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魔術師長の見解

 ―――負けた。


 敗北感を抱きながら見事なドレス姿のまま、しずしずと庭園に向かう。

 あの後、『甚平に着替えさせて』と思いきった要求を飛ばせばすかさず『とんでもない』と双子の侍女からやんわりと言われ、一悶着あった。

 カグラに会うということはその場で眠りに入ることだ。しかも地面は草で、カグラ本体は樹木である。

 綺麗なドレスを汚すのがわかっていて着ていく者はいないだろう。何度もいうがルナは村娘の一文無し。

 最悪破けてしまっても返せるものは何もない。

 だから、汚れてもいい服を着たい、という願いを伝えたというのに、侍女らは声をそろえて『否』と唱えた。


『な、なんで…』


『ルナ様、ここは王宮でございます。格好ひとつにしてもちゃんとしなければ、心ないことを言われることもございます』


『ルナ様は【王妃の客人】。ルナ様の評価はこの王宮ではもはや王族も近しいものと同列に並びます。それなりの格好もしていただかなければ王妃様にもその評価は影響致します』


『え、王妃様にまで…。いやでも、私自身は【村人】だし、ここにずっといるわけじゃないし。ドレスを汚したらそれこそ一生出られない―――』


『では、汚してください』


『は?』


『そうしたら、“ここ”にいることが出来ますわ』


 何をおっしゃいます、と言わなかった私は正解だったと今でも思う。

 突然の双子の(ダーク)な面に怖れ(おのの)きながら、潔く前言撤回をした。

 しかし、髪飾りは容赦してくれたが、そこからがっつりと身辺を綺麗にされた。食事もしっかり摂った。

 お腹も満たされたし元気いっぱい、と言いたいところだが、『晩餐会前にはまた着替えさせて頂きますね』と食後に知らされ、少し胃がきりきりしたのはここだけの話。

 断定型だった。逃れられない現実を見た気がする。

 果たして私はドレスで何も溢さずに食べることが出来るのだろうか。人前は一段と緊張する。

 ずっと寝ていようかしら、とふと思い付くがそれこそ後で何が起こるかわからない、と警鐘が頭で鳴り響いた為、却下した。

 腹を括るのは後でしよう。


 そして、今現在、庭園までの道のりを進んでいる。


 背後についてきてくれている双子の侍女は今回も廊下で待つつもりなのだろうか。

 ちょっとでも遅れそうになったらどうなるのだろう。時間を見て自分で起きられるわけではないので正直、自信はない。

 無駄に不安が胸中を支配する。

 だから、気付かなかった。目の前からゆったりとこちらに向かってくる人影に。


「―――おや、これはこれは、夢の渡り人様」


 嫌な予感がした。


「ロビン様」


「覚えていてくださったようで恐縮です」


 目の前まで近づいてきた彼は深々と頭を下げてみせた。その仕草一つひとつが流れるようで綺麗でつい凝視してしまった。

 再び、エメラルドの瞳と視線が合い、ハッと気付く。そうだ、挨拶。


「おはようございます、ロビン様。今日はサハラ様はいらっしゃらないのですね」


「おはようございます。彼なら、主のいない部屋を見て慌てている頃でしょう」


 昨日のように抜け出してきたのだろうか。

 皇女といい、魔術師長といい、抜け出す人が多すぎやしないだろうか。


「そういうあなた様は今からどこへ?」


 潔く部屋に戻るように促そうと思った矢先に、彼は会話を繋げる。

 にこにことした表情が明らかに心中を誤魔化す笑みだとわかる。昨日の別れ方も別れ方だったものだから、正直あまり話し込みたくないのだが…。


「私は“カグラ”に会いに行くところです」


「ほぉ、あの“幻の花”のところに…」


「知っているのですか」


「えぇ、知っていますとも。僕自身はあの扉の向こうには行けないのですが、二年前から急に現れた大木を調べて欲しいと言われたことがありましてね」


「では、あなたが“カグラ”と対話した人?」


「いえ、声無き声を聴ける者は別にいます。ルナ様はその方から言付かったのではないのですか?」


「そう…、そういうことですか」


 どうやらシエルが言っていた人物はエミリーのようだった。

 ダメ押しとばかりに彼は続ける。


「それに、【時の庭】に入れるのは王族の者だけですよ」


「そう、王族だけ…。―――え?」


 もの凄く間抜けな顔を晒したルナに、ロビンは変わらずにっこりと言葉を紡ぐ。


「あぁ、ご安心を。あの庭は人を選ぶ。王族でなくとも庭が“良し”とすれば入れる仕組みになっています。まぁ、入れない者には徹底しているようですから危険なことは何もありませんよ」


 似たようなことをシエルも言っていたな、と思い出す。

 あの庭に不審者は来ないことはわかったが、だからといって無断侵入はいけないのでは、とふと思い至る。


「ロビン様、あの庭に入るには王族の許可がいるのでしょうか」


「いえ、必要はないでしょう。さっきも言ったように入りたくとも入れない者のほうが格段に多い。王に許可を求めたところで結果は同じ。判断を下すのはすべてあの庭ですから」


 説明を聞いて少し安堵した。

 皇女と王妃の前で許可を得たようなものだが、懸念すべきことは解消しておくべきである。

 これで心おきなく彼女に会える。


「ありがとうございました、ロビン様」


「いえいえ、お役に立てたようで何より。ところで、話を聞くところによると、次の夢の相手はあの花ですか?」


「半分あっています」


「半分…?」


「半分あっていて、もう半分はハズレです」


「なるほど。それ以上は教える気はない…と」


 当たり前でしょう、とはあえて言わずルナは瞳を伏せた。

 頷いたように見えたのか、彼はくくく、と不穏な嘲笑をもらした。


「いいですね、さすがは【夢の渡り人】。国王陛下の御前で言ったことは間違いではないようだ」


 何も楽しいことはないはずなのに、きらきらとした瞳でこちらを見やる彼が不気味だ。

 つい不快感を表情に出してしまい、それが更に彼を助長させた。


「くくく、あははっ、表情豊かな夢の使者。僕の前ではいいですが、他の場所では気を付けたほうがいい。ここはきらびやかで明るいところのように思えるが、その実、弱者を(ほふ)る牙を研ぐ者たちばかりいる闇の世界。隙を見せたら痛い目にあう」


「ありがたく忠告を受け取っておきましょう。まぁ、その本性を知る前に私はここから出て行くと思いますが…」


「ふふっ、まだそんなことを言っているのですか。まぁ、いいでしょう。ルナ様。あなた様はまだここにきたばかり。少しずつ知っていくのもまた一興です」


「それでは困ります」


「あなた様の意思は関係ないのですよ。“王宮ここ”に足を踏み入れた時から―――」


 それは蠱惑的な囁きに聞こえた。同時に妖しく光るエメラルドの瞳にルナの中の憤りがむくむくと首をもたげてくる。


「聞こえてますかー!おさーー!って言ってるうちに見つけた!!おーい、こっちだ!」


「…ふぅ、いいところだったのに。彼はなんとも間が悪い」


「聞こえてます、長」


 いきなり、ロビンの隣に現れたサハラに僅かにルナは驚く。

 なるほど、この前もきっとこんなふうにロビンを捕まえたのだろう。

 瞬間移動、というのだろうか。便利なものだ。素直に感心していると、サハラと目が合う。

 途端に彼がカッ、と目を見開いた。


「また【夢の渡り人】様!?あんた、本当にコりませんね!!」


 後半は勿論、ロビンに向けた言葉だ。

 サハラからしてみればロビンは直属の上司だが、その辺りはこの言葉遣いは大丈夫なのだろうか、と少し不安になる。

 だが、飄々としているロビンを見るとその心配はないようだった。

 むしろ彼はもっと反省すればいいと思う。


「夢の渡り人様はこの王宮に不慣れだ。親切に教えて差し上げていただけだ」


「本当ですか、夢の渡り人様」


「えぇ、まぁ…」


 間違ってはいない。だが、正直ロビンの肩を持つ発言は気が進まない。

 ルナの曖昧で渋々といった答えに流石にサハラも怪訝そうにロビンを見た。

 

「さて、世間話もここまでのようです。ルナ様、僕にほかに聞きたいことは?」


 まるでこちらから話しかけたような状況を即座に作り出したロビンにルナは一つ嘆息する。


「では、“カグラ”について調べたことを」


「そうですね。あの花は二年前にいきなり現れました。地響きもなく、最初からあそこにいたかのようにある日突然現れた。あの花に直に触っていませんからわかりませんが、扉越しに感じたものはあれは魔力値がおおよそ多めということでしょうか」


「魔力値が多いと問題が?」


「聖力が光とするならば魔力は闇。それぞれの特性を持っています。あの花はもともとの魔力はそんなに高くないはずなのです。まるで異端の何かを宿したような完全に種類が違う魔力が付随しているのですよ。だから、正直近づくのはよろしくない類のモノです」


「近づくのがよろしくない…?」


「つまり、一緒に闇に引きずり込まれる可能性があるってことです」


 一緒に説明を聞いていたサハラがとても端的に補足した。

 それは夢の中でも例外ではないのだろうな、とあの独特の空間を思い出して少し考える。


「誰かが、干渉してる…?」


 不意にこぼれ落ちた言葉は、先のシエルの夢を思い出してだ。

 あれも、彼の夢に“誰か”が侵入してきたのが原因だった。

 “闇に引きずられている”。

 その言葉が示す意味は―――。

 いや、まだ決め付けるのは早い。

 “カグラ”の思いつめている様子は、【外側】からではないものにも思える。

 とりあえず、もう一度話さなければいけないだろう。


「ありがとうございました、ロビン様、サハラ様」


 ゆっくりと頭を下げてから彼らをもう一度見つめる。

 にこにこ不敵に笑っているロビンと、驚愕をあらわにしているサハラは、本当に雰囲気も何もかも違うな、と場違いにも思った。

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