強引なエスコート
手を引かれるのは扉の前までだった。
まだ誰も手を触れていないのに扉が勝手に開いたのには驚いたが、その向こう側で待っていた人達にルナは手を離されていてよかった、と心底安堵した。
というか、人数がおかしい。
侍女のヒルダとヨルダがいるのはまだいい。その奥に控えている夜空のような濃紺の髪を持つ男性は見たことはなかったが、服装がマーカスの物と似ていたのでシエルの護衛なのだろうな、と察した。
もしかしたら、この前そこにいた影の正体は彼なのかもしれない、とも思った。
ここまでは仕事なのだからそこにいることに問題はない。
むしろ仕方がない。待たせてしまったことを素直に詫びれる。
一番疑問に思ったのは、ロビンとサハラ二人の存在だ。
なぜ、まだいるのか。
さらに、ロビンが「遅かったですね」と飄々と言い放つものだから、ルナは首を傾げる以前に呆気に取られるしかなかった。
「どうして、ロビン様が…」
「それにしては酷い有様だ。もしやアルフレッド王太子殿下に襲われましたか?」
「何言い出すんですか!?長!!」
目を細めて和やかに言うものだから、一瞬言われた内容も頭に入らなかった。
これは、セクハラの類に入るのだろうか。
言われた本人よりもサハラが顔を真っ赤にして叫んだことでなんとかルナの平常心は保てた。
「いえ、自分でこけましたけど…」
正しくはカグラに押し出されたのだが、それだって押されたのは夢の中で、身体が勝手に反応しただけ…最終的にはルナが自分から倒れたことになる。あながち、間違ってはいない。
他人の目から見てもそんなにひどい姿なのか、と軽く落ち込みながらなんとか声を出した後に気付く。
ヒルダとヨルダの目が光ったのは、決して見間違いではないはずだ。部屋に戻った後に何が起こるのか想像がつかなくて震撼した。
「ロビン殿、女性に対してそのような言葉は感心しない」
次に絶対零度の声音が隣から聞こえて、驚きに顔を向ける。
柔らかい笑みは既に影はなく、涼しい表情のシエルがそこにいた。
綺麗な顔だからか、先程の声音を彼が発したのかと思うと、余計に鋭さが増す気がするのはルナだけだろうか。
「ルナも、正直に答えない方がいい」
「あ、はい…」
彼はきっと怒っていないだろうに、そのままの表情でこちらを見つめるものだからロビンと一緒に叱られている気分になる。
「はぁ、面白みのない」
ロビン様は心底反省した方がいいと思う。
それを口に出すのはさすがに憚られて、ルナは神妙に俯くしかない。
代わりに「なんでそんなあっけらかんとしていられるんですか!」とサハラがロビンを窘めるのを聞いて少しすっきりした気持ちになったのは人として当然だろう。
「ロビン魔術師長、あなたもそろそろ仕事に戻ったらどうです。用はもう済んだでしょう」
初めて聞く声は、濃紺の髪の彼だ。
すっぱりと言い切る姿勢はシエルとはまた違った冷たさを感じる。
「そうですね。では、僕はそろそろ―――…あぁ、そうだ。【夢の渡り人】様」
やっと戻れる、と安堵しているサハラを視界に入れながら、ルナはロビンに向き合う。
なんだろうか。
「“夢以外”でわからないことがおありなら、僕にいつでも聞きにいらっしゃってください。お待ちしておりますよ」
不敵な笑みに、心の中を覗かれたのかと思った。
ルナの顔色が一気に変わったのはロビンにも勿論わかっただろう。
「それでは…」と律儀に一礼するのも忘れないでいくその後ろ姿を黙って見つめていることしかできなかった。
「部屋まで送ろう」
シエルの言葉に、ハッと我に返る。
「え、あ、いや、ここまでで…」
ただでさえ休憩時間を伸ばしていたようだし、と濃紺の彼を気にしながら断りを入れようとするとシエルは「構わない」と言葉をかぶせてきた。
「“送る”だけだ。そんなに時間はかからない」
「いえ、でも…」
「ヨシュアのことなら気にしなくていい。いつもあんな顔だ」
それは絶対にウソだ。だって、ロビン様に喋っていた時あんな顔してなかったもの、と眉間に皺が寄ってきている彼を見やる。
ヨシュアと呼ばれた彼は、シエルを叱責するかのような目で見ていたが、やがて一つため息を吐き、こちらに視線を移した。
「お初お目にかかります、【夢の渡り人】ルナ様。アルフレッド王太子殿下の側近のヨシュア・アルヴィンと申します。わたしのことならお気になさらず。主君がなんとかなさるとおっしゃっているようですから、今宵の晩餐会までには今日の予定も完遂されることでしょう」
しれっと言っているがシエルへの何かしらの無茶振りが込められている気がして、もはやルナには安心できる要素は何一つとして感じられない。
それでも、これ以上恐縮しても引き下がってくれないのはわかってきていた。
むしろシエルは側近からも了承を得たも同然だからか遠慮がない。
「じゃあ、決まり」
そこでもう一度離れていた手を取られる。
今度は自然と導かれていつの間にかルナはシエルの腕に手を添えているし、シエルはルナの腰元に手を回している。
体格差もあるものだから、まるで彼の腕の中にいるかのような錯覚を抱く。
「シ、シエル…?」
「本来のエスコートはこの形。知らなかった?」
無邪気な問いかけにぎこちなく首を横に振る。
知っていた。知っていたがこれは…。
(なんて恥ずかしいの…!)
その一言に尽きる。
ドラマなどで見たことはあるが、自分が体験する日が来るとは思ってもいなかった。
しかも、恋人でもない、訪問先の知人という関係でこのようなことになるなんて誰が想像するだろうか。
完全に適切な距離感覚を誤っている気がする。
なぜシエルはこんなにも当たり前のようにするのだろうか。異世界だからか。世界が違うからか。
ここの常識はどこまでこの距離で行くつもりなんだ、と混乱を極めた頭で思う。
頭の中は嵐のように吹き荒れていたが、身体はしっかりと動いていたようで、気がついたら自室の扉の前に来ていた。
エスコートがうますぎる。
「丁寧に送ってくださって、ありがとうございました」
ほぼほぼ意識がなかったも同然だったから、それはもう深々と頭を下げる。途中の道のりの記憶が全くないのがより恐ろしい。
シエルはなぜか胸に手を当てて一礼したものだから、礼儀正しさが眩しく見えて申し訳なさが増した気がした。
「庭から出てくる前に言った約束、覚えてる?」
「エスコートをしてくださる件、ですか?」
「そう。だから、用意が終わったら私に知らせてほしい」
後半の言葉はヒルダとヨルダに向けられたものだ、と視線の先を辿って察する。
「かしこまりました」と声を揃えて了承するものだから、逃げ道は断たれたことを感じた。
外堀を埋めることも含めて拒否権を唱える術をとことん封じていく彼の所業は、ルナの中ではもはや畏怖の対象になりつつある。
それでも彼ら王族の中で食事をしに行くというのは確かに気が遅れるのもあって、傍に知り合いがいてくれるというのは正直ありがたい。
それでも、皇子に引率してもらうのは何かしらの順序をすっ飛ばしているような気もする。
だが、相手がここまで言ってくれるのだからその言葉に甘えてもいいはずだ。
いろいろな葛藤の末、ルナは無難に「よろしくお願いいたします」と言うほかなかった。
その言葉を受け、シエルはようやく表情を綻ばせた。
「次を、楽しみにしている」
ゆっくりと、扉が閉まった。
「……え?」
まるでカグラの最後の言葉と同じように思えて、ルナは間抜けな声をこぼした。
今のは、一体―――…?
しかし、深く考える余裕はすぐに消え失せた。
「ルナ様、ご支度に移りましょう」
「まずは湯浴みを…」
テキパキと準備を進めていく侍女たちに導かれて、ルナはようやく扉の前から足を進める。
カグラとのやりとりの名残があるルナの意識は、やがて湯浴みで身体と頭を隅から隅へと揉まれ磨かれ、ついに豪奢なドレスを目の前にして全て現実に帰ってくることになる。
「あぁ、やっとルナ様を着飾ってさしあげられる…」
うっとりとした呟きが聞こえたような気がしたが、聞かなかったことにしよう。
シエルの最後の言葉は双子の侍女たちへの激励だったのかもしれない、というのはさすがに考えすぎだろうが、どうしてもそう思えて仕方なかったのだった。




