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夢の変化

******

 “彼”はまた同じ夢を視ていた。進展性もない、焦燥感にまみれた暗い夢。

 ただ、それは以前と全く同じ夢ではなかった。


「―――空間が狭くなってる?」


 ルナは暗闇に包まれた街を空中から俯瞰しながら呟いた。

 以前は確かに、“彼”がそこにいようがいまいが街灯は灯っており、地平線の向こう側まで仄かな明るさは保たれていた。しかし、今はルナの目に見えるほどの距離で街灯の灯りが一斉にパタリと途絶えているのがわかる。


「でも、まだ“余裕はある”。―――?」


 自然と口から出た言葉にルナは首を傾げる。

 “彼”があちらこちら蛇行しながら駆けていくその心情は焦燥感そのもの。自分が言った言葉との相違に違和感を覚える。

 “彼”は息を切らしながら走り抜けていく。それでも完全な暗闇に行き着くことはないだろう。

 それまでの距離は充分にある。だが、ルナはその違和感を胸に留めておくことにする。この夢のヒントになるかもしれないからだ。


 “彼”は走ることをやめない。後ろからは何もついてきていない。そのことを“彼”は知らない。

 “彼”は無意識でも知っているのだ。この先にこそ、“彼”が求めているものがある。


 一つの光があった。一瞬眩しく光るそれは鮮やかに“彼”の瞳に映り込む。


 ―――アレを取らなければ。取らなければ。


 ―――そうすれば、“あれ”が救われる。


 その表情は泣きそうに歪んでいた。光が小さくなるにつれて、飢餓感を埋めようとする渇望が“彼”の胸に沸き起こるのをルナは感じていた。

 不意に、龍が現れた。いや、もともとそこにいたのだろう。

 光の方が強すぎて龍が見えなかっただけだったのかもしれなかった。それでも、“彼”は畏怖する。

 いつの間にか手に持っていた刃を振り下ろそうとするその瞬間、龍が目を開いた。

 金の瞳が“彼”を認めたと同時に、“彼”とルナの視界は暗転した。



******


 ベッドの上でルナはぼんやりと天蓋を見つめている。

 夢の中で暗転した時はハッと飛び起きたり、目だけが起きたりといろいろな目覚め方はあるが、今回は後者だったようで、ほんの少し息を詰めた状態だった。徐々に息を吐いていけば自然と呼吸は取れるもので、ルナは幾度か瞬きをして現実に戻ったことを実感した。


「…続きは…」


 元の世界のCM広告が一瞬頭をかすめるも、そんなものはない、と即座に心の中で切り捨てた。

 自分は一体何を言おうとしているのか。ぼんやりしすぎにもほどがある。ここにはテレビもなければ携帯もない。その生活を二年間はしているというのに、よく覚えていたな、とうっすらと感心する。

 頭の中でふざけたことを思いながら、もう片方では違うことを考えていた。“彼”の夢は変わったことはあれど、まだ核心は揺らいでいない。カグラが介入してきた時は流石に肝が冷えたが、そのことで変化が出たようではなかった。そのことにひとまず安堵する。


「おはようございます、ルナ様」


 明るい日差しがカーテンの間から射し込んでくる。

 蜜柑色の瞳を持つ双子の侍女が僅かに影を作る。


「……おはようございます、ヒルダ、ヨルダ」


 にこやかな表情の二人に、先程の夢の名残が少しずつ薄れる感覚を抱きながら、ルナは身を起こした。

 寝癖が付いているであろう髪をそっと撫でると、カチャカチャと食器の触れ合う音が聞こえ、次に甘やかな香りが鼻腔をかすめる。


「ルナ様、モーニングティーをどうぞ」


「アールグレイのオレンジペコでございます」


「ありがとう」


 アールグレイにも種類があることを知らなかったルナだが、こくりと一口飲んでみる。人肌の温度に冷まされているようで、とても飲みやすい。確かに、普通のアールグレイよりまろやかな味わいだった。

 ここにいたら紅茶に詳しくなれそうだ、なんて思いながらゆっくりとカップを傾ける。


「昨日のもよかったけど、今日のも美味しいね」


「ありがとうございます。ルナ様は夢の中でも常に思考を巡らせていらっしゃるご様子。心穏やかなひと時を味わえるようでしたらこのヒルダとヨルダ、努力を惜しみませんわ」


 その情熱は紅茶ソムリエになっていそうなほどの気概を感じられ、ルナは迫力に若干圧された。

 そんな中でも、彼女の言葉に少し疑問に思うことがあった。


「…私の寝言って、もしかしてヒドイの?」


 思考を巡らせているだなんて、外部にもバレるほどもしかして自分は喋っているのだろうか。

 アリー母さんと過ごしていた時はリビングのソファを貸してもらっていたが、もしも寝言でベラベラ喋っていたと考えると申し訳なさしか出てこない。

 不安げなルナに対し、双子の侍女はそろって首をふるふる横に振った。


「ルナ様は寝ている時は何もおっしゃりませんわ」


「そう、なの?」


「はい」


 それは爽やかに断言され、ルナも納得するしかなかった。

 事実、ルナは寝言を口には出さず、寝ている間は身動ぎさえもしない。だが、目覚めたと同時にこぼれる盛大なため息だったり、思わず口をついて出たりする一言はある。

 夢見の際はルナの身体は光を帯びている。その光が収縮し、消えた時が起床の頃合だと侍女たちはたった二日で気付いた。熱湯で紅茶を淹れるが、それが人肌まで冷めるまで待った丁度その時に寝台からルナの呟きともとれる声が聞こえる。それが何よりの合図だと思っているが、ルナは到底そこまでの考えには及ばない。


「本日より、礼儀作法の講義とダンスレッスンを行います。正午に王妃様とのお茶会があり、その後は少しの休憩。夕刻は時間があれば、講義などを詰めて行きたいのですが、いかがいたしましょうか?」


 ヨルダがすらすらと今日の予定を並べていくのを聞き、昨日の約束が鮮やかに甦る。

 今日から、舞踏会に向けて猛特訓しなければいけない。教師はヒルダとヨルダである。

 どのような講義内容なのか、またはダンスレッスンなのかわからないことだらけだが、ヨルダから提案されたということは学ぶものの量は格段に多いということだろう。

 期限は二週間後。思ったより全く時間がないことがわかり、焦燥がじわじわと胸を侵食する。

 紅茶をもう一口飲み、心を落ち着けてからヨルダに応える。


「講義とレッスン、初日だからと言って呑気にはできません。カリキュラムについてはヒルダとヨルダにお任せします。どうぞ、ご鞭撻(べんたつ)のほど、よろしくお願いいたします」


 一息に言い切れば、ヒルダとヨルダは互いに目を見交わし合い、ルナに視線を戻した。


「わかりました。ルナ様、どうぞご安心くださいませ」


「わたくしたちがルナ様を誰もが憧れる“淑女(レディ)”にしてみせますわ」


 真摯な態度で返されたその言葉に滲む情熱の深さをルナが身をもって味わうことになるまで後もう少し―――。



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