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王妃様のコレクションルーム

 アロルド皇子と別れ、エルヒ王妃の部屋に足を踏み入れる。

 王妃付きの侍女はルナたちの入室を認めると静かに扉を閉めた。

 部屋には談話室のように気品溢れるビロードのソファにローテーブルがあり、部屋の四隅には色とりどりの花が生けられている。王族の部屋というものだから豪華絢爛なイメージを持っていたが、意外とシンプルな様相に内心面食らう。

 大きな窓の前に、この部屋で一番華やかであろうエルヒ王妃その人が佇んでいた。


「ルナ様、ご機嫌よう。約束通り、来てくださって嬉しいですわ!」


「王妃様もご機嫌麗しく…」


「さぁ、さぁ、固くるしい挨拶なんて抜きにして早速お茶に致しましょう!」


 どこまでもマイペースなエルヒ王妃に続いてルナも素直にソファに腰を下ろした。

 午前中のレッスンの成果を発揮する場面か、と覚悟を決めていただけに肩すかしを食らった気分である。

 だが正直、助かった、と思う自分もいてこれ以上藪から蛇をつつき出すような考えはこの際置いておくことにした。

 座るなりジーッ、とこちらを見つめるエルヒ王妃の熱い眼差しは相変わらずで気は抜けないものの、粗探しという雰囲気は見当たらないのでいくらか心持ちは軽い。

 その間に優秀な侍女たちがお菓子やお茶をてきぱきと用意していく。全ての準備が終わった頃に唐突にエルヒ王妃がほぅ、と息をついた。


「あぁ、今日のドレス姿も麗しいですわ。淡い青もルナ様にはよく似合っていらっしゃる」


 頬を染めて陶然と呟いたエルヒ王妃にお茶を口につけてなくて本当によかったと心の底から安堵した。

 ひくり、と口元が僅かに引きつったが、彼女はそのことに気付かなかったようでその綺麗な瞳をゆっくりと閉じて物憂げに首を傾げた。


「あの時の桃色も優しさと愛嬌が混じり合ってよかったですけれど、青も澄んだ清らかさが引き立っていて捨てがたいですわ」


「あの…」


「色だけでもこんなに雰囲気が変わるということはデザインで表情も変わるということ。これは気を抜けませんわね…」


「王妃様…?」


「ねぇ、ルナ様、舞踏会当日に踊るのはアロルドとアルフレッド、どちらがいいかしら?」


「すみません、それはドレスに関するお話でしょうか」


「ええ、勿論」


 にっこり、と艶やかに微笑んだ王妃様に「あ、これ本気なんだ」と感じられたのは言うまでもない。

 傍から聞いたらお見合い話に発展しそうな際どい内容だったことを微塵も感じていないエルヒ王妃はどこまでも純粋にルナの舞踏会当日の衣装しか頭にないことが伺えた。

 果たしてそこにルナの介入の余地はあるのか。スタートダッシュから置いてけぼりにされている感は否めないが聞かれているからには答えなければいけないだろう。


「ドレスなら、謁見の時に用意して頂いたもので構いません。あれもとても綺麗で…丁寧に作ってくださったことが伝わってきましたから」


 これ以上はお金を使わせてはいけない気がしてやんわりと新しいものはいりませんよ、という思惑も入れて提案してみる。仕立て屋さんにも手間暇かけさせるわけにはいかない。

 アロルド皇子かアルフレッド皇子という明確な答えもしなくていいので自分の中ではこれこそが正解だと思えた。しかし、エルヒ王妃はその斜め上をどこまでもいった。


「ルナ様…! とっても光栄な言葉ですわ。仕立て屋に直接聞かせてあげたいほどに。えぇ、でも安心してくださいまし。あの時のドレスよりもっとルナ様の魅力が引きたち神秘的な雰囲気になるようにわたくしもアリシアも手を加えていきますから! きっと前の物足りなさを埋めるほどに満足してくださるに違いありませんわ!」


(あ…あぁ~…)


 プロのデザイナーよろしく熱く語るエルヒ王妃にやはり手遅れだったと頭を抱える。

 しかもアリー母さんの名前まで出たではないか。それはつまりそのドレスを着ろ、という暗黙の命令なのだろう。

 これは以前の謁見の間での初披露であまり着飾らなかった罰だろうか。

 あれほど多くの高貴な人たちがいたのだ。悪い噂が一切出回らないとは限らない。

 ここはエルヒ王妃の面子を守るためにもここは耐えるしかない、と早々にルナは折れた。


「た、楽しみにしています…」


「えぇ! ところで、さっきアロルドがルナ様をエスコートしたとか…。もしやもうダンスの練習はしたのかしら」


「いいえ、アロルド皇子殿下がいらした時にはダンスのレッスンは終わっていたので…。送って頂いただけです」


「あら、そうなの…。残念ですわ」


 また違ったため息をついたエルヒ王妃にこれ以上はもう突っ込むまい、と穏やかに微笑むだけに留めた。

 ようやく紅茶に手をつけた彼女に倣い、ルナも紅茶に手を伸ばす。やはり王妃という立場だからかその所作は優雅で品がある。自身も【王妃の客人】として高貴な人の前に出ることになるのだからこの際、たくさん学ばせていただこうと意識して彼女を注視することにした。


「―――緊張していらっしゃる?」


 カップをソーサーに置いたエルヒ王妃は不敵な笑みで言った。

 心を読まれたのかというタイミングだったので驚愕で紅茶を傾ける動作が止まった。

 仕方なくカップをソーサーに置き直してエルヒ王妃に向き直る。


「はい、少し。もともと人目につくところから離れて暮らしていましたから、会話にも不慣れなのがバレないかとドキドキもしています」


「この部屋にいるときはリラックスして、と言えればいいのですけれど…。確かに、ルナ様にとってここは息の詰まる場所でしょうね。人の視線が多すぎるのですもの。コレクションルームはこの部屋の隣にありますの。そこでお話するときは人払いをしますからたくさんお話しましょうね!」


 底抜けに明るいエルヒ王妃の笑顔はやはり眩しいものだった。




*******


 紅茶とお菓子を頂き、噂の王妃のコレクションルームに通された。


「わぁ…!」


 一歩踏み出すと、視界に広がったのは美術館のような光景だった。

 絵画、アンティークなお皿やカップ、いろいろな地域の服やネックレスやピアスなどの服飾品などあらゆるものがそこに揃っていた。

 それも時代ごとなのか地域ごとなのかわからないがガラスケースに入れてあったり、壁に掛けてあったりと統一感があって見やすい。

 一室を八区画ほどに分けて展示されており、部屋いっぱいを使って収められているコレクションに感嘆の息がもれる。

 しかしこれだけにとどまらず次の部屋にも続いているというのだから王妃様の収集癖はなかなかのものだ。

 順繰りに見ながら、王妃様の説明を聞いていく。


「これはスロイホ民族のお面で厄除けとして家に飾っていたんですって。仮面舞踏会というのがないのにお面を作る地域もあるんだって聞いてとっても衝撃的だったわ」


 木製のずっしりとしたお面にこの王宮にあまりにそぐわない様子にふっ、と笑みが溢れる。

 何が面白かったか、どんなことが興味深かったかと話す王妃様も楽しげだ。


「本当にいろんな地域があるんですね」


「そうでしょう、そうでしょう! いろんな人がいるっていう証みたいでこれらを見るたびに王妃としての自覚を感じたりしていますの。まぁ、ほとんど趣味ですけれど」


「それでもいいと思いますよ」


「本当?」


「はい」


 少なくとも、彼女の姿を見て世界に目を向けた人もいるのだろう。アロルド皇子なんてその筆頭かもしれない。血縁者ゆえの影響かもしれないが。

 そこから二部屋ほど進み、最後の部屋に通された。そこにルナはかつてないほどの衝撃を受けた。


「ここからは靴を脱いで下さいませ」


 その部屋は、和室だった。底上げされているが畳が部屋全体に敷かれていて、コレクションの内容も水墨画や浮世絵のようなものがあった。壺や皿などの焼き物、木製の置き物など侘寂の世界が広がっていた。


「これは…」


「この部屋だけ少し他とは趣が違いますでしょう? なんでも、東に位置する民族が昔作りあげたものらしいのです。神を愛し、芸を愛した民族と聞いています」


「そう、なんですか…」


 急にぎこちなくなってしまった答えにエルヒ王妃は気付かなかったようだ。そのまま、木彫りの龍の傍に歩み寄っていく。


「今はその民族はいないようですわ。でも、神を愛していた、ということはその者たちは神が見えていたんじゃないか、とコレを見てふと思う時があります」


 そう言いながら木彫りの龍を愛おしげに撫でるエルヒ王妃に自分の考えを隅に置いて集中する。


「この国にも龍はおりますわ。わたくしが見たのは“竜”ですが」


「え…」


「ルナ様はまだお会いしたことがないかもしれませんわね。でも、ルナ様も知っていますのよ。ほら、わたくしの夢に出てきた“声”…。あれが、“竜”の言葉ですわ」


「あれが…」


 衝撃が強すぎてそれ以上言葉を紡げなかった。エルヒ王妃は尚も続ける。


「あの夢の後、わたくし【時の庭】に行きましたの。そこは【竜の庭】とも言われていましたのでもしかしたらって。予想は当たり、そこには漆黒の体躯に金の瞳の竜がおりました。威厳あふれるその様に怖くなかったといったら嘘になります。でも、わたくしの夫たる王は龍の血を引いているとも言われていましたからここで怖がっていたら相手が姿を消してしまうと思い、気持ちを奮い立たせたのをよく覚えています。そんな私の覚悟はただの杞憂だったのですけれど」


「もしかしてその竜が…?」


「えぇ、大きな火傷を追っておりました。(つた)のようなものが巻きついてそこからじわじわと焦げる匂いもしていました。後から知ったのですけれど、その竜こそが夫の守護だったようです。守護がなくなれば夫は昔より王家に伝わる“業”にその身を(むしば)まれると言われていたようですわ」


「では、あの夢の意味は、守護がなくなった国王の末路だったと…?」


「えぇ…。だから、見つけてほしかったのでしょうね。竜も、使える主を一番に愛する生き物。自分が一番苦しいはずなのに主のためにと最後の最後まで頑張っておりました」


「どう、なったんですか?」


 最後の最後まで、という言葉に黒いモヤが心に生まれるのを感じながら続きを促す。エルヒ王妃様は一瞬躊躇ってから、言葉を紡いだ。


「わたくしが夢を見続ける前から竜は焔の実に体躯を蝕まれていたのでしょう。わたくしが気付いた時にはもう、本当は力も底を尽きかけていたようです。【時の庭】に入れるものは王族のみ。いくら名高い呪術師でも、扉は頑なに開かなかった。だから、予言の通りに獅子(アスラン)を名乗る者を探し、導きを受けました。それは、夫にとっても竜にとっても残酷な結果でしたわ。――――夫には新しい守護を。竜は国の幸せの糧として消滅することを」


「しょう、めつ…?」


「えぇ、竜はこの世界でただ一柱のみ。その力を悪用されないように、愛する人の幸せが続くように…。その身の力を全て人々への幸せになるように変換させるのだと言って聞かないのです。夫に新しい守護がついたと同時に竜が言った言葉を昨日のように思い出せますわ」


『よかった…よかった、主…、間に合った。大丈夫です、私は寂しくなんかない。私の胸は喜びでいっぱいです。最後の最後まで主のお役に立てる。これほどの僥倖はない。あぁ、主。どうか幸せに…、ずっとずっと、大好きです。さようなら、大好きです』


「―――それから、天高く飛び立って、竜は姿を消しました。空で光が弾けたのを、わたくしは見たような気がします」


 

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