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待ちわびた者

 人生初めての異世界のお茶会は、つつがなく終了した。

 そのことに安堵しながら、今は自室で一人、夕食をとっているところだ。

 本当は、招かれた客人として国王との食事の席も設けられていたようだが、王妃とのお茶会が長引いたのもあり、今回はなしの方向になった。

 

『慣れぬ環境は知らず知らずのうちに心を疲れさせますでしょう。今回はわたくしから王に進言させていただきますわ。だから、今日はどうぞ安心してお休みになってくださいましね』


 王妃の配慮もあり、ルナは頭の下がる思いで遠慮なく言葉に甘えさせてもらうことにした。

 そして、今。コンナのスープに、緑が鮮やかなフレンチサラダ、魚介のソテーに、チキンのキッシュなど、アリシアの下では食べたことのない贅沢なメニューが目の前に広がっていた。「どこの高級ディナーですか」と突っ込もうとして、この国一番のお城の中だと思い直し、素直に口を噤んだ。

 初日とガラリとメニューが変わったのもあり、出される品数も多かった。どれも見た目が上品で、一つひとつが芸術品のようだった。丹精込めて作られているのが分かる。

 食べても食べても出される食事に恐縮していたルナだが後半からは「食べなきゃ損だ」と開き直ることにした。お蔭で食が大いに進んだ。気の持ちようとはこのこと。

 最後の紅茶を飲んで、ルナはようやく一息ついた。


「おいしかった…」


 ほぅ…、と感嘆のため息をつく。お腹が完全に満たされたのもあり、表情は今にもとろけんばかりだ。

 傍目から見ると、微睡んでいるようにも捉えられる。


「お口に合うものだったようで、ようございました」


「ルナ様に喜んでいただけて、料理長も誉れに思われることでしょう」


「今回も、料理長様が作ってくださったの?」


「はい、もちろんでございます」


「【王妃の客人】…それにルナ様は有名な【夢の渡り人】様。最上級のおもてなしをするのは当たり前のことでございます」


「そ、そう…」


 ここまで手厚い待遇をされてしまうと恐縮してしまうのはルナの性格上、仕方のないことだ。

 先程、完食した食事を思い出して、平凡な自分と比べてなんとなく落ち込んだ。


「ここにはもう少し滞在することになったから、また折を見て料理長様にもお礼を言いに行きたいな」


 料理長なる人も仕事が忙しいだろうから、こちらのわがままで手を止めることがないように留意しておかなければ。そのあたりはヒルダとヨルダと相談していこうと思っている。


「ルナ様から【料理長様】と呼ばれたらきっと驚きます」


「料理長もまた、ルナ様に恩ある人と聞いております。時間を開けてくださるのもきっと快く了承してくれることでしょう」


「恩ある…?もしかして、夢で…ってこと?」


「詳しくは存じ上げませんが、そのように小耳に挟んだことがございます」


 予測していなかったことに驚きで目を見張ったルナは、ひとまず心を落ち着かせようと紅茶をまた一口飲んだ。

 夢で、会ったことがある人。この双子の侍女も、そうだった。

 少なくともこの王宮には四人も知っている人がいる、ということだろうか。


「…嬉しいな」


 夢で知り合った人に会える、という事実は、ルナの中でほわほわと心を浮かせるのには十分だった。

 だって、それほどまでに夢は現実味がなくて、寂しいものだった。

 目が覚めれば、夢の世界とは切り離された世界のように思えて、虚しささえも感じていた。


 ―――けれど、この王宮では会えるという。


「会うのが楽しみだなぁ」


 夢のことだから覚えていない人ももちろんいるだろう。だが、その時の記憶を持っている人がいるというのはなんという僥倖か。

 一時の逢瀬。それだけなのに、知り合いに会えるようでひどく安堵する。

 どんな夢を視ていた人だろう。あの夢の続きの“物語”を聞かせてくれるだろうか。

 ちゃんと、笑顔になれているだろうか。

 気になっていたことが自分の目で確かめられるということがとてつもなく楽しみだ。


 ルナは泣きそうに微笑んで、紅茶を飲み干したのだった。




******


 入浴を終えて自室に戻る道すがら、ルナは今まで忘れていた“彼”との約束を思い出した。

 王妃とのお茶会ですっかり忘れていた事実にルナは愕然としたが、急いで自室に戻り、彼の上着を持って庭園への道のりを進んだ。

 ヒルダとヨルダに彼の上着はお持ちします、と言われるがさすがに断った。

 昨日、ルナが自室に戻るや否や彼の上着を清めてくれていたのだろう。

 シワ一つなく、綺麗にたたまれていた上着の状態を思い出して、これ以上は手を煩わせてはいけない、と思ったのだ。

 ルナが預かったのだからルナがその管理をするべきだったというのに申し訳ない限りだ。

 謝るルナに「これも私たちの仕事のうちでございます」と言った双子は相変わらずであったが。


「あの、私が庭園に入ったら、二人は部屋に戻っててね」


 ようやく、庭園に繋がる扉の前に辿り付き、ルナは背後に控えてくれている双子の侍女に向き直った。


「いいえ、こちらでお待ちしております」


「どうぞ、ルナ様。お気になさらず」


 気にするな、と言われても廊下で待たせることに罪悪感しか沸かない。

 涼しい顔で待つ気満々の二人を言い含めることが出来ず、ルナは後ろ髪を引かれる思いで庭園に足を踏み入れた。

 今日こそは早めに戻ろう。そんなことを思いながら約束の場所へと足を進める。

 夜があたりの緑の色を深める中、その木は淡い光を放つように儚い花びらを散らしていた。

 昨日と変わらず、満開に咲いた桜。舞い落ちる花びらの先にはまだ誰もいなかった。

 彼はまだ来ていなようだ。

 間に合ったことにルナはひとつ息を吐き、桜の木の前に佇んだ。

 ゆっくりと視線を上げ、はらはらと風に舞う白にも桃色にも見える桜の花をルナは郷愁の思いで見つめた。


 ―――静かな夜。ひとりっきりの夜だ。


 風が優しく頬を撫ぜて、その心地よさにルナは瞳を閉じた。

 さわさわ、と花びらと草花が歌を歌う。

 一陣の風が通り過ぎ、ルナの漆黒の髪を緩やかに遊んでいった。


「意外や、意外。こんなにあっさり招かれてくれるとは」


 突如、鈴を転がしたような可愛らしい声が耳朶を打つ。ルナは驚きに肩が揺れ、思わず瞳を開けた。


「これ、そなた、どこを見ておる」


「―――どこに」


「ここじゃ、ここじゃ」


 声のする方へ視線を向ける。桜の木の枝に腰掛ける少女がそこにいた。

 まるで天女のような出で立ちで、風に流れる漆黒の髪をなびかせて、彼女は満足そうに微笑んでいた。

 ふと、周りの景色の変化にもルナは気付いた。あたりは漆黒の闇で、王宮の姿はどこにも見られなかった。

 ―――夢特有の空間だ。


「そなたは余所見が好きじゃの。こういう時はもっと驚くと思うておったが。肝が据わっておるだけかの?」


 見た目が同じ年頃の女子なのだが、その柔らかい口調にルナは僅かに驚いた。


「あなたは?」


「わらわは【カグラ】じゃ。この木の主じゃ」


「あなたが…。はじめまして」


「おや、そなたは名乗らぬのか。わらわの国は礼儀を重んずる。そなたは同じ匂いがする。今更、隠すことでもなかろうて」


「すみません。つい、いつもの癖で…。私は…この世界ではルナ、と名乗っています」


「“真名”は名乗らぬか。賢明じゃの」


 ふふふ、と桃色の袂を口元に当てながら、カグラは上品に笑った。

 まさか、昨日聞いた本人に会えるとは思ってもいなかったルナは少し混乱している頭を落ち着かせようとひとつ深呼吸をした。

 ゆっくりと面を上げて、カグラを見つめると彼女は笑うのを止めた。しかし、桜色の唇は弧を描いたまま、不敵な眼差しでルナを見下ろしていた。


「ここは、あなたの夢ですか?」


「そうじゃ。そなたには既に先客がいたようだが、わらわが割り込ませてもらった」


「…そんなことができるんですね」


 いつの間に夢の中に連れ込まれていたのか見当もつかないが、これはルナの予想通り、今日の夜に視た“彼”の夢とは関連性はないらしい。

 そのことを聞いて幾分か心は落ち着いた。

 まだ“彼”の夢は断片的に触れただけで、まだ何も解決策など持ち合わせていなかったのだ。その矢先にいきなり違う人の夢だというのはいくらなんでも無茶振りである。まだ夢の法則性を見出したわけではないが、今までの経験上そんなことはなかったので訝しんでいたのだ。今がないからといってこの先もないとは言い切れないが、今回は全く別件であることを知ることが出来ただけでも十分だ。


「ずっと、待ちわびていたのだ」


 枝から軽やかに舞い降りて、彼女は黒の地面に足をつけた。

 間近に迫った麗しい顔に、相手は女性だというのに少し胸が弾んだ。

 シャン、と髪にいくつも挿しているかんざしが揺れて儚い音色を奏でるのを聞いたと同時に、たおやかな細い手にルナの手を取られた。

 

「のう、ルナ、そなただけが頼りじゃ」


 それは甘く、切ない響きをルナに与えた。

 同じ漆を塗ったようなぬばたまの瞳には哀願の感情が惜しみもなく溢れている。

 ルナは金縛りにあったかのように、彼女のその瞳に囚われた。

 桃色の唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「わらわを、【月の君】のもとへ…わらわの世界に還してほしいのじゃ」


「――――!」


 ルナは目を見張ることしかできなかった。

 それは、ルナがずっと抱えていた想いであり、ずっと押し殺してきた感情でもあった。

 他人の口からその願いを聞かされる衝撃といったら…堪らなかった。


「それは…」


「のう、【夢の渡り人】であるそなたならできるであろう?おきながそう申しておった。そなたならきっと…」


「え、翁って誰…。いや、そんなことよりも―――」


「頼む。わらわは誓ったのだ。あの方に、誓ったのだ。なのに、いつの間にか知らぬ場所に連れてこられ、こうして悪戯に時が過ぎていくだけなのだ。わらわの我慢も限界じゃ。そなたは動けるであろう?還る術は見つけられるであろう?どうか、わらわにも教えて欲しい。どうか―――」


 あまりにも逼迫ひっぱくした想いは確実にルナの胸を突き、否定の言葉を飲み込ませた。

 同時に、押さえ込んだ何かが瞳から雫となってこぼれ落ちた。

 嗚咽は出てこない。ただただ、静かに頬に温かい雫が伝い落ちていく。


「諦めたくない。そなたもそうであろう?」


 ―――カグラが声を荒げたと同時に、世界が歪んだ。

 息が、苦しい。これは目の前の彼女の感情か。それとも。


「―――無粋な男じゃ。しかし、これでルナとの“道”も開けた。今回はこれで終いじゃ」


 ルナ、と名を呼ばれ、涙の滲む視界にカグラを映す。

 先程までの過激な感情は胸に秘めたまま、それでも彼女は不敵に笑った。


「また、会おうぞ」


 ―――勘弁してください。

 そんな本音は聞き届けられないことを知りながら、ルナは夢が閉じられる前にか細くこぼしたのだった。


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