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呑みこんだ本音

 スゥッ、と意識が浮上し、幾度か瞬きをする。

 目に映る景色の中に、桜が儚く舞い落ちていく姿が見える。辺りは優しい月の光と、穏やかな夜の色。

 風がそよそよと吹いている。涙の跡が少しひんやりとした。


「目が覚めた?」


 不意に頭上から声が聞こえた。働かない頭を動かし、その人物を視界に入れて―――ルナは息を詰めた。


「―――シエル」


「うん」


 月の光を反射するように淡く輝く金の髪がさらり、と揺れる。真っ直ぐに向けられる蒼の瞳は、ルナを案じていた。

 思ったよりも間近に秀麗な面差しがあったのでルナは心臓が一瞬止まったような錯覚を抱いた。

 なんて近さだろう。驚きに肩が揺れた時にあまり身体の自由がきかない違和感も感じ、急いで自分の状況を見つめてみる。そうして、叫びをあげたくなる状態になっていることに気付いた。


「なんで…」


「来たら、あなたがここに倒れていた。淑女レディを草の上に寝かしたままは僕の意に反する」


 遠まわしにルナが求めていた答えが返ってきた。

 彼の話によると、やはり自分は桜の前で倒れていたようだ。そこで後から来たシエルがルナを抱きかかえて目が覚めるまで桜の木の下で座り直したようだ。

 どうせなら何も見なかったことにしてその場を離れて欲しかった、というのがルナの本音だ。だが、彼の中では捨て置けない自体だったようだ。

 未だ、シエルの腕の中にいるルナは頬がじわじわと熱を帯びていくのを感じていた。


「え、と…ごめんなさい。どうぞ、離してください」


「……また、泣いていたの?」


 華麗な無視をされて、挙げ句に涙を拭うようにそっと指で目の端を撫でられた。

 そこで自分が泣いていたことを思い出す。それと同時にもう、羞恥心が振り切れそうな限界を感じた。

 ギュッと目を閉じると、彼はそれ以上触れることはなかったが、肩を抱いている腕の力は少し強まったような気がした。

 彼が離してくれる気配は、ない。

 ルナは思わず腕に抱いていたモノに顔を埋めた。泣いている顔を、見られたくはなかった。

 しかし、そこで腕の中にあるモノに違和感を抱く。

 ―――自分は、何を持っていたか…?


「あっ…!」


 記憶が蘇り、慌ててシエルの上着から顔を離す。

 どうしよう。せっかく返すつもりだったのに。

 急いで昨夜に預かった彼の上着の状態を目の見える範囲だけ確認する。

 それだけでも、皺は寄り、夢に入っていた時についたであろう草がそこかしこに目についた。

 終わった。これはもう、今夜もう一晩預かることに今決定した。


「…服は気にしなくていい。あなたのせいではないのだから」


「いえ、今晩、もう一度綺麗にしてきます。本当に、ごめんなさい」


「―――僕が聞きたいことはそんなことじゃないのに」


「え?」


「あなたは意地悪だ。僕の質問にまだ答えていない」


「え…」


「ルナ。なんで泣いていたの」


 なんて横暴なの…!

 いきなり直球に掘り下げて欲しくないことを聞いてくるものだから申し訳ない気持ちが一気に吹っ飛んだ。

 別に会話の内容を逸らしたいがために謝ったわけではないのに。

 予期していなかったことにルナはますます視線を落とした。


(―――…言えない)


 夢のことなど、言えるわけがない。

 衝撃を受けたのは事実だ。

 自分の一番言いたい願いをカグラが言うから。

 私だって家族がいるあの世界に戻りたいのに。

 夢を渡って人に幸せを授けている【夢の渡り人】と言われても、自分の求めているものは何一つ叶っていない現実。

 それが、悔しかった。

 妬ましかった。羨ましかった。

 私だって、頼りたい。他の誰かに、この不満をぶつけたい。

 どうにかしてほしい。還してほしい。それは私の言葉だ、と怒りさえ覚えた。

 でも、それは八つ当たりだとわかっているから、言えない。

 自分の思いだけで何も知らない他人を傷つけることはやりたくない。

 だって、傷ついた人を何人も見てきた。苦しんで泣いている人を何人も見てきた。

 自分の勝手な感情に目の前の人を傷つけるようなことはしたくなかった。

 まして、こんな綺麗な人に―――。


「…何も、ありません」


「……」


「…本当に、何もありません」


 気まずい沈黙が流れた。言葉を重ねるごとに自身の嘘が彼の見透かされるようで、ルナも口を噤むしかなくなった。

 さわさわと桜の花が揺れる音を聞く。心臓が変な動きをしているのを感じる。

 ―――どうか、気づかないでほしい。これ以上は踏み込まないでほしい。

 ただただそれだけを思いながら、ルナはシエルの反応を待っていた。

 しかし、またもやルナの予想とははるかに上回る出来事が起こる。

 頭に手を置かれたと思ったら、いきなり彼の胸に強く寄せられたのだ。


「!?」


「あなたは嘘つきだ」


「シエル…?」


「黙ってていい。でも、離しはしないから。これは嘘をついたあなたへの罰。甘んじて受けて」


 言葉とは裏腹に、その声音はどこまでも穏やかで優しかった。

 引き寄せる時こそ強引だったが、その後は柔く抱きしめているだけで、頭を撫でてくれているその手もまるで労わっているようだ。

 それはまるで、アリシアに頭を撫でられているような感覚に近かった。


『おつかれ様』


 彼女の声が思い出される。心にしみ込んでいく、温かな言葉。

 シエルは言葉を紡がない。ただ、優しく撫でるだけ。けれど、それだけで充分だった。

 これが彼なりの気遣いであり、譲歩なのだろう。

 温かな温度に包まれて、ルナは心地よさに目を閉じた。

 いい匂いがする。これは、なんていう薫りだろう。

 静かな呼吸に合わせて、ルナもそっと息をついた。




*******


 再び眠りについたルナを見下ろし、シエルはひとつ息を吐いた。

 今度は普通の眠りのようで、綺麗な瞳は姿を隠したまま穏やかに呼吸を繰り返している。


「…驚いた」


 約束の場所に来てみれば、ルナが光に包まれながら静かに眠っていた様子を思い出してシエルは言葉をこぼす。


(―――あれが、夢見の状態か)


 強くシエルの上着を抱きしめながら横たわっていたのを見たときは度肝を抜かれた。

 彼女に何かあったのではないかと危惧もした。

 しかし、彼女は穏やかに眠っているだけだった。そこで一度は安堵したのだ。

 ルナの手に何かしらの力が集中したのを感じ、確かめる前に、彼女が涙を流したのだ。

 次いで、呻くような声を漏らしたものだから、シエルは焦燥を持って彼女を抱え、その場を離れようとした。

 だが、ルナの手に集中した力の持ち主が引き止めるような動きを見せた。そこで直感的に“ここ”から離れてはいけないことを悟ったシエルは仕方なく、力の持ち主の傍に腰を下ろしたのだ。

 そこからあまり時間が経たずに彼女が目を覚ましたのは幸いだった。

 あれ以上待たされたら、自身も何をするか分からなかった。


「…小さいな」


 自身の腕の中にすっぽりと入ってしまうルナを見ながらシエルはなんとはなしに呟いた。

 細く、頼りない身体。普段から身体を鍛えているシエルからしてみればこれほどかよわい存在は知らない。女性とはこんなものだと父は言っていたような気がするが。

 少なくとも、最初の彼女の第一印象はもっと逞しいもので、繋がれた手の力強さは何よりも心強かった。


(こんなにも華奢なのか)


 ただただシエルは驚嘆していた。夢でも現実でも、彼女の強い光はよく感じる。

 謁見の間でも気丈に振舞っていた姿が思い出される。

 夢の中と同じようなドレスに身を包んだ彼女は、やはり美しかった。

 あの場に参上していた貴族も彼女に目を奪われていたものだから、焦燥に身を焦がしたものだ。

 それに、あの泰然な姿は多くの目を惹きつけた。臆することをせず、兄にも自身の信念を持って言葉を返していた様子は彼女の存在を知らない者たちにも関心を持たせるには充分だった。

 噂は巡り巡っている。【夢の渡り人】である彼女は王宮の注目の的となった。容易には王宮から出られない身となったことに、彼女は気付いているだろうか。

 ルナの涙が伝った後をそっと撫でる。泣いているところを見るのはこれで二度目。

 あの優しく頼もしい笑顔の裏に、こんな脆い姿があるなど全く予想もしていなかった。


「だからこそ、僕は―――」


 その先は言葉として出さず、シエルはゆっくりと立ち上がった。

 このままではルナの身体が冷える。

 ガウンを着ているとはいえ、薄い寝巻きのままではいけない。

 また会えることを確信しているが、この時間が惜しいのもまた事実。

 ゆっくりと足を進め、象牙色の扉に行き着く。

 扉を開けるよう念じる前に、その扉は重々しい音を立てて大きく開いた。


「アルフレッド殿下、少し遅いのではありませんか」


 出迎えたのは意外にもアリシア・ラグシスであった。目を眇めて、威厳高く腕を組んで仁王立ちで待ち構えていた。

 その背後に自分の側近とルナの双子の侍女がいるのを確認した。側近であるヨシュアがため息をついたのが視界に入る。


「アリシア・ラグシス。あなたがここにいるのは意外だ」


「昨夜のことを聞いて、娘の様子を気にしない母がどこにいますか。乗り込まなかったわたくしに感謝して欲しいくらいですが…まあ、いいでしょう。何もしておりませんよね?」


「してない」


「ならば、よろしいでしょう。さぁ、その子をこちらへ」


「いえ、私が運びましょう」


「いいえ。その子は今は【王妃の客人】。それに淑女レディです。未婚の淑女の部屋に男性が入ることは固く禁じられております故、ここはわたくしに任せてくださいませんか」


「…あなたの言も尤も。だが、持てますか」


「わたくしを誰だと思っているのですか」


 早く寄越せ、と言わんばかりに手を差し出すアリシアにシエルは苦笑をこぼす。

 素直にルナをアリシアの腕に乗せようと手を伸ばす。

 そこで風がルナの身体を包み、あっさりとアリシアの腕の中に収まる。


「今宵の逢瀬は邪魔が入ったようで」


「あなたは本当に…どこからか見ていましたか?」


「さあ。しかし、この子も知りたいことも聞けずじまいでしたでしょう。またここに来られるようにするか、または別の機会を設けるか、王妃と相談してあげましょう」


「…それは」


「それがこの子の“運命”にも関わってくること。手を出さないと約束するのなら、わたくしは応援致しましょう?」


 試すような不敵な微笑を残して、アリシアは踵を返した。

 それに続いて、双子の侍女らの背中も遠ざかる。


「…釘を刺されましたね」


 淡々とヨシュアがシエルに言葉を投げる。

 やや憐憫の情が見えているが、シエルは気にしなかった。


「いや、かえって好都合だ。これで彼女への“道”がスムーズになった」


 王妃の承諾の下とは、これほど幸運なことはないだろう。

 シエルはアリシアの腕の中にいるルナを思い出して、その温もりを噛みしめるように強く手を握った。


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