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夢と理想の違い

 ハッと目覚めた時には遅かった。

 後ろに傾ぐ身体を支えきれず、倒れた。うまい具合に尻もちはつけたようだが、妙に脱力感があり、生い茂る草に身を受け止めてもらう形となった。

 白と薄桃の色で彩られた桜の花の天井の奥から爽やかな青空が見える。

 昼過ぎになるのだろうか。太陽が高く昇ったのかやけに明るく感じられる。


「―――この戻り方はなんとかなりませんか…」


 視界に映る美しい花々を散らせる大木―――そこにいるであろうカグラにそれとなく文句が溢れた。

 もしかしたら、カグラ自身はもう耳を塞いでいる状態かもしれない。それでも呟かずにはいられなかったのは、ルナのやりきれない気持ちを紛らわすものであったのかもしれなかった。

 届かない言葉。無力な言葉。

 夢は、夢ではなかった。けれど、現実世界で会えてさえ、ルナは彼女の救いとなる言葉を見つけることは出来ず、最後は望んでいない願いを約束する形になっていた。

 きっともう、ルナが気持ちを固めないと彼女は心を開いてくれない。彼女に通じる“道”が、開かれない。

 それが感じられるから、ルナは呆然と芝生の上から動けずにいた。

 両手で目を塞いでもう一度暗闇を作り出す。


 ―――ダメだ、うまく考えがまとまらない。


 激しい感情に翻弄されていたからそれは仕方のないことだった。

 他人の夢を視ている間はその人の感じていることをダイレクトに感じる。それは、ルナ自身が思っている感情ではないものを強制的に感じさせられているということに等しい。だから、ルナの精神面での消耗は激しい。気力が復活するのはもう少し時間がかかりそうだ。


「まさか、あんなこと言われるなんて思わなかった…」


 深いため息が口を突いて出てくる。

 正直、ショックのほうが大きかった。

 異世界に来て、他人の夢を視るようになって、一年二年と経った。

 夢を視た後はすぐに違う人の夢に行くという奇妙な仕組み。現実の世界では関わりを一切持っていない人たちばかりの夢。おまけにもう一度その人の夢に戻ることさえできないのだから、彼らの結末なんてわからなかった。

 だから、“夢は夢”と割り切れていたのに。

 急に今まで出会った人達に会えて、それがまた幸せそうに微笑むものだから欲が出てしまったのだろうか。

 まだ現実であっていない人も、これから夢で出会う人たちも、もしかしたら…―――なんて。

 幸せな結末だけを夢見ていたのはルナ自身だけだったのか。

 命を絶ってくれと懇願するカグラ。彼女の望みはルナには残酷で、理解しがたいものだ。けれど、彼女はそれを希望の光として見ている。


「“ここ”に来なきゃよかった」


 そうすれば、そんなことはできない、と拒絶し続けれらただろうに。

 例えば、この木に火をつける、なんて直接的な干渉ができるこの状況はルナにとってとてつもなく不利に思えた。実際にそれが可能かどうかさえもわかっていないようなものだが、想像するだけで憂鬱になる。

 身体を動かす気力がイマイチ出てこないルナは一体どれほどそうしていただろうか。

 身体は動かなくとも頭は少しずつ働き出してくる。と言っても、それはカグラの願いを否定するようなものばかり。彼女の願いを尊重できるほど、ルナは心を割り切れない。それでも、カグラ自身の意思も固い。

 どうすれば、いい―――?


「―――また泣いてる?」


 頭上から優しげな声が耳朶を打つ。

 聞いたことのある声に思わず視界を開ける。

 眩しいほどのきらめく金髪と、青空を切り取ったかのような深い蒼の瞳がすぐに目に映った。


「よかった、泣いてない」


 絶句した。彼は片膝をついてこちらを覗き込んでいる。いつからそこに。

 そして、この時間にいるはずのないことも考えた上でルナは全思考を止めた。

 その様子がおかしかったのか、彼は淡く微笑んだ。無表情から優しげな表情に変わり、とても心臓に悪かった。


「シエル?」


「うん。…寝てた?」


 それは泣いていなかったからただ単に寝てただけか、という問いかけなのだろうか。

 聞き方があまりにも端的なものだから、答え方が分からず返事に困ったが、ゆっくりと頷いた。

 寝てました、などとこの状況で伝えるのも奇妙だが、なんだか格好がつかないな、とちょっと思わないでもない。


「そう。―――起きれる?」


「あ、うん…」


 あれほどの脱力感は不思議と吹き飛んで、急いで身を起こそうとすると、眼前に手を差し伸べられる。


「手を」


「あ、ありがとう…」


 異性に起き上がるときに手をかしてもらうなど、初めてじゃなかろうか。

 余裕で自分で起き上がれるのだが、とてもスマートに手を差し伸べられたものだから思わず掴んでしまった。

 紳士って怖い、と思った瞬間だ。お蔭でお礼を言うのがちょっと遅れた。恥ずかしい。


「なんで、あなたがここに…?」


「休憩しようと廊下を歩いていたらここにルナがいたから」


 いつからこんな間抜けな体勢を見られていたのか非常に気になるが、そこはあえて突っ込まないことにした。


「それでわざわざ…?」


「ルナは今は【王妃の客人】だ。危険が及ばないようにするためならなんだってする」


「危険って…そんなに彼女カグラは闇の力が強いの?」


 魔術師長のロビンも『あまり近づきすぎないように』と言っていたぐらいだ。だが、ルナには少々、腑に落ちない。そこまで警戒するべきものが感じられないのは、ルナの能力が低いからだろうか。


「そんなに強くない」


 断言された。ロビン様の嘘つき、となじったのは仕方がなかったと思う。

 ならば“危険”という言葉はどこから思い浮かんだのか。どういうことかと尋ねれば、彼は淡々と答えた。


「この木の枝がルナの身体に巻きついていたから、ケガをしている可能性があると思った」


 見たところそんな傷はなさそうだ、と澄んだ蒼の瞳で見つめられてますます居た堪れなさが増した。

 がっつり視診されていたと思うと恥ずかしさは倍になった。

 というか、巻きついていたって…。どうりで後ろに倒れることができたわけである。改めて見た桜の木はもとの形に戻っている。出し入れ可能な枝ってなんだ。なんでも有りなのか、この世界は。

 立ったまま夢の世界に引き込めれたのかと思ったのに、桜の木からの支えがあったとは完全に予想外だ。

 一見したら桜の木に呑み込まれそうな光景をイメージしてしまい、ルナは遠い空を見つめる目をしてしまった。ついでに『桜の木の下には死体が』とかなんとかのホラー話も思い出してしまい、懐かしいなと思う反面、シャレにならないな、と感じる。

 想い出深い桜の木。もっと綺麗な想い出があるはずなのに真っ先にその話が思い浮かんだ自身は桜の木をなんだと思っているのか。疑問だ。


「心配させてしまったようでごめんなさい。私は大丈夫。それより、あなたは仕事があるんじゃ―――」


「少し休憩が伸びても、ここに入れる者は限られるからまだ時間は余裕がある」


「…それは世間一般では“サボり”と言うのよ」


 真面目な顔をして何を言っているのか。

 思わず彼の顔を二度見してしまった。

 そんな彼は全く気にも止めていないようで、何故か不思議そうな表情をこちらに向けた。


「ルナは嬉しくない?」


「え?」


「僕は嬉しい。あなたと話せるのはとても心地がいい」


 会話の流れに頭がついていけなくて言葉を詰まらせた。

 いきなりすぎる。そんな綺麗で純粋な瞳をこちらに向けないでほしい。意図せず頬が熱くなる。


「そ、そんな話は今してません!」


「そう?」


 むしろどこで繋がったのか、ルナにはわからない。

 熱くなる頬を隠すように顔を彼から背けて、ルナは気持ちを落ち着かせようと深呼吸をした。

 先程まで深刻にカグラのことを考えていたというのに、今のこの状況は何なのか。

 とりあえず、この状況は頂けないというのはわかる。彼から距離を置くための方法を考察するためにルナは瞳をゆっくりと閉じた。

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