し乙女の歩んだ道に種は姿を現す…
花に歌を…
月に乙女を…
龍に愛を…
永久の輪に光射す…
漆黒は月明かりのもとに…
その身を落とすだろう…』
ルナが関わったものを順当に上げていく。
“花”はカグラ。夢視し乙女がルナを指すというのなら、日本人としての“花”を考えなければなるまい。国花として、ルナの身近な花として“桜”が挙げられる。ここで実は“菊”となったらもう全てが覆るので考えないことにする。ついでに言うとルナ自身好きな花はあと一つあるがこの庭にはないし、夢で視たことはないのでナシの線でいく。
“歌”はルナが歌った歌。もしくは笛の音。これは後者の方が可能性としては高い。
“月”は空に浮かぶ月。そういえば、もうそろそろ満月になる。カグラの言っていた【月の君】にも“月”が入っている。これは今の時点ではどちらとも決めつけられない。
“乙女”は女性陣のことと考えておこう。たった一人を指すのか、複数か。ここにルナ自身も入るのか。それもわからない。
“龍”は王妃の言っていた黒竜だろうか。もしくは、カグラの言っていた龍か。広い意味で捉えたら王家自身が“竜”の血筋である。“竜”と“龍”の違いもよくわかっていないから絞りきれない。
“愛”は…そのままの意味でいいのだろうか。
―――ダメだ。後半につれて候補が多すぎて推理になりきれていない。
穴ボコだらけで、点が散らばっているようにしか思えない。コレを、一つの線につなげた先にきっと王妃に降ろされた予言が形になるのだろうが…。
「もしかして、“足りてない”?」
あるもので埋めようとしているが、何かしっくり来ない。
だとしたら、まだルナが知らないことが隠れているはず。
他に思い付くものは───。
紙片に目を落としていたから、ルナは今どこにいるのかわかっていなかった。
まともに前も見ていなかったのも、考えに夢中だったのも後に悔やまれることになるのだが、この時のルナはそれを知るはずもなく。
《───見つけた!》
直接頭に響いた声に、弾かれたように顔を上げる。
噴水の水が、不自然に真上に伸びている。それはまるで首をもたげるようにこちらに向き、ルナは息を詰めた。
金縛りにあったかのように身動きがとれなくなり、目の前の水柱を凝視する。
それは徐々に突起が増え、短い手も見えてきて、やがて龍の形になっていく。夢で視たことのある“龍”とは違うが、水墨画で見たことのある龍に確かに似ていた。
それは口を大きく開いてこちらを見定めると───。
「えっ、ちょっと待───ッ!?」
静止の声は届かず、龍の口は呆気なくルナを呑み込む。
がぼっ、と水に溺れる感覚に呑まれ、ルナは意識を失った。




