晩餐会
やる気を前面に押し出してくる侍女たちの方がまるで遠慮がなかった。
ここに来てからそこまで日数は経っていないはずだが、それでも彼女たちなりに我慢してきたものがあったのだろう。
ここに来てようやく溜まってきた想いが爆発したかのように彼女たちはルナをあれこれと飾り付けてくる。
化粧も今まではかなり容赦してくれたのだな、と思えるほど完成度が高かった。
ナチュラルでいて、品のあるメイク。肌の輝きの違いなのか、表情が明るく見えるから不思議だ。
ドレスは光を反射してうっすらと琥珀に見える白。肩から鎖骨あたりまで開いていて、首元がなんとも心もとない。しかし、そこから下は幾重にも絹が重ねられており、歩くたびにサラサラと淑やかな衣擦れがする。
袖口や背中には蔦のような可憐な装飾が施されており、胸元には金糸の可憐なバラが咲き誇っているような気品あるドレスだった。
そのドレスに合うように誂えたかのようなアクセサリー類も次々と付けられていく。
その間、これは一体総額何円でしょうか、と小心者のルナは懸命に疑問を心の内に押し込めておかなければならなかった。
胸元に光るルビーの宝石がやけに眩しく見える。そこまで胸があるわけではないのが私的に悔やまれるが侍女たちはそのことには一切不満はないようだ。
髪だって、背中まで長いのをいいことにアレンジのしようもあったようで編みこまれたり、ウェーブをかけられてたりと、友人の結婚式に出る時だってしたことのない髪型を施されていた。
鏡越しに見る自分は本当に華やかで、一般市民には到底見えない。
ヒルダとヨルダの本気を体感しているわけだが、圧巻の一言に尽きる。王妃とのお茶会とはまた違った気合が窺い知れた。
というか、ここまでされる客人って聞いたことない。
本当に規格外な場所だな、と遠い目をしているところで、ヒルダがシエルに声を掛けに出かけた。
静けさの中、隣にはヨルダが控えてくれている。
自分だけ椅子に腰掛けているわけだが、じわじわと晩餐会への時が迫っていることは感じられて大変落ち着かない。
「……緊張する」
「大丈夫ですわ、ルナ様。とてもお綺麗ですもの」
「ありがとう。ヒルダとヨルダのお蔭で見れるようになっているのは自信を持てそうよ」
「まぁ、もったいないお言葉でございます。でも、心配なさらずともルナ様の本質がよく現れているようで、着飾り甲斐があったのは本当でございますよ」
フォローを忘れない彼女にルナは本当によくデキた人だと尊敬の念すら抱いた。
「お肌も、とってもキメ細やかでお化粧も本当に楽しく感じておりました」
更に、彼女は言葉を重ねていくのに、少しずつ恥ずかしさが出てくるルナだった。
そうなのだ。肌は、前の世界よりも正直こっちに来てから調子がいい。
異世界に来てストレスもそれなりにかかっているはずなのだが、肌のトラブルはこの二年間ない。
しっかり寝ているからだろうか、と最初の頃は思っていたが、アリシアから使っている化粧水の原料云々を聞いてそれは誤解だったことを知った。
「多分、肌がいいのはアリー母さんが使っていたものを私も使わせてもらっていたからだと思うわ」
アリシアはいろいろな植物を育てていた。
それらをうまく組み合わせて独自に石鹸やら化粧水やらを作っており、ルナにも使うように言ってくれたのでありがたく使わせてもらっていたのだ。
「まぁ、アリシア様の…。それはようございました。エルヒ王妃陛下様もアリシア様が調合したものを喜んで使っていらっしゃることはわたくし共の耳にも聞こえておりますよ」
「エルヒ王妃様も…?」
「はい。ここだけの話ですが、アリシア様がこの王宮から立ち去った後も、エルヒ王妃陛下様とも交流は続いておりました。贈り物にも、必ず自身の作ったものを添えていたと伺っております」
「そう…。たまにアリー母さんが遠出してたのは贈り物をするためでもあったのかな」
アリシアとエルヒ王妃は血縁関係では姉妹だという。お互いに気にかけている様子が思い浮かんで、その優しさに穏やかな気持ちになる。
「きっと、そうですわ」
確信を持って頷くヨルダに、ルナも笑みがこぼれる。
そのときに、丁度ノックの音がした。
「ルナ様、ヒルダでございます。アルフレッド王太子殿下がお越しです」
「はい。今、行きます」
扉越しの声に返事をして立ち上がる。
隣で一緒に扉に歩むヨルダに視線を移すと、彼女もこちらに気づいてくれた。
「ありがとう、さっきのでちょっと緊張がほぐれたみたい」
少し立ち止まって声をかけるとヨルダは呆然とこちらを見つめた。
その反応が意外で、何かおかしなことを言ったのか心配になった時、ヨルダは淡く微笑んだ。
「もったいない…お言葉でございます」
やっと、振り絞ったような声で言うものだから、彼女が泣いてしまうのかと錯覚してしまった。
そんなことは決してなく、気を取り直したようにまた二人で歩みを進めた。
ゆっくりとヨルダが扉を開けてくれ、正面にいる彼を認める。
「大変お待たせしました。どうぞ、よろしくお願いいたします」
一礼して、もう一度彼を見つめる。
―――なんて綺麗な人だろう。
思わず息を呑んでしまうくらい素敵な正装に身を包んだ彼がそこにいた。
毎度桜の木の下で会った時の衣装とはまた違って、静かな威厳がにじみ出ている。
光沢のある生地は紺青を基調としており、左胸には国のシンボルの龍が金糸で縫われている。龍の腕の中には青の球体があり、それはサファイアが飾られているのか眩しく光った。
ボタン一つ一つが真珠なのか夜空に映える星空のように見えた。
その衣装に負けず劣らず彼の美貌も際立っている。少し長めの前髪から、青空を思い出すような蒼の瞳が顔を覗かせる。
なんて魅力的なんだろう。というか、こんな人、本当にいたんだなぁ、と現実逃避気味に考える。
今からこの美しい人の隣を歩くとかもう…想像するだに恐ろしい。
明日辺り、私は何か見えない力で息の根を止められないだろうか、と冗談じゃなく本気で思う。
エスコートしてもらう話は相手側から提案されたとはいえ、はやまったかもしれない。
「今宵は私、アルフレッド・シン・オルキスがエスコートいたします。お手をどうぞ、レディ」
応えるように一礼したシエルはさりげなくルナに手を差し伸べる。
ルナも、ぎこちないながらもその手にそっと手を重ねる。
途端、彼に包まれるような感覚。これは、練習と称した時も思ったが、心臓に悪い。
今回はドレスも丈が長く、履き慣れない靴なのもあり歩きなれないようなものだから、流石にゆっくりとした足取りになるが、彼も辛抱強くその速度に合わせてくれた。
象牙色の廊下は長く続いている。等間隔に並んだ光源も所々に設置されている瓶や絵画もきらびやかだったが、不思議と隣にいる彼のほうがルナは目を惹かれそうで、怖かった。
なんとなく、視線も向けられているようで居た堪れない。
「ルナ」
「はい」
「顔を上げて」
そう言われて、初めて俯きがちだったと気がついた。
慌てて顔を上げると、隣からクスリ、と空気に紛れるくらいの声が聞こえた。
―――わ、笑われた?
控えめに隣に目をやるとバッチリとシエルと視線がかち合う。
彼の腕に手を添えているから距離が近いのはわかっていたが、意外にも端正な顔が身近にあってルナは謎の焦燥感に駆られた。
「緊張、してる?」
「―――…はい」
シエルの声が、耳に直に入ってきているかのような錯覚を抱く。
息を潜め、どこかに隠れたいほどの羞恥心が胸に渦巻く。
添えている手が、震えている。それは、この道のりが始まった頃からだが、今の一言で一気に自覚した。
―――私、この距離に緊張してる…!
戸惑いを隠しきれずに、じっと彼の蒼い空のような瞳を見つめていると、ゆっくりとその唇が動いた。
「心配しなくていい。既に王妃の心はあなたのもの。だから、家族同然にあなたは歓迎される」
一瞬、何のことを言われているのか分からなかったが、今向かっているところを思い出して、彼の言葉の意味をようやく理解する。
シエルなりにルナが緊張する事柄はそのことだろうと辺りを付けてくれていたのだろうが、実際の問題はそこではない。
(違う、違うんだよ。私は、あなたに緊張してるんだよ)
などとバカ正直に伝える勇気などあるはずもなく、ルナは神妙に頷くしかなかった。
彼の親切心を棒に振ったようで心がちょっと痛む。
「もちろん、僕もそのひとり。あなたを心から歓迎している」
ルナの緊張をほぐそうと彼は言葉を紡ぐ。
ここまで気を回してもらっているのに、彼の腕に添えた手はまだ震えているのだからどうしようもない。
「ありがとうございます、シエル」
階段を降りきったところで、なんとか言葉を振り絞る。
ついに一階にたどり着いた。ここからはもうすぐそこだろう。
全く慣れないこの距離にも、これからの晩餐会にも、そろそろ腹を括って挑まねばなるまい。
ここぞという時の切り替えは得意であるルナである。
今度こそ真っ直ぐと彼に感謝の言葉を伝えることが出来た。
シエルが息を呑むように瞳を見開いたのが視界に映る。それが、夢の中の少年と重なって、妙に懐かしい気持ちになる。
「アルフレッド王太子殿下、並びに【夢の渡り人】ルナ様が参ります」
赤褐色の大きな扉の前で、先頭を歩いていたヨシュアが外から声を掛ける。
そうすると、ゆっくりと内開きに扉が開いていく。
中は廊下の光よりもきらびやかに見えた。
赤い絨毯が広がるその上に、真っ白なテーブルクロスをつけた長いテーブルが真正面にあった。
その一番奥にはこの国の頂点であるアレクシス王が既に腰掛けていた。その右側には緋色のドレスで着飾っているエルヒ王妃。王妃の正面には第一皇子のアロルド皇子がいた。
揃いも揃っている状況に、扉の前で括った覚悟が緩んでいきそうな気がしたが、しっかり気を引き締め直した。
シエルに誘導されながら、ようやく席に着く。
導かれた先はまさかの王妃の隣。
―――いやいや、これはおかしいでしょ。
喉元まで出かかった言葉は音になることなく、ルナの気合によって飲み下された。
【王妃の客人】だから、この位置になるのか。そもそもの客人の座る位置などルナは知らないが、この距離は全くの予想外だ。せめてもの救いはここに揃っている四人の王族がにこやかに歓迎の意を表してくれていることだろう。
シエルはルナを座るのを見てから、わざわざ遠回りをしてアロルド皇子の隣に腰掛けた。
「アルフが女性を伴ってくるなんて、珍しいこと」
口元をドレスの袖で隠しながらしとやかに王妃が言った。
軽やかな笑い声に、王とアロルド皇子が意味ありげな視線をシエルに向ける。
「彼女は我らが王の命の恩人。ひいては私たちの恩人。礼を尽くすのは当然のことです、母上」
なんてことなく至極冷静にシエルが言葉を返すと、これまた意味ありげにエルヒ王妃は笑う。
いきなりその話から来るのか、と少々意外に思うのと同時に、【恩人】という言葉に小さな皇女を思い出した。
並べられている椅子に腰掛けているのはルナを含めた四人。幼い皇女の姿はなかった。
『皇女は成人するまでその存在を明かしてはならない』
その習わしはここまで現れているのか、と内心で驚く。
「どうかしましたか?ルナ様」
ほんの少しだけ見渡していたのがよく見えていたらしいアロルド皇子に柔和な笑顔付きで問いかけられた。
「いいえ、何も…」
下手なことは言えない。晩餐会というからもっと人数が多いとも思っていたのだが、今回はどうやら身内だけらしい。
ルナが辺りをつけるとアレクシス王が鷹揚に頷いたのが視界に入った。
「今宵はあなた様への感謝の意を込めた晩餐会だ。…ここに来るまでに少々手荒な目に合わせてしまったと聞いている。その詫びも含め、あなたには今宵はどうかリラックスして食事を楽しんでほしい」
王様らしい威厳のこもった声音で言われた言葉は温かいものだった。
思いやりに溢れる、父のような大らかさ。一瞬、自分の世界の父を思い出し、呼吸が止まった。
「―――ルナ様?」
呆然としたように見えたのか、返事を返さないルナを覗き込むように麗しいエルヒ王妃が声を掛けてきた。
ハッと我に還り、ルナは恐縮して頭を下げた。
「もったいないお気遣い、痛み入ります。―――本当に、ありがとうございます」
なんとか言葉を紡ぎ、ルナは顔を上げた。
潤みそうな瞳はなんとかごまかせただろうか。
「では、そろそろ食事にしよう」
微笑ましそうにこちらを見ていた王はゆったりと頷き、食前の挨拶を紡ぐ。
―――“家族”揃っての食事。
懐かしい心地にルナは挨拶に合わせてその瞳をゆっくりと閉じたのだった。




