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飛び降りコック

 そろそろ晩餐会もお開きに近くなってきたようで、芸術品とも言えるような仕上がりのデザートが出てきた。ここまで出てきた品物は全て小さめで可憐な仕上がりだったな、と思い出す。

 今までのは主食でもあったので見た目こそ、そこまで気取っていなかった。一般家庭にもあるような見た目で、だからこそ食べやすかった。

 オードブルである葉野菜から始まり、コンナのスープ、パイ生地に包まれた魚料理、コンナのソテーのバジルソース添えなど、フランス料理のように出される順番は似ているが、メニュー一つひとつは食べ方に困る、ということがなかった。

 そういえば、ここに来てからというもの、絵に描いたような料理はなかったことをふと思い出す。食器など銀製だったり、細やかな装飾がされているアンティーク調の物だったりと管理が大変そうだな、とは思ったが食事自体に戸惑いを覚えたことはない。

 そういう風習なのだろうか、と思っていたが目の前のデザートの仕上がりはどう見ても一般家庭のそれではない。


「まぁ、今日はホワイトチョコのケーキなのね!」


 エルヒ王妃がきらきらした瞳で目の前のデザートを見つめていた。こころなしか頬がほのかに朱に染まっている。

 嬉しさを前面に出している彼女は確かに少女そのものだった。

 これが、女子力。明らかにエルヒ王妃の方が年上なのにルナは妙に達観した感想を抱いた。


「ホワイト、チョコ?」


 見た目はレアチーズケーキのよう。間に苺か何か紅色の果実のスポンジかクリームベースのものが挟んであり、細長く切られている。苺のショートケーキのようにちょこんとラズベリーと、鳥の羽根を模したカラメルが乗っている。そのケーキの周りにはブルーベリーのソースで薔薇が描かれていて、もはや眺めておきたいものになっている。創作の過程を思うと容易に手を出せない。


「ここの料理長の自信作の一つです。チョコといえばブラウンですが、試行錯誤の末にホワイトにできたことで有名になった話題のデザートです。ルナ様も初めて見るのではないですか?」


「そう、ですね」


 アロルド皇子には悪いが、現代日本には既にあったホワイトチョコだ。見た目の綺麗さに戸惑っていたのが、どうやら未知なる食材に遭遇してしまったように見えたようだった。

 ここはもう嘘を突き通そう。彼の言うことでは希少なデザートのようだし、実際にこの世界のホワイトチョコは初めて食べるし、と自分に言い聞かせる。

 最後のフォークに手を伸ばし、恐る恐るケーキに差し込む。上から下へひとかけらを取り、口に運ぶ。


「……おいしい」


 ホワイトチョコだ。本当に久しぶりに食べた。でも、違う。

 バニラとチョコの味が口の中に満遍なく広がって、苺のクリームの甘酸っぱさがうまい具合に溶け込んでいる。しっとりしていて、くどくなく、さらっと溶けるくちどけは生キャラメルと食べた時の感想に似ている。

 すごい、すごい。美味しい。こんなの、普通のお菓子でも食べたことない。


「お気に召したようで、何よりでございます、夢の渡り人様」


 感動を噛み締めていると、いつの間に入ってきていたのか料理人コックの格好をした人が白の長帽子をとってお辞儀をしていた。

 見覚えのある人。そんな既視感を抱いたと同時に彼が顔を上げた。

 穏やかに微笑む茶色の瞳に、少しの口ひげ。髪は随分短くしたようで、榛色の髪は綺麗に整えられていた。

 ガタイが大きく、腕なんかはプロレスラーの筋肉を彷彿させるほど太く逞しいのに、怖さなんて抱かせない優しい雰囲気の彼は、まるであの時と別人のようだ。


「……雰囲気が、変わりましたね」


 ルナ自身の記憶に確証が持てない結果、そんな言葉が第一声として出てきた。

 半ば呆然としているのが相手にも伝わったのか、彼は思わずといったように苦笑する。


「どうやらわたくしめのことも覚えてくださっている様子。お久しぶりでございます、夢の渡り人様。こうして、またお会い出来ることを心より感謝申し上げます」


「彼はミッシェルと言ってね。今をときめく有名シェフの一人なのよ」


「それもこれもエルヒ王妃陛下のおかげでございます。今も、この場でわずかながらわたくしめにお時間をいただける機会を与えてくださり、恐悦至極に存じます」


 なおも深々と頭を下げる彼に、ルナはようやく事の真意を理解する。


「じゃあ、この料理も…?」


「はい。まだ未熟ながらもこのミッシェル、腕によりをかけてご用意させていただきました。お口にはあいましたでしょうか」


「はい…はい! とても美味しく頂きました。あ、それから…ここに来て、私の身体に良いものを用意してくれたと聞いています。細やかな気遣いに感謝するのはこちらのほう…。ありがとうございました」


 行儀が悪いと思いながらも椅子に横座りになって彼に頭を下げる。すると、彼は途端に慌てだした。


「そ、そんな! 夢の渡り人様が頭を下げるなんて…。わたくしはどうしたら…!」


「いえ、まだ足りないくらいですが…」


「お、おおおやめください…!!」


 ひぃっ、と声が裏返ってしまうほどの動揺ぶりに『あぁ、確かにこんな人だったな』と少しの記憶を思い出す。

 シェフとしての壁にぶち当たった頃だったのか、彼はその現状をどうにかしたくて夢の中でも料理をし続けていた。そして客が遠ざかっていくのを眺めた後に必ずどこか高い場所から飛び降りるのだ。

 場所はどこかの屋敷の階段だったり、断崖絶壁で下に海が広がっていたり、谷底だったり、果ては二段ベットからだったり…。本当にどこからでも飛び降りるものだから【飛び降りコック】と勝手に名づけていたぐらいだ。

 よくもそんなにシチュエーションが作れるものだ、とむしろ感心の域に達するほどだったのを何故か鮮明に覚えている。

 飛び降りた時の独特の浮遊感を感じるものだから堪らなかった。日に二回もその場面を視せられた時もあって、さすがに寝る気分にはなれなかったからだろうか。軽く思い出すつもりだったのに、かなり詳しく思い出せて割とルナは驚いている。

 仕方なく顔を上げたまま、不満げな顔をしてみせると勢いよく頭を振られた。

 ちょっと自信を持ったように思えたが、根はそのままなのかもしれない、と思い直す。


「あらまぁ、ルナ様。わたくしの贔屓にしている方をそんなにいじめないでくださいな」


「え、いじめ…?」


「ルナ様の優しさは何よりも彼が感じています。どうか、それ以上はおやめになって」


 エルヒ王妃の言葉を受け止め、もう一度ミッシェルを見る。

 上気しながらもぷるぷると震えている様子を見るとあながち間違っていないようだ、ということがわかった。

 そうか、今は【王妃の客人】。身分は王妃の位ほどに高いもの。彼に頭を下げたということは彼がその身分よりも上にいくことになってしまうのだろう。

 今も心は庶民のままだから私的には何も問題はないが、彼にとっては身に余るものに値する。私が逆の立場だったら卒倒している事実に、急に申し訳なさを覚えた。


「わかりました。考えが浅くて、ごめんなさい。でも感謝の気持ちがいっぱいあるのは本当です。それは、ちゃんと届いていますか?」


「はい、夢の渡り人様。わたくしめは、この瞬間を何よりも夢見ていました。本当は、それだけで嬉しゅうございます」


「そう、ですか。私も嬉しいです。―――ねぇ、また奥さんにも会わせてくださいね」


「は…妻に、ですか?」


「はい。また、お話できることを楽しみにしています」


 気持ちの赴くままに言葉を紡げば、彼は呆気にとられたようにこちらを凝視する。

 次いで、視線をエルヒ王妃に向けた。


「ふふっ、夢の渡り人様たっての願いですもの。ミッシェル、アンナにもよろしく伝えるのですよ」


「は、はい!」


 その時確かに彼の瞳が綺麗に光ったのをルナは見た。

 よかった。どうやらこちらのわがままだけではないようだ。

 一度深く礼をしてから扉に消えていく彼を見送って、ようやく視線を正面に戻す。

 食べかけのホワイトチョコケーキ。彼が作ったのだと分かれば、また一段と美味しそうに見えた。


「ルナ様は、彼の奥方の夢にも訪れていたのですか?」


 アロルド皇子が少しの驚きを見せながら問いかけてきた言葉にルナは穏やかに微笑みを返す。


「それは、秘密です」


 唇の前に人差し指を添えて告げれば、彼は陽気に「おっと、これは失礼」と肩を竦めてみせた。


「ルナ様は本当に口が堅い」


 おどけたように言う彼に続いて、国王と王妃の笑声が場を包んだ。

 こうして、晩餐会は和やかに終わりへと進むのだった。 

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