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皇女の訪問

 紅色の髪に、まんまるな翡翠の瞳の少女は、昨日話をしたエルヒ王妃を幼くしたような姿だった。

 王妃がバラのような大輪の花だとするならば、こちらは小さく咲き誇るマリーゴールドのような可愛らしい印象を受ける。

 それでも華やかできらびやかに見えるのは王族だからだろうか。

 突然の皇女の来訪に咄嗟に反応ができないルナだったが、それも仕方のないことだろう。

 これでも礼儀はそこそこ持っているルナである。起き抜けに来訪者に会うなどこれまで一度もやったことなどなかった。

 出直したい気持ちでいっぱいだが、そうすることもできないのが現状である。

 どうする。とりあえず、挨拶は返そう。


「おはようございます、エミリア皇女様」


「あ、挨拶を忘れていましたわ!おはようございます、【夢の渡り人】様。わたくしのことはエミリーとお呼びくださいませ」


「え」


 またこのパターンか、と硬直する。

 王妃の場合はそれとなくそのままの呼び方でいかせてもらったが、今回はどうすればよいのか。

 きらきらと期待高まる眼差しを向けられると断るのも憚られる。


「えっと…」


「エミリーとお呼びくださいませ」


 二回言われてしまった。やはり、家族。似ている…というか、押しが強いぞ。


「エ、エミリー?」


 思いきって敬称も省いて呼ぶとそれはそれは嬉しそうにはにかんでくれた皇女様を見つめる。

 ルナは複雑な心境だった。このやりとりは、なんだか恥ずかしくなってくる。


「では、私のこともルナ、と…」


「よろしいので!?」


「はい」


「わぁ!嬉しいです、ルナ様!」


 天使の微笑みが目の前に広がり、朝から眼福だ。

 乳母のエリー(その人はエルヒ王妃だったわけだが)の話によると、彼女は六歳だという。挨拶をする仕草といい、言葉遣いといい、洗練されたものではないにしても上品すぎる。

 この歳からこれほどまでにも庶民と差が出来るのか、と素直に感嘆すると同時にもうちょっと子どもらしさがあってもいいのにな、とぼんやりと思う。


「ルナ様、エミリア様、お話の途中に失礼致します」


 傍らに控えてくれていたヨルダの声に素直に顔を向ける。


「申し訳ございません、エミリア様。ルナ様はまだご支度が整っておりません。急ぎ、ご用意させて頂きますので暫くお待ちいただけますか?」


 流石に侍女。このままの格好はいけないと思ったのだろう。

 そんなに髪が爆発しているのだろうか。少し不安になる。

 

「うん、わたくしが何の先触れもなく来てしまったもの。我慢できますわ」


「では、こちらでお掛けしてお待ちくださいませ」


 ドレッシングルームを背にするようなところを選んでくれたのか、さりげなくヒルダが皇女を椅子に導いていく。


「ルナ様はこちらへ」


「ありがとう。エミリー、すぐに行きますからね」


「うん!」


 ちゃんとこちらを振り返って満面の笑みで返事をされた。

 なんて可愛らしい。

 そこから猛スピードで身支度をしてもらい、衣装部屋から出てきたルナはひとつ息を吐いた。

 今回も控えめな衣装を選ばせてもらい、髪飾りも出来る限り遠慮させて頂くことが出来たが、なかなかどうして、ヨルダの気迫は凄まじい。

 控えめな衣装といってもドレスそのもので、緻密な意匠が可憐だ。ルナにはそれを身に付けるだけでも畏れ多く、着付けられただけで充分だった。

 日頃より着替えて終わり、という流れだったがここではそうはいかない。

 髪は丁寧に梳かれ、メイクだって上品に施される。

 メイクによって『顔が違う』という現象は起こってはいないが、ビフォーアフターの差は確実についている。

 だというのに、ヨルダは満足していない様子だ。

 今回は皇女を待たせている手前、それほど時間がかけられなかったと表情が物語っている。

 皇女が帰った後に昨日のように『手直しを…!』と襲い掛かられる気がして仕方がない。


「お待たせいたしました、エミリア様」


「わぁ!ルナ様、きれい!!」


 待ってましたと言わんばかりに目を輝かせてエミリーは惜しみない称賛をルナに伝える。

 御年六歳でそんなことを言えるのか、ととことん育ちの違いを痛感するのだった。


「今日は桃の色なのですね!わたくしも大好きな色です!」


 頬を紅潮させてうっとりとして見つめる眼差しに、昨日の王妃の姿が重なる。

 まさか、昨日の王妃が扇で顔を隠していたのは…彼女と同じ意味を持っていたのだろうか。うっすらとそんなことを思いながら、鋭い観察眼に舌を巻く。

 一見、白に見えるが陽の下にいけば淡く桃色が映える。

 昨日と同じ白色だなぁ、と思っていたルナにとって衝撃の事実である。

 私の女子力はどこに行った。


「昨日の謁見も素晴らしくお綺麗でしたわ」


「そ、そう…ですか」


「はい!」


 自信満々に告げられると悪い気はしないが恥ずかしい。

 六歳の少女に口説かれている気分だ。


「すみません、あの場にエミリーもいたのですね。気付きませんでした」


 彼女自身も綺麗に着飾っていたのであろうことが予想された。それでもあの時は頭がいっぱいいっぱいで周囲に気を配るなんてそんな余裕はなかった。

 素直に謝罪すると、彼女は屈託なく笑って言った。


「ううん、あのような正式な場所にはわたくしは本来入ってはいけませんもの。見つけられなくて当然ですわ」


 そういえば、とエリーから聞いたことを思い出す。

 皇女は成人するまでその存在は明かされない。

 確かに、存在を秘されているのに堂々と公の場に姿を現すことはないだろう。

 とても不思議な風習だ、と違和感を覚えながら目の前の皇女を見つめる。


「本当は昨日の謁見の間に入ってはいけなかったのですが、アリシアが一緒に行こうって誘ってくれて…」


「アリー母さんが?」


「はい」


 思わぬところからまたしてもアリー母さんの名前が出てきて驚く。

 彼女は一体どこまで王宮に手が出せるのだろう。顔が広すぎやしないか。


「こっそり見るだけだからバレないようにしてあげる、って言われて。…あの、このことはお父様たちに内緒にしていてくださいね。じゃないとアリシアも叱られちゃいますから」


 そんなにいけないことなのだろうか、と思いながら快く了承する。もちろん、傍らに控えている侍女たちにも口止めをしておく。

 それを見て、エミリーもホッとしたように表情を和ませた。

 思いやりのあるいい子だな、としみじみ思いながら今日初めての水分を口に運ぶ。

 鮮やかな薫り…ミラナノラの紅茶だ。すっかり馴染んだ味にルナもようやくホッとする。


「あの、こんなに朝早くに押しかけてしまってごめんなさい。お兄様たちがルナ様と言葉を交わしているのを見てたらわたくしも早く話したくなって…」


「あぁ、えっと、それは大丈夫です。それより、エミリーこそいいのですか?」


 キョトン、と不思議そうな顔をされ、自分の推測は外れているかもしれない、と自信がなくなる。

 それでも聞くだけ聞いておこうと口を開く。


「乳母のエリーから聞いてます。勉強中に抜け出すのが得意だと…」


「……。大丈夫だよ!」


 素直な性格が仇となっている様子に、ルナは苦笑する。

 これは、仕方がない。


「そうですね。エリーも薄々勘づいてそうですし、お迎えがくるまでゆっくりしていってください」


「うぅ、やっぱり怒られるかな」


 それは、なんとも言えない。


「ちょっと長めの休憩だと思ったらいいんですよ。そのあとはまた、勉強を頑張っていくしかないです」


 一般市民も王族もそのあたりは一緒だろうと検討をつける。

 怒られるか否かはこの際、目を瞑る。


「う~、そうですね。潔く怒られるしかないですね!」


 おおよそ六歳とは思えない潔さに、こちらは脱帽するしかない。性格の良さから来るのだろうか。不思議だ。


「それはいいのです、ルナ様!わたくし、ルナ様とお話をしたいのもあるのですけれど、お礼が一番言いたかったのです!」


「お礼…?」


 王妃と違い、残念ながら彼女との夢の記憶はない。

 これだけ容姿もはっきりしているから出逢っていたとしても忘れることはないと思うのだ。

 王妃と印象が似ているから、また会えたと喜ぶはずである。

 その記憶さえもないのだから、今回が本当に彼女との初対面となる。

 お礼を言われる覚えはない。

 ルナの疑問を感じ取ったであろうエミリーは、居住まいを正し、こちらを見据える。


「ルナ様が不思議に思うのも当然です。わたくしは、ルナ様と夢でお会いしたことはありません」


「なら、どうして?」


「ルナ様は、皇女は成人までその存在を明かしてはならないことをご存知ですか?」


「はい、エリーから聞いています。私が知っていいものか尋ねたら『城のものは皆知っているから』と教えられましたけど」


「そう、エリーから…。正しくは、『わたくしの世話をするものだけ』ですわ。だから、城にいる者すべてが知っているわけではないのです。お兄様たちはさすがに知っていますが…」


 そうか、とようやく納得がいく。

 城のものすべてが知っているというのなら秘密にする意味はないだろう、と感じていたからだ。

 どうやら、エリーはルナを安心させるためにあえてそのような言い方をしたのだろう。

 エミリーが近いうちにルナに会おうとしているなんてとっくにお見通しだったはずだ。

 突発的な訪問という形を予想をしていたかどうかはわからないが、ルナを戸惑わせないようにあえて皇女の存在を知らせておくのは、ルナとエミリー、両者にとって必要な配慮だ。

 母の完璧な采配が見えた気がした。


「ずっと不思議に思っていたのですけれど、『皇女は成人するまでその存在は明かされない』というのはどういうことなのですか?」


「皇女は、王家の血を引いています」


 当たり前のことを言われ、改めて少し考える。

 次に発せられる言葉に嫌な予感を覚えながら、彼女の言葉を待つ。


「王家の血は最古の竜族の血を引くとも言われていて、生まれてくる子どもは魔力値、聖力値ともに普通の人たちよりも高いのが特徴と言われています。だから、政治的な意味でも【皇女】は大いに利用できる存在なんです」


 心臓の奥がヒヤリとした。彼女が言おうとしていることは女としての役目もそこに含まれていることがわかったからだ。


「【皇子】と比べ、【皇女】は持っている能力の開花がとても遅いのです。わたくし自身もまだその能力は完全に花開いておりません。後、何年かかるか…。だから、自身を守ることができない【皇女】はその姿を秘密にするしかない。そうして、政治的な意味でも国を脅かすことのないように【皇女】の存在を隠すのです」


 彼女の言いたいことは大体わかった。

 【皇子】は能力の覚醒が早く、何者にさらわれても抵抗する力があるが、【皇女】はそうもいかない。

 そして、【皇女】は“女”だからこそ、人質の価値もある。最悪、“子”も産ませて【皇子】をつくることもできる。政治的な意味合いでも大きな地位を得ることだってできる。

 光源氏のように幼い頃から攫って調教することだって容易いだろう。それらを防ぐための習わしだったのだ。


「そういう理由があったんですね。…それでも、成人するまでというのは引っかかりますけど」


「成人を迎えたら必ず能力は開花すると言われています。といっても、【皇女】自体があまりいないのですが…」


 貴重だからこそ。大切な存在だからこそ、昔の人はそういう護り方を見出したのだろう。

 それでも、“いないように”扱われるのは彼女たちには辛いことではなかっただろうか。

 今知った他人が口出していいものかわからない。だから、それ以上のことは言わなかった。

 納得したように頷いて、エミリーを見つめる。


「【皇女】は【王】があってこその地位です。ずっと前…父の命が奪われそうになった時があったと母から聞いています。そこに【夢の渡り人】…ルナ様が救い人としていらしてくれたことも」


 あの夢の話だ、とルナは悟る。


「わたくしは今より幼くて、あまり記憶もありません。それでも、父がいなくなればわたくしは【皇女】ではなくなり、国に混乱をもたらす道具に成り下がるしかなくなる。最悪、命を天にお返ししなければならなかったでしょう。ルナ様は父の恩人…そして国の恩人です。もちろん、わたくしの命も助けてくださった。だから、お礼をしっかりお伝えしたかったのです」


 ―――ようやく言えますわ。本当に、ありがとうございました。


 穏やかに微笑んで礼を告げる皇女に、ルナは呆然とするしかなかった。

 考えたことのない、信じられない現実。それをすらすらと目の前の少女は当たり前のように言ったのだ。

 世界が違う、というのはこういうことなのか。

 平穏な日本で育ってきた。六歳の頃なんて親の庇護下にいるのが当たり前で、無邪気に気のいい友達と遊ぶのが当たり前だった。殺される、という不安もわかないのどかな日常。

 ここは、そうではないのか。

 目の前の少女にかける言葉が見出せないルナの耳に、扉を叩く音が聞こえる。

 妙にリズミカルなノックの仕方だ、と疑問に思った瞬間に、エミリーが急いで腰を浮かした。

 しかし、それと同時に扉が勢いよく開け放たれる。


「失礼いたしますわ、ルナ様!」


 入ってきたのは王妃―――いや、【乳母】の格好をしているからエリーだ。

 

「あ、バレちゃった…」


「ふふふ、最初から気付いていましたわよ、エミリー。さぁ、そろそろ戻りましょう。流石に次のレッスンは休むわけにはいきません」


「うぅ、はい…」


 渋々といったていで彼女はエリーのもとへ歩みを進める。

 隣同士に並ぶと親子だとすぐにわかる。だからだろうか、人目につかないように薄いヴェールをエミリーにかぶせている。


「では、ルナ様、私たちはこれで…」


「あの、エリー?ちょっといいかしら」


 こころなしか【エリー】と呼ばれて嬉しそうに頬を染めた彼女に一瞬言葉に詰まる。

 夫持ちとは思えないその純粋な乙女の様子に眩しいものを感じながら、ようやくルナは口を開く。


「また、エミリーにここに来てもらってもいい?」


「まぁ、ルナ様、それは…」


「今日は難しい話をさせてしまったから全然休憩になっていないの。今度はゆっくり楽しい話をしたいのだけれど…いけない?」


 【乳母】の手前、あまり口を開けないのかエミリーがおどおどとエリーに視線を向ける。

 エリーは珍しく迷っているようだ。


「…最重要は、この子の存在を誰にも知られないこと。客人であるルナ様にその役目を受けさせるような真似はできません。プリシラの時は無理でしょうけれど、わたくしが担当の時はそのお約束はできますわ」


「じゃあ…!」


「ただし、エミリー、しっかりと勉学に励むようにお願いしますね」


「はい!」


 ここぞというときにしっかり釘を差すあたりは抜かりない。

 エミリーも異存はないようだし、この件はそれでいいようだ。


「ありがとう、エリー」


「こちらこそ、ありがとうございます、ルナ様」


 互いに頭を下げて、二人が踵を返すのを見つめる。

 扉に差し掛かったあたりで「あ、」とエミリーが思い出したようにこちらに振り返った。


「ルナ様、カグラから伝言を預かっていたのでした」


「カグラから?」


「『わらわに触れたら道は開けられる』と…『待っている』とも言っていました」


 夢の中での一方的な約束は本当だったらしい。


「ありがとう、エミリー」


 思わず笑顔が引きつっていたがなんとかお礼を言う。

 エミリーたちは今度こそ部屋を後にした。

 彼女たちの姿が見えなくなったところで、ヒルダが扉を閉める。


「ヒルダ、ヨルダ、私の予定に何か大切なことってある?」


「はい、ルナ様。今宵は晩餐会に来ていただきたいと王より伝えられています」


「用事は、夜だけ?」


「はい、そのようです。それまでの時間はどうぞご自由に、とのことです」


「ご自由に…わかりました」


 毅然と顔を上げて、ルナはヒルダとヨルダに提案した。


「カグラに会いに行きたいので、服を着替えさせてください」



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