舞踏会への招待
晩餐会は穏やかに進んでいく。
緊張は未だ残っているが、綺麗に盛り付けられた食事はルナにとって充分すぎるほど美味しく、一つ一つの品物に目を輝かせるくらいの余裕は出てきていた。
王族との食事の席だと思えないくらいに彼らとの会話は楽しかった。話の内容も肩肘を張らなくていいものだった。深く考えなくても言葉を返せるものでルナも安心していた。
「そういえば、アリシアから聞いたのだけれど、ルナ様は見たことのない衣をお召しだったとか…」
「……甚平のことでしょうか」
「ジンベイ、と言うの。名前の響きも初めて。動きやすそうで特に暑い時期には最適そうだったとアリシアが面白がっていたので、とても興味深いのですけれど」
実際にそれを着た姿を彼女は見ているのだが、わざわざ伝聞形にしているところが流石だ。
「民族衣装のひとつです。アリー母さんが言うように、暑い日に最適です」
「民族衣装! なんて素敵な響き…。わたくしも着てみたいわ」
それは本気で言っているのか。ルナのことを試しているのかどちらなのだろう。
「私の世界の文化に関心を持ってくださってありがとうございます。とても嬉しいです」
あえて明確な返事は控えてみるも、その心はもしかしたら見抜かれているかもしれない。
それでも、彼女はにこにこと屈託なく笑っていてどこか満足そうだ。
「民族衣装といえば、母上、また新しいものを見つけたとおっしゃっていましたね」
フォローのようなタイミングでアロルド皇子が会話を繋げてくれるのも、これで何回目だろうか。非常に助かる。そこにエルヒ王妃も快く便乗するので場は華やかさを保っている。
「ええ! そうなの! 【カリギヌ】というもので古来で使われていた衣装だとか。でも、話に聞くと男性用だったようで…だから見るだけにしているのよ」
「カリギヌ…?」
知っている単語に思わず言葉がこぼれる。
カリギヌ…男性用、となるともしや【狩衣】のことだろうか。
「そういえば、アリシアに見せた時にルナ様の着ていた甚平に雰囲気が似ている、と言っていましたわ。ねぇ、ルナ様、よかったら明日でもわたくしのコレクションを見てみませんこと?」
「いいのですか?」
「もちろんですわ! ルナ様はわたくしの客人。本当は毎日お会いしたいくらいですのよ?」
茶目っ気たっぷりにこちらにウインクする姿が愛らしい。しかし、それを国王様の御前で言われるとさすがのルナもヒヤヒヤする。
ちらり、と見た愛妻家様はそんな妻を微笑ましそうに見ているのが何よりも救いだ。
「母上のコレクションは驚きを超えて言葉を失ってしまうから気を付けて」
「アロルド!」
「あぁ、確かに。様々な国を知っている私でもどこで仕入れてきたのか分からないものがあるからね」
「あなたまでもう…今の聞きまして? ルナ様。酷い殿方たちですこと」
これは冗談でも頷いたらダメだな、と瞬時に理解して、それでも曖昧に微笑みを返した。
一般人は間違っても同じステージにいると思ってはいけない。この和やかな会話にうっかり近所の友人の家に遊びに来たような錯覚を抱いてしまいがちになるが実際はそうではないのだから。
「エルヒ王妃様のコレクション、楽しみです」
「まぁ、ルナ様! なんて嬉しいこと…!」
もの凄く感激しているのが伝わってきて、ちょっと自分も嬉しかったのはここだけの話。
アロルド皇子がわざわざ忠告をしてくださったことから、相当な量があるのだろうと予想する。
もう『明日』と言われているから、今から心の準備はしておいたほうがいいかもしれない。
こっそりそんなことを思っていると、バチリ、と目の前のシエルと目が合う。
「……」
「……っ!?」
フッ、と柔らかく微笑まれて、今の心境を見透かされたのかと思った。
いたずらっ子のようなあどけない瞳に、不覚にも胸が高鳴った。至近距離のあの息遣いと言葉が脳裏によぎって、無性に居た堪れない。
せっかくこの食事の席に着く前に気持ちを引き締めたというのに、彼を見ていたら気が緩みそうになるから不思議だ。
シエルはあまり会話に参加しないが、頷いたり、こちらをじっと見たりと話を聞いてくれている姿勢は伝わってくる。適度な緊張感を持って彼女らに接することができているのはシエルのおかげでもあるかもしれない。
「王妃との約束も結ばれたようで何より。では、命の恩人である私からの招待も、受けてくださらないか? 夢の渡り人ルナ様」
「国王様…?」
「あなたの歓迎の意も込めて、二週間後に舞踏会を開こうと思っている」
「謁見の間でおっしゃっていたことですね。二週間後…」
思わず思案顔になってしまう。歓迎会というホームパーティーのようなものを想像していたのに、やはり現実はそうではないようだ。
舞踏会、というからにはルナが想像できないような規模の人々が招かれるのだろう。正直、ちょっと怖い。
「ルナ様は舞踏会はあまり好きではいらっしゃらない?」
エルヒ王妃様が心配そうにこちらを見ている。ルナは素直に白状した。
「舞踏会という場に出たことがないのでちょっとわかりません。たくさんの人たちが来るというのはわかるのですが…」
「あ、そうですわね…。ルナ様はアリシアと二人きりで過ごしていらっしゃいましたものね」
「すみません…知識が足りず…」
だからどうか、そんな大きな催しものにしないで、できたら何事もなく家に帰してほしい。
一瞬、甘い考えが頭をよぎったせいだろうか。アロルド皇子がにこやかに口を開いた。
「大丈夫ですよ、ルナ様。知識がなくとも経験に勝るものはありません。これを機に、一度参加してみてはいかがでしょうか?」
「え…?」
「そうですわ。ルナ様。やってみなければわからないことはたくさんあります。ダンスや礼儀作法はありますが、舞踏会ですからそんな堅苦しいものはありませんわ」
堅苦しい以前に、ゲスト扱いということはさすがのルナも忘れていない。否が応でも注目の的になることだろう。
「幸いにも二週間後ですし、明日からでもレッスン教師をお呼びすることはできるでしょう。招く客人の方々の対応は私とアルフレッドにお任せを。ルナ様が快い想いができるよう、尽力することを誓いますよ。な、アルフ」
「私ができることはなんでも」
「まぁ、アルフ…!」
何故かエルヒ王妃様が感極まった声を出した。国王様も目を見開いてシエルを見ている。
アロルド皇子がこらえきれずに僅かな笑声をこぼすのが気になったのか、そちらをじとりと見た後シエルはまっすぐとこちらを見やった。
「私も、誓います」
どこまでも真摯な瞳に、ルナは息を呑んだ。心にすぐに浸透してしまった言葉は、ルナの頬を赤くするには充分な効果を発揮していた。
完全に断れない空気だ。さすがにルナもここまで言葉を尽くされたら否とは絶対に言えない。
知らぬ間に身の振り方が決まっているこの流れはつい先日味わったばかりというのに。何一つ経験が生かされていない。というか、その隙さえ見せない彼らのチームワークに舌を巻くしかない。
困惑しながら、怖々と国王様に視線を移しなおすと、国王様は既に心得たように頷いてみせた。
「難しいことはこの息子たちに任せるといいでしょう。あなたには盛大な宴を堪能していただきたい。我が王妃も、それを強く望んでいる。どうか、彼女の願いを叶えてくださらないか?」
「……願い…」
国王様直々の力強いダメ押しだというのは頭の片隅ではわかっていた。
しかし、エルヒ王妃様に視線を移せば、その瞳に映る想いは明らかだった。
夢の中でしか会えなかった人。自分の幸福を守りきれた彼女からしたらルナ自身はどのように映っているのだろう。
彼女の瞳は、とても美しかった。まっすぐで、素直な心を映している。
そこに含まれる不安な色は、ルナ自身の困惑を映しているからだろうか。その色が消えるなら、ルナはそれでもいいかもしれない、と思えた。
「はい。舞踏会、参加させていただきます」
その言葉に感動したようでエルヒ王妃様は涙ぐんで、国王様たちは満足そうに頷いていた。
「では、そのように進めさせてもらおう」
「明日からのレッスンの教師が必要ですね」
「それについては問題ありませんわ。ルナ様に付けている双子の侍女たちに任せましょう。彼女たちはとても信頼の置ける者たちですもの。ルナ様へのレッスンも完璧にこなしてくれるでしょう」
「さすがは母上ですね」
「わたくしの客人として当然の待遇ですわ。ルナ様、安心なさってくださいませね」
「はい、ありがとうございます」
エルヒ王妃様の提案は心の底から感謝する。知らない人に知識のないことを教えてもらうのは大変緊張する。その点、ヒルダとヨルダならまだわからないことも気軽に聞けそうだ。
「もちろん、わたくしのお相手もしてくださいませね」
それが何よりもしてほしいことだと言うようにエルヒ王妃様はこちらを見つめる。
「はい、もちろんです。エルヒ王妃様」
その言葉にエルヒ王妃様がポッと頬を赤らめたのをルナは見逃さなかった。




